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3 彼女は俺の言うことは聞くらしい

 九月二日 夕方

 城南荘二階供用廊下 二〇二号室前


「『お帰り』じゃねえよ。なんで二人ともここにいるんだ」


 我が家――出張中の両親が所有するアパートの一室。五十八平米の1LDKの部屋は、鈍高生が一人暮らしをするにはぜいたくすぎる間取りだ――のドア前で不敵に笑う新野に向かって、できるだけ剣呑な表情を作って訊ねた。


 「二人とも」と言いつつ、シャインの顔を直視することはできない。できないが、チラチラとは見てしまう。ちくしょう。なんて可愛いんだ。


「その言い方は正確じゃないな。如月」

 

 新野が顔を左右に小さく振って、俺の質問に答えるより前に何かの間違いを指摘してきた。相変わらず顔には嫌な感じのニヤニヤ笑いが張り付いていた。


 あまりというか今日までまったく喋ったことなかったけど、お前そういう性格だからいじめられんだよ。


「君の目の前に立っているのは、正確に言えば、一人と一体だ」


「はあ?」


 新野は右の人差指を立てて、得意げに言った。犬を連れている人に「お二人さんでどちらまで?」と尋ねたら「いやいや、一人と一匹で、ちょっと公園まで」と返されたようなものか。


 それにしても新野はあほか? 『一体』という数え方をされたのは、新野の隣で無表情どころか瞬きすらしていない美少女――春原シャインだろうか。一体なんて数え方は人形とか、ゲームでモンスターとエンカウントした際に「○○が△△体現れた!」みたいなときに使うものだろう。


 チラ見する限りではあるが、春原さんはどっから見ても人間だろう。どちらかといえば、陰湿な微笑みを浮かべて両目をギョロつかせている新野のほうが、よほど化け物じみている。春原さんは造形の秀逸さが人間離れしていると言えばしている気もするが。


「まあ、よくわかんねーけどさ」


 俺は、早々に新野との会話を打ち切ることにした。服部たちから助けてくれたことには感謝しているが、俺は新野とこの美少女とは関わり合いにならないと決めたのだ。だいたい人の家の前で待ち伏せなんかして。気味が悪いじゃないか。


 俺は二人に向かって家の鍵をちらつかせてさらに続けた。


「そこ、どいてくんないかな。うちに入れねーから」


「はい。マスター」


「…………」


 春原さんは笑顔で頷いて、新野は目をつむり恭しく頭を下げながら扉の前から退いた。


 俺は急いで鍵を開け、わずかにドアを開けて左右を見た。左に退いた春原さんは、無表情ではあるがどこか一点を凝視していた。その視線を追うと、俺が左手に持っているコンビニの袋にたどり着いた。


 腹が減っているのだろうか。すまないが九月から販売開始のコンビニ肉まん系を俺は毎年楽しみにしているのだ。残暑が厳しい中冷房の効いた部屋でこれを頬張る幸福と口福は、誰にも邪魔させない。


 ところで右に退いた新野は、ドアの縁に無遠慮に手をかけていた。


 まさか、開けようっていうんじゃ――


「うおおおっ!?」


 俺の懸念はいきなり現実化した。新野が小さな体から発揮したとは思えない力でドアを引いたのだ。あまりの衝撃に慌ててドアノブから手を離したが、それでも俺は後方にふっとばされて尻餅をついた。


 ドアはあっけなく全開になり、我が家の散らかった玄関が夕日の元に晒された。


「きったないなあ。如月、掃除くらいしろよな」


 予想外の怪力の持ち主は、玄関に散らかった靴を足で散らしながら文句を垂れた。


「汚くて悪かっ……いや待て! 勝手に入るなよっ!?」


 俺の制止など聞こえないかのように、厭味ったらしくワイシャツの袖で鼻と口を覆った新野が廊下を進んでいく。


 そのまま進んでいくと、さらにとっ散らかったリビングダイニングに侵入されてしまう。その先には、同級生には決して見せられない惨状が広がっている。あんな映像作品のパッケージやこんなゲームの攻略本が積みあがった塔、今朝家を出るときにPCの画面は閉じただろうか。もしデスクトップ画面を見られたら――。


「待て!! 新野!! そのドアを開けるなあああ!!」


 俺はしりもちをついた体勢から、どうにか身体を起こした。しかしこれから訪れるだろう事態を恐れるあまりか、足腰に力が入らなかった。新野の動きが酷くゆっくりに見え、それ以上に鈍重になった自分の身体を無理やり起こし、匍匐前進の要領で進んでいく。


 当然、新野に手は届かない。奴はあと一歩でドアに手が届くというのに。


「如月君て、普通だよね」


 名前も忘れてしまった女子生徒の声だけが頭にリフレインしてきた。そこから洪水のように、俺が生きてきた鈍高生活が脳裏に流れ込んでくる。


 俺の名前は如月悠人。


 見かけ上はこれといって特徴のない高校生だ。


 俺は美容院なんて行かない。三か月に一度、子供の頃から通っている床屋さんで「普通」にカットしてもらっている。


 私物を持ち込むこともなく、人体に有害な薬剤で髪を脱色したりもしない。おかげで、頭髪検査にも持ち物検査にも引っかからない。


 瞳の色は黒。視力は両目とも1.2だ。


 身長も体重も運動能力も、全てが平均。定期テストの成績は常に真ん中をキープする俺が、実は模試ではかなりの好成績を修めていることを、教師以外誰も知らない。


 それなりに流行を追ってはいても、その話題に花を咲かせることはあまりしない。人が話している時は、「3SUM」の出番だ。「さすが」「しらなかった」「すそれで?」「うん」「まじ!?」を連呼していればいい。


 クリック数回でいくらでも補充できる上に、信憑性も定かでない情報をひけらかして喜んでいる連中の相手なんてそれで十分できた。


 人付き合いは浅く、狭く。

 

 鈍色の高校生活などさっさと終わらせて、俺は東京で大学デビューする。それだけを楽しみに生きてきたのに――。


「新野! 頼む!!」


 こんなことを言われて止まるような男なら、そもそも新野は俺の家にずかずかと上がり込むような真似はしなかったろう。


 俺の叫びを聞いた新野はゆっくりとこちらを振り返ると、口角を吊り上げてニタァ、と笑った。


 悪魔の様な笑みを残したまま、鈍高一のいじめられっ子は、リビングへと続くドアノブに手をかけた。


 俺は届くわけもないと知りながら、右手を伸ばした。もうダメだ。三バカが帰った後、少しでも二次元に癒されようとタンスの奥から引っ張り出してきた俺のかわいいコレクションたち――それが今、同級生の目に晒されようとしている。明日にはもう、その内容はクラスいや学校中に広まっているに違いない。


 女子たちはおろか、男子からも注がれる、蔑むような視線。後輩たちからも、教師たちからも、同じような視線を浴びるに違いない。あの不良グループはなんと言ってくるだろうか。


 ガチャリ。


 ドアノブが回転した!!


「うわああ! 誰か! あいつを止めてくれえ!!」


「はい。マスター」


 俺の絶叫に、涼やかな声が答えた。と思った瞬間である。


 ヒュゴゥッ!!


 匍匐前進の体勢のままだった俺の左を、何かが猛スピードで駆け抜けていった。


「ぐぉあっ!? シャイン! 待て! き、極まって! 関節!!」


「……へ?」


 風が俺のうなじを撫でていったと思ったら、新野が苦しげに呻き出した。

 何事かと思い涙を拭って前方見てみれば、そこには複雑な形に関節技をかけられ、廊下に転がる新野の姿があった。


「マスター。エクスマスターの動きを止めました」


 うつ伏せに倒された新野の背に乗り、左腕と右足、さらには首までを締め上げて悶絶させていたのは、春原シャインその人だった。


「ちょ、春原……さん? 何して――」


「如月! 早くこいつをどけてくれ、シャインは、お前の言うことなら聞く!」


 首から上に血液の循環障害が起きている証拠に、新野顔が真っ赤になっていた。俺の言うことを聞いて、春原さんは新野を止めてくれたというのか。


「春原さん……? ちょっと、緩めてあげてくれる?」

「はい。マスター」

「緩めるっていうか、どかしてくれよ! マジで折れちまうって――」

「じゃあ、ちょっと強めて」

「はい。マスター」

「なっ!? てめうごあがががが!!」

「うーん」


 俺は匍匐前進の姿勢から立ち上がり、廊下でくんずほぐれつ――ほぐれてはいないか――している男女の姿を観察した。


「ぐぶぶぶ……きさ……ら……マジで……し……」


「えーと、春原さん、死なない程度にしてやってくれ」


「はい。マスター」


 とりあえず、新野の唇が紫色になってきたので緩めてもらい、俺はリビングの片付けに向かった。同級生はもちろん、女子に見られてはならないあんなDVDやこんなソフトをひとまとめにし、PCをシャットダウンした。


 絨毯の上に散乱している妙にカールした毛などもコロコロで吸着除去し、シートに大量の埃が付着したことに眉を潜めつつ廊下に戻ると、そこにはぐったりとして動かなくなった新野がいた。


 それを無表情に見下ろす美少女、春原シャインをしばらく眺め、俺は恐る恐るこえをかけてみた。


「えと、春原さん?」


「はい。マスター」


「とりあえず、靴は脱ごうか」


「そこかよ……」


 気絶したのかと思っていた新野が、顔も上げずに呟いた。






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