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2 マスターとエクスマスター

 九月二日 放課後 旧校舎裏

 

 私立鈍色高校。

 よほどのことがない限り、俺がもうすぐ卒業する高校の名称だ。

 鈍色ってのは、濃い灰色のことだ。平安の時代には灰色全般がこう呼ばれていたそうで、刃物が鈍化してきれなくなる「鈍る」が語源だとかなんとか。


 校歌の全文は長いので割愛するが、その中に「嗚呼、鈍色の空を拓けよ鈍高生(にびこうせい)」などという一節がある。


「第二次大戦中の青空教室から始まったという我が校の歴史を鑑みれば、灰色の空を拓けと説いた創立者、生駒三郎先生が若い学徒と日本の未来にかける想いが伝わってきます」とは、校歌斉唱のあとに校長が垂れる訓示の決まり文句だ。


 まあ言っていることは分からなくもないが、学業もスポーツもパッとしない成績しか残せておらず、卒業生の大半が無名の私立大学へ進学し、巷では「灰高生(はいこうせい)」または「鈍高生(にぶこうせい)」と言われているくらいだから、生駒先生の想いは灰色の未来を予見したという形でもって実現されたと言わざるを得ない。


 そんな鈍高生と静蘭女学院の生徒がお付き合いをすることなど、そうそうあることじゃない。


 なぜなら出会う機会そのものがないからだ。


 静蘭のお嬢様方はバイトもしないし寄り道もしない。また静蘭は自校の教育カリキュラムに絶対の自信を持っており――もちろんそれに恥じない実績を残している――生徒は学習塾へ通うことも禁止されている。


 学校が休みの日も、鈍高生がたむろするカラオケやゲーセンなどのアミューズメント施設の利用は禁止、生徒だけでの外泊や外出すら禁止されているとくればもうお分かりだろう。


 静蘭女学院は全寮制なのだ。

 四季おりおりの景色が楽しめる山中にひっそりと佇み、外部との接触を極力絶ち、英才教育の限りを尽くす。


 なんの、学園祭があるじゃないかなどと思うかもしれないが、静蘭のそれ――静蘭祭の一般公開はされておらず、親戚筋等のコネでもない限りお一人様二万円という高額極まりない招待状を手に入れることは至難である。


 というわけで、鈍色高校と静蘭女学院は直線距離にしてたったの三キロしか離れていないにも関わらず、両校の生徒が邂逅することは滅多にない。


 故に鈍高生にとって静蘭女子は、もし彼女らの姿を見ることができればいいことがある。などと言われ、ツチノコみたいな扱いなのだ。


 今、そんな静蘭女学院の制服を着た美少女が俺の目の前に立っている。


 美少女――そう呼んで差し支えないだろう。やや青みが入った黒髪をショートボブにしており、長い睫毛に縁どられた髪色とよく似た色の瞳がこちらをまっすぐに見つめている。慌てて視線を下へ逸らせば、ぽってりとした桜色の唇が目に飛び込んできた。


 それすら見つめていることもできず、さらに下へと俺の視線は降りていった。


 まず目を引いたのは、左胸に鮮やかな蘭の刺繍が施してある、一目で上等の絹であるとわかる純白のワイシャツ――の胸部だ。絶対にブラジャーが透けて見えたりはしていないが、鈍高女子にはない、静蘭女子は発育状況まで優等生なのかと思わせるほどの確かな膨らみがそこには存在していた。


 夏の日差しを反射して光るワイシャツの裾は、淡いブルーのプリーツスカートに吸い込まれるように収納されており、そこには一片の皺も見受けられなかった。


 スカートの下から覗く足のラインは細く、しかし女性らしい丸みをしっかりと発現させていた。当然、膝小僧の皮膚にたるみなど見られるわけもなく、つるりとした陶器のような足の下半分は、これまた純白のハイソックスと磨き上げられた黒いローファーに覆われていた。もちろんハイソックスは、ゴムを切ってだぶつかせてなどいなかった。


 前述したように、俺は高校でできるだけ目立たず騒がず生きてきた。それというのは、俺の気持ちを分かち合える友人などいないと思っているからだ。少なくとも、小学校高学年辺りから、俺は明らかに周りの人間とは交われない異質の存在だという自覚があった。


 だから、わざと遠い土地の大学を志望し、現役合格すれば一人暮らしをさせてもらえると両親から確約を取ってある。


 卒業したら地元にはほとんど帰ってこないつもりだから、こっちで深い関係を築いても仕方がないと思っている。徐々に連絡を取らなくなって、自然消滅してしまうような友人なら、始めからいない方がいい。


 鈍高生が遊びほうけている間、親が共働きで単身赴任のため誰もいない家でしっかりと勉強し、来る受験に備える。無理をして話を合わせ、仲間や友人などとは呼べない上っ面だけの人間関係を築くより自由に暮らしている方が性に合っている――そんな風に思う反面、大学でこそ親友と呼べる友達が欲しい、付き合ったらそのまま結婚してもいいと思える女性に出会いたい。そんな願いが日増しに強くなっていることを俺は自覚していた。


 俺の中にそんな思いが強く芽生えていたからなのか、昨日くだらない嘘を吐いてしまったことを再び後悔した。友情や愛情への憧憬などというものは、俺にはまったく共感できない唾棄すべき感情だったはずなのに。


「マスター。御用はなんでしょうか?」


 旧校舎裏には、鈍色高校開校当時からそこにあるという桜の巨木があり、豊かな枝葉から漏れる日差しによって作られた彼女の影を見ていた――すなわち黙ってうつむいてしまった俺に、涼やかな声がかけられた。


 校舎裏には俺と謎の美少女以外誰も居ない。


 間違いなく彼女は俺に話しかけている。


 聞き違えるはずもない、俺の神経をふにゃふにゃにしてしまった、HR前に聞いたあの声で。


「ああああ、あのっ!」


 どうにか顔を上げはしたものの、視線はそびえる木の葉へ飛ばしつつ声を発した。舌の制御が効かずに激しくどもってしまった。


 認めざるを得ない。


 What a big disgrace! なんという恥辱!


 要するに俺は、美少女を前にして緊張しまくっているのだ。


「はい。マスター」


 声がすればそちらの方を見てしまうもの。柔らかそうな唇がふわりと動いた。なまじR18指定の映像作品ばかり観ているせいか、それすら猥雑な動きに見えてしまう。


「きっ、君は! そそその、誰なんだい?」


 辛うじて裏の顔ではなく外交用の口調は保っていたが、相変わらず上ずった声で俺は訊ねた。それを聞いた彼女の口がほころび、無表情だった顔には柔らかな笑みが浮かんだ。


「私はシャイン。あなたの従僕」


 今度はその笑顔から目が離せなくなった。微に入り細にわたって編集されたアイドルの写真集のごとき微笑みとは対照的に、「私はあなたの従僕です」などと言う美少女――シャインであった。


 アニメでこんな状況になったら、きっとイケメンで物怖じしない女の扱いに慣れた主人公が「そうかいそうかい……従僕っていうなら、俺のムフフな要求に応えてもらおうか……?」なんて展開が望めるのだろうが、俺の場合は違う。


 だってなあ、考えてもみろよ。

 

 とつぜん女が現れて、「私はあなたの従僕です」とか言いだしたら、「は? こいつ大丈夫か?」ってなるのが当たり前だろ。


 ましてや美少女で生粋のお嬢様学校静蘭女子の生徒だ。

 はっ! これはもしかしたら、早退した服部どもが仕組んだ巧妙な罠かもしれないじゃないか。

 適当な静蘭女子を使って――この際服部の言うことを聞く静蘭女子などいないだろ。というご意見は飲み込んでいただきたい――「シャイン」を名乗って俺に近づかせて成り行きを見ているかもしれない。


 しかしそう考えると、ついさっき君は誰と訊ねた時点で、「大成功~!!」のプラカードを持った馬鹿どもが闖入してくるはずだ。もちろんまだ観察されている可能性もあるが。


「…………」


 俺は油断なく辺りを見渡しながらHR前の一幕を思い返し、この状況に至った過程を整理してみることにした。


 まず、昨日下らない嘘を吐いたせいで、今朝不良グループに厳しく真偽を追及される羽目になった俺を、新野が助けてくれた。


 あの後PHS(ピッチ)をもぎ取った服部だったが、二~三言話しただけで「……ちっ。面白くねえ」と言って通話を切った。そして新野に旧式無線通話器を放ると、取り巻き二人を連れて教室を出て行ってしまったのだ。


 ちょうど廊下を歩いてきた担任と少々の悶着があったようだが、そのまま彼らが教室に戻ってくることはなかった。


 二学期から我が鈍色高校は「受験準備期間」に入るため、午後はそれぞれの選択科目授業へと移行する。私立文系コースである俺や新野は午後の授業はなく、さっさと帰ろうとする彼を引っ張って旧校舎裏へやって来たのだ。


「……で、この変な本とピッチと……眼鏡? さっぱりわからねえ」


 思わず独り言を言ってしまったが、新野は三つの謎アイテムを俺に押し付け、「彼女が来る」と言い残して去って行った。


 謎はおおまかに分けて三つ。


 新野はなぜ俺を助けたのか。


 その方法として「遠い親戚」らしいこの美少女に電話してくれたわけだが、なぜ彼女は俺を「マスター」と称し、かつ自分を「従僕」と呼ぶのか。


 そして、新野の置き土産はなんなのか。


 謎を解明するのに一番手っ取り早い方法は何かと考えた俺は、新野に連絡を取るべきだという結論に達した。美少女と話すのは緊張してしまって大変だからな。


 さて――と思い、俺は手の中のピッチに目を落とした。


 これが奴の所有する唯一の通信手段だった場合どうする。もし携帯もスマホも持っていないとすると家電にかけるか直接訪ねることになるわけだが、奴の番号も住所も俺は知らない。忘れ物を届けるとか言って担任に聞けば教えてくれるだろうが、さすがに親戚が目の前にいるのだからそれを尋ねることぐらいはできるだろう。


「あの、シャイン、さん?」


「ご用は何でしょう。マスター」


 俺が頭の中であれこれ考えて唸っているのを不思議そうに見ていた春原が嬉しそうに応えた。

 くっ、この笑顔にやられそうだが、状況を整理して当面の方針がはっきりすると落ち着いてきた。美少女とはいえ相手は人間だ。話をするだけなら緊張する必要はない。


「き、君は、その……新野の親戚なんだろ? 彼の住所か電話番号を知らないかい?」


「新野……(エクス)マスターですね。彼の住所や電話番号は、私にはわかりません」


 申し訳ありません。

 

 そう言って、美少女シャインは頭を下げた。ショートボブの髪が揺れ、ふわりと甘い香りが漂ってきた。声もそうだが、これまた頭の芯からとろけそうになる香りだった。つい頬が緩むのを抑え込んで、俺は考えに集中しようとした。


 新野のことを「(エクス)マスター」なんてまるで元カレみたいに称したことからしても、彼女の中で俺が「(カレント)マスター」扱いになっていると推察される。されるのだが、そもそも日本において男女の関係を表現するにあたって、「マスターと従僕」はないだろう。


 新野が言うように、彼女は外人とのハーフなんだろうか。目は青っぽいし、身体の発育具合が規格外なのでその辺りだけは、ああそうかなとも思えるが、異文化圏においてもやはり従僕はないだろう。

 

「う~ん」


 俺は新野の置き土産を持ったまま腕を組んで、首を捻った。


 あれこれと考えるうちにずいぶん落ち着いてきた。それとともに彼女と新野の発言の異常性が俺の中で浮き彫りになり、「関わり合いにならない方がいい」という方針が打ち出されるのに長い時間はかからなかった。


「じゃあさ、新野んちの住所は分からなくても、場所くらい知ってるかい?」


「エクスマスターの家……はい。それならわかります」


 詳しい番地は知らなくても、目的地にはたどり着けるものだ。期待通りの答えを聞いて、俺は満足した。


「はい、これ。新野の忘れ物だから」


 新野が俺に押し付けてきた三品を差し出して、俺は外交スマイルを作った。


「あいつの家とか俺にはわからないからさ。悪いけど、届けてあげてくれないか」


 長い年月をかけて積み上げた外交スマイルと外交トーク。今朝のような異常事態に見舞われなければ、俺の外交スキルは決して低くない。万難を退け、今日まで目立たず過ごしてきた俺に対するクラスメイトからの評価は「如月君て、普通だよね」だ。

 

 普通であるように振る舞ってきた故に、極端に劣っていて蔑まれるような点はなく逆に妬まれるようなこともない俺ではあるが、この「外交スマイル」にだけは自信を持っている。


 人は笑顔に弱いのだ。あなたのことを全面的に信頼して全てを任せたいのですが、宜しいですかという思いを込めた笑顔の頼まれごと――例えば日直の時に黒板拭きクリーナーの掃除――を断ってくる奴はいなかった。

 

「……これを、エクスマスターに届ければよいのですね?」


「お願いできるかな?」


「マスターの願いとあれば、是非もございません」


「あ、そう……それと、さっきは」


「服部と話してくれて、ありがとう」と言おうと思ったが、彼女は矢のような速さで駆けて行ってしまった。あの美貌で鈍高の校庭を抜けて走って行けば、相当に目立ってしまうのだろうが、知ったことではない。授業中に、旧校舎裏にやってくる人間などいない。何しろここは、生活指導の先生方がタバコを吸うためのメッカだからな。俺が彼女と一緒だったと明かせる奴はいない。本当にこの学校は鈍色だぜ。


 そういうわけで目撃者がいる可能性はゼロに近い。傍から見れば、いや俺にしても謎でしかない会話の末に彼女は去り、不良どもが現れる気配もない。


「ふぅ~。危ないところだったぜ……」


 俺は人生計画が大きく狂うかもしれなかった事態を、無事に解決できたことに安どのため息をつき、帰路を急いだ。







「…………」


 コンビニに寄り、「限定カレーピザまん」を購入してホクホク顔で帰宅した俺は、戸口に立つ人影を見て絶句した。


「お帰りなさいませ。マスター」


「お帰り。マスター」


 一人暮らし用に両親が用意してくれたアパートの一室――「城南荘」の二〇二号室の前で待ち構えていたのは、無表情のシャインとニヤニヤ笑いを浮かべた新野だった。








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