表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

赤いずきんのオオカミ少女

作者: 鈴風かなた

 みなさんは、童話「赤ずきん」のお話をご存知ですか?

 私は小さな頃からよく、お母様に聞かされています。


――これは私たちの始まりの物語


 赤ずきんちゃんのお話をする前に、お母様は必ずそう言います。

 どういうことか、ですか?

 ふふっ、聞いて驚かないでくださいよ?


 実は私のお婆様のお婆様が、この赤ずきんちゃんなのです!


 ……え、証拠ですか? う~んと、えっと……。

 あ、これ! この赤いずきんは昔から――え、見えない? そ、そう言えばそうでしたね……。

 まぁそれは置いておいて。

 お母様の言う「私たち」とは、実は私やお母様のことだけではありません。

 そうです。あの物語は私たち「赤ずきんちゃん」と「オオカミ」の始まりの物語。


 そしてこれから語るのは、「赤ずきんちゃん」と「オオカミ」の新しい物語。


                   *


 深い深い森の奥にある、大きな大きなお年寄りの木。その近くにある明るい広場を通り過ぎた先に、私の家はあります。

 丸太を積み木のようにして組み立てたそれは、清閑な森の雰囲気を損なうことなく建っています。

 内装はも至ってシンプルです。広めの居間に置かれた丸いテーブル、四角い戸棚、三角形の時計など、全て木製で統一されています。

 奥には2つの扉があり、左がお母様の、そして右が私の私室です。

 この森での生活に不満を感じたことは、この12年で一度もありませんでした。

 お母様のお手伝いをし、森に住む動物さんとお話ししたり遊んだり。それが私の「当たり前」だからです。


 お日様が仕事の3割を終えた頃、私は水汲みを頼まれました。

 外に出ると、ちょうどイエスズメのスーさんが家の屋根にやってきました。

「やあ、赤ずきんちゃん。どこかへ行くのかい?」

「ええ。お母様のお手伝いで、近くの川へ水を汲みに行くの」

 私は手に持っている木のバケツを掲げて見せました。

「毎日お手伝いして偉いね。それじゃあ、気をつけていくんだよ」

「はい! 行ってきまーす!」

 スーさんに見送られ、私は川へ向かいました。

 お母様や動物さんは、私の事を「赤ずきんちゃん」と呼びます。

 なぜなら、お母様のお下がりである赤いずきんをいつも被っているから。昔はお母様も赤ずきんちゃんと呼ばれていたそうです。

 明るい広場を通り抜け、大木の前に来ました。

 私の日課の1つに、この木への挨拶があります。

 見上げてもてっぺんが見えないくらい大きなこの木は、私が生まれるずっとずっと前からあるそうです。

 私が落ち込んだときや怒られたときなど、よくこの木の根元に隠れます。不思議なことに、我が家と同じくらい安心できる場所です。

 特に意味もなくぐるりと木の周りを歩き、私はそこを離れました。

 薬作りの得意なフクロウさんの家の前を歩いていると、後ろから声をかけられました。

「こんにちは、赤ずきんちゃん」

「あら、ペルさん。こんにちは」

 声の主は、ウサギのペルさんでした。

「川へ水を汲みに行くのかい?」

「ええ。ペルさんはフクロウさんの所へ行ってたんですか?」

「うん。ちょっと風邪をひいちゃってね」

「それは大変! お目々も真っ赤ですし……」

「うん、目が赤いのは生まれつきなんだよ」

「耳も元気なく垂れ下がっていますし」

「普段からそうだよ。あれ? 僕たち何度も会ってるよね?」

「あら、そうでしたね。ごめんなさい」

「……いや、いいんだよ。それじゃあ」

「お大事に」

 去っていくペルさんの背中は、どこか寂しそうな雰囲気でした。きっとお風邪が辛いんでしょう。

 それから少し歩くと、森が開けて大きな川に着きました。

 山から流れるこの水は、この森に住む私たちにとっては欠かせないものです。

 この川を挟んだ向こうに広がる森は、こちら側の森より暗いのであまり行くことはありません。でもあちらの森にはとても綺麗な花畑があるので、時々仲の良い動物さんと一緒に行きます。

 川をずっと下っていくと、人間の町があるそうです。でも私は行ったことがありません。そもそも、この森から出ることをお母様から禁止されています。

 私はお母様以外の人間を知りません。2年ほど前に一度、森の中で見かけたことがありますが、私は驚いてすぐに逃げてしまいました。

「さて、はやく帰らないと」

 お日様はもう、私の真上に昇りそうでした。

 

 水を汲み、私は寄り道せずにちゃんと家に帰りました。

「ただいま戻りました」

「おかえりなさい、赤ずきん」

 私のお母様は、森の動物さんたち全員が認める美人さんです。金色の髪によく似合う赤いお洋服を着て、スラッと背も高いです。

 腰まで届く小さな波立つその髪と、青い宝石のような瞳は私にも受け継がれています。

 はやくお母様のような立派なレディになりたいものです。

「お手伝いしてくれたご褒美にアップルパイを用意してあるわよ」

「本当!? 私、お母様のアップルパイ大好き!」

 美人としてだけでなく、お料理が上手なことでも有名なお母様です。

「昨日リスさんたちが林檎をたくさん持ってきてくれたの。あとでみんなにおすそ分けしなきゃ」

「餌付けだね! この前本で勉強した!」

「うふふ、違うわよ~。お母さんが腹黒キャラみたいになっちゃうからやめてね」

 あれ、間違えて覚えちゃったのでしょうか? たしかご飯をあげて仲良くなることだと思うんだけどなあ。

 イスに座り、目の前の大きなアップルパイから1切れ取り、口いっぱい頬張ります。はあぁ、この口に広がる甘々とサクッふわっとした食感がたまりません。

 私は林檎が大好きです。そのままいただいても美味。このように料理されてもグー。どんな姿でも私を魅了します。禁断の果実と言われるのも納得です。

「赤ずきんがそれを食べ終わったら、お母さんは町へお買い物に行ってくるわね」

「うん。じゃあ、いつも通りお留守番してるね」

「お願いね」

 森で揃えられないものがある度に、お母様は町へ出かけていきます。私は1度も連れて行ってもらえません。

 理由は、町までは片道2時間も掛かり、子供には辛いからだそうです。私ももう12歳なんだけどなあ。

 それから時計のお兄さん針が半周くらいしました。

「それじゃあ、行ってくるわね」

「いってらっしゃーい」

 お母様は町へ出かけるときに必ず帽子をかぶります。なぜかと聞くと、小さい頃に頭巾をかぶっていたクセだそうです。

 パタンッと扉が閉じると、途端にすることが無くなってしまいました。なので、本を読んで勉強することにしましょう。

 本の世界は不思議なことで溢れています。森よりずっと大きな水溜りや人を乗せて空を飛ぶ機械、なんと体中が伸びるゴムのような人間までもが、本の中に存在しています。

 どれも私には想像すらできません。でもそれを読むことで、私の世界はどんどん広がっていきます。

 と、創造の世界へ旅立っていた私を現実に引き戻すように、コンコンと窓を叩く音が聞こえました。そこにいたのは、見知らぬ鳥さんでした。

「はじめまして。君が赤ずきんちゃんかい?」

「ええ、そうよ。あなたは?」

「僕はカササギ。しばらくこの森に住もうと思うから挨拶に来たんだ」

「もしかして、森の外からいらしたの?」

「そうだよ。いろんな町を旅して、いろんなモノを見るのが好きなんだ」

「それは素敵ね! よければ旅のお話をしてくださらない?」

「ああ、いいよ」

 それからカササギさんは、いろいろなお話をしてくださりました。

「その大きな時計って、どれくらいの大きさなの?」

「この近くにある大木と同じくらいかな。登るのに一苦労したよ。でもね、そこから見ると世界が全て小さくて面白かったよ」


「まるで、人間がゴミのように見えるのね!」


「えっ……。ああ、うん。……そうだね」

 私はここぞとばかりに、本で勉強した比喩表現を披露してみせました。「ゴミ」という言葉の意味をあまりわかっていませんが、たぶん使い方は間違ってないと思います!

「森よりずっと大きな水溜り……えっと、海? それは本当に存在するのね」

「そうだよ。全てが青く、時に赤く染まる景色は、あそこでしか見られない素晴らしい景色だよ」

「じゃあもしかして、人間を乗せて空を飛ぶ機械も存在するのかしら?」

「それは飛行機だね。あれは音がうるさくて、僕はあまり好きじゃないなあ。まあ僕たちと違い翼のない人間にとっては、偉大な発明らしいけどね」

 カササギさんのお話を聞き、私は本の中に広がる世界がどれも本当に存在することを知りました。

 ゴムのような人間……。ちょっと怖いけど会ってみたいです。

「それじゃあ、僕は他の動物にも挨拶をしに行くから失礼するよ」

「ええ。たくさんお話ししてくれてありがとう。また聞かせてね」

 カササギさんを見送り、私は窓を閉じました。

 とても有意義な時間を過ごせました。

 本の中のだけだと思っていた世界は、森の外に広がっている。でもそれは、まだ私の頭の中だけ。森の外へ出たいという気持ちがどんどん高まっていくのが感じられました。

 

 その機会は、すぐに訪れました。


                   *


 その日の朝は、珍しくお母様より早く目覚めました。

 川への水汲みから帰ってきてもまだベッドで寝ていたので、私は不審に思いました。

「お母様、もう朝だよ」

「……ごめんね。風邪が辛くて起きられないの」

 その言葉を聞き、私は急いで薬箱を取り出しました。

「あっ……空っぽ」

 風邪薬のビンには、薬が一粒も入っていませんでした。

 私とお母様の薬は、町まで買いに行かなければなりません。近所のフクロウさんの作る薬は動物さん専用です。

 そこで、私はお母様に提案しました。

「私、町へ薬を買いに行きます」

「だめよ。森の外……特に町はとても危ないの」

 予想通り許可は下りません。しかし、森の外へ行ける又と無い機会です。私は食い下がります。

「私だってもう12歳だよ? 使ったことないけれど、お金の使い方だってちゃんと知ってます。危険なところには近づかないし、寄り道せずに行きます!」

 少しの間、沈黙が訪れました。そしてお母様は、私をじっと見上げながら言いました。

「そうね。……うん、大丈夫」

 一度目を伏せると、優しく微笑みながら私の頬をなでてくれました。

「お母さんの言うこと、ちゃんと守れる?」

「うん。どんなことでも守る」

「約束は2つ。絶対に寄り道しないこと」

「うん。急いで薬を買って戻ってくるね」

「それともうひとつ。絶対に頭巾を脱がないこと」

「頭巾を?」

 たしかに今の季節なら暑くもないので、脱ぐ必要はありません。でもなぜでしょう?

「いい? 絶対守ってね」

「わ、わかりました」

 お母様からお金を受け取り、いつもの赤いずきんをしっかり被ると、私は急いで町を目指しました。


 町への道筋は、それほど難しくはありません。川を下っていくと大きな道に出るらしく、その道に従って歩けば着くそうです。

 川にそってしばらく歩いていると、私は心臓がドキドキしているのに気づきました。それは1人で町を目指すことへの不安だけではなく、森の外へ広がる世界への期待感も含まれています。

 先日カササギさんからお話を聞いたことで、森の外を見てみたいという気持ちが高まっていました。

 お母様が風邪をひいてくれてラッキーと思ってしまったのは、ここだけの話です。

「おや、赤ずきんちゃんじゃないか」

 そこにいらしたのは、イエスズメのスーさんでした。

「もうすぐで森を抜けてしまうよ。お母さん、怒ると怖いんだろう?」

 お母様は怒ると、いつも以上にニコニコしています。大きな声を出すことなど滅多にありません。でも晩御飯がピーマンだらけになります。……恐ろしいです。

「今日は町まで薬を買いに行くの。だから怒られないですよ」

「そうだったのかい。……あの小さかった赤ずきんちゃんが、とうとう森の外へ……」

 そんな、町へ行くだけで大げさな。ちなみにスーさんとお母様は、私が生まれるより前からの知り合いだそうです。

「でも気をつけるんだよ。絶対に頭巾を脱いだらいけないよ」

「お母様と約束したので大丈夫です」

 スーさんにも言われました。そう何度も言われると、逆に脱いでみたくなります。子供心に潜むレジスタンスな精神が目覚めそうです。


 それから少し歩くと、とうとう森を抜けました。

 木々のように日の光を遮るものがないせいか、思わず目がくらんでしまいます。

「これが外の世界……」

 深呼吸を3回ほどしてみます。森の空気とは違い、いろいろな物が混ざったような匂いです。

 見上げれば、青い空がどこまでも広がっています。

 目の前には土の道が、すうっと伸びています。大きな道とはここのことでしょう。

 ずっと森の奥で生活していた私にとって、綺麗に舗装された道は、なんだか窮屈に感じられました。

 道の周辺には民家と思われるレンガの建物がぽつぽつとあり、私の木の家とは違うカラフルな色たちが私の心を躍らせます。

 どんどんレンガの建物が増えていきます。

 そして、足から伝わる感触が土のものから固い石に変わった瞬間、私は町に入ったことを確信しました。

「うわぁ……すごい……」

 道の端は建物が立ち並んでいます。木に囲まれるよりも圧倒されてしまいます。

 そこを抜けると、さらに大きな道に出ました。

 向こうを見れば、川を流れる木の舟が、ちょうどレンガ橋の下を通っています。反対側には、大きな鳥さんの像が建っています。そして、町中に点々と立っている柱の上にはランプが付いています。

 そしてなにより……。

「に、人間がこんなに……」

 今日はお祭りで、世界中の人間が集まっているのかと思ってしまいました。数は……50人ほどでしょうか。

 私と同じ人間というものをじっくり見るのは、これが初めてです。なんでしょう……なんだか違和感を感じます。

「いけない、はやく薬を買わなくちゃ」

 とは言ったものの、どこで売っているのか見当つきません。なにせ初めて来たのですから。

「やはり誰かに聞くしか……。誰かに」

 お母様以外の人間と話すのも初めてです。

 男の人は怖いので対象外。私と同じくらいの子供がいればベストなのですが見つかりません。

 と、ちょうどすぐ横を、杖をついたお婆さんが通りました。

「あ、あの! すみません!」

「うん?」

 お婆さんはゆっくりとこちらを向きました。

「えっと……その……。薬を売っているお店をご存知でしょうか」

「ああ、知ってるよ。ここを右に曲がって、少し進んだら左に見える赤い家だよ。看板が掛かってるからすぐにわかるよ」

「あ、ありがとうございます!」

 お礼を言うと、お婆さんは再び、ゆっくりと歩き出しました。

 人間との初コンタクトは、大成功と言えるのではないでしょうか。私ってもしかして社交的なのでしょうか。

 お店には思ったよりもすぐに着きました。中に入ると、台を挟んだ向こう側におじさんが立っていました。さらにその向こうには棚があり、ビンやら袋やらが所狭しと並んでいます。

 店内には私以外のお客さんはいません。

「おや、いらっしゃい」

 セカンドコンタクトは向こうから仕掛けられました。

「か、風邪に効く薬をください!」

 心の準備が足りなかったせいか思わず大きく出てしまった声に、自分で驚きました。

「元気なお嬢さんだねぇ。ちょっと待っててな」

 おじさんは並んだビンの中から1つ取り出し、私に差し出しました。

「ありがとうございます」

 私はそれを受け取ると、言われた値段をきちんと払いました。動物さんとの物々交換ではなく、初めて通貨制度というものをを利用しました。

 正直なところ、この丸っこいのにそれほど価値があるとは思えません。

「ところで、この辺じゃ見かけないお嬢さんだね」

 まさかのセカンドコンタクト続行です。私の中では終わったつもりでした。

「は、はい。この町から少し離れた場所に住んでいます」

「そうか。この町はここらじゃ一番大きいから驚いたんじゃないかい?」

「は、はい。それはもう……」

 ずっと森に住んでいることは言いません。

「つっても、今のこの町には何もないからなあ」

「以前は何かあったんですか?」

「この町には大きな展望台があったんだよ。まあ100年も前に壊されちまったんだけどな」

「それは残念ですね……」

 100年ほど前というと、お婆様のお婆様が子供のころだったとお母様に聞いたことがあります。

 そうでした。はやくお母様に薬を届けないといけません。

 おじさんに一礼して、私はお店を出ました。

「なんだお前。この辺じゃ見かけないな」

 突然5人くらいの男の子たちに出くわしました。年は私と同じくらいです。

 ところで、なぜ皆さん同じことを言うのでしょう。

「お前、名前なんていうだよ」

「……赤ずきんと呼ばれています」

「なんだそれ! 変な名前!」

「それに変な帽子!」

 お気に入りの頭巾を変と言われ、少しカチンときました。でも私は大人なので、言い返して無駄な争いをするようなことはしません。

「すみません。私は急がなければいけないので」

 私は男の子たちの横を通り抜けようとしました。

「おい、待てよ!」

 肩をつかまれました。痛いです。

「つか、人と話すときは帽子を脱がなきゃ失礼なんだぞ」

 この状況で失礼なのは、いったいどちらなのでしょうか。

「お母様との約束があるので、失礼ですが脱げません」

 肩を掴む手を少し乱暴に払い、私はその場を離れようとします。

「いいから帽子脱げ!」

 今度は肩ではなく、頭巾を掴まれてしまいました。

「ちょっと、やめてください!」

 無駄な争いに発展してしまいました。子供のじゃれあいと認識しているのか、道行く大人たちは通り過ぎていきます。

「い、痛い!」

 頭巾と一緒に髪を引っ張られて、とても痛いです。でもお母様との約束を破るわけにはいかないので、私は必死に抵抗します。

 でも相手は男の子。力の差はわかりきっています。

 ズルッと頭巾が取られてしまいました。

「あっ」

「……え?」

 男の子たちはみんな黙ってしまいました。

 道行く大人もみんな足を止めています。

 私はそんな時になってようやく、初めて人間をじっくり見たときに感じた違和感の正体に気づきました。

 男の子たちも大人たちも、みんな私を見ています。いえ、正確には頭巾で隠されていた私の頭部ですね。


 そう、オオカミと同じ耳の生えた私の頭部を、みんな見ています。


「……偽者?」

 大人の誰かが呟きました。

 なぜ違和感の正体に気づかなかったのでしょう。町のお婆さんもおじさんも男の子も誰も、獣の耳がありません。

 でも、私とお母様にはあります。

 ああ、もしかしたらコレを隠すために、頭巾を脱いではいけないと言われてたのかも知れません。

「バケモノ!」

 男の子が、奪った私の赤ずきんを投げつけます。

 返してもらった(?)頭巾を被ります。のんきなもので、私はまだ、事の重大さに気づいておりません。

「バ、バケモノ!」

 今度は違う男の子が小石を投げつけてきました。

「オオカミ人間!」

 さっきよりも少し大きい石が飛んできました。

 男の子たちに投げつけられる石と言葉。そして大人たちの目を見て私は、自分と周りの人間たちを隔てる壁の存在に気づきました。

「あんなのと関わっちゃだめよ」

 大人が自分の子供を引っ張ります。

「汚い動物風情が」

 ボソッと大人が吐き捨てるように言いました。

「巣に帰れ!」

 投げられる小石の量と勢いが増してきました。そしてようやく、この場にいてはいけないと思いました。

 私は走りました。世界中の人間から逃げるように。

 そびえ立つレンガの家々は、私を押しつぶすかのように迫ってきます。

 町を抜け、森の中へ入っても走り続けます。耳をふさいでも、男の子たちの言葉が聞こえてきます。目を閉じても、大人たちの目がこちらを見ています。

 気づけば、あの大きな大きなお年寄りの木の前でした。

 こんなにたくさん走ったのは初めてです。そして、こんなに怖い思いをしたのも初めてです。

 近くに動物さんはいません。ここにいるのは大木と……バケモノだけです。

 ごめんなさいお母様。予定より急いで帰ってきた分、少しだけ……ほんの少しだけ、1人で泣かせてください。


 誰よりも長い間この森に住んでいる大木だけが、泣き続ける優しい少女を見守っていた。



 家に着くと、私はお母様のところに薬と水をもっていきました。

 よっぽど私の心配をしたのか、私の姿を見ただけでお母様は笑顔になりました。私もつられて笑顔です。

「おかえりなさい、赤ずきん」

「ただいま戻りました。はい、薬と水」

 朝よりも体調が良くなったのか、上体を起こし薬を飲むと、私の頭を撫でてくれました。頭に2つ付いた耳の間を。

「約束通り、寄り道はしなかったかしら?」

「うん。大丈夫」

 もうひとつの約束を守れなかったことは秘密にしておくつもりです。

 だって、あのことを言ってしまったら心配されそうです。

 頭を撫で続けるお母様の笑顔に少しだけ、寂しそうな影が差しました。

「でも、ばれちゃったみたいね」

 ドキリとしました。呼吸が止まるかと思いました。

「赤ずきんはあまり泣いたことがないから知らなかったかもしれないけど、お目々が真っ赤よ」

 そう言われて私は、近くに置いてある鏡を覗き込みました。たしかにウサギさんみたいです。

 でもなぜそれだけで、なぜ獣の耳がばれたとわかったのでしょうか。もしかしたら、私の挙動を見るまでお母様は確信を得ていなかったかもしれません。

「ごめんなさい。辛い思いをさせたわね」

 お母様のせいではありません。

 そう思っているはずなのに、言葉が喉につっかえてしまいます。

「もう少し大人になったら話すつもりだったの。でも、それは間違いだったのかもしれないわね」

「私は……」

 ようやく搾り出した声は震えていて、なんとか聞き取れるくらいのものでした。

「私は……人間……なの?」

 お母様は撫でていた頭から手を離し私の手をとると、真剣な表情に変わりました。

「あなたの血の4分の3は、人間の血よ」

「お母様も?」

「お母さんは半分だけ」

 そしてお母様はお話してくれました。

 オオカミと縁のあったお婆様が人狼と恋をしました。しかし人狼はオオカミとしての血が濃く、お母様に半分も受け継がれたそうです。

 お母様も今の私と同じように、幼い頃に辛い思いをしたらしいです。なので、お爺様とお婆様があまり好きではないと言っていました。

 私が大人になり、いろいろな物事がきちんと考えられるようになったら、全て話そうと考えていたそうです。


 外も部屋の中も真っ暗になっていました。一体どれほどの時間、ベッドの上で目を瞑っていたのでしょう。

 もちろん一睡もしていません。頭の中では言葉や光景がぐるぐると回り続けています。

 お母様を嫌いになんてなっていません。生まれてからずっと大好きなのですから、これくらいのことで変わったりはしません。

 でもやっぱり、この血は嫌いになりました。

 私やお母様のせいではありません。ましてや、あの人間たちの反応も、よく考えれば当たり前のことかもしれません。

 では、誰が悪いのでしょうか?

――これは私たちの始まりの物語

 お母様は「あの」お話をしてくださる前に必ず言います。私たちとオオカミの始まりだと。

 

 ああ、そうか。あのお話が無ければ、私もお母様も幸せになれたんだ。

 

 そう思った途端、真っ暗だった世界が白い光に包まれた。

 あまりの眩しさに、瞑っている目の中にも光が刺さる。

 冷たい光に攫われるように、少女の意識は沈んでいった。


                   *


 ここはどこでしょう? 私は赤ずきんです。

 目覚めるとそこは、夜の帳が下りる森の中。ベッドのふかふかではなく、土の固くモサッとした感触。

 どうも記憶が曖昧です。

「ここは私が住んでる森……でしょうか?」

 どことなく雰囲気が違うような。でも住み慣れた匂いを感じます。

 思い返してみれば、日が沈んでから森を出歩くことはなかったかもしれません。それで雰囲気が違うように感じたのかも。

 別に怖いわけではありませんよ? 動物さんはみんな友達ですが、夜には夜の危険というものが……

――ガサッ

「ひぃっ」

 突然、頭上にある木の葉がざわめきました。

 恐る恐る見上げると、そこにはフクロウさんがいました。この森のフクロウさんは、薬作りが得意な方だけです。

 ですが、今頭上からこちらを見ているフクロウさんは初めてお会いします。

「こんな時間に人間がいる。迷子か?」

 フクロウさんは独り言のように呟きました。

「いえ。私はこの森に住んでいる赤ずきんです」

 そう返事をすると、驚いたようにバサリと翼をはためかせました。

「俺の言葉がわかるのか!?」

「ええ、まあ」

「お前は人間ではないのか?」

「人間です。オオカミさんの血が少し混じっていますが」

「……なるほど人狼か。だが、こんな町の近くにいるとは珍しいな」

 今までずっと、動物さんとお話できるのは当たり前だと思ってました。でも普通の人間はできないようですね。かわいそうに。

「ふむ。この近くに赤いずきんの少女が住んでいると聞いたことはあるが、まさか人狼だったとは」

 このフクロウさんは独り言が多いですね。立派な羽毛が心配でなりません。

「あの、失礼ですがあなたもこの森にお住まいですか?」

「ああ。この森のフクロウは俺だけだ」

「あなただけ?」

 そんなはずはありません。薬作りが得意なフクロウさんと見間違えるはずもないですし。

 だんだん、この森が本当は私の知らない森なのではないかと不安になってきました。

「あの、この森の奥に、大きな木はありますか?」

「あるよ。向こうに進んだらすぐに見えるよ」

「ありがとうございます」

 フクロウさんにお礼を言うと、私はすぐそちらへ向かいます。

 見えました。やはりあの大木です。この森は私の知る森なのだと再確認しました。

 でもなぜでしょう? いつもより少し大きく感じられます。

 ということは、この近くには広場があって……ここを抜ければ。

 ありました。我が家です。一時はどうなるかと思いましたが、無事に着きました。

 さっそく家に入り、自室の扉を開けました。

 私はすぐに扉を閉め、早足で家を出ました。そのまま広場を抜け、大木の元へ戻ってきました。

 木の根元に座り込みます。体育座りです。顔を膝に埋めちゃいます。

 あの家へは戻れません。……だって。だって!


 知らないお婆さんが寝てたんですもん!


 私のベッドに知らないお婆さんって、どういうこと? どなたか私の状況を解説してへるぷみー。

 …………いくら待っても助けは来ませんので、自分で状況を整理します。

 部屋に籠もっていたら突然白い光に包まれ、気づけば外に放り出されていました。私のよく知るフクロウさんは、違うフクロウさんにすり替わっています。この大木があるので、私の住む森で間違いないでしょう。

でも、私の家には知らないお婆さんが住んでいました。

「……ふぅ」

 物事を整理することは大切ですが、時にそれは何の役にも立たないことがあると学びました。

 もうこうなってしまったら、神様を頼るしかありません。私は祈るように天を仰ぎました。

 空には丸いお月様が見えました。

「ふわぁ……きれい」

 満月というものを、私は初めて見ました。

 人間の技術では作り出せない、正確で自然な円。その妖しくも荘厳な輝きは、たとえ世界の名だたる絵画といえど、表現できないでしょう。

 不思議な魅力があります。熱く、駆り立てられるような気分です。

 全身がむずむずします。その満月から……ムズ目がムズムズ離せまムズムズムズムズ……

「かゆい!」

 身体中がかゆいです! でもそれに比例するように、力は溢れてきます。

 こんなことは初めてです。満月を見たせい?

 かゆみは収まらず、とうとう私は怖くなりうずくまってしまいました。

 ぎゅっと目を閉じます。それと同時に、身体がお月様に引っ張られました。

 一瞬、全身に鳥肌が立ったような感覚に襲われました。それと同時に、かゆみも消えました。

 目を開けると、オオカミさんの鼻先が見えました。立ち上がろうとすると、上手くバランスがとれず、思わず手をついてしまいました。手と表現したそれは人間の手ではなく、動物さんの前足にそっくりでした。

「まあ……」

 つまりこれは……そういうことでしょうか?

 私の思考は、意外にも冷静ですばやい判断をしてくれました。

 

 え~脳みそさん脳みそさん。聞こえてますか?

 先ほど整理した「状況」の項目に、新たに1つ付け加えてください。


 『私、オオカミさんになる』――と。



 目が覚めると朝でした。いえ、もうお昼近くかもしれませんね。

 どうやら自分がオオカミさんになってしまったショックで、気絶していたようです。全然、冷静ではありませんでしたね。

 ですがもう、人間の姿に戻っているでしょう。

 立ち上がろうとすると、やはりバランスがとれず足を……いえ、手をついてしまいました。やっぱり全身毛で覆われた、立派なオオカミさんのままでした。

 

 気づけば空はオレンジ色。また意識が飛んでいたようです。

 いい加減慣れて、ガラスのハート。

「おなか……空いた」

 いくら理解不能な状況に置かれようと、所詮世界の理に抗えぬ人間です。

 しかし空腹を満たそうにも、見知らぬお婆さんのいる我が家へは帰れません。なので、辺りに成っている木の実などを食べるしかないでしょう。

 食べ物を探していると、ウサギさんを発見しました。

 いえ、いくらオオカミさんの姿をしていても中身は人間、食べようなどとは思いません。が、精神的に辛いので話し相手になっていただきたい。

「あの、そこいくウサギさん。少しよろしいですか?」

「うん? 僕のことか……」

 ぴしっ……という効果音が聞こえたような気がしました。

 目が合った途端ウサギさんは固まってしまい、身じろぎもしません。まさに「蛇に睨まれた蛙」という状態でした。ですがこの場合、「狼に睨まれた兎」と大胆かつエキゾチックに言葉を変えても、全く問題ないですね!

「あの、食べたりしないので安心してください……」

 一歩近づくと、ウサギさんは何とも文章化し難い悲鳴を上げながら去っていきました。

 今度は、ショックで私が固まってしまいます。動物さんに逃げられるという、初めての経験をしました。

 こうして無垢な少女は大人になるんですね。


 子供である人間状態の私と比べて、オオカミ状態の体躯は割かし大きめです。

 それに伴い、胃のほうも大きくなったようです。小さな木の実を少し食べただけでは、一向に膨れません。

 空腹な私の思考はだんだん低下していき、だんだんと、今私は夢の中なのではないかと思うようになりました。

 目覚めれば使い慣れたベッドの上。扉を開ければ、お母様と暖かな食事が待っている。そんな現実。

 歩きながら創造の世界に飛び立っていた私を連れ戻したのは、ふいに目を射すオレンジ色の光。気づけば森の外にいました。

 再び訪れたそこは、やはり私の記憶とは違いました。舗装された土の道は砂利に。カラフルな家々は、薄い木の板を繋ぎ合わせたような格好をしています。

 ふと、とても歩きづらいことに気づきました。加えて、力も抜けているような。

 足元を見ると、前足だった私の手が人間の手に戻っていました。手だけでなく、足も肌も顔も、いつもの私です。

「いつの間に……」

 でもここは夢の世界。きっと何でもありなんでしょうね!

 私は身体に異変がないか探りました。するとポケットに、お母様に返しそびれた財布が入っているのに気づきました。

 物の金銭価値に疎い私は、財布の中身で食事ができるかわかりません。ですが希望は見えました。

 人間に対する少しの恐怖心も空腹に敗れたので、私は町へ向かいました。

 

 たどり着いたそこは、あの華やかな町並みとはガラリと風貌を変えていました。

 レンガはすべて木製に。石の道も土になっています。全体的な構図は私の記憶と同じですが、その風景は初めて見るにも関わらず、どこか懐かしさを与える印象です。

 まるで童話の中を訪れているように錯覚させられます。

 幸い、日も落ちかけているせいか、人の往来はほとんどありません。

「あれはなんでしょう?」

 一際大きな建物が私の目を引きます。それは以前本で見た、チェスのルークを巨大化したような形をしていました。

 吸い寄せられるように、その謎の建造物の元へ来ました。

 近くで見るとこの建物はレンガでできているのに気づきました。森の大木には劣るものの、なかなかの大きさです。

 するとどこからともなく、今まで嗅いだことのない匂いがしてきました。

 鼻とお腹をくすぐる匂いは、建物のすぐ近くにある屋台から漂っています。

「やあ、お嬢さん。買っていくかい?」

 おじさんは私に尋ねました。

「これは何ですか?」

「焼き鳥だよ。文字通り、鳥の肉を焼いたものさ」

 こ、これが鳥さん……。肉料理というのは聞いたことがありますが、実際目にするのは初めてです。

 森に住むものがこういったものを食べるのはどうかとも思いましたが、ここで食べなければ鳥さんは無駄死にということです。それはむしろ、鳥さんに対する冒涜。私のために犠牲になってくれた彼のためにも、私は食べなければならない! それが私の使命!

(注)空腹で少し混乱しています。

 おじさんに値段を聞くと、財布の中身で十分足りることに安心しました。

 お金を払い焼き鳥を受け取ると、私はすぐにそれを頬張りました。パンとも野菜とも違う弾力。皮を破るプチッっとした感触がクセになりそうです。

 ぺろりと平らげると、私はおじさんに建造物のことを尋ねました。

「これは展望台といって、登れば町や外の景色が一望できるんだ」

「今からでも登れるかしら?」

「残念ながら立ち入り禁止なんだ」

 そんなに素敵なものが立ち入り禁止なんて、どういうことでしょうか。

「管理する人間がいなくなって、内部は荒れ放題で危険なんだ。近々、取り壊される予定だよ」

「それはもったいないですね……」

「この町の唯一のシンボルだったんだけどな。しょうがねぇよ」

 展望台を見上げると、カラスさんがカァカァ鳴いていました。

「さ、子供はお家に帰りなさい。食べたくなったらまたおいで!」

 おじさんに見送られ、行くあてのない私は町を出ました。

 もしかしたら泊めてくれる民家もあったかもしれませんが、空腹が満たされた今、人間に対する恐怖心が戻ってきました。

 真っ直ぐ森へ向かいました。あの森は私を受け入れてくれる。

 私は盛大に転びました。森に入った途端これです。なんだか嫌な予感がしました。

 恐る恐る手足を確かめます。

 やはり、またオオカミさんの姿になっていました。

 

 大木の前に座り込みます。ここが唯一安心できる場所です。

 なんだかとても疲れました。ふかふかのベッドで眠りたいです。この夢の世界でも、夢を見るのでしょうか?

 遠くからホーホーとフクロウさんの声が聞こえます。お月様は真ん丸ではありません。

 夜の、しかも何がいるかわからない今の森では、むしろオオカミさんの姿で良かったかもしれません。

 私は目を閉じ、今日の出来事を思い出します。

 そういえば、「展望台」という言葉を聞いたのは、今日が初めてではない気がします。

 つい最近……そう、あの町で…………。

 おじさんが……薬を売ってくれた、あのおじさんが言っていた気がします。

 でもあの後の出来事のほうが印象強くて、上手く思い出せません。

「う~ん……。う~~~ん」

 どれくらい唸ったでしょう。

 ぺかーん。思い出しました!

「そうです。町にあった大きな展望台が、100年も前に取り壊されたと言っていたんです!」

 頭も心もスッキリとした気分です。これでようやく安眠できます。

 身体を丸めると、すぐに私の意識は眠りに落ちていきました。

 ……あれ? 焼き鳥のおじさんは……近々取り壊されるって……。

 …………じゃあここは……100年前…………の………………夢の……せか……。


 私は真っ暗な世界を、ふわふわ漂っています。

 意識ははっきりしているような、してないような……。

 何か見えます。真っ暗な部屋で、1人の少女がベッドの上で泣いています。

 誰よりも、私がよく知る人物です。

 その少女は言いました。

「あのお話がなければ……」 

 少女の言葉は白い光になり、私と少女はそこに溶けていきました。


                  *


 森の中です。まあ、昨日からずっとそうなのですが。

 できればベッドの上で、尚且つ人間の姿で目覚めたかった。ここは本当に夢の世界?

 夢といえば、私は先ほど見た夢を思い出しました。曖昧な記憶がカチリと合わさります。

「すっかり忘れていました。私は白い光に包まれる前に、童話の赤ずきんに書かれた出来事が本当に起こらなければよかったのに、と思ったんでした。」

 つまり、この100年前を描いた夢が終わらないのは、まだ目的を達成していないからなのでしょうか。

 童話のお話を無かったことにする夢? そんなバカな。しかし、今の私はそれ以外することがありません。

 何事も当たって砕け……たくはありませんが、とにかく試してみましょう。


 まずは赤ずきんちゃんの情報を得るため、動物さんに聞き込み調査です。

「あの、すみません。赤ずきん……」

 ウサギさんは逃げました。

「あの、すみません。あか……」

 鳥さんは逃げました。

「あの、すみませ……」

 タヌキさんも逃げました。

「…………」

 私はしばらく落ち込みました。

 そして考えました。このオオカミさんの姿がいけないんだ、と。

 私は草や木の葉を体中にくっつけ、獣の肌を全て覆い隠しました。さらに、いろんな木の実や果物も付けることでカラーにバリエーションを持たせます。そして最後の仕上げです。木の枝を何本か刺すことで、親しみやすさを華麗に演出します。

 恐ろしいと評判のオオカミさんがガラリと変身したその姿はまさに……

 

 立派な妖怪でした!


 余計怖さアップしてます。夜道で出会いたくない選手権ナンバーワンです!

 ……あ、ほら。あの鳥さん、私を見た瞬間に気絶して木から落ちてしまいましたよ。

 私は身につけていたものを全て剥がし、余った葉っぱを気絶中の鳥さんに掛けてあげました。こんなところで寝ていては風邪をひいてしまいますよ。

 そして再び、聞き込み開始です。

 

 お昼くらいになりました。

 結果は15戦15敗です。稽古からやり直しです。

 精神的にも肉体的にも疲弊したので、私は町で焼き鳥を買うことにしました。

 まあ鳥さんでしたらこの森にたくさんいますが、いくら捕食者の姿をしていても生きた状態で食べるのは遠慮したいです。

 と、歩き出した瞬間、私はバッタリ「私」と出会いました。

 一瞬、ドッペルゲンガーさんのお話を思い出しゾッとしました。が、よくみると彼女は私ではなく私のそっくりさんでした。遠目から見たら、お母様でも間違えてしまいそうです。

「こんにちは、オオカミさん」

 その、赤いずきんを被った私そっくりの少女は、私に挨拶をしました。

 私は心から感激しました。こんな気分は生まれて初めてです。

 だってこの少女……私の姿を見ても逃げないんですもの!

「こ、こんにちは」

「あら、オオカミさんは人間の言葉を話せるのね」

「普段は人間ですので」

「そうでしたの。じゃあオオカミ人間さん?」

「ええ」

「私、初めてお会いしましたわ。噂には聞いていたのだけれど。」

 彼女は珍しそうな目で、私の身体を見渡しました。なんだかくすぐったいですね。

 一通り見ると彼女は、残念そうな表情になり言いました。

「もっとゆっくりお話したいのだけど、私は用事があるので失礼しますね」

「はい。また今度お話ししましょう」

 そしてお互いお辞儀をして、別々の方向に歩いていきました。

 それにしても、赤ずきんちゃんはとても良い方でした。私の姿を見ても逃げないどころか、逆に挨拶してくれました。他の動物さんたちも見習って欲しいです。

 ……って、ああ!

 混乱と感激のあまり、当初の目的を完全に忘れてました!

 私は彼女に会うために、どんどん減ってきている無垢な心を、更に削ってまで聞き込みをしていましたのに!

 振り返ると、まだ彼女の後姿は見えました。

「あの! 赤ずきんちゃん!」

「はい?」

「今からどこに行くんですか?」

「森の奥にある、おばあちゃんの家よ。病気になってしまったのでお見舞いに行くの」

 彼女の手には、お見舞いの品と思われるケーキとブドウ酒の入ったバスケットが握られていました。

 童話で読んだものと、全く同じです。

 ということは、この後に彼女は悪いオオカミさんと会ってしまう。それを防がなきゃ!

「お、お花!」

「え?」

「あっちの川を渡った先に、とっても綺麗なお花畑があるの。それを摘んでいったら、お婆さんもきっと喜ぶと思いますよ?」

「とても素敵ね! よかったら案内してもらえる?」

「もちろんです」

 広場を抜け大木の前を通り、川に架かる橋を渡ります。私と彼女は無事、悪いオオカミさんに会うことなくお花畑に着きました。

 これで目的は達成されたのではないでしょうか。

「まあ、なんて綺麗な場所なの!」

 彼女は嬉しそうに、お花畑の中をくるくる踊ります。

 そういえば私も、初めてこの場所に来たときに同じようなことをしました。

「オオカミさん、教えてくれてありがとう!」

「喜んでもらえてよかったです」

「ふふっ。お母さんのケーキやブドウ酒よりも、この綺麗なお花のほうが病気に効きそうね」

「そうかもしれませんね。そういえば、お婆さんの家はこの近くなんですか?」

「ええ。ほら、さっき通り過ぎたあの大木の近くよ」

 ということは私の家(仮)にいた見知らぬお婆さんは、彼女のお婆さんだったようです。 

 それにしても、意外にも簡単に、物語を無かったことにできました。だって、起点である悪いオオカミさんは見当たらないのですから。

 ふと、あることに気づきました。どうして考えなかったのでしょう。

 

 私と会う前に、彼女が悪いオオカミさんと出会っている、という可能性を。


「あ、あの、赤ずきんちゃん!」

「どうかしたの?」

 彼女はどのお花を摘んでいくか選んでいる最中です。

「もしかして、今日オオカミさんと会った?」

 彼女はキョトンとした表情で、こちらを見ると言いました。


「うん。さっき会ったわよ」


 しまったです! つまりもう、悪いオオカミさんはお婆さんの家に向かっているということです。

 このままではお話通りになってしまいます。

 はやくお婆さんの家に行って助けないと!

「私、用事が出来たから帰りますね!」

「そうなの? それは残念ね」

「ええ、本当に。またゆっくりお話ししましょう」

 そう言って私は駆け出しました。

「さっき会ったオオカミさんは、あなたなんだけど……。それがどうかしたのかな?」

 彼女の呟きは、私の耳に届きませんでした。

 

 

 人間の何倍も速く走れます。景色をどんどん追い越していきます。

 お婆さんの家に、もうすぐ着きます。

 と、どこからか人間の泣く声が聞こえました。

 早足で後ろに流れていた景色が、ピタリと止まりました。

 急がなければいけません。

 でも私の足は、声のするほうへ向かっていました。

 

 男の子でした。うずくまって泣いています。

「ねえ、どこか痛いんですか?」

 声を掛けると、男の子は顔をあげました。透き通った2つの碧眼が私の顔を捉えます。

 もしかしたら逃げられるかな、と思いましたが杞憂に終わりました。

「……オオカミ?」

「ええ。人間の言葉を話す、不思議なオオカミさんです」

「僕、食べられるの?」

「まさか。食べませんよ。でもあなたくらいなら、一飲みにできそうですけどね」

 男の子は、いつかのウサギさんのように固まりました。

 安心させるために発したはずのウィットに富んだジョークは、彼の心に突き刺さったようです。まあ大変。

「ごめんなさい、冗談です。ところで、こんな森の奥でなぜ泣いていたのですか?」

 彼は俯いてしまいました。

「もしかして、迷っちゃいましたか?」

 この森は深いので、一度迷うとなかなか抜け出せません。

 案の定、彼は首を縦に振りました。

「じゃあ、私に任せてください。あなたを森の外まで連れて行ってあげます」

 彼は私の顔をじっと見つめたまま動きません。

「大丈夫。この森は私の庭のようなものです。さ、私も用事があるので急いで」

 その言葉を聞き、ようやく彼は立ち上がりました。

 私が指示すると、ちゃんと背中に跨ってくれました。

「全力で走るので、しっかり掴まっててくださいね」

 男の子が掴むのを確認し、私は再び駆け出しました。

 10ほど呼吸をした頃には、すでに森の外に着いていました。

 私は1つ、失敗を犯しました。どうやら森を出ると、人間の姿に戻るようです。

 つまり、今私は人間の状態で男の子と向き合っています。

「ここまで来れば大丈夫ですか?」

「うん。大丈夫」

 しかし男の子は、突然人間になった私にも怯えません。

「では、私はこれで」

「うん。ありがとう、オオカミのお姉さん」

「もう迷子になってはいけませんよ」

「うん! 今度は僕が、お姉さんを助けるからね!」

「ふふっ。頼もしいですね」

 男の子に見送られながら走り出します。

 私は森に入りオオカミさんの姿になると、今度こそお婆さんの家に向かいました。


 窓から家の中を覗くと、ベッドで寝ているのは悪いオオカミさんではなく、お婆さんです。

「よかった。悪いオオカミさんはまだ来ていないみたいですね」

 はやくお婆さんに、もうすぐ悪いオオカミさんが来るから逃げるように言わないと。

 私はそっと、家に忍び込みました。

 回すタイプのドアノブでなくてよかったです。遅れた文明に感謝。

 内装も匂いも私の家と違います。それでも不思議と、あったかい気持ちになります。

 ああ、もうお母様に久しく会っていないような気がします。

 元私の部屋であるお婆さんの部屋に行くと、お婆さんは静かに寝息を立てています。

「お婆さん、起きてください。ここは危ないですよ」

「……おや……赤ずきんかい?」

 お婆さんはまだ、寝ぼけ眼です。

「えっと、赤ずきんは赤ずきんでも、時をかけた赤ずきんといいますか……。とにかく、もうすぐ悪いオオカミさんが来るので、一緒に逃げましょう!」

 私はお婆さんの顔を覗き込み、目を見ながら真剣に言います。

 なにかお願い事をするときは、相手の目を見て真剣に言えば誠意が伝わる。お母様の教訓です。

 寝起きのお婆さんの瞳は、ようやく焦点が定まりました。

 私の姿を見て3秒後。お婆さんは鳥さんと同じような悲鳴をあげました。

 もう何度も聞いたので慣れました。嘘です、やっぱり心が痛いです。

「オ、オオカミ!」

「落ち着いてください、お婆さん! あなたを食べたりしませんから! それより悪いオオカミが……」

「出ていって!」

 枕を投げつけられました。顔面にクリーンヒットです。

 お婆さんは錯乱していて、話を聞いてくれそうもありません。どうしましょう……。

 縛って担いでいく? 人間の姿ならできそうですが、今はオオカミ状態なので無理です。

 体当たりで気絶される? 打ち所が悪かったら大変なことになってしまいます。却下。

 ではどうしましょう?

「う~ん……。う~~~ん」

 お婆さんは枕で私の頭をボフボフ叩いています。

 ぺかーん。閃きました!

「お婆さんごめんなさい! 少しの間、辛抱してください」

 オオカミさんの必殺技――丸呑み!

 思ったよりもスルリと入っていきます。

 お婆さんは気絶してしまったのか、お腹の中で暴れたりはしません。……大丈夫。ちゃんと生きてるはず。

 人間のときよりもずっと大きくなったはずの胃もたぷたぷです。きっとこのまま人間に戻ったら、それはそれは前衛的で人々には到底受け入れられない芸術品になってしまいそうです。

「おばあちゃーん、赤ずきんです!」

 突然聞こえてきた声に飛び上がり、思わずベッドの中へ隠れてしまいました。

「おばあちゃん?」

 彼女は部屋へ入ると、ベッドのすぐ横に来ました。私の心臓バックバク。

「あら? お婆さんの耳はこんなに大きかったかしら?」

 ひえぇ~。上手く隠れたつもりが、布団からはみ出していたようです。

「そ、そうよ。あなたの声がよく聞こえるようにね」

「それに目もとっても大きいわ」

「怖がることはありません。可愛いあなたをよく見るためよ」

「お婆さんの手は、こんなに大きかったかしら」

「そうですよ。大きくなくては、あなたを抱いて上げられないもの」

 先ほどから、条件反射のように言葉が飛び出します。

 というか、全然上手く隠れられていないようです。

「なんと言っても大きな口。びっくりしちゃったわ」

「それはね……」

 ここで一呼吸おきます。

「それは……お前を食べるためさー!」

 がばっと起き上がります。

「きゃー(棒読み)」

 私はいったい何をやっているのでしょう。お母様から童謡「赤ずきん」を何度も何度も聞いていたせいか、無意識のうちに会話劇をなぞっていました。

「ところで、オオカミさんはおばあちゃんの家で何をしているの?」

「これにはちょっとした事情がありまして……。というか、最初からお婆さんでなく私だと気づいてました?」

「当たり前よ。いくら子供でも、人間とオオカミの区別はつくもの」

 そうですよね。

「とにかく、ここは危険です。一緒に逃げましょう」

「そうなの? でもおばあちゃんは?」

「大丈夫です。ちゃんといますので」

 私はベッドから降り部屋を抜けると、辺りに悪いオオカミさんがいないか警戒しながら家を出ました。

 振り返ると、ちゃんと赤ずきんちゃんもついて来ています。

 森の中を歩いていると彼女が言いました。

「ねえ、おばあちゃんは?」

「ここにいますよ」

 私はお腹を指し、さっきの出来事を話しました。

「それは大変だったわね」

 人間の言葉を話すオオカミさんと対話し、お婆さんが丸呑みされても動じない。彼女は大物かもしれません。

「あと、あの家が危険ってどういうことなの?」

「悪いオオカミが来るんです。あなたとお婆さんは食べられてしまいます」

「そうなんだ」

 でもこれで、童謡「赤ずきん」の出来事は回避されたはずです。赤ずきんちゃんはオオカミさんに会ってしまったようですが、2人は食べられなかったですし。

 これで私も夢から覚めて、元の世界に戻れるはずです。

 この夢は覚えていたいような、でもやっぱり忘れたいような……。

「あっ」

 赤ずきんちゃんは思い出したように言いました。


「この森は猟師さんが見回りしてるから、悪いオオカミもやっつけてくれるんじゃないかな?」


「え?」

 そのときです。

「おいオオカミ! 赤ずきんから離れろ!」

 振り返ると、緑の服に身を包んだ青年が、長い筒のようなものをこちらに向けて構えていました。

「え?」

 何が起こっているのかわかりませんでした。

「待って猟師さん! この方は悪いオオカミでは……」

 赤ずきんちゃんが叫ぶのと同時に、青年の指に力が入りました。

「え?」

――パンッ

 乾いた音が森中に響き渡りました。その音は、私の額からじわじわ広がるように身体を熱くさせました。

 たくさんの鳥さんの羽ばたく音と草木の揺れる音。そして、叫び声。全てが遠ざかっていきます。

「なんだか、とても眠たい」

 喉に力が入らず、声は出ません。

 ああ、意識が……薄れていく。ようやく夢から醒めるのでしょうか……。

 長くて短い夢でした。やっとお母様に会えます。


 私の思考を途切れさせるように、ふっ、と世界が暗くなりました。


                   *


 深い深い森の奥にある、大きな大きなお年寄りの木。その近くにある明るい広場を通り抜けた先に、オオカミ少女が住んでいました。

 いつも赤いずきんを被っていたので、みんなから赤ずきんちゃんと呼ばれています。

 彼女はお母様と、そして動物さんたちと仲良く暮らしています。

 でも少女は、自分が普通の人間と違うことを知りません。

 なぜなら人間の友達がいないから。森から出たことがないから。


 あるとき、少女のお母様が風邪で寝込んでしまいました。

 薬を買うため、赤ずきんちゃんは初めて、森を出て町へ行くことになりました。

 彼女はお母様と2つ約束をしました。


 絶対に寄り道をしないこと。赤いずきんを脱がないこと。


 少女は約束通り、寄り道をしませんでした。

 しかし町の男の子たちによって、赤いずきんを脱がされてしまいました。

 そして周りの人間たちに、オオカミ少女であることがばれてしまいました。

 彼女はようやく、自分が他の人間と違うことに気づきました。

 周りの大人たちは彼女に冷たい言葉をぶつけます。男の子たちは小石を投げつけます。

 しかしどれも、少女には届きませんでした。


 赤ずきんちゃんの前に、1人の少年が立っていたからです。

 

 少年が叫び周りを睨むと、全員がその場を去りました。

「大丈夫?」

 少年の透き通った2つの碧眼が、少女を捉えます。彼の表情は先ほどまでの勇ましさとは打って変わって、とても優しいものでした。

「どうして?」

 少女は少年に問いかけました。

「オオカミ人間は、僕のご先祖様の命の恩人だから」

 そして少年は、少女の手を握りながら、こう言いました。

「今度は僕が、助けるから」


 そしてオオカミ少女は絶望することなく、少年と2人で幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ