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世界の断頭(仮)  作者: でいおん
第四章 裏面鏡の教会
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第四章9 『黒い異形』

「……これは、なんですか……」


最初に声を漏らしたのは、学者の少女だった。


その声には、明確な恐怖が滲んでいる。


「こんなもの……人間が、作れるんですか……?」


同意見だった。


目の前の存在は、魔法という枠に収まっていない。


理屈はあるのかもしれない。


だが、これは――


どちらかと言えば、“呪い”だ。


積み重ねた死。


踏み躙った命。


聖騎士の魂。


それらが澱のように溜まり、形を持った。


そう考えた方が、よほど納得がいく。


……だが。


考察は後だ。


今は――殺す。


視界を巡らせる。


教会の内部は、もはや原型を留めていない。


整えられていたはずの空間は、瓦礫と破片に塗れ、


この異形の出現によって、完全に“廃墟”へと成り果てていた。


逃げ場はない。


なら――ここで終わらせるしかない。


問題は、あのサイズ。


あの質量。


通常の斬撃では、押し切られる。


手札を思考する。


鬼仁化か。


緋色の弾丸か。


どちらも決定打になり得る。


だが――確実じゃない。


あの規模に対して、貫ける保証がない。


ならば。


最も“届く”可能性が高いもの。


鬼仁化。


一瞬にすべてを込める。


それしかない。


だが――


それだけでは足りない。


保険がいる。


視線を、少女へ向ける。


「お前、攻撃支援は使えるか」


唐突な問い。


少女は一瞬怯んだが、すぐにこちらを見て――


ゆっくりと頷いた。


「……できます」


「合図でかけろ」


短く告げる。


「俺に、全力で」


再び、頷き。


それで十分だった。


前を見る。


異形。


巨大なカラス。


歪んだ眼が、こちらを捉えている。


静かに、呼吸を整える。


意識を沈める。


鬼子の闘志。


あの感覚を、引きずり出す。


以前より、速い。


以前より、深い。


迷いがない分、到達が早い。


内側に“何か”が滲む。


骨の内側から、軋むような痛み。


頭に、鈍い激痛。


爪が伸びるような錯覚。


――来た。


準備は整う。


斧を握る手に、力が宿る。


視界が研ぎ澄まされる。


相手の動きが、わずかに遅く見える。


カラスが、動く。


こちらの変化を感じ取ったのか、


今にも飛びかかろうと姿勢を低くする。


時間はない。


一瞬の遅れが、致命になる。


――今だ。


声と同時に、


少女の魔法が飛ぶ。


身体に流れ込む力。


押し上げられる感覚。


これまでとは比べ物にならないほどの“出力”。


「……ッ!」


踏み込む。


床が砕ける。


そのまま、一気に距離を詰める。


振りかぶる。


同時に、カラスも動いた。


巨体が弾けるように前へ。


嘴を突き出し、


一直線にこちらを貫こうとする。


交差。


斧と、嘴。


衝突。


――轟音。


空間そのものが震える。


衝撃が爆ぜ、周囲の瓦礫が吹き飛ぶ。


壁が砕け、床が抉れる。


余波だけで、空間が壊れる。


少女は即座に防御魔法を展開し、


その衝撃から身を守っていた。


拮抗。


押し合い。


どちらも引かない。


止まらない。


その均衡の中で――


最初に軋んだのは。


こちらの――斧だった。


斧の刃が、内側から軋むように音を立てた。


パキ、パキ、と小さな亀裂が走り、次の瞬間――振り抜いた衝撃に耐えきれず、刃は粉々に砕け散った。


同時に、身体を満たしていた鬼子の闘志が霧散する。


力が抜ける。だが、それでも足は止めない。


砕けた反動をそのまま利用し、巨大なカラスの脇を滑り抜けるように潜り、本体へと一直線に踏み込む。


武器なら、まだある。


腰に差していたそれを引き抜く。鍛冶師のドワーフに作らせた特製の斧。柄を持たない歪な形状だが、メリケンサックのように指を通す穴があり、拳そのものを武器へと変える代物。


間合いを詰める。


懐へ入り込み、胴体へ――二発、叩き込む。


鈍い感触。


同時に、耳障りな叫びが重なる。盗賊の声と、異形のカラスの鳴き声が、混ざり合うように響いた。


次の瞬間、カラスがこちらへと向き直る。


黒く濁った嘴が、一直線に突き出される。


寸前で身体を捻り、紙一重でそれを避ける。風圧だけで皮膚が裂けそうになるのを感じながら、無理やり足を動かし、わずかに距離を取った。


まだだ。


身体には、まだ学者の少女の支援魔法が残っている。力の流れは途切れていない。ならば、押し切れる。


地面を強く踏み締める。


再び踏み込み、カラスの頭部をかすめるように避け、そのまま盗賊へと拳を叩き込む。


見た目はおぞましい。


だが、戦ってみれば――速さは、致命的ではない。


読める。


だからこそ、油断はしない。


確実に削る。避けて、叩く。それを繰り返すしかない。


一度。


二度。


三度。


同じ動きを重ねた、その瞬間だった。


手に伝わる感触が、変わる。


嫌な予感と同時に、鈍い音が走る。


――砕けた。


ドワーフの斧が、拳の中で崩れ落ちる。


その一瞬。


横目に映ったカラスの目が、確かに嗤った。


間合いを取ろうと足を引いた、その刹那。


先ほどとは比べものにならない速度で、黒い影が薙ぎ払われる。


避けきれない。


迫る嘴が、横腹を容赦なく打ち据えた。


衝撃が全身を貫く。


視界が跳ね、身体が宙に浮く。


そのまま、割れたステンドグラスへと叩き込まれ――


砕け散る光と共に、外へと弾き飛ばされた。


「そん……な……」


砕けたステンドグラスの向こうへと吹き飛ばされた背中を見送り、学者の少女はその場に膝から崩れ落ちた。


力が抜ける。


呼吸が乱れる。


目の前で起きた現実を、うまく受け止めきれない。


――勝てない。


あの異形に、自分の力では到底及ばない。


ここまで持ちこたえられていたのは、あの斧使いの男がいたからだ。あの圧倒的な立ち回りがあったからこそ、戦いは成立していた。


それが崩れた今、残ったのは自分一人。


敗北。


その言葉が、頭の中で重く沈む。


(……それで、いいの?)


ふと、胸の奥で声がする。


(私は……何のためにここに来たの?)


あの背中を追いたいと、そう思ったはずだ。


真の冒険者になるために。


この世界に抗うために。


だからこそ、あの男の隣に立ちたいと、そう願ったはずなのに。


(違う……)


ぎゅっと拳を握る。


(今の私だから、隣に立てないんだ)


弱いから。


何もできないから。


だから、まだ――認められていない。


その時、不意に記憶が蘇る。


「あなたはとても頭が良い」


優しい声。


穏やかな表情。


「けれど、物事を深く考えすぎてしまう癖がある」


母の言葉。


「一度、頭の中を空にしなさい。余計なものを全部捨てて、目の前だけを見るの」


父の言葉。


「そうすれば、あなたはちゃんと選べる」


胸の奥に、すとんと落ちる。


(……わかった)


ゆっくりと、息を吐く。


(考えすぎない)


視線を上げる。


(今、やるべきことだけを見る)


崩れていた膝に力を込める。


ふらつきながらも、立ち上がる。


視界の先――巨大なカラスが、こちらを見ていた。


侮るような、興味のない視線。


一瞬で殺せる、とでも言いたげな目。


(……舐めてる)


それでいい。


それこそが、隙になる。


強者ほど、弱者を軽んじる。


それは本で読んだ知識。


そして今、この状況では――事実。


(なら、そこを突く)


目を細める。


あの存在は、ただの魔物ではない。


鱗の鎧。


無数のロザリオ。


半ば受肉したような歪な形。


(……影と、同質)


完全な実体ではない。


だが、完全な虚でもない。


ならば――


(中途半端な存在には、中途半端なまま刺さる力を)


本を前に掲げる。


残り少ない魔力が、指先に集まる。


カラスが、ゆっくりと近づいてくる。


気づいている。


だが、まだ本気ではない。


間に合う。


静かに、詠唱を紡ぐ。


「喝采よ、光あれ――」


空気が震える。


「我が刃は、かの者を滅ぼすために在り」


光が集まる。


「神ではなく……この身に、願いを」


胸の奥に、確かな意志を刻む。


「誓いを捧げよ――」


本が淡く輝く。


「慈悲の刃――ホーリーセイバー」


その瞬間。


頭上に、無数の光の刃が現れた。


一斉に、放たれる。


光の雨が、一直線にカラスの顔面へと降り注ぐ。


カラスが動く。


避ける。


だが、遅い。


刃は追尾するように軌道を変え、何度も何度もその顔面へと突き刺さる。


ギャァァァ――!!


耳障りな絶叫が、空間を震わせた。


さらに。


三本の光が、重く、鋭く落ちる。


頭上から叩きつけるように。


カラスの巨体を地面へと縫い付ける。


鈍い衝撃音。


同時に――盗賊の悲鳴が重なる。


「やめろ……それは……」


歪んだ声。


「それは神の技だ……俺にはいらない……!」


カラスの奥で、男がもがく。


「神は……俺に感謝しているはずだ……!」


言葉は、次第に崩れていく。


「これは違う……偽りだ……」


震える声。


「シスター……俺は悪くないだろう……?」


縋るように。


「助けてくれ……シスター……」


壊れた祈り。


「俺を……解放してくれ……」


だが、少女は止めない。


視線を逸らさない。


再び、詠唱を紡ぐ。


同じ言葉。


同じ祈り。


今度は――すべてを叩き込むために。


再び、光が集まる。


そして。


降り注ぐ。


無数の刃が、今度は逃げ場を与えず、カラスの全身へと突き刺さった。


絶叫が、重なる。


空間を裂くように響いた。


.....


絶叫が、ふっと途切れた。


その瞬間、教会の中は奇妙な静寂に包まれる。


崩れ落ちる椅子の音。倒れた本棚が軋む音。割れたステンドグラスから吹き込む風の音。


ただそれだけが、やけに大きく響いていた。


「……終わった……?」


かすれた声が漏れる。


私が――止めを刺した。


そう思った途端、全身から力が抜け、学者の少女はその場に片膝をついた。


呼吸が荒い。


魔力は、もうほとんど残っていない。あと一度、使えるかどうか。それすら怪しい。


神聖魔法は強力だ。


だが、その代償は大きい。消費する魔力は、他の術式とは比べ物にならない。


だから普段は使わない。


――だが、今回は違った。


使わなければ、死んでいた。


(……これで、よかったはず)


そう思いながらも、胸の奥に小さな不安が残る。


視線を上げる。


巨大なカラスは、光の刃に縫い止められ、動かない。


だが――


(本当に……?)


あれは、鱗の盗賊が身に纏っていた“盾”そのもの。


それが受肉した存在。


そんなものが、これで終わるとは思えない。


(……いや)


首を振る。


考えすぎだ。


今は、やるべきことがある。


(あの人のところへ……)


ゆっくりと立ち上がる。


足元がふらつく。


それでも、カラスの方から視線を外さないまま、後退ろうとした――その時だった。


パキリ、と。


何かが割れる音。


次の瞬間。


視界が、揺れた。


「……え……?」


遅れて、激痛が走る。


腹の奥を、何かが貫いていた。


何が起きたのか、理解できないまま、少女は自分の脇腹へと視線を落とす。


赤い。


血が、溢れている。


止まらない。


そのまま、ゆっくりと視線を上げる。


自分を貫いているものの正体を見るために。


――そこにいたのは。


シスターの姿をした“何か”だった。


だが、それは生者ではない。


肉は朽ち、ほとんどが白骨化している。左腕はなく、空虚な骨だけが露出していた。


残された右腕。


その手に握られている、細い十字架。


それが、まっすぐに自分の腹を貫いていた。


「……ぁ……」


声にならない。


これは――致命傷。


理解と同時に、体温が急速に奪われていく。


暖かい血が、腹から流れ出し、太ももを伝って地面へと落ちていく。


力が抜ける。


そのまま、少女は膝をついた。


(……こんな……)


視界が霞む。


だが、かろうじて、目の前のそれを見る。


白骨の胸元。


無数の切り傷。


(――あれは……)


思考が繋がる。


さっき、盗賊が語っていた“シスター”。


(……これが……)


その亡骸。


その瞬間。


コツ、コツ、と。


背後から、足音が響いた。


静かな、だが確かな音。


(……この音……)


記憶が蘇る。


暗い洞窟の中。


あの時、絶望の中で聞いた足音。


無造作で、乱暴で、それでいて迷いのない――


(……あの人……)


ゆっくりと、振り返る。


霞む視界の中で、それでも確かに見えた。


立っていた。


まだ、生きていた。


あの斧使いの男が。

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