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世界の断頭(仮)  作者: でいおん
第四章 裏面鏡の教会
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第四章8 『慈悲の光(ホーリーライト)』

――終わった。


そう確信していた。


慢心だ。


分かっている。


あの一瞬、確実に“勝った”と思った。


だから、負けた。


次に来る光景まで、はっきりと見えていた。


影のカラスが肉を抉り、骨を砕き、心臓を穿つ。


そのまま内臓を引き裂かれて、地に転がる。


自分の死に様が、あまりにも鮮明だった。


その直前――


意識が、ふと過去へと引き戻される。


温かい光景。


小さな家。


笑い声。


妻と、娘。


手を伸ばせば届く距離。


……ああ、あの時は。


確かに、幸せだった。


終わりは、こういう形でいいのかもしれない。


そう、思いかけた――その時。


背中に、何かが触れた気がした。


押されるような。


支えられるような。


まるで――


「まだだ」と言われたような感覚。


次の瞬間。


光が、弾けた。


背中から。


眩い閃光が、一瞬だけ世界を塗り潰す。


「……何が、起きてる」


光はすぐに消えた。


だが、確かにあった。


あの感覚も、あの熱も、幻じゃない。


振り返る。


そこに――立っていた。


赤い髪。


宝石のように澄んだ、エメラルドの瞳。


高価そうなローブを纏いながら、


手にしている魔導書は、使い古されてボロボロだった。


場違いなほどの存在感。


「……お前は」


見覚えがある。


つい先日から、妙に付きまとってきていた――


あの学者気取りの少女。


「僭越ながら、お助けに参りました」


淡々とした声でそう言うと、すぐに詠唱に入る。


次の瞬間、身体の内側が温かくなる。


裂けた感覚が、わずかに塞がる。


刺された足の痛みが、引いていく。


完全ではない。


だが――動ける。


十分だ。


「……理由は聞かん」


短く吐き捨てる。


今は、それどころじゃない。


この状況を崩せる可能性。


それが目の前にある。


なら――使うだけだ。


「カラスは任せる」


間を置かず、指示を飛ばす。


「何度でも復活する。俺よりお前を狙うはずだ」


一瞬、視線を交わす。


「だが、さっきの光――相性がいい」


あの異質な崩れ方。


間違いない。


「後ろを、任せられるか」


少女は、静かに頷いた。


それで十分だった。


握り直す。


斧の感触が、現実を引き戻す。


踏み込む。


狙いは一つ。


鱗の奥。


本体。


走りながら、形状を読む。


あの卵の中――


おそらく、頭部はあのカラスのような外殻の内側。


一点突破。


それしかない。


ポーチに手を突っ込む。


取り出すのは――三つの小瓶。


迷いなく、投げる。


軌道を計算し、頭上へ。


直撃。


砕ける音。


中身が弾け、広がる。


粘ついた、黄色い液体。


それが――


鱗の隙間から、内側へと流れ込んでいく。


「……入った」


足を止めず、距離を詰める。


感触はあった。


手応えは、ある。


「決まったか――」


確信に近い感覚が、胸の奥に灯る。


黒い塊は、最初こそ沈黙を保っていた。


だが――


次の瞬間、内側から軋むような音が響いた。


「……ッ、ぐ……ッ」


押し殺したような呻き声。


鱗が微かに震え、歪む。


やがて、防御の形が崩れた。


内側から手が伸びる。


乱暴に、引き剥がすように――


顔を覆っていたカラスの仮面を、もぎ取る。


露わになった顔は、ひどく歪んでいた。


片目は潰れかけ、ほとんど閉じている。


もう片方だけが、ぎょろりと見開かれ、こちらを睨んでいた。


「お前……何をした……ッ」


荒い呼吸の合間に、絞り出す声。


「さてな」


短く返す。


ポーチの中の瓶。


中身はすべて油だ。


――この手段を思いついたのは、ギルドでこいつの話を聞いた時だった。


“鉄壁の防御”。


“ほぼ通らない攻撃”。


ならば、外から壊せないなら――内側を崩すしかない。


顔を完全に守っているとは考えにくい。


どこかに必ず“呼吸”のための隙間がある。


そこを塞ぐ。


空気を奪う。


どんな化け物でも、それで揺らぐ。


その一瞬を狩る。


ただ、それだけのための仕込みだ。


鱗の盗賊の呼吸が乱れる。


わずかな動揺。


それで十分だった。


踏み込む。


間合いを一気に詰める。


銀の斧を握り締め、振り下ろす。


――ギフトは使わない。


あのロザリオとリング。


無駄撃ちになるだけだ。


純粋な斬撃。


肉を裂く手応え。


だが――浅い。


「チッ……」


視線を上げる。


確かに入った。


だが、わずかに躱されている。


完全には捉えきれていない。


それでも――


開いた目が裂け、血が溢れていた。


「ァァァアアアアッ!!」


苦痛の叫び。


確実に、通っている。


なら――次で終わる。


斧を引き戻す。


構え直す。


全てを込めて、叩き込む。


その瞬間。


鱗の盗賊は、反射的に動いた。


頭を庇う。


両腕で覆い、顔を隠すように防御姿勢を取る。


本能的な防御。


それだけ、今の一撃が“致命”に近かった証拠。


だが同時に――


決定打は、拒まれた。


追撃を警戒し、距離を取る。


一歩、二歩。


踏み込みたい衝動を抑え、呼吸を整える。


視界の端では――学者の少女が動いている。


影のカラスを、必死に食い止めている。


光の魔法。


相性はいい。


だが、あれは持続しない。


魔力も、集中も、長くは保たないはずだ。


長引けば、崩れる。


なら――決めるのは、今しかない。


視線を戻す。


目の前の“鱗”。


だが、様子がおかしい。


「……ァ、ああ……」


低い唸り声。


いや、違う。


それは――言葉だった。


「この目は……シスターが褒めてくれた……」


ぎょろりと開いた目が、虚空を見ている。


焦点が合っていない。


「この目さえあれば……見てくれる……俺を……」


ぶつぶつと、途切れながら続く。


「シスター……女と言って、悪かった……」


呼吸が荒い。


だが、その声には――歪んだ執着が滲んでいた。


「ああ……神よ……」


「許してくれるだろうか……」


「こんな私でも……」


「愛してくれ……」


祈りにも似た言葉。


だがそこにあるのは、救いではない。


ただの執念だ。


やがて――


動く。


ぎこちなく、こちらへ向き直る。


鱗が軋む。


傾く視線。


――目が合う。


「……俺はなぁ」


低く、笑う。


「神に祈ると同時に……“送っていた”んだよ」


間。


「何をだと思う?」


答える気はない。


だが、あいつは続ける。


「聖騎士だ」


静かに、言い切る。


「やつらはな……死ねば天に行く」


「神に仕える騎士として、迎えられる」


歪んだ笑み。


「なら――早く送ってやればいい」


「そうすれば、神は俺を見る」


「救ってくれる」


指先が、震える。


「このロザリオはな……その副産物だ」


鱗の内側で、ジャラ、と音が鳴る。


無数の十字架が、擦れ合う音。


「だが――」


ぎょろり、と視線がこちらを射抜く。


「お前は違う」


冷たい声。


「ただの虫だ」


「羽虫か……害虫だな」


一拍。


「だから――駆除する」


その瞬間。


空気が、変わった。


後方で、少女が抑えていた影のカラス。


それが――急に動きを変える。


霧のようにほどけ、滑るように移動し――


鱗の盗賊の足元へ戻る。


影が這い上がる。


右腕へと絡みつく。


同時に――


全身を覆っていた鱗が、動く。


剥がれるように、流れるように、


右腕へと集中していく。


集まり、重なり、圧縮され――


形を成す。


膨れ上がる。


歪む。


変質する。


やがて――それは、


巨大な“カラス”の頭部を象った。


異様なまでに肥大化した右腕。


そこに宿るのは、憎悪そのもの。


下部には――


無数のロザリオが吊るされている。


揺れるたび、乾いた音を鳴らす。


ぎょろりと歪んだ目が、こちらを捉える。


獲物を逃がさない、捕食者の眼。


口元が裂け、


そこから黒い体液が、どろりと垂れ落ちる。


床に滴り、じわりと広がる。


本体の肉体は――ほとんど露出している。


だが、その大半は、


巨大なカラスに“呑まれている”ようにも見えた。


操っているのか。


それとも――取り込まれているのか。


判別はつかない。


ただ一つ、確かなのは。


――形が変わった。


そしてそれは、


先ほどまでとは、比べものにならない“異物”だった。

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