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世界の断頭(仮)  作者: でいおん
第四章 裏面鏡の教会
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第四章7 『湿った空気』

俺は盗賊になる前、ただの人間だった。


……いや、違う。


人間に捨てられた側のガキだ。


顔が歪んでいたらしい。


母親はそれを嫌って、俺を教会に捨てた。


土砂降りの雨だった。


泥の匂いと、冷たさだけは今でも覚えている。


それ以外は、ほとんど残っていない。


ただ――拾われた。


教会のシスターに。


あいつは優しかった。


寝る場所をくれて、飯をくれて、笑ってくれた。


暖かい寝床。


暖かいスープ。


暖かい手。


それだけで、十分だった。


ガキだった俺は、それで満たされていた。


……惚れていた。


笑える話だが、本気だった。


外に出れば地獄だった。


一歩でも教会を出れば、俺は人間じゃなくなる。


悪魔だの、ゴブリンだの、オークだの。


好き勝手に呼ばれて、石を投げられる。


追い払われる。


存在そのものを否定される。


それでも――


シスターだけは違った。


いつも俺の前に立って、笑ってくれた。


大丈夫だと、言ってくれた。


だから怖くなかった。


あいつがいれば、それでよかった。


……そんな時だ。


聖騎士が来た。


魔王の軍勢が近くに出たとかで、この村に駐屯した。


憧れだった。


シスターが何度も話していた存在。


人を守る者。


厄災を退ける者。


勇者に最も近い存在。


だから思った。


いつか外に出て、あいつらみたいになって、


シスターを迎えに行くって。


……馬鹿みたいな話だ。


その幻想は、すぐに壊れた。


ある夜、喉が渇いて水場に向かった。


その途中で、声が聞こえた。


シスターと、聖騎士の声。


最初は、何も思わなかった。


だが――


あの女の声が、違った。


俺に向けていた声じゃない。


優しさじゃない。


もっと……湿った、女の声だった。


聖騎士も、それを受け入れていた。


笑っていた。


応じていた。


許せなかった。


今まで見たことのない顔。


今まで見せたことのない仕草。


あの女のすべてが、気持ち悪かった。


……いや、違う。


気持ち悪いのは、俺のほうかもしれない。


あいつは確かに、俺に優しくしていた。


飯をくれて、寝かせて、守ってくれた。


それは嘘じゃない。


だが――


それは“俺”に向けられたものじゃなかった。


神の名のもとに動いていただけだ。


目の前の誰かを救う、それだけのために。


たまたまそこにいたのが、俺だっただけ。


……そう思った瞬間、全部が薄っぺらく見えた。


神がどうこうじゃない。


信仰も、奇跡も、どうでもいい。


ただ――


“そのためだけに動いていた”という事実が、


どうしようもなく気味が悪かった。


胸の奥に、黒いものが溜まっていく。


吐き出せないまま、溜まり続ける。


そして――その日だ。


村の収穫祭。


一年で一番、騒がしい日。


寂れたこの村でも、その日だけは人が集まり、笑い声が響く。


光が灯り、音が鳴り、酒と熱気で満ちる。


……嫌いだった。


うるさくて、騒がしくて、居場所がなくなる。


最悪の日だった。


だが――


それでも、あいつがいれば違った。


手を引いて、人混みの中を歩いてくれた。


笑いながら、くだらないものを見せてきて、


一緒に笑わせようとしてきた。


最悪のはずの日が、少しだけ“普通”になる。


それだけで、十分だった。


……だが。


あの日は違った。


あいつは――来なかった。


いや、正確には。


俺と来なかった。


普段とは違う服を着ていた。


見たことのない、綺麗な格好で。


そして――


聖騎士と一緒に、祭りへ向かった。


俺には、何も言わずに。


まるで、最初からいなかったかのように。


絶望。


恥。


僻み。


ぐちゃぐちゃに混ざった感情が、内側から溢れ出す。


押し潰されるように、沈んでいく。


……もういい。


終わらせよう。


そう思った瞬間、気づけば足は動いていた。


祭りの光のほうへ。


笑い声と、ざわめきの中へ。


その途中だった。


聖騎士が、一人でいるのを見つけた。


あいつは俺を見ると、にこやかに笑った。


「ああ、君か」


馴れ馴れしい声。


鼻につく。


どこまでも余裕ぶった顔。


……気に食わない。


こいつが。


全部。


シスターが教会の裏で待っている――そう言った。


疑いもせず、ついてきた。


簡単だった。


あまりにも。


背後に回る。


手に持ったナイフの重みを感じる。


一瞬も迷わなかった。


突き立てる。


肉を裂く感触。


温かい何かが手に伝う。


間髪入れず、もう一度。


さらに、もう一度。


何度も。


何度も。


何度も。


声が途切れる。


抵抗が弱くなる。


やがて――完全に止まる。


生気が抜けていくのが、はっきりと分かった。


……殺した。


だが、何も感じなかった。


罪悪感も、後悔も。


ただ――


胸の奥が、軽くなる。


解放。


それに近い感覚。


そして、


……快感。


笑いそうになるのを、押し殺す。


これでいい。


これで――


あいつは、俺だけを見る。


そう思った瞬間、


さらに強い快感が、全身を走った。


その時だった。


視界の端で、光が揺れる。


聖騎士の胸元。


ロザリオ。


淡く、だが確かに光っている。


覗き込む。


すると――


何かが流れ込んでいくのが分かった。


あいつの“中身”。


魂。


それが、ロザリオの中に収まっていく。


ぞわりと、背筋が震える。


理解した。


ああ、そういうことか、と。


――聖騎士が“死なない”理由。


その意味を。


聖騎士の死体から、ロザリオを引きちぎる。


わずかに抵抗があったが、構わず引き抜いた。


ポケットに押し込み、その場を離れる。


足は自然と、祭りのほうへ向かっていた。


喧騒の中に紛れ込めば、すべてが薄まる気がした。


――甘かった。


人混みの中に、あの女がいた。


シスター。


必死な顔で、誰かを探している。


視線が合った瞬間、こちらへ駆け寄ってきた。


「ねえ、見なかった? あの方を――」


息を切らしながら、問いかけてくる。


知らない、と答えた。


それだけだった。


だが――


あいつは、何かに気づいた。


一瞬、目が細くなる。


次の瞬間、俺の腕を掴んだ。


「……来て」


そのまま、教会の中へ引き込まれる。


逃げる理由もなかった。


抵抗もしなかった。


ただ、引かれるままに中へ入る。


そこで――気づかれる。


ズボンの裾。


乾ききっていない、赤。


「……それ、何?」


問い詰める声は、もう優しくなかった。


隠せるものじゃない。


隠す気も、なかった。


だから――全部話した。


どうやって殺したか。


なぜ殺したか。


何を思っていたか。


何を感じたか。


言葉にするたび、あいつの顔が変わっていく。


青ざめていく。


崩れていく。


最後まで聞き終えた瞬間――


押し倒された。


床に叩きつけられ、首に手がかかる。


締め上げられる。


呼吸が奪われる。


何かを叫んでいた。


口を動かして、声をぶつけてきていた。


だが――


聞こえなかった。


いや、聞こうとしていなかった。


ただ一つだけ、感じていた。


久しぶりに触れた体温。


近すぎる距離。


重なった感触。


それだけで、十分だった。


息が苦しいはずなのに、


意識が遠のくはずなのに、


妙に満たされていた。


歪んだ、安堵。


やがて――


力が弱まる。


首を絞める手が、ほどけていく。


そのまま、崩れるように俺の上へ倒れ込んできた。


静かだった。


さっきまでの熱が、嘘みたいに消えていた。


何が起きたのか、分からなかった。


手を伸ばす。


触れる。


――暖かい。


だが、それは違う。


温もりじゃない。


濡れている。


視線を落とす。


脇腹から、血が溢れていた。


止まらない。


広がっていく。


自分の右手を見る。


ナイフが握られている。


赤く、濡れている。


ああ――


そうか。


理解する。


俺は。


本能で、動いた。


殺されそうになって、


守ろうとして、


……刺した。


自分で。


あいつを。


こんなにも、愛していたのに。


自分の手で。


終わらせた。


……なんて、罪深い。


胸の奥で、何かが歪む。


それでも――


決めた。


これからは。


少しでも、償うために。


せめて――


相手には、慈悲を。


苦しませずに、終わらせる。


それが、俺にできることだ。


外は、まだ祭りだった。


笑い声と、光に満ちている。


だが――


この場所だけは違う。


湿っている。


冷たい。


暗い。


光なんて、どこにも届かない。


――そうだ。


あの時も、こんな光だった。


夜空を裂くように、花火が咲いていた。


一瞬だけ、すべてを照らし出して――


すぐに、闇へと沈む。


その“間”。


まさに、今と同じだ。


二羽のカラスが、同時に踏み込む。


ナイフと槍。


寸分の狂いもなく、男の背へと吸い込まれていく。


終わりだ。


そう確信した、その瞬間――


爆ぜた。


光が。


二者の間から、内側から弾けるように。


視界が白に塗り潰される。


ただの光じゃない。


密度が違う。


熱も、圧も、意思すら感じる。


「……光の魔法か?」


思考が追いつかない。


だが、次の瞬間には“結果”だけが現れる。


影で形作られたカラスが――


飛散する。


霧のように、ばらばらに。


引き裂かれるでも、斬られるでもない。


存在そのものを“散らされた”ような消え方。


「……は?」


声が漏れる。


初めてだ。


こんな壊され方は。


光が強すぎて、視界がまともに機能しない。


輪郭が歪む。


男の姿も、確かにそこにあるはずなのに、捉えきれない。


おかしい。


ここに来たのは、あの男一人のはずだ。


誰かが介入した形跡はない。


見落とすはずがない。


なら――


何が起きている?


分からない。


だが、このままではまずい。


視界を奪われた状態で、あの位置関係。


この姿勢。


致命的だ。


一手遅れれば、こちらが“やられる側”に回る。


判断は早かった。


鱗が蠢く。


身体を覆い、厚みを増し――


形を閉じる。


黒い殻。


外界を遮断する“卵”へと戻る。


完全防御。


一切の隙を断つ形。


内側で、息を整える。


外はまだ光に満ちている。


だが、分かる。


あの光は――ただの目眩ましじゃない。


“何かが変わった”。


そう確信できるだけの違和感が、そこにあった。


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