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世界の断頭(仮)  作者: でいおん
第四章 裏面鏡の教会
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裏面鏡の教会

滞在していた街を出て、西の森へ入る。


木々の密度は徐々に濃くなり、やがて空を覆い隠すように枝葉が重なった。踏みしめる土は湿り気を帯び、足音が鈍く沈む。


さらに奥へ。


森を抜けた先に、開けた空間が現れる。


大きな湖だった。


水面は静かで、風もないのに揺らぎがない。覗き込めば、空も木々も、そのままの向きで映っている。


上下が反転していない。


理由は分からない。ただ、そういうものだとしか言えない。


その異質さから名付けられた場所――


裏面鏡の教会。


かつては、この奇妙な湖を目当てに人が集まり、信仰とは無縁の者でさえ足を運んだと聞く。神秘に魅せられ、教会は栄えていたらしい。


だが、それも過去の話だ。


戦の影響で湖は汚れ、濁り、今ではかつての透明さはない。岸辺はぬかるみ、腐った水の匂いが薄く漂う。


夜になれば濃霧が立ち込めると聞く。


もはや神秘ではなく、境界と呼ばれるに相応しい場所だった。


その湖の傍らに、教会はある。


崩れているわけではない。


だが、どこかがおかしい。


壁は残り、屋根も落ちていない。それなのに、全体が錆びついたように沈んでいる。時間だけが置き去りにされたような、不自然な静けさ。


今回の標的――“鱗”が、この場所をねぐらにしている。


国から回された情報では、単独行動。


周囲の盗賊からも忌避され、群れない存在。


だが、そういう話をそのまま信じることはない。


木々の影、崩れかけた石の陰、湿地に沈む草むら。


一つ一つ、確認していく。


気配はない。


視線も、音も、匂いも――引っかからない。


少なくとも、外にはいない。


教会へ視線を向ける。


構造は単純だが、厄介だ。


壁に遮られ、内部の位置を外から把握するのは難しい。加えて、周囲を囲むステンドグラス。


中の様子を覗こうとすれば、こちらの影や動きも同時に晒すことになる。


不用意に近づけば、位置を知らせるだけだ。


そして、相手は“鱗”。


無策でここにいるとは考えにくい。


仮に何も用意していなかったとしても、それ自体が問題ではない。


あの男の力は、防御にある。


刃を通さない装甲。


それがある限り、多少の不利は無視できる。


真正面からの戦いになれば、削り負けるのはこちらだ。


視線を落とす。


足元の泥に、わずかな足跡が残っていた。


新しいものではない。だが、完全に消えてもいない。


出入りはある。


ゆっくりと息を吐く。


正面からは行かない。


中に入るなら、気配を殺すしかない。


静かに、教会を見上げた。


侵入経路を探っていた、その時だった。


教会の奥――壁越しに、男の声が響く。


「何を女みたいに隠れている」


低く、よく通る声。


「来るなら堂々と来い。正面からだ」


足が止まる。


「どうせこの場所に罠なんてない。あるのは俺一人だ」


間を置かず、続ける。


「奇襲でも考えているのか? 無駄だ。どんな手を使おうが、俺には通らん」


確信に満ちた声だった。


「恥を晒すくらいなら、その扉を開けて来い。そして――正々堂々、殺し合おうじゃないか」


……気づかれている。


いつ、どの瞬間で察知されたのかは分からない。だが、隠れている意味はすでに失われていた。


盗賊の言葉をそのまま信じることはない。


だが、嘘を言っている気配もない。


視線を上げる。


目の前にある、正面の扉。


ゆっくりと手をかける。


軋む音を立てながら、扉を押し開いた。


中に足を踏み入れる。


外とは別世界だった。


荒れた外観とは対照的に、内部は整えられている。埃は少なく、崩れもない。静謐な空気が満ち、祈りを捧げるには何の問題もない空間。


その中心に――“異物”があった。


黒い塊。


鱗に覆われた、歪な装甲。


人の形をしているようで、していない。


例えるなら、黒い卵。


硬質な殻の中に何かが閉じ込められているような、不気味な存在。


おそらく、あれが本体を覆っている。


「……ほう」


鱗の塊が、声を発した。


「思っていたよりも、ずっと単純だな」


動かないまま、言葉だけが流れる。


「だが……よく考えられている装備だ。盗賊を殺すために特化している」


視線が向けられているのが分かる。


「そして、お前は“ギフト持ち”だな」


わずかに、楽しげな気配が混じる。


「一つ教えてやろうか。ギフト持ちの特徴」


間を置く。


「軽すぎるんだよ、装備が」


くぐもった笑い声。


「まるでピクニックにでも行くかのような格好をしている連中ばかりだ。分かりやすい。あまりにも単純で、滑稽だ」


しかし、と言葉を続ける。


「だが、お前は違う」


初めて、わずかに気配が変わる。


「武器は斧中心……だが、それだけじゃない。腕まで覆うその手袋――何かを隠している」


断定する声。


「分かるぞ。手に取るように」


沈黙が落ちる。


「だからこそ、お前は俺に勝てない」


淡々とした口調だった。


「悪いことは言わん。ここで引け。任務失敗と報告して帰れ」


わずかに間を置き、


「神が見ている前だ。今なら見逃してやる」


――その間も、奴は一切動かない。


微動だにせず、ただそこに在る。


呼吸を一つ。


腰に手を伸ばす。


投げ斧のストラップを外す。


一瞬。


迷いはない。


そのまま、振り抜く。


斧が一直線に飛ぶ。


空気を裂き――


黒い鱗へと叩き込まれた。



投げた斧は、黒い鱗に弾かれ、そのまま軌道を逸れて壁に叩きつけられた。


乾いた衝突音。


だが、それとは別に――微かに、何かが砕ける音が混じった。


目を細める。


今のは。


おそらく、ギフト破りの指輪。


想定通りだ。だが――


腰からもう一本、投げ斧を抜く。


同じ軌道。迷いなく放つ。


再び、命中。


そして同じように弾かれる。


――砕ける音。


同じ音。


同じ結果。


違和感が、強く残る。


あり得ない。


鬼子の少女が言っていたはずだ。

ギフト破りの指輪は一日に一度。

一度使えば、次に使えるのは二十四時間後。


なら、今のは何だ。


二度目だ。


連続して、同じ現象が起きている。


理解が追いつかない。


その沈黙を楽しむように、鱗の中からくぐもった笑いが漏れた。


「……いい顔だな」


くつくつと笑う。


「理解できない、って顔をしている」


わずかに間を置く。


「まあ、分かるさ。だがな……世の中には、お前の理解を超えたもんなんていくらでもある」


低く、愉しげに続ける。


「これも、その一つだ」


沈黙。


「どうする? 対処できないと思うなら、逃げればいい」


「俺は寛大だ。神の前ではな」


「今なら、見逃してやる」


――やはり。


違和感はそこにあった。


こいつは、こちらを“帰そうとしている”。


戦いを拒んでいるわけではない。

だが、深追いさせまいとしている。


そこに、何かがある。


ギフト破りではない。


あれは“弾いている”。


斬撃そのものを通さない何か。


回数制限があるとすれば――


試すしかない。


ここで引く理由はない。


情報がないまま退く方が、損失は大きい。


ならば。


踏み込む。


肩に背負っていた銀色のハンドアクスを抜き、構える。


地面を蹴る。


一瞬で間合いを詰める。


全力。


速度を乗せたまま、斬り込む。


振り下ろす。


――衝突。


金属同士がぶつかる、耳をつんざくような音が教会内に響いた。


重い。


確かに、当たっている。


だが――通らない。


万物を両断する力を乗せたはずの一撃が、止められている。


刃は鱗の表面で滑り、弾かれた。


あり得ない。


確実に触れている。


それでも、断てない。


一瞬の硬直。


その間に、鈍い笑いが響く。


「だから言っただろう」


低く、愉快そうに。


「お前じゃ、俺には勝てない」


「……だが」


低く、くぐもった声が落ちる。


「このままってのも退屈だな。そろそろ――種明かしといこうじゃないか」


黒い鱗が、ゆっくりと蠢いた。


軋むような音を立てながら形を崩し、再構築されていく。


卵のようだった塊が裂け、広がり――


羽。


黒い羽が左右に展開する。


その中心に、人の形が現れた。


痩せた男。


だが、人間離れした異様さを纏っている。


背には鱗の名残のような装甲。全身に黒が張り付き、まるで烏が人の形を取ったかのようだった。


「よう、冒険者」


男は、ゆっくりと首を傾ける。


「改めて……はじめまして、だな」


口元が歪む。


「名前なんざどうでもいい。俺は俺だ」


軽く肩をすくめる。


「――“鱗の盗賊”」


羽がわずかに揺れる。


「どうだ? 姿を見せてやったぞ」


視線が、まっすぐに突き刺さる。


「ちなみにだがな……この姿を見たやつは、全員俺が殺してる」


薄く笑う。


「お前も、その一人になるってわけだ」


一歩も動かないまま、言葉だけが近づいてくる。


「さて……お前が不思議そうにしてた“あれ”だが」


ゆっくりと、腕を広げる。


鱗の内側が露わになる。


そこにあったのは――


無数の十字架。


細い鎖に繋がれ、幾重にも吊るされたそれらは、微かに揺れている。


ロザリオ。


「……気づいたか?」


くつくつと笑う。


「そうだ。ロザリオだ」


だが、と声を低くする。


「ただの十字架じゃねぇ」


指で一つを摘み上げる。


「これはな、聖騎士団の連中が必ず持ってるもんだ」


光を受けて、鈍く輝く。


「しかも特別製だ。この中には――“魂”が入ってる」


沈黙。


「まだ分からねぇか?」


口元が歪む。


「簡単に言えばな……死ぬ前の聖騎士の魂を、この中に押し込めてる」


指先でロザリオを揺らす。


「成仏もできず、ここに閉じ込められてるってわけだ」


乾いた笑いが漏れる。


「で、これに“ギフト崩しの指輪”を通す」


一つ、また一つと、鎖が微かに鳴る。


「そうするとどうなると思う?」


わざと間を作る。


「答えは単純だ」


視線が鋭くなる。


「“魂の数だけ使える”」


静かに言い切る。


「ギフト崩しには抜け道があってな。一つの魂につき、一つ扱いになる」


指で胸元を叩く。


「つまり――こうやって“核”を持ち歩けば、いくらでも使えるってことだ」


ロザリオの群れが、鈍く揺れた。


「面白いだろ?」

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