意表
真夜中の廃村。
朽ちた家々の間に、いくつかの松明が灯っている。
風に揺れる炎が、歪んだ影を地面へと這わせていた。
その中を、一人の男が走っていた。
何かに追われるように。
何かから逃げるように。
荒い呼吸。
何度も振り返る視線。
「来るな……来るな……ッ」
その瞬間――
暗闇の中から、銀の閃きが走った。
斧。
それは男の身体すれすれを掠め、背後の家屋の壁へと深々と突き刺さる。
鈍い衝撃音が、静寂を裂いた。
男は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。
腰が抜け、逃げることすらできない。
「ひっ……!」
闇の奥から、足音が近づいてくる。
ゆっくりと。
確実に。
そして次の瞬間――
銀の斧を手にした男が、一直線に駆け抜けた。
躊躇はない。
振り抜かれた一撃は、迷いなく首を捉える。
刹那。
男の首が宙を舞った。
血飛沫が夜に散り、やがて地面へと落ちる。
静寂。
「……これで最後か」
低く呟き、斧を引き抜く。
今日もまた、盗賊討伐の依頼をこなしていた。
――残を喰らう獣。
あの異質な戦い以来、身体に刻まれた感覚を失わないよう、ほぼ毎日依頼を受け続けている。
あの一瞬。
極限の中で掴んだ感覚は、放っておけばすぐに鈍る。
だからこそ、繰り返す。
殺し、研ぎ澄まし、確かめる。
疲労はある。
だが、不思議と限界は感じていない。
受付嬢に言われた通り、依頼の受注ペースは管理されている。
無理をしすぎないように、だ。
そのおかげか、身体はまだ動く。
懐から依頼書を取り出し、血の付いた手で広げる。
――討伐対象、殲滅。
短く目を通し、紙を畳む。
任務は完遂。
それだけ確認すると、男は振り返ることなく廃村を後にした。
松明の火だけが、取り残されたように揺れていた。
朝。
目を覚まして、そのままギルドへ向かう。
無駄な動きはしない。
起きて、装備を整え、報告する。
それだけだ。
扉を開けると、いつもの喧騒。
だが受付の前だけ、少し空気が違っていた。
一人の女性が、受付嬢に詰め寄っている。
「だから、前の洞窟の依頼を受けた冒険者を探してるの!何か情報もらえたりしないの?」
苛立ちを隠そうともしない声。
受付嬢は変わらず事務的に返す。
「それは冒険者の秘匿情報なので、お答えすることはできません」
「もぉ……事務仕事の人間なんてマニュアル通りなんだから、全然話が通用しないのね!」
女性は苛立ちを露わにする。
「あの時、暗がりで全然分からなかったの!だから教えてほしいって言ってるのよ!」
「申し訳ありませんが、冒険者ご本人からも秘匿するよう指示を受けておりますので、開示はできません」
「そこをなんとか!」
食い下がる。
だが受付嬢は一歩も引かない。
「ですから、それは――」
そして。
受付嬢の視線が、こちらに向いた。
「あっ、冒険者さん。こんにちは!依頼の報告ですよね?」
――最悪のタイミングだ。
完全に巻き込まれた。
女性の視線が、ゆっくりとこちらへ向く。
値踏みするような目。
「……あなた?」
一歩、距離を詰めてくる。
「ねぇ、もしかして――あの洞窟にいた人?」
核心に触れる問い。
逃げ道はある。
知らないふりをすればいい。
それで済む話だ。
だが。
その目は、ただの興味ではなかった。
確かめるような、
縋るような、
そしてどこか――怒りを含んでいる。
「……答えて」
静かな声だった。
だが、強い。
ギルドの喧騒の中で、そこだけが切り取られたように静まる。
受付嬢も、何も言わない。
完全に、こちらに委ねられている。
さて、どうするか。
「なんのことだ?」
あえて、何も知らないように返す。
今回の依頼には、特殊個体――
「残を喰らう獣」が含まれていた。
あれを討ったのが自分だと知られれば、盗賊側に情報が流れる可能性がある。
間接的であっても、それは十分なリスクだ。
それに――
この女にとっても良くない。
あの場にいたことが露見すれば、無事では済まない可能性が高い。
だからこそ、ここで口を割るわけにはいかない。
目の前の女を観察する。
栗色の髪。
緑の瞳。
透き通るような白い肌。
鼻先には、細かく散ったそばかす。
そして、学者然とした装い。
――間違いない。
洞窟で出会った女だ。
女は一瞬、言葉を失ったようにこちらを見つめる。
「……そう」
短く、そう返す。
だが視線は逸らさない。
「じゃあ聞き方を変えるわ」
一歩、距離を詰める。
「あなた、あの洞窟の依頼を受けてない?」
核心を少しずらした問い。
逃げ道はある。
いくらでも誤魔化せる。
だが――
女の目は、確信に近い色を帯びていた。
ただの勘ではない。
何かを見ている目だ。
「……」
受付嬢が小さく息を呑む気配がする。
当然だ。
このやり取り自体が、規則の外に片足を突っ込んでいる。
女はさらに続ける。
「別に責めたいわけじゃない」
声の調子が、少しだけ落ちる。
「……ただ、確かめたいの」
その言葉には、わずかな震えが混じっていた。
恐怖か、怒りか、それとも――
「私たちを、あそこから出したのは……誰だったのか」
ギルドの喧騒が、遠くなる。
「俺に答える義理は無い。」
それだけを告げる。
突き放すように。
それ以上は踏み込ませないために。
彼女を、これ以上盗賊の争いに巻き込むわけにはいかない。
そして――今の立場が露見すれば、自身のギルド内での均衡も崩れる可能性がある。
「……わかったわ。今は、そういうことにしておく」
学者の少女は、それ以上は追及せず、踵を返した。
受付から離れ、静かに椅子へと腰を下ろす。
その背中は、どこか納得していないようにも見えた。
受付嬢がこちらに近づき、小さく耳元で囁く。
「……大変失礼しました」
その声は、いつもより少しだけ低い。
すぐに表情を切り替え、業務口調へ戻る。
「今回のご依頼の報告ですね。無事に帰還されて何よりです」
何事もなかったかのように。
こちらも簡潔に報告を済ませる。
盗賊の数、制圧状況、確認事項。
必要最低限だけを伝える。
余計なことは言わない。
全てを話す必要はない。
報告が終わると、受付嬢は一枚の小さな紙を差し出してきた。
何気ない動作。
周囲には気付かれないように。
紙を受け取り、視線だけを落とす。
――夕方、ギルド裏へ。
走り書き。
それだけが記されていた。
おそらく、例の件。
獣の討伐。
あの異質な存在については、まだギルドマスターに直接報告していない。
ならば、この呼び出しは当然だ。
誰にも気付かれぬよう、紙を握り潰すようにして懐へ収める。
そのまま、何事もなかったかのようにギルドを後にする。
――はずだった。
歩き出した瞬間。
ぐい、と腕を掴まれる。
反射的に振り返る。
そこにいたのは――
先ほどの学者の少女だった。
近い。
予想以上に距離を詰められていた。
「ちょっとでいいから、話があるんだけど」
有無を言わせない声音。
そしてそのまま、半ば強引に腕を引かれる。
抵抗する間もなく、近くの椅子へと押し込まれるように座らされた。
周囲の視線が一瞬集まるが、すぐに逸れる。
ギルドでは、珍しい光景ではないのだろう。
少女は正面に立ち、こちらを見下ろす。
逃がさない、とでも言いたげに。
「さっきのは引くつもりないから」
開口一番。
その目には、確かな意志が宿っている。
「あなたが誰かなんて、もうどうでもいいの」
一拍。
「でもね――」
拳を強く握る。
「……あの洞窟で何が起きてたのか、知ってるでしょ?」
ただの好奇心ではない。
知る必要がある、という顔だった。
「私は、知らなきゃいけないの」
その理由を、背負っている顔。
「どうしてそこまで知りたいんだ?」
真正面から問い返す。
逃げ場は与えない。
少女は、まっすぐこちらを見返した。
「私はこれまで甘かったの」
静かに、だがはっきりとした声。
「魔法に愛されて、世界に愛されて、家族に愛されて……全部、当たり前だと思ってた」
拳が、わずかに震える。
「でも実際に外に出て、冒険に出て……全部、一瞬で壊れた」
あの洞窟。
あの光景。
それがどれだけのものだったかは、言葉にしなくても伝わる。
「正直、怖い。今でも思い出すと……足がすくむ」
息を一つ、吐く。
「でも、それも全部自分のせい。慢心してたから」
顔を上げる。
「だから終わらせたくないの。ここで」
強い目だった。
「あなたについていけば、自分の甘さを捨てられる気がする」
一歩も引かない。
「だからお願い。あなたのパーティーに入れてほしい」
――心からの言葉だった。
だが。
「お前は少し勘違いしている」
静かに切り捨てる。
「俺はギルドに所属しているだけで、自分を冒険者だと思ったことは一度もない」
事実だ。
「お前の言う“冒険者”とは、まるで違う」
荒野を駆け、未知を求める存在。
そんなものではない。
「俺はただ、盗賊を狩っているだけだ」
それだけの存在。
「世界を見たいなら、俺についてくるのは間違いだ」
少女のような人間は――
「お前みたいな学者は、引く手あまただ。必要としている場所はいくらでもある」
正しい場所へ行くべきだ。
「まともなパーティーに入れ。そっちの方がよほど――」
言葉を区切る。
「“正しい冒険”ができる」
周囲で、微かな気配が動く。
受付嬢が、こちらを見ている。
少し驚いたような顔。
――こんなに話したのは、いつぶりか。
ふと、過去がよぎる。
斧の握り方。
木の倒し方。
小さな手に、それを教えた記憶。
もう戻らない光景。
思考を切る。
目の前の少女へ視線を戻す。
少女は少しだけ視線を落とし、考えるように黙り込む。
だが。
すぐに顔を上げた。
「……それでも」
迷いは消えていた。
「私はあなたについていきたい」
はっきりと。
「今までのパーティーを否定するわけじゃない。でも……」
言葉を選ぶ。
「“普通の冒険者”じゃ、ダメだって思ったの」
その理由は、言わずとも分かる。
あの洞窟を見た人間の言葉だ。
「それでもダメですか?」
真正面からの視線。
逃げない。
逸らさない。
その目に――
どこか懐かしさを感じた。
かつて見た、あの目に似ている。
無知で、まっすぐで、だが確かに前を見ていた目。
――どうする。
「少し考えさせてくれ」
それだけを残し、席を立つ。
少女の視線を背に受けながら、ギルドの外へ出た。
外の空気は、妙に静かだった。
一歩、また一歩と歩きながら思考を巡らせる。
自分がやっていることは単純だ。
盗賊を狩る。
それだけ。
だがその裏には、当然の理屈がある。
――目には目を、歯には歯を。
まるでハンムラビ法典のような価値観が、盗賊の中では当たり前に存在している。
奪えば奪われる。
殺せば、殺される。
それが連鎖する世界だ。
そこに、他人を巻き込むということは――
守る対象が増えるということ。
今は違う。
守るべきは、自分一人だけ。
だがもし、あの少女を連れて行けば。
二人でいる時はいい。
守れる。
だが――
一人になった時はどうだ。
今の彼女に、盗賊から身を守る術があるか。
答えは、ない。
仮に鍛えたとしても。
盗賊のやり方は一つじゃない。
正面から来るとは限らない。
毒、罠、奇襲、裏切り。
無数にある。
それに全て対応できる保証はない。
浮かぶのは、最悪の結末ばかりだった。
「……」
一度、思考を止める。
偏りすぎている。
フラットにしなければならない。
そう考えながら歩いていると――
気づけば、足は止まっていた。
目の前には、いつもの鍛冶屋。
自然と、先日のことを思い出す。
投げ斧。
あの改良の話。
そのまま扉を開け、中へ入る。
相変わらず、静かな店内。
奥ではドワーフの男が、気だるそうにあくびをしていた。
「……終わってるか」
短く問う。
男は気の抜けた様子で顎をしゃくる。
「そこだ」
視線の先。
作業台の上に、それはあった。
無造作に置かれた、改良型の投げ斧。
手に取る。
――違う。
すぐに分かる。
先日よりも重い。
だが、ただ重いだけじゃない。
重心が整っている。
指に吸い付くような持ちやすさ。
投げるために作られた形。
それでいて、握って打つことも想定されている。
無駄がない。
「その斧はな」
男が口を開く。
「前のやつから、かなり手を入れた」
ゆっくりとした口調。
「投げてもいい、殴ってもいい。どんな状況でも使える」
ニヤリと笑う。
「なかなか面白ぇもんになったぜ」
少し間を置いて。
「お前さんのおかげで形になった」
そう言った。
「約束通り、そいつはお前のもんだ」
作業台の横から、ベルトを取り出して投げてくる。
受け取る。
斧用の収納ベルト。
実用性を重視した、無骨な作り。
「役立ててくれや」
「ああ、助かる」
短く礼を言う。
それで十分だった。
斧を腰に収める。
新しい重みが、体に馴染む。
そのまま店を出る。
外に出た瞬間、ふと足が止まる。
――武器は整った。
じゃあ、人はどうする。
あの少女の顔が、脳裏に浮かぶ。
まっすぐな目。
迷いのない言葉。
……面倒なことになったな。
街の喧騒はまだ残っていたが、その熱はどこか鈍く、疲れた空気が混じっていた。
人の流れに逆らうこともなく歩いていると、不意に柔らかな声が耳に入る。
「教会の支援です。食料配給と移住のご案内を行っています」
視線を向けると、白い修道服のシスターが通りの脇に立ち、紙を配っていた。
受け取る者はまばらだが、無視しきれない何かがあるのか、足を止める者もいる。
その時、風が吹いた。
「あ……」
シスターの手元から紙が数枚、宙へと舞い上がる。
反射的に手を伸ばし、一枚を掴む。足元に落ちた紙も拾い上げ、差し出した。
「すみません、ありがとうございます」
小さく頭を下げるその仕草は、どこか慣れていた。
「最近、こういう方が増えていて……」
彼女の視線の先には、痩せた男と、その背に隠れるように立つ子どもがいた。
「盗賊に村を追われた方々です。行くあてもなくて……」
「教会では何をしている」
問いかけると、シスターは迷いなく答えた。
「食料の配給と、移住先の斡旋です。それと、仕事の紹介もしています」
わずかに間を置き、続ける。
「働ける場所があれば、人はやり直せますから」
そう言って、もう一枚の紙を差し出してきた。
「もし、困っている方を見かけたら……教会を紹介していただけませんか?」
その目は、まっすぐだった。
「……善処する」
短く答え、踵を返す。
背後で、再び声が上がる。
「神は、迷える人々を救います――」
歩きながら、手に残った紙を開いた。
『神は迷えるあなたを救います』
整った文字が、静かに並んでいる。
その文言を見た瞬間、ふと、記憶が引き寄せられた。
洞窟の中。
血に濡れた男が、何かを言いかけていた。
――「あそこは……」
続かなかった言葉。
もし、その先が。
「教会」だとしたら。
足がわずかに止まる。
あの場所にいた連中。
ただの盗賊ではなく、どこか歪んでいた理由。
流れ着いた人間が、仕事を与えられ。
行き場を与えられ。
そして――消えていく。
紙を握る指に、力がこもる。
視界の端で、空が赤く染まり始めていた。
夕暮れが、街の輪郭を曖昧にしていく。
しばらく立ち尽くした後、ゆっくりと歩き出す。
向かう先は表通りではない。
人目を避けるように、路地へと入り――
そのまま、ギルドの裏手へと回った。




