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世界の断頭(仮)  作者: でいおん
第四章 裏面鏡の教会
23/25

意表

真夜中の廃村。


朽ちた家々の間に、いくつかの松明が灯っている。

風に揺れる炎が、歪んだ影を地面へと這わせていた。


その中を、一人の男が走っていた。


何かに追われるように。

何かから逃げるように。


荒い呼吸。

何度も振り返る視線。


「来るな……来るな……ッ」


その瞬間――


暗闇の中から、銀の閃きが走った。


斧。


それは男の身体すれすれを掠め、背後の家屋の壁へと深々と突き刺さる。


鈍い衝撃音が、静寂を裂いた。


男は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。


腰が抜け、逃げることすらできない。


「ひっ……!」


闇の奥から、足音が近づいてくる。


ゆっくりと。

確実に。


そして次の瞬間――


銀の斧を手にした男が、一直線に駆け抜けた。


躊躇はない。


振り抜かれた一撃は、迷いなく首を捉える。


刹那。


男の首が宙を舞った。


血飛沫が夜に散り、やがて地面へと落ちる。


静寂。


「……これで最後か」


低く呟き、斧を引き抜く。


今日もまた、盗賊討伐の依頼をこなしていた。


――残を喰らう獣。


あの異質な戦い以来、身体に刻まれた感覚を失わないよう、ほぼ毎日依頼を受け続けている。


あの一瞬。


極限の中で掴んだ感覚は、放っておけばすぐに鈍る。


だからこそ、繰り返す。


殺し、研ぎ澄まし、確かめる。


疲労はある。


だが、不思議と限界は感じていない。


受付嬢に言われた通り、依頼の受注ペースは管理されている。

無理をしすぎないように、だ。


そのおかげか、身体はまだ動く。


懐から依頼書を取り出し、血の付いた手で広げる。


――討伐対象、殲滅。


短く目を通し、紙を畳む。


任務は完遂。


それだけ確認すると、男は振り返ることなく廃村を後にした。


松明の火だけが、取り残されたように揺れていた。


朝。


目を覚まして、そのままギルドへ向かう。


無駄な動きはしない。

起きて、装備を整え、報告する。


それだけだ。


扉を開けると、いつもの喧騒。


だが受付の前だけ、少し空気が違っていた。


一人の女性が、受付嬢に詰め寄っている。


「だから、前の洞窟の依頼を受けた冒険者を探してるの!何か情報もらえたりしないの?」


苛立ちを隠そうともしない声。


受付嬢は変わらず事務的に返す。


「それは冒険者の秘匿情報なので、お答えすることはできません」


「もぉ……事務仕事の人間なんてマニュアル通りなんだから、全然話が通用しないのね!」


女性は苛立ちを露わにする。


「あの時、暗がりで全然分からなかったの!だから教えてほしいって言ってるのよ!」


「申し訳ありませんが、冒険者ご本人からも秘匿するよう指示を受けておりますので、開示はできません」


「そこをなんとか!」


食い下がる。


だが受付嬢は一歩も引かない。


「ですから、それは――」


そして。


受付嬢の視線が、こちらに向いた。


「あっ、冒険者さん。こんにちは!依頼の報告ですよね?」


――最悪のタイミングだ。


完全に巻き込まれた。


女性の視線が、ゆっくりとこちらへ向く。


値踏みするような目。


「……あなた?」


一歩、距離を詰めてくる。


「ねぇ、もしかして――あの洞窟にいた人?」


核心に触れる問い。


逃げ道はある。


知らないふりをすればいい。

それで済む話だ。


だが。


その目は、ただの興味ではなかった。


確かめるような、

縋るような、


そしてどこか――怒りを含んでいる。


「……答えて」


静かな声だった。


だが、強い。


ギルドの喧騒の中で、そこだけが切り取られたように静まる。


受付嬢も、何も言わない。


完全に、こちらに委ねられている。


さて、どうするか。


「なんのことだ?」


あえて、何も知らないように返す。


今回の依頼には、特殊個体――

「残を喰らう獣」が含まれていた。


あれを討ったのが自分だと知られれば、盗賊側に情報が流れる可能性がある。

間接的であっても、それは十分なリスクだ。


それに――


この女にとっても良くない。


あの場にいたことが露見すれば、無事では済まない可能性が高い。


だからこそ、ここで口を割るわけにはいかない。


目の前の女を観察する。


栗色の髪。

緑の瞳。

透き通るような白い肌。


鼻先には、細かく散ったそばかす。


そして、学者然とした装い。


――間違いない。


洞窟で出会った女だ。


女は一瞬、言葉を失ったようにこちらを見つめる。


「……そう」


短く、そう返す。


だが視線は逸らさない。


「じゃあ聞き方を変えるわ」


一歩、距離を詰める。


「あなた、あの洞窟の依頼を受けてない?」


核心を少しずらした問い。


逃げ道はある。


いくらでも誤魔化せる。


だが――


女の目は、確信に近い色を帯びていた。


ただの勘ではない。


何かを見ている目だ。


「……」


受付嬢が小さく息を呑む気配がする。


当然だ。


このやり取り自体が、規則の外に片足を突っ込んでいる。


女はさらに続ける。


「別に責めたいわけじゃない」


声の調子が、少しだけ落ちる。


「……ただ、確かめたいの」


その言葉には、わずかな震えが混じっていた。


恐怖か、怒りか、それとも――


「私たちを、あそこから出したのは……誰だったのか」


ギルドの喧騒が、遠くなる。


「俺に答える義理は無い。」


それだけを告げる。


突き放すように。

それ以上は踏み込ませないために。


彼女を、これ以上盗賊の争いに巻き込むわけにはいかない。

そして――今の立場が露見すれば、自身のギルド内での均衡も崩れる可能性がある。


「……わかったわ。今は、そういうことにしておく」


学者の少女は、それ以上は追及せず、踵を返した。


受付から離れ、静かに椅子へと腰を下ろす。


その背中は、どこか納得していないようにも見えた。


受付嬢がこちらに近づき、小さく耳元で囁く。


「……大変失礼しました」


その声は、いつもより少しだけ低い。


すぐに表情を切り替え、業務口調へ戻る。


「今回のご依頼の報告ですね。無事に帰還されて何よりです」


何事もなかったかのように。


こちらも簡潔に報告を済ませる。


盗賊の数、制圧状況、確認事項。


必要最低限だけを伝える。


余計なことは言わない。


全てを話す必要はない。


報告が終わると、受付嬢は一枚の小さな紙を差し出してきた。


何気ない動作。

周囲には気付かれないように。


紙を受け取り、視線だけを落とす。


――夕方、ギルド裏へ。


走り書き。


それだけが記されていた。


おそらく、例の件。


獣の討伐。


あの異質な存在については、まだギルドマスターに直接報告していない。


ならば、この呼び出しは当然だ。


誰にも気付かれぬよう、紙を握り潰すようにして懐へ収める。


そのまま、何事もなかったかのようにギルドを後にする。


――はずだった。


歩き出した瞬間。


ぐい、と腕を掴まれる。


反射的に振り返る。


そこにいたのは――


先ほどの学者の少女だった。


近い。


予想以上に距離を詰められていた。


「ちょっとでいいから、話があるんだけど」


有無を言わせない声音。


そしてそのまま、半ば強引に腕を引かれる。


抵抗する間もなく、近くの椅子へと押し込まれるように座らされた。


周囲の視線が一瞬集まるが、すぐに逸れる。


ギルドでは、珍しい光景ではないのだろう。


少女は正面に立ち、こちらを見下ろす。


逃がさない、とでも言いたげに。


「さっきのは引くつもりないから」


開口一番。


その目には、確かな意志が宿っている。


「あなたが誰かなんて、もうどうでもいいの」


一拍。


「でもね――」


拳を強く握る。


「……あの洞窟で何が起きてたのか、知ってるでしょ?」


ただの好奇心ではない。


知る必要がある、という顔だった。


「私は、知らなきゃいけないの」


その理由を、背負っている顔。


「どうしてそこまで知りたいんだ?」


真正面から問い返す。


逃げ場は与えない。


少女は、まっすぐこちらを見返した。


「私はこれまで甘かったの」


静かに、だがはっきりとした声。


「魔法に愛されて、世界に愛されて、家族に愛されて……全部、当たり前だと思ってた」


拳が、わずかに震える。


「でも実際に外に出て、冒険に出て……全部、一瞬で壊れた」


あの洞窟。


あの光景。


それがどれだけのものだったかは、言葉にしなくても伝わる。


「正直、怖い。今でも思い出すと……足がすくむ」


息を一つ、吐く。


「でも、それも全部自分のせい。慢心してたから」


顔を上げる。


「だから終わらせたくないの。ここで」


強い目だった。


「あなたについていけば、自分の甘さを捨てられる気がする」


一歩も引かない。


「だからお願い。あなたのパーティーに入れてほしい」


――心からの言葉だった。


だが。


「お前は少し勘違いしている」


静かに切り捨てる。


「俺はギルドに所属しているだけで、自分を冒険者だと思ったことは一度もない」


事実だ。


「お前の言う“冒険者”とは、まるで違う」


荒野を駆け、未知を求める存在。


そんなものではない。


「俺はただ、盗賊を狩っているだけだ」


それだけの存在。


「世界を見たいなら、俺についてくるのは間違いだ」


少女のような人間は――


「お前みたいな学者は、引く手あまただ。必要としている場所はいくらでもある」


正しい場所へ行くべきだ。


「まともなパーティーに入れ。そっちの方がよほど――」


言葉を区切る。


「“正しい冒険”ができる」


周囲で、微かな気配が動く。


受付嬢が、こちらを見ている。


少し驚いたような顔。


――こんなに話したのは、いつぶりか。


ふと、過去がよぎる。


斧の握り方。

木の倒し方。


小さな手に、それを教えた記憶。


もう戻らない光景。


思考を切る。


目の前の少女へ視線を戻す。


少女は少しだけ視線を落とし、考えるように黙り込む。


だが。


すぐに顔を上げた。


「……それでも」


迷いは消えていた。


「私はあなたについていきたい」


はっきりと。


「今までのパーティーを否定するわけじゃない。でも……」


言葉を選ぶ。


「“普通の冒険者”じゃ、ダメだって思ったの」


その理由は、言わずとも分かる。


あの洞窟を見た人間の言葉だ。


「それでもダメですか?」


真正面からの視線。


逃げない。


逸らさない。


その目に――


どこか懐かしさを感じた。


かつて見た、あの目に似ている。


無知で、まっすぐで、だが確かに前を見ていた目。


――どうする。


「少し考えさせてくれ」


それだけを残し、席を立つ。


少女の視線を背に受けながら、ギルドの外へ出た。


外の空気は、妙に静かだった。


一歩、また一歩と歩きながら思考を巡らせる。


自分がやっていることは単純だ。


盗賊を狩る。


それだけ。


だがその裏には、当然の理屈がある。


――目には目を、歯には歯を。


まるでハンムラビ法典のような価値観が、盗賊の中では当たり前に存在している。


奪えば奪われる。

殺せば、殺される。


それが連鎖する世界だ。


そこに、他人を巻き込むということは――


守る対象が増えるということ。


今は違う。


守るべきは、自分一人だけ。


だがもし、あの少女を連れて行けば。


二人でいる時はいい。


守れる。


だが――


一人になった時はどうだ。


今の彼女に、盗賊から身を守る術があるか。


答えは、ない。


仮に鍛えたとしても。


盗賊のやり方は一つじゃない。


正面から来るとは限らない。

毒、罠、奇襲、裏切り。


無数にある。


それに全て対応できる保証はない。


浮かぶのは、最悪の結末ばかりだった。


「……」


一度、思考を止める。


偏りすぎている。


フラットにしなければならない。


そう考えながら歩いていると――


気づけば、足は止まっていた。


目の前には、いつもの鍛冶屋。


自然と、先日のことを思い出す。


投げ斧。


あの改良の話。


そのまま扉を開け、中へ入る。


相変わらず、静かな店内。


奥ではドワーフの男が、気だるそうにあくびをしていた。


「……終わってるか」


短く問う。


男は気の抜けた様子で顎をしゃくる。


「そこだ」


視線の先。


作業台の上に、それはあった。


無造作に置かれた、改良型の投げ斧。


手に取る。


――違う。


すぐに分かる。


先日よりも重い。


だが、ただ重いだけじゃない。


重心が整っている。


指に吸い付くような持ちやすさ。


投げるために作られた形。


それでいて、握って打つことも想定されている。


無駄がない。


「その斧はな」


男が口を開く。


「前のやつから、かなり手を入れた」


ゆっくりとした口調。


「投げてもいい、殴ってもいい。どんな状況でも使える」


ニヤリと笑う。


「なかなか面白ぇもんになったぜ」


少し間を置いて。


「お前さんのおかげで形になった」


そう言った。


「約束通り、そいつはお前のもんだ」


作業台の横から、ベルトを取り出して投げてくる。


受け取る。


斧用の収納ベルト。


実用性を重視した、無骨な作り。


「役立ててくれや」


「ああ、助かる」


短く礼を言う。


それで十分だった。


斧を腰に収める。


新しい重みが、体に馴染む。


そのまま店を出る。


外に出た瞬間、ふと足が止まる。


――武器は整った。


じゃあ、人はどうする。


あの少女の顔が、脳裏に浮かぶ。


まっすぐな目。


迷いのない言葉。


……面倒なことになったな。


街の喧騒はまだ残っていたが、その熱はどこか鈍く、疲れた空気が混じっていた。


人の流れに逆らうこともなく歩いていると、不意に柔らかな声が耳に入る。


「教会の支援です。食料配給と移住のご案内を行っています」


視線を向けると、白い修道服のシスターが通りの脇に立ち、紙を配っていた。


受け取る者はまばらだが、無視しきれない何かがあるのか、足を止める者もいる。


その時、風が吹いた。


「あ……」


シスターの手元から紙が数枚、宙へと舞い上がる。


反射的に手を伸ばし、一枚を掴む。足元に落ちた紙も拾い上げ、差し出した。


「すみません、ありがとうございます」


小さく頭を下げるその仕草は、どこか慣れていた。


「最近、こういう方が増えていて……」


彼女の視線の先には、痩せた男と、その背に隠れるように立つ子どもがいた。


「盗賊に村を追われた方々です。行くあてもなくて……」


「教会では何をしている」


問いかけると、シスターは迷いなく答えた。


「食料の配給と、移住先の斡旋です。それと、仕事の紹介もしています」


わずかに間を置き、続ける。


「働ける場所があれば、人はやり直せますから」


そう言って、もう一枚の紙を差し出してきた。


「もし、困っている方を見かけたら……教会を紹介していただけませんか?」


その目は、まっすぐだった。


「……善処する」


短く答え、踵を返す。


背後で、再び声が上がる。


「神は、迷える人々を救います――」


歩きながら、手に残った紙を開いた。


『神は迷えるあなたを救います』


整った文字が、静かに並んでいる。


その文言を見た瞬間、ふと、記憶が引き寄せられた。


洞窟の中。


血に濡れた男が、何かを言いかけていた。


――「あそこは……」


続かなかった言葉。


もし、その先が。


「教会」だとしたら。


足がわずかに止まる。


あの場所にいた連中。


ただの盗賊ではなく、どこか歪んでいた理由。


流れ着いた人間が、仕事を与えられ。


行き場を与えられ。


そして――消えていく。


紙を握る指に、力がこもる。


視界の端で、空が赤く染まり始めていた。


夕暮れが、街の輪郭を曖昧にしていく。


しばらく立ち尽くした後、ゆっくりと歩き出す。


向かう先は表通りではない。


人目を避けるように、路地へと入り――


そのまま、ギルドの裏手へと回った。

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