少女回帰
私は、元々魔法に恵まれていた。
わずか五歳の頃には魔導書を読み解き、魔力の流れを理解していた。七歳になる頃には、街の外から現れるゴブリンやコボルトを魔法で退けることができた。十歳の頃には、中級と呼ばれる魔法の大半を使えるようになっていた。
周囲は皆、私をそう呼んだ。
天才。
生まれ持った才能。
それが私の長所だった。
両親は王宮の大書庫を管理している。
膨大な知識の海に囲まれた環境で、私は育った。
才能だけではない。
家柄にも恵まれていた。
何不自由なく、本に囲まれ、魔法を学び、望めばいくらでも研究を続けられる環境。
それでも私は――外の世界に出たかった。
冒険者になることを望んだとき、両親は驚きながらも反対はしなかった。
「社会勉強だ」
そう言って、背中を押してくれた。
学者という職業の冒険者は珍しい。
それでも私は、運良く優秀なパーティに迎えられた。
前衛の剣士、盾役の重戦士、弓使い、そして回復役。
その後方から私は魔法で支援する。
バランスの取れた一流のパーティだった。
依頼は順調にこなしていった。
魔物討伐、護衛任務、遺跡調査。
どれも危険はあったが、仲間たちは経験豊富で、戦いも冷静だった。
私はその中で魔法を使い、成果を出し、信頼を得ていった。
充実した日々だった。
冒険者としての生活を、心から楽しんでいた。
――はずだった。
あの日も、何の問題もない依頼だった。
盗賊討伐。
パーティのリーダーが言った。
「俺たちは年に一度は盗賊討伐をしてる。街の治安のためだ」
報酬は多くない。
むしろ安い部類だ。
それに盗賊相手の仕事は、逆恨みされる可能性もある。
だから毎回やるわけではない。
だが――
「たまにはいいだろう」
誰も反対しなかった。
私も同じだった。
その頃の私は、盗賊というものを軽く見ていた。
所詮は、ただの人間。
訓練された冒険者の敵ではない。
そう思っていた。
パーティメンバーも余裕そうだった。
だから私も、何の心配もしていなかった。
だが――
その日、私は初めて知ることになる。
盗賊という存在の、本当の恐ろしさを。
依頼の内容は、拍子抜けするほど簡単なものだった。
十五名の盗賊を討伐する任務。
だがその時には、すでに十四名は倒されており、残るは最後の一人だけだという。
つまりは、ほとんど片付いた後始末。
簡単な仕事のはずだった。
私たちは森へ入った。
その瞬間――思い知らされた。
なぜ盗賊たちが森へ逃げ込んだのかを。
森の中には、無数の罠が張り巡らされていた。
気づいた時には遅かった。
前を歩いていた仲間の首が、突然跳ね上がる。
細いワイヤーのようなものが首に食い込み、そのまま木の上へ引き上げられた。
音もなく、喉が裂ける。
振り向いた瞬間、今度は後ろの仲間が吊り上げられる。
また一人。
また一人。
叫ぶ暇もない。
気づけば、森は首を吊られた仲間たちの死体で満ちていた。
逃げようとしても、どこに罠があるかわからない。
足を踏み出すたび、誰かが死ぬ。
そうして――
最後に残ったのは、私だけだった。
その時、目の前に現れた。
それは獣だった。
前脚が四本。
後ろ脚が二本。
皮膚は薄く、筋肉がそのまま浮き出ている。
よだれを垂らしながら、私を見ていた。
舌なめずりをする。
その視線は、はっきりと理解できた。
餌を見る目だった。
その瞬間、恐怖が身体を支配した。
足が震える。
呼吸ができない。
気づいた時には――
私は失禁していた。
それを見た盗賊たちは、腹を抱えて笑った。
下品な言葉を浴びせながら。
私は何もできなかった。
魔法も。
反撃も。
ただ、震えることしかできなかった。
その後の記憶は――
ない。
次に目を覚ました時。
私は洞窟の中にいた。
身体は縄で縛られ、周りには盗賊の男たちがいた。
彼らは笑いながら、私を弄んでいた。
その時、思った。
死のう。
舌を噛み切って死んでやろうとした。
だが――
それすら許されなかった。
口には紐が括りつけられ、舌を動かすことすらできない。
死ぬ自由すら、奪われていた。
食事を出されたこともあった。
だが口を縛られているせいで、食べることはできない。
すると盗賊たちは笑いながら、食べ物を鼻に押し込んだ。
呼吸ができなくなる。
涙が溢れる。
それを見て、また笑う。
私はその時、理解した。
盗賊とは、人間ではない。
人の姿をした、別の何かだ。
どれほどの時間が経ったのか、もう分からなかった。
昼も夜も分からない洞窟の中で、ただ時間だけが過ぎていく。
身体は痛み、意識はぼやけ、心はとうに擦り切れていた。
そんな時だった。
洞窟の奥から――悲鳴が聞こえてきた。
耳に届いたその声は、もはや人のものとは思えなかった。
ドブネズミよりも汚く、
汚物に塗れた豚が潰されるような、
濁った悲鳴。
だが、その声の主が誰なのかはすぐに分かった。
私を弄び続けてきた、盗賊の男の一人だった。
次の瞬間、金属のぶつかる音。
そして、何かが倒れる音。
しばらくして、また悲鳴。
それも、すぐに途切れる。
一人。
また一人。
誰かが、淡々と殺している。
迷いもなく。
叫び声も上げさせず。
ただ作業のように。
一人の人間が。
冒険者だろうか。
……いや、分からない。
もしかすると、盗賊同士の揉め事かもしれない。
この世界では、そんなことも珍しくない。
どちらにせよ――
私はゆっくりと目を閉じた。
そして、身体の力を抜く。
倒れたまま動かない。
死体のふりをしておこう。
状況が分かるまでは、それが一番安全だ。
助けが来るなどとは思っていない。
期待などしない。
するだけ無駄だ。
私はもう、理解していた。
才能も、知識も、魔法も。
こういう時には――
何の意味もない。
天才とは、こういう時。
驚くほど無力なのだ。
男は、無造作に私の二の腕を蹴った。
痛みが走る。
だが、それよりも先に身体が反応した。
私は残っている力をかき集めるようにして、ゆっくりと立ち上がった。
膝が震える。
視界もまだ揺れている。
それでも顔を上げ、男を睨む。
反抗的に振る舞え。
少しでもいい。
相手に、こちらがまだ折れていないと錯覚させる。
自分の方が強いかもしれないと、ほんの一瞬でも思わせる。
それだけで、生き残れる時間が伸びるかもしれない。
そんな計算だけは、まだ頭が働いていた。
その時だった。
ふと、自分の衣服が視界の端をかすめた。
……服を着ている。
私は一瞬、驚いた。
盗賊たちは、私を弄ぶ時も――
装備を外さなかった。
いつも、すべて身につけたままだった。
ローブに目がいく。
両親が、私のために用意してくれたものだ。
無事に帰ってこられるようにと。
魔力と防御力を高める、高価なローブ。
今は薄汚れている。
白く濁った液体が固まり、
乾いた染みとなって、いくつもこびりついていた。
胸が締めつけられる。
そして、腕を見る。
そこには、本来あるはずのものがなかった。
仲間たちが――
初めて私をパーティに迎えてくれた時。
お祝いだと言って、みんなで買ってくれた腕輪。
それは、もう無かった。
きっと盗まれたのだろう。
あいつらに。
視線を落とす。
すると、腰のポーチの中で一冊の本が目に入った。
魔導書。
それだけは無事だった。
私はそこに、強力なプロテクションをかけていた。
盗まれても壊されても困るからと、研究用に施していた魔法。
その本だけが、
この地獄の中で――
まるで何事もなかったかのように無傷だった。
私はその本を見つめる。
それは、私が歩いてきた証だった。
魔法を学び、
知識を積み重ね、
冒険者になった日々。
すべてが詰まっている。
その存在が――
ほんのわずかに、
私の中に残っていた勇気を、もう一度押し上げた。
私はゆっくりと顔を上げる。
そして男を見た。
私は、男を見た。
その後、私たちは洞窟の中を移動していた。
一緒に監禁されていた女性たちと共に、男が言っていた場所へと身を潜める。
そこは、入口から最も近い罠部屋だった。
恐怖が消えたわけではない。
いつ盗賊が現れるのか分からないという不安は、胸の奥にずっと残っていた。
それでも、男の行動はどこか私たちを守るためのもののように見えた。
完全に信用したわけではない。
だが、少なくともあの盗賊たちとは違う。
そう思えただけでも、十分だった。
女性たちは皆、震えていた。
誰も声を出さず、肩を寄せ合うようにして座っている。
私は隣にいた女性の手をそっと握った。
すると不思議なことに、彼女の震えが少しずつ落ち着いていく。
それと同時に、私自身の震えも少しずつ引いていった。
どれくらい時間が経ったのだろうか。
突然、洞窟の奥から鋭い音が響いた。
金属がぶつかり合う、激しい斬撃音。
その音は洞窟の壁に反響し、何度も何度も響き渡る。
次の瞬間――
凄まじい風が洞窟の奥から吹き抜けた。
空気そのものが押し出されるような衝撃。
髪が揺れ、服がはためく。
誰も動くことができなかった。
ただ、静かになるのを待つしかなかった。
やがて、洞窟は再び静寂に包まれる。
私はふと、思った。
――きっと終わったのだろう。
不思議なことに、胸の奥に安堵が広がっていた。
それからしばらくして、洞窟の奥から足音が聞こえてくる。
暗闇の中から現れたのは、先ほどの男だった。
腕には、女性を一人抱えている。
そしてその全身は、血で染まっていた。
服も、手袋も、武器も。
まるで惨劇の中心にいたかのように、激しい血飛沫を浴びている。
それだけで分かった。
どれほど激しい戦いがあったのか。
私は思わず口を開いていた。
「……終わったの?」
不思議と自然に、言葉が漏れた。
男は短く答える。
「あぁ」
弱々しいが、どこか安心できる深い声だった。
その瞬間、私は思った。
――私は救われた。
そう思った途端、張り詰めていた意識がゆっくりと遠のいていく。
そして私は、そのまま気を失った。




