隠匿の城
朽ちた城。
かつては王侯が宴を開き、旗が風を裂き、兵が整列していたであろう石造りの大城郭。
だが今は、天井は崩れ、壁は穴だらけ。蔦が石を侵食し、床には雨水が溜まり、腐臭と湿気が充満している。
砕けたステンドグラスから差し込む月光だけが、わずかに内部を照らしていた。
玉座の間と思しき広間。
天井は半壊し、夜空が覗いている。
そこに、一人の男が座っていた。
石の台座に座る男は、闇の中に溶け込んでいる。
「……そうか。剛腕は死んだか」
横の影から、黒いフードの女が進み出る。
「はい。剛腕、そして直前に取引予定だった五人の盗賊も全員死亡」
一拍置き、続ける。
「ただし――形跡は完全に消されています」
男の指が、わずかに止まる。
「死因は不明。斬撃か、魔法か、毒か……判別できません。使用された魔法の残滓も検出できず、現場には意図的に痕跡を断った形跡があります」
静寂。
「……何も残っていない、か」
「はい。あれは素人の仕事ではありません」
女の声は低い。
「盗賊の習性、隠蔽方法、報復の流れを熟知している者の犯行」
「あるいは――」
わずかに間を置く。
「復讐者」
「もしくは内部の反抗者」
闇の中の男は、静かに息を吐く。
「内部か……」
城の奥で風が唸る。
「倒した人間の情報は?」
「皆無です」
即答。
「目撃証言なし。金の流れにも異常なし。討伐報告も確認できません」
「まるで――」
「最初から存在しなかったかのように、消えています」
男はゆっくりと立ち上がる。
月光がわずかに輪郭を照らすが、顔は見えない。
「剛腕は確かに入口に過ぎん」
低く、愉悦を含んだ声。
「だが、その入口を音もなく潰す者がいるとはな」
数歩、歩く。
「探れ」
短い命令。
「復讐者か、裏切り者か、あるいは別の獣か」
黒フードの女が跪く。
「御意」
男は最後に呟いた。
「……面白い」
闇が、わずかに嗤った。
盗賊を襲う者がいなくなったのは、いつからだったか。
思い返せば――あれは奴らがこの王国へ攻め込んできた頃。
魔王大戦。
その戦が、すべてを変えた。
王国の兵は前線へ。
騎士団も、傭兵も、守備隊も。
村を守っていた剣は抜かれ、盾は戦場へ運ばれた。
国内は空洞になった。
治安という名の壁に、穴が空いた。
いや、穴ではない。
底の見えない溝だ。
抜け道。盲点。死角。
呼び方は何でもいい。
だが確実に、王国の内側に“隙”が生まれた。
盗賊はその隙に根を張った。
奪っても、焼いても、殺しても、
追ってくる者はいない。
慢心していたかもしれない。
この盤面は、もう動かないと。
だが――
剛腕が倒された。
それはただの損失か。
それとも亀裂か。
あるいは、骨のようにさらに硬くなるための再構築か。
未来は誰にも読めない。
ただ一つ。
今まで“簡単だった盤面”を覆す可能性を秘めた人物が現れた。
それだけは確かだ。
男は、ふと三年前を思い出す。
村を襲った、あの夜。
ただの村人のはずだった。
だが一人、異様に手強い人間がいた。
刃の運びも、目も、覚悟も。
目の前で同業者が次々と倒れる中、
男ともう一人だけが――見ているだけだった。
逃げた。
それが最善だった。
そう、思い込んだ。
あいつは死んでいるだろう。
あの状況で生き残れるはずがない。
だが。
もし。
あの時のような“イレギュラー”が、また現れたのだとしたら。
男は小さく息を吐く。
そして――
影の中へ、さらに気配を沈める。
次の瞬間。
そこにはもう、誰もいなかった。




