緋色
銀の刃についた血を振り払う。
四人。
確かに、四人を切った。
思いの外、あっけなかった。
正直なところ、その事実に驚いている自分がいる。
だが高揚感はない。
勝利の余韻も、達成感もない。
ただ――無感情な殺戮者として、盗賊の脆弱さに驚いているだけだ。
昨日は囲まれていた。
四方から圧をかけられ、わずかな遅れが傷に繋がった。
だが今回は違う。
奇襲。
それだけで、ここまで結果が変わる。
森の静寂が戻る。
倒れた影はもう動かない。
おそらく、次が最後だ。
盗賊は基本的に五名以上で固まらない。
個として目立つことを避ける。
利害だけで繋がる緩い編成。だからこそ五人前後が限界だと、鬼子の少女は言っていた。
油断はしない。
だが、残る一人が取る行動はほぼ決まっている。
逃走。
それが最適解だ。
誰だってそうする。
今、半時計回りに潰してきた。
ならば位置関係からして、この先にいるはず。
視線を細める。
風向き、足跡、枝の折れ方。
盗賊は追い詰められれば、罠を使う。
落とし穴、足止め用のワイヤー、簡易爆薬。
一瞬の焦りを誘い、それで距離を稼ぐ。
だからこそ、急ぐが焦らない。
呼吸を落とし、重心を低く保つ。
銀のハンドアクスを構え、指輪の魔力を静かに巡らせる。
確実に屠るために。
迅速に。
そして慎重に。
森の奥へ、一歩踏み出した。
罠がない。
足を止め、周囲を見渡す。
落とし穴も、張られた糸も、不自然に踏み固められた地面もない。
静かすぎる。
盗賊なら、追われる側なら、何かしら仕掛ける。
それが常套だ。
――もしかしたら。
通常の盗賊ではないのかもしれない。
盗賊落ちした冒険者。
流れた騎士。
あるいは魔王軍の兵士崩れ。
可能性はいくらでもある。
だが、考え込む時間はない。
思考に沈めば、足が鈍る。
進む。
風の流れが変わる。
木々の隙間が、わずかに開けた。
その先に、立っていた。
身を隠すこともなく、ただ静かに。
フードを深く被り、杖を持つ男。
外套の裾が揺れる。
――ウィザードか。
距離を測る。
魔法の間合い。
詠唱の猶予。
こちらの投擲圏内。
男は逃げない。
戦意を失った様子もない。
むしろ――
確実に勝てると踏んでいるのか。
それとも腐っても元は冒険者側の誇りか。
フードの奥から、低い声が落ちる。
「お前、ひとりで四人を葬ったのか?」
わずかな間。
「……相当の手練れだな?」
森の空気が張り詰める。
銀のハンドアクスを、静かに握り直した。
「俺に下手な小細工は通用しないぞ?」
低く、乾いた声。
「試してもいいが……無駄だと思うぞ。」
脅しか。
それともブラフか。
――関係ない。
やるべきことは決まっている。
ここまでが、出来すぎていた。
だからこそ、こういう手合いだ。
真正面から圧をかけ、こちらの思考を鈍らせる相手。
読み合いで崩してくる相手。
その一歩先を取るために――
この三年間、鬼子の少女の下で血反吐を吐くほど修行してきた。
呼吸を消す。
茂みの向こうから、全力で投げ斧を放つ。
当てずっぽうではない。
風、距離、重心、詠唱の溜め。
確実に殺す軌道。
放った瞬間、身体を弾く。
相手の隙となる位置へ、一直線に駆ける。
斧は――
男の頬を掠め、風を裂いて背後へ抜けた。
違和感。
静寂。
――砕ける音がしない。
ギフト潰しのリングが反応したなら、あの乾いた破砕音が響くはず。
「ほぉ、斧か。」
フードの奥で、口元がわずかに歪む。
「ということは……近距離特化の冒険者、か。」
悟られた。
一瞬で距離を詰める動きも。
投擲武器が斧である意味も。
読まれた。
次の刹那。
視界の端から、別方向――
丸太で叩きつけられたような鈍い衝撃が、顔面を打ち抜いた。
骨が軋む。
視界が白く弾ける。
地面が傾く。
「手品がわかれば、拍子抜けだな。」
倒れ込みかけた視界の先。
そこにいたのは――
もう一人。
巨漢の盗賊。
いつの間にか死角に潜んでいた男が、太い木の棍棒を振り抜いていた。
森の奥で、重たい息が響く。
五人編成ではない。
最初から――六人だったのか。
「最初から六人だったとか思っているような顔つきだな。」
フードの奥で、口角が吊り上がる。
「残念だがお前の読みは正しい。……ただ、お前は本当に運が悪い。」
杖の石突きが地面を打つ。
「今日この場所で、こいつと取引のために待ち合わせていたんだ。」
わずかに肩を竦める。
「いやぁ、助かったよ。」
喉の奥で、ほくそ笑む。
背後に立つ巨漢が、棍棒を肩に担ぎながら首を傾げた。
「コイツ、ダレダ?」
ガマガエルのように濁った声。
「モシカシテ……オマエノ……ナカマ、タオシタヤツカ?」
「ああ、そうだ。助かったよ、剛腕くん。」
巨漢の小さな目が、ぎらりと光る。
「オレ、ヨクヤッタ。」
棍棒を握り直す。
「コイツ……ヤッテイイカ?」
「もちろん良いとも!」
森の空気が、重く沈む。
――思考が追いつかない。
状況は理解している。
六人目。待ち伏せ。取引。偶発的な挟撃。
理解しているのに。
脳が震える。
殴打の衝撃が神経を揺らし、平衡感覚を奪う。
視界が二重に滲む。
膝が笑う。
このままでは――死ぬ。
ここで終わるわけにはいかない。
回復魔法。
いや、詠唱の隙がない。
そもそも今使うべきではない。
煙幕? 爆薬?
距離が近すぎる。
巨漢の腕の振り下ろしの方が速い。
助けは来ない。
立て。
とにかく立つんだ。
地面に指を食い込ませ、無理やり重心を引き上げる。
俺は――
こんなところで終わる人間じゃない。
その瞬間。
ひとつだけ、方法が浮かぶ。
奥の手。
鬼子の少女から「最後の最後まで使うな」と言われたもの。
できれば使いたくなかった。
代償が大きい。
だが――
正直、これしかない。
発動条件は一つ。
奴が、最大限まで近づいた時。
それしかない。
巨漢が、のしのしと歩み寄る。
棍棒を振り上げるため、間合いを詰める。
今だ。
左の人差し指。
そこに嵌めた赤のリングへ、魔力を静かに、深く、流し込む。
左の人差し指に嵌めた、赤い宝石の指輪。
その名は――
「緋色の弾丸」
鬼子の少女ですら、最後まで眉をひそめていた禁じ手。
能力は単純だ。
緋色に発光する、鉛に似た高密度の鉱物を――
“鉄砲”のように射出する魔法。
転生前の記憶を持つ自分にとっては、映画や戦場映像で見慣れた光景。
引き金を引き、火花が散り、弾丸が放たれる。
それだけのもの。
だが。
中世ヨーロッパを模したこの世界において、それは――
革新どころではない。
概念の逸脱。
弓でもない。
魔法弾でもない。
投擲でもない。
“直線的な殺意”を、ほぼ音速で叩き込む力。
もし、この能力を見られたなら。
確実に殺さなければならない。
研究させない。
模倣させない。
発展の芽を与えない。
この世界の均衡は、魔法と加護の上に成り立っている。
そこに「銃」という概念が持ち込まれれば――
力の序列が崩れる。
戦争の形が変わる。
だからこそ、代償が大きい。
魔力の消耗だけではない。
精神への負荷。
反動による神経焼け。
連発はできない。
だが、今やれるとすれば――
不意の一撃。
巨漢が近づく。
間合いを詰める。
棍棒が振り下ろされる軌道へ入る、その一瞬。
相手も馬鹿ではない。
ただの魔法詠唱なら、警戒する。
だから。
それは――
“意外性”でなければ通用しない。
主人公はふらつきながら、わざと膝をついた。
呼吸を荒げる。
敗者の姿を演じる。
巨漢が、にやりと歯を剥く。
距離、三歩。
二歩。
一歩。
――最大接近。
赤い宝石が、静かに脈動した。
――一閃。
指先で弾けた緋色は、まるで夜空を裂く流星のように一直線へ奔った。
それは“撃つ”というより、
空間に赤い線を引く行為だった。
次の瞬間。
巨漢の胸元に、その線が吸い込まれる。
衝撃は遅れて届いたかのように、彼の身体がびくりと震える。
何が起きたのか分からない、という顔。
目を見開き、口をわずかに開いたまま――
糸の切れた操り人形のように、前のめりに崩れ落ちた。
棍棒が地面に転がる音だけが、やけに大きく響く。
間髪入れない。
主人公の人差し指が、静かに横へ滑る。
それはもはや指ではない。
見えない“銃口”だった。
フードを被った男へ向ける。
男の瞳がわずかに揺れる。
だが、詠唱の気配も、防御の構えも間に合わない。
再び、赤い閃光。
音より速く、意思が届く。
男の胸元に、小さな衝撃が走る。
外套が揺れ、杖が手から滑り落ちる。
「……なにを……」
言葉は最後まで形にならない。
彼もまた、理解できていない。
矢ではない。
魔法陣もない。
詠唱もない。
ただ、指を向けられただけ。
それだけで、世界が反転した。
二人は、互いに何が起きたのかを知ることなく、森の土へと沈んでいく。
静寂が戻る。
赤い宝石の輝きが、ゆっくりと収まっていく。
胸の奥に残るのは、重たい反動と焼けるような感覚。
だが――
確かな手応え。
二度の脈動は、確実に届いた。




