間話1
物心ついた時から、両親という存在はただの冷たい同居人だった。
初等教育課程の中盤で、家庭というものは不必要だと感じ、保護施設や男子中等教育課程の寮に入った。黙っていても衣食住には困らない。生きるのに必要なことは、授業内で教官たちが教えてくれる。
言われた事をこなしていれば、国が生かしてくれる。足りないものは今のところ無い。
ルドヴィク・エインはそんな環境の中で育った。
それが少しずつ狂い始めたのは、正規軍人として前線に投入されてから2年が過ぎた頃からだった。
戦績を上げ昇進を重ね、故郷のコロニーから第一コロニーへ小隊ごと移動命令が出た後、訓練生時代に同じ小隊だった者が死んだ。同じコロニー、同じ学校の同じ学年ならほとんどの人間がそうだが、幼馴染だった。それからも頻繁に、知り合いの死亡が続いた。前線で共に戦う小隊数も徐々に減り始め、自然と出撃回数も多くなっていった。ルドヴィクの心身は、もう限界だった。この頃から、周りの人間と一緒に酒と煙草も始めた。が、何をしても気が晴れる事は無かった。
そんなある日、敵の攻撃を受け機体が大破。小隊メンバーの命は助かったが、大小様々な怪我を負いルドヴィクも重症だった。
怪我の回復とリハビリ、メンタルケアも含めて長く仕事を休んだが、大怪我から丁度1年程が経ち、そろそろ復帰しなければいけない頃、
ルドヴィクは連邦から逃亡した。
雨の中傘を差しながら、アリエリアナは雨で滑りやすくなった石畳を歩いていた。天気が悪いせいか、昼間だというのに少し暗く、ほんのりと街灯が灯っている。
行き先は、私邸の近くのお気に入りのパン屋。焼きたての、中がふわふわのバゲットが食べたくなり、焼き上がりの時間を事前に確認していた。雨が降っているから、と側近のエイレーネーに止められたが、「17歳にもなって買い物すら1人で行かせてくれないの!?」と嘆いたら、渋々だったが了承してくれた。さすが、元侍女。一度言ったらきかない事を熟知している。
「………?」
大きな通りに面した路地の前を横切る時だった。何かいる…長い休みを取っているからといって、数年かけて覚えた殺気が分からないほど、ボケてもいない。路地の…裏の方だ。侍女や家族には、大きな通り以外歩いてはいけないと言われていた。戦場だって駆け回らなければいけない人間に!
家族の心配より己の好奇心の方が勝った。気配のする方へ向かうと、灰色の髪、色の白い…少し顔色が悪い、ほっそりした青年が雨の石畳の上でぐったりと座っていた。
(………これは、犬だわ!綺麗な犬!)
「…貴方、自分で歩ける?」
「………そう見えんの?」
青年は具合が悪そうな声を出して答える。意識はあるようだ。
「私の視点を聞いてるの?私が貴方に質問しているのに?回答するのは貴方よ」
自信たっぷりに答えるアリエリアナ。
「お前めんどくせぇな」
「な!?な…っ!?」
めんどくさい?耳を疑った。そんな事、親にも兄弟にも、誰にも言われたことがない。
(なんて生意気な犬!)
わなわなと震えていると、青年は苦しそうに咳込んだ。
このまま雨に当たっていると体力をもっと消耗してしまう。
「もう!私はタブレット端末以上に重い物持てないの!貴方を運ぶなんて無理。でも面白そうだから連れ帰るわ。ほら、立ちなさい!」
アリエリアナは青年の腕を引っ張ると、雨の中を私邸に向かって駆けて行った。傘は、気付けばどこかに行ってしまった。
具合が最高潮に悪いのに、突然現れた少女に雨の中を走らされたルドヴィクは、気付けば温かくふかふかなベッドに寝かされていた。手を引っ張られ、帝国風の華美な家の中に入ったような気がするが、その後から何も覚えていない。ここはどこだ?
喉が痛い、体も頭も全てが痛い。のに、部屋の外から何か喧しく言い争う声が聞こえて落ち着かない。
ここの建物は、防音設備が無いのだろうか。
「植物だって枯らすお嬢様が、事もあろうに人間を拾って来るなんて!倫理観どうなってるんです!?」
「人間は枯れないでしょう」
「元の場所に戻してらっしゃい!」
「あんな状態なのに戻す方が倫理観バグってると思うわ!大丈夫大丈夫!最後まで面倒見るから」
おい最後までってなんだよ。
乱暴にドアが開き、雨の中人使い荒く走らせた少女が、トレーを持って現れた。
「あら、起こした?もしかしてうるさかったのかしら?この家古いから」
そう言いながらサイドテーブルにトレーを置き、ルドヴィクの寝ているベッドに腰掛ける。
「気分はどう?」
「………最悪」
「そうよね!すっごい高熱だもの!」
少女は顔を至近距離まで近づけて、横になったままの状態で動けないルドヴィクを覗き込んだ。大きな葡萄酒色の目がギラギラと輝いている。その目が眩し過ぎてルドヴィクは逃げたかったが、生憎体は動かない。
連邦から逃げ、見つからないよう隠れながら帝国内を彷徨い、この街に辿り着いた頃には、現役中体力に自信のあった彼でも、眠るだけでは回復できないレベルに疲弊していた。やろうと思えばすぐにでも殺せそうな、この小柄な少女から逃げる事もできないなんて…情けない。
「貴方、お名前は?私はアリエリアナ・ククルスカ」
「アウレシアの魔女か!?こんなガキが…っ!?」
愕然とする。ここ数年で帝国内の敵対勢力に対して、数々の作戦を指揮し軍功を上げたアウレシアの魔女が、こんな子供だなんて…
「それ、嫌なんだからやめて欲しいんだけど…貴方のお名前は?」
誰が他国の、それもアウレシアの魔女なんかに教えるか。
しかし、じっと見つめて来る目からは「絶対聞き出してやる」という気概を感じる。しつこいくらい。
「教えてくれないならワンちゃんって呼ぶわ!私欲しかったの、大型犬!」
「ルドヴィク…」
なんかこのガキ、腹立つな…
「そう…ではルドヴィク、お国はどうしたの?」
目がギラギラしていない。何かを測っている目だ。ルドヴィクはアリエリアナから目を逸らした。
「そう、わかったわ。身体は起こせるかしら?そろそろ良い感じに冷めたと思うの。あぁ、動かないならそのままで結構よ。口を開いてくれればその中に落とすから」
何を言っているのか理解できなかったが、不穏さだけ感じ取ったルドヴィクは急いで起き上がり、背中を大きな枕に預けた。少し動いただけで息が上がっている。
「あら動けた。よくできました」
思い通りに動いているのが嬉しいのか、アリエリアナは上機嫌でサイドテーブルに置いてあったトレーをルドヴィクの前に置き直した。
トレーには穀物のミルク粥と水、それと白い粉?が2つと黄金色のドロリとした粘度の高い液体が載っていた。ミルク粥はルドヴィクが知っている脱脂粉乳で作られたものと全然違う、牛乳の濃い匂いがする。白い粉に見えるものは、粒の形から見て、砂糖や塩だろう。この液体は何だ?
「貴方の口には少し濃いかなって思って薄めたけど、口に合わなかったら言って。食って大事だから。味付けも何が良いか分からなかったから、適当に持ってきたけど、私のおすすめは蜂蜜ね」
蜂蜜…連邦では高級食材だ。恐る恐る、蜂蜜を手に取り粥にかけ、一口粥を口に入れた。乳臭さの中に濃い甘みが口や鼻いっぱいに広がる。
「あっまっ!?」
「もうちょっとよく混ざれば良いのに。貸して、」
ベッドに座りトレーを膝に乗せたアリエリアナは、スプーンで丁寧に粥を混ぜルドヴィクの口に入れてやった。
「ほらね、私にも生き物の世話くらいできるじゃない」
「……人間目の前にして言うセリフじゃねぇよ」
嬉しそうに自画自賛するアリエリアナに、ルドヴィクはボソリと呟いた。




