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取引先のエリート社員は憧れの小説作家だった  作者: 七転び八起き


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第1話 面影

ある日、バーで出会った男が実は──

仕事と恋愛と創作の間で揺れ動く二人のラブストーリー。


 その日、私はバーで酔い潰れていた。

 学生時代から付き合ってた彼に「結婚は考えてない」と言われたからだ。

 何のためにこいつと何年も付き合ってきたのか。


 でも、結婚するために付き合った訳ではなかった。

 付き合った先には結婚があると勝手に思ってただけだ。

 私はその話を聞いた後、彼からの連絡をずっと無視していた。


 今もスマホに着信が来ている。

 話す気もない。


「もう、忘れたい…」


 好きな作家さんの恋愛小説のような、素敵なラブストーリーは私にはなかった。


 少し離れた席に、同じく酔い潰れている男の人がいた。

 高そうなスーツに、時計、身だしなみが整っていて、どこかの大企業のエリート社員みたいな感じだった。


 その人と目があった。

 お互い虚な目で暫く見つめあっていた。


 あれ……この人どこかで見た事あるかも。

 でもハッキリ思い出せない。


 その男の人が、よろよろと近づいてきた。


「君、どこかで会った気がする」

「私もどこかであなたと会った気がしてたんです。でも覚えてないんです」

「俺も思い出せない…」


 そのまま店が閉まって、私とその人はフラフラと深夜の繁華街を歩いていた。


「何で泣いてるの?」

「え?」


 私の目から涙が出ていた。


「あ…長年付き合ってた彼に、結婚する気がないってわかって…なんか悲しくて」


 情けない…


「あなたは…何かあったんですか?」

「うーんと…スランプなんだよね。なかなかイマジネーションが湧かない」


 イマジネーション。

 何か創作をやっている人なのだろうか。


「私、翠川雅人っていう小説家のファンなんです。その人が書く恋愛小説はとても素敵で、憧れてるんです。ただ、現実はそんな綺麗ではなくて…… 」


 その男の人は何故か少し驚いた表情をした後、俯いていた。


「でも私、その人が書く小説を見るとすごく感動して、私も小説書いてみたいって思ったんです」

「そうなんだ…」


 彼は少し複雑そうな表情をしていた。


「試しに作ったのをネットでアップしたんですけど、全く読まれませんでした……私には才能がなくて」


 なぜ私は見ず知らずの人に、こんな事を話しているのだろうか。


「その小説、見せてくれる?」


 真剣な眼差しだった。


「えーと……どこでですか?」


 周囲の店は深夜でほとんど閉まっている。


「嫌じゃなければそこのホテルで」


 すぐ近くにラブホテルが見えた。

 不安になったけれど、今日は一人でいたくなかった。

 この人の事はよくわからないが、少し興味があった。


 私の小説を見たいと言った事にはかなり驚いた。

 そう言ってくれる人がいるなら、誰か一人でも読んでくれる人がいるなら──


「はい、読んで欲しいです!」


 私はそのままその人とホテルの一室に入った。

 少し酔いが覚めてきて、よく知らない人とホテルに入ってしまった事に今更動揺した。

 その男の人はソファに座った。


「小説見せて」


 その人も少し酔いが覚めてるように感じた。

 私は自分のスマホにアップした小説を見せた。

 男の人はそれをじっくり見ていた。


「雑な感じはあるけど、大筋のストーリーはとてもいいと思うよ」


 ちゃんと最後まで読んでくれた。


「ありがとうございます。誰かにちゃんと読んでもらった事がなかったので、読んでもらえただけで嬉しいです」


 ラブホの中だけど……。

 この人をよくよく見ると、やはり見た事がある。


「翠川雅斗さんに似てます、あなた。インタビュー写真で見たことあって。あまり大きな写真じゃなかったから面影くらいしかわからないんですけど」

「……そう?よくわからないけど」


 男の人は顔を少し逸らした。


「嫌な事があったけど、あなたに今日会えてよかったです」

「……俺も、今日君に会えてよかった」

「え?」

「結構前に、ある女の子に救われた事があって……君に似てるんだ。あの時も色々悩んでて、でもその子の一言があったから今の俺があるんだ」

「それは色々奇遇ですね」


 お互い少し笑顔になれた。

 その時また彼氏から着信があった。

 沢山のメッセージ。


「ごめん」「話したい」「好きだ」「会いたい」


 結婚するつもりもないのに、何を言ってるんだろうか。

 そのメッセージをその男の人も見ていた。


「自分勝手な奴ですよね。どうせ誤魔化して繋ぎ止めて、未来なんてないのに……」


 もう別れよう。

 沢山の思い出が私の後ろ髪を引くけれど。


「あの……読んでくださってありがとうございます。私はこれで満足なので、もう帰ります」


 その時男の人に手を掴まれた。


「帰らないで」

「え…?」

「今夜は君と一緒にいたい」


 なぜだろう。

 その人の真っ直ぐな眼差しを見たら、その場から動けなくなってしまった。


 ◇


 ──ずっと着信が鳴っている

 私はスマホの電源を切った。


 一緒にいたいと言われたものの…

 どうすればいいかわからなくて、ただ二人でソファに座ったままだった。


 その時、私の手をその人がそっと握ってくれた。


「もう全部忘れた方がいい。その男の事は」

「そうですね…。不毛な関係なんで早く終わらせたいです。ただ、色々思い出すと、なかなか踏み切れないかもしれません。最悪彼が家に来るかもしれないので…」

「じゃあ、もうその家も出なよ」

「え?」


 彼は真剣な表情だった。


「でもそんな簡単には…」

「俺が全部何とかする。安心して」


 何でこの人はこんなに優しくしてくれるんだろう。

 これは本当なの?嘘なの?

 よくわからないけど、今は嘘でもその安心の中にいたかった。


 肩を抱き寄せられて、胸がドキッと高鳴った。


「忘れさせてあげる」


 ど…どうしようこの展開。

 初めて会った人と、そんな事を?

 酔いが覚めてきて、躊躇してしまう。


 ふと気がついたら、唇が重なった。

 彼が私の手に指を絡ませてきた。


「余計な事考えないで」


 そっと首筋を唇でなぞられて、まともに思考が働かなくなった。

 本当にこのままこの人と…?


 ──でも


 これでいい。

 この優しさに今夜だけは甘えよう。


 ベッドの上できつく抱きしめあって、彼の香水の香りが私を包んだ。

 床に二人の服が一枚一枚落とされていく。

 少しずつ解かれていく心と体が、何故かこの人を強く求めている。


 この人は何者なんだろう。

 私の心にあった色々な複雑な感情は、この瞬間消え去って、愛の幻影みたいなものが見えた。


 ──


 その後二人でベッドに横たわっていた。


「嫌じゃなかった…?」


 薄暗い部屋の中、彼の優しい顔が少し見える。

 心が落ち着いて、改めて見ると…

 とても私には分不相応な人で、恥ずかしくて布団に潜ってしまった。


「ごめんなさい!!」


 申し訳なくなってしまった。


「何で謝るの?」

「私の為にこんな事をさせてしまって…」


 既婚者だったらどうしよう…!


「何言ってるんだよ…」


 彼に後ろから抱きしめられた。


「俺がそうしたかったんだよ」


 少し安心した。


「ありがとうございます…」


 彼は私の髪を優しく撫でてくれた。

 そのまま私達は眠りについた。


 ──


 窓の外が明るくなって、目が覚めた。

 起きたらそこに誰もいなかった。

 まるで夢だったかのような…。


 ふとテーブルを見たら、メモが置いてあった。

 メモには電話番号が書いてあった。


 これはあの人の…

 連絡するのは気が引けるけど、ただの一夜限りの関係ではなくて、私を気にかけてくれてるのかな…と、少し安心している自分がいた。

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