影の差す花園
長い雨が上がり滝の見中央図書館には朝の優しい光が窓から差し込んでいる。
沢山の本を乗せたカート押しながら、桐嶋美月はいつものように壁一面の本棚に決められた本を戻している。
平日午前中の滝の見第一図書館は、老人介護施設のようになっている。
開館と同時にお年寄りが押し寄せ、椅子に腰かけ、本を読むわけでもなく、ご近所話に花を咲かせている。
「美月、大変、山田のおばあちゃんがまた倒れたの、手伝って。」
美月より一つ年上にも関わらず、幼い風貌の同僚、白石敦子は途中本棚の本をぶちまけながら慌てて駆け寄ってきた。
美月は大きな瞳をぱちくりさせて、びっくりしながらも、いつものことだと思い、仕事の手を止めた。
そして腕まくりをして長い髪を後ろでまとめると、かすかに可憐な花々が香る、それを見たじいさんたちは何度、自分があと50若かったらこの少女に告白していただろうと思ったことだろうか。
そんなことはおいておいて、美月はいつもの手順で救急車を呼んでから、おばあちゃんのもとへ駆け寄る、まったく、ぁたしは介護ヘルパーじゃねーんだぞ、なんて思いながら。
「美月そっち持って。」
「えぇ。」
こんなことが日々起こるので対老人輸送用タンカが半年前にこの図書館に導入されたのであった、衛生兵、衛生兵、まったくここは戦場かっての。
美月はおばあちゃんをタンカに乗せるため力を入れ抱えこんだ。
その時、美月の動悸が一瞬大きく脈打った。
美月は胸が苦しくなり呼吸が止まる、三半規管が壊れてしまったかのように、自分が立っているのか横たわっているのか、目眩に襲われ体が一瞬硬直した。
しかし、これもいつもの事だ。
それを悟られないよう大きく息を吸い、呼吸を整え取り繕う。
ふとぼんやり横に視線をやると、不気味なものが目に飛び込んできた。
そこは朝の光を避けるように人工のあおじろい光が照らしている、滅多に人も入らない東洋史、宗教のコーナーであった。
そこには全身が毛に覆われ、ギザギザの歯と爪、おとぎ話に出てくるような怪物がこっちを見つめているようであった。
―――さっきまであんな置物あったかしら―――
そう思いながら、おばあちゃんを運び出した。
ひと段落すると美月は隣にいる敦子に声をかけた。
「ねぇアッコ、東洋史のコーナーにあったあの置物って何、気味悪くない。誰が持ってきたんだろうね。」
「えっ、何それ私知らないよ。」
「えー嘘ぉ―、だってここに置いて…ってあれ?」
美月が指をさす方にはただ、いつもと何一つ変わらない本棚が並んでいるだけだった。
先ほどまであった怪物の置物はどこかへ消えてしまっていた。
「知らないけど、隣の公民館で何かやるんじゃないかなー。」
「ふーん、そっか。」
美月は納得しない顔をしながら再び仕事へ戻ろうとした。
ただ、動悸が激しく鳥肌が立っていることに気付く。
それは、美月が単に昔から生理的に魚類の滑っとした感触と、何を考えているかわからない目を受け入れられない為…今はそう思うことにした。
ただ、これはいつもと違う…。
勘はいい方だ、昔から特に良くないことはよく当たる。
「あっ、待ってよ美月、駅の向こう側においしいお店があるの、ねー一緒に行こう。」
敦子は美月の腕をきゅっとつかみ、お構いなしに話しだした。
「そのお店にイケメンがいるんだって。」
目をキラキラさせながら、絶対行きたいオーラを出している。
「アッコ、イケメンったって、そんなとこで働いてんじゃきっとお金もってないわよ。」
しかし、美月は話にはのったがあまりに現実的な回答をした。
「もー、美月はいつもお金お金!はぁーどーしてこんな可愛い子の中身がマッチョになるの」
本当にがっかりしたように溜息を吐き、美月を眺めた。
艶やかに流れる黒髪、大きい二重の瞳、透き通った唇、シミ一つない整った小顔、そして理想的なスタイル、誰が文句をつけようものか、そう思ったに違いない。
「はいはいありがとう、わかったから、じゃー今度いこっか。」
美月は敦子の背後に見える黒いオーラに申し訳なくなり、苦笑しながら詫びた。
「ぶー。」
敦子は納得したのかしないのか、そう短く返事をした。
「もー仕方ない。」
美月は仕方なく強制的に仲直りするため、敦子をぎゅっと抱きしめた。
「ふにゃー。」美月に似た温かく優しい香りがした。
敦子は美月の抱擁にようやく懐柔された。
「明日はちょっと予定があるから、次の…。」
「アー抜け駆けだ、裏切り者めー。」
しかし直ちに腕を振りほどき、目を大きく見開きながら美月に抗議する。
「モー、そんなんじゃないよー。」
とりとめのないガールズトークで彼女たちは有意義に退屈な一日は過ごしていく。
滝の見第一図書館の午前中はまるで老人介護施設のようだ。
ただその陰で密かに影が蠢くのを誰も知る者はいない。




