第86話 真意
★展開の都合上、10分ごとにあと2話更新となります。
「おいくんっ……好きっ! 好きっ! 大好きっ! おいくん、おいく……っっっっっっっっ!!!!」
張り詰めていた空気が、感情と快感の破裂とともに、徐々に弛緩してゆく。
そうして訪れた虚無感の中、ベッドの上で1人、霰もない格好で寝転んでいる木村 樹は左手を天井の照明にかざす。
「最低だ……僕って……」
まだ湿り気の残る指先を見て、樹は深い罪悪感に苛まれていた。
香月 葵は無二の親友で、花守 花音という可愛い恋人もいて……そして自分は、花音の友達でもあって……。
だけど樹は、いけないことだとはわかっていても、それでも心の中にいる"葵"との淫らな行為の妄想を辞められずにいた。
ーーしかし、これは今日に始まったことではない
樹がこうなってしまったのは、やはり中学2年の時の、葵との大喧嘩がきっかけだった。
喧嘩の果てに訪れた別離。
そして樹はその時から自覚してしまったのだ。
自分は友達として以上に、好きな人として香月 葵の側に居たいのだと。
だが、そうは思えど後の祭り。彼と彼女の絆は、真意に気づいた時にはもう失われてしまっていたのだ。
諦めきれない。だけど、自分から一歩を踏み出すのは怖い……そんな臆病な樹ができることといえば、夜な夜な彼との想い出にひたり、卑猥な妄想を思い浮かべて、自分で自分を慰めることのみだった。
こんなのだから、他の男に告白をされても心が動かず、断ってばかりいた。
おかげで周囲から"王子"と言われたり、男に興味がないと思われたり……。
だけど……ある日、樹はこのままで本当に良いのかと思い始めた。
だって、もう自分には時間がない……。いつまでも立ち止まっているわけには行かないとだんだん思い始めたのは、彼女はオリンピック出場を目指す、アスリートの卵だからだ。大願を叶えるためにも、日々確実に一歩ずつ前進をしなければならない。
だからこそ、良い加減、香月 葵に対するこの気持ちに折り合いをつけなければ。
そう決意し、訪れた高二の初夏……樹は、葵と再会することができた。
結果、仲直りをし、立ち直り始めた葵と再び友達になることができた。
もしも、この時、彼の傍に誰もいなければ、これまで抱き続けいていた自分の気持ちを素直に出せた。
彼との関係を別ものにすることができたのかもしれない。
でも、そんなことはできるはずもなかった。
なぜならば彼の傍には、自分よりも遥に愛らしい少女ーー花守 花音がいたからだ。
その瞬間、樹は理解する……葵は花音のおかげで立ち直り、そして元の楽しくて、優しい彼に戻ったのだと。
それに花音が間を取り持ってくれたおかげで、再び葵との友人関係が築けたわけで。
夏のキャンプバイトの際、花音の人の良さに惹かれて、彼女とも友達となって。
葵と、花音と、自分の3人で何かをすることがとても楽しくなっていって。
だから、自分が女として2人の間に入り込む隙は、明らかになく……樹は、自らの想いを封印すると決める。
もし、この気持ちを表に出してしまえば、"友人としての葵"さえも、再び失いかねないと思ったからだ。
それだけは嫌だ。たとえ、この恋が実らずとも、それでも彼の側にはい続けたい。
「ああ……ううっ……ひくっ……おいくんっ……好きっ……! 僕、君のこと好きだよぉ……! 大大大大大好きだよぉ……!」
1人部屋だからこそ、誰も聞いていないからこそ、樹は涙ながらに本音を部屋中に響かせ、再び熱を帯び始めた身体を諌めだす。
ーーだけど、葵との新しい思い出が増えるたびに、切なくなって。
夏頃に貸してもらった葵のパーカーが手放せなくて。
彼との関係を壊したくないから、自分の真意を性的な欲求に無理やり乗せて発散させて、平気なフリをして。
彼と花音の恋をあえて応援したりして。
でも葵と花音が本当に付き合い出したとたん、すごく胸が苦しくなって。
「おいくんっ……すきっ……おいくんっ……おいくんっ……!」
自分が1人でしていることを、葵と花音は2人で、愛の言葉を囁き合いながらしているのだろと考えると、気が狂いそうになって……。
「なんで僕、中学の時喧嘩しちゃったんだろ……はぁっ……あれさえなければ……あんなことさえ、起こらなければ、僕とおいくんは……!」
この妙な感情のせいなのか、ここ最近水泳にも身が入らず、コーチには叱られてばかりで。
それでもやっぱり葵と花音との関係も壊したくはなくて。
だから、自分が壊れないよう、やけを起こさないよう毎晩のように1人での行為に走って、気持ちを必死に抑え込んで。
「はぁ、はぁ、はぁ…………このままじゃ、だめ、なんだよね……」
一際強い刺激の波を乗り越えて、樹の気持ちはようやく落ち着きを見せた。
そして冷静になり思う。
いつまでも、こうして悶々としていてはダメだと。
このままではいつの日か、自分がダメになってしまう。
そしてその結果、またしても大切な人たちを失ってしまう。
愛する葵との約束であり、自分の人生の目標となったオリンピックでのメダル獲得といった大願さえも、こんな気持ちでは叶えられない。
「前へで出よう、自分から、前へ……!」
水泳を頑張る時も、彼女はいつも自分へそう言い聞かせ、行動に移し、そして結果を得ていた。
ならば、この気持ちに対する対処も、そうすれば良いこと。
樹はベッドの上から起き上がった。
そしてもう2度と、ベッドの上で1人、こうしたことをしないと心に決め、浴室で熱いシャワーを浴び始める。
この行為にはこれまでの邪な自分への禊にしたいとの気持ちがあった。
●●●
「なんだろな、樹から話があるって」
新年を迎え、3学期も始まってはや二週間。
突然、こちらへ帰ってきた樹から"大事な話がある"と言われ、俺は指定されたファミレスを目指している。
しかもなぜか、樹の依頼で花音も一緒にいるのだ。
「……」
なぜか道中、花音はずっと黙ったまま、俺の手をぎゅっと握りしめ、終始無言で歩き続けていた。
「大丈夫? 調子悪い?」
「え? あ、ううん、大丈夫……」
「なら良いんだけど……」
これ以上、何を聞いても花音は答えてくれそうもない。
なんとなくそうおもった俺は口を閉じ、道を歩み続けてゆく。
そうして目的地であるファミレスに辿り着くと、すぐさま窓際の席でぼぉっと外を眺めている樹の姿を発見する。
「よっ、お待たせ」
「こんにちは、おいくん! 花音ちゃんも! いきなり呼び出してごめんね!」
「……」
いつも樹が目の前にいる。だけど俺は漠然とした違和感を覚えつつ、花音と一緒に席へ座り込む。
すると妙な沈黙が俺たちを包み込んだ。
でも、このままでは埒が明かないと思いーー
「なにか話があるんだろ?」
「……あ、うん……」
俺の言葉に樹は、頭をふった。
そして樹は俺と、俯き加減の花音を見渡す。
「まずはこれ、返すね。長い間借りっぱなしでごめんね」
樹が差し出してきた紙袋を受け取る。
そこには真新しいビニールに包まれた、見たことのあるパーカーが入っていた。
たしかこれって、夏頃家にやってきた樹へ着せてやったパーカーだったな?
「クリーニングしてくれたのか?」
「うん。長く借りちゃってたからね。あの時は、これを僕に着せてくれてありがとね。おいくんとの日常が戻ってきたって実感できて、あの時、僕すごく嬉しかったんだぁ……」
そういう樹は普段とはどこか違う印象を受けた。
なぜだが、俺の中で不安や焦りのような感情が沸き起こり、胸が苦しくなり始める。
「今日はね、2人にどうしても話しておきたいことがあってきてもらったの。RINEとかじゃ、あれだし、直接言った方が良いかなって思って……」
樹の黒い瞳が、俺の胸を抉るような眼差しを送り始める。
「……なんだよ、そんな改まって……」
「実は、僕ね……」
「…………おう」
「僕ね! 春先から海外で暮らすようになるんだ!」
「海外って……!?」
「スポーツ留学ってやつ。実はおいくんと仲直りする前から、決まってたことでね!」
衝撃と同時に、俺はようやく分かった。
仲直りしてから時から、樹が距離のことを気にしたり、寂しそうな表情を浮かべていた訳。
たぶん、樹の心の中にはずっとこの留学のことがあった。別れが迫っているという自覚が、樹に寂しそうな顔をさせていたのだと……。
そしてきっと樹は俺たちに気を使わせないよう、ずっと黙っていたのだろう。
「いつ帰ってくるんだ……?」
わずかな期待を込めてそう問いかける。
「わかんない。でも、すぐに帰ってくるってことは、僕の水泳の実力がダメダメってことになるかな」
俺の問いに樹は苦笑い気味にさらりと答えた。
樹と会えなく無くなるのは寂しい。できればもっと一緒に居たい。
だけどその思いが叶うということは、樹の夢が潰えるということも意味するわけであって……。
「だからさ、おいくんと花音ちゃんに、お願いがあって……おいくんと花音ちゃんと僕の3人でキャンプしてくれないかな? 日本での最後の思い出作りにさ!」
「……うん、良いよ」
するとここに来てずっと黙り込んでいた花音が声を出す。
「やろ、3人でのラストキャンプ! ねっ、葵くん! そうしよ!」
やけに花音のテンションが高いのが気になった。だけどそれが何を意味しているのかわからず。
でも、俺自身も、花音と同じ気持ちだったわけでーー
「そうだな、そうしようか……!」
樹との別れは寂しくて悲しい。だからこそ、最後の思い出作りにぜひ3人でキャンプをしたいと思い、下した決断であった。




