最終章
「どうして…! どうして、ジュンシーを殺したノ!?」
シア君は剣幕でそう叫び、ワトソン君の肩をがっしりと掴んで前後に大きく揺らした。ワトソン君はそんなシア君を前にしても冷静なまま、クールな表情で口を開いた。
「シアさんには感謝をしてほしいくらいですよ。私は貴女を守ったようなものなのですから。」
「どういうコト…?」
シア君は、ワトソン君の言葉に首を傾げ、ワトソン君の肩を掴んでいた手を離し、ゆっくりと腕を脱力させた。
「…少々、昔話に付き合っていただけませんか?」
ワトソン君は僕たちに背を向けるようにして、うろうろとゆっくり足を動かしながらそう言った。
「私には、双子の妹がいました。二卵性の双子で、性格も見た目も全く似ていない妹でした。」
「妹とは双子だったのか。全く、君は最後まで十戒を破りたがる。」
「ええ。…もう、この世にはいませんけどね。自殺です、一年前に。」
ワトソン君はどこか遠くを見るような目でそう言った。
「私の妹、首田 雅は、私と違ってとても可愛いくて、アクティブな女の子でした。私は高校生の時寮に入っていたのですが、雅とはよく連絡を取りあっていてそこそこ仲のいい姉妹だったと思います。一年前のとある日、雅は私の元を訪ねてきました。そして雅は、私にお金を貸して欲しいと頼んできました。私は、将来の為にバイトをしてお金を貯めていました。お金のかかる趣味もなく、貯金は順調に貯まっているという話しを雅にしていたからでしょう。お金が必要な理由を聞くと、雅は恋人の親の病気の治療のために三百万円が必要なのだと言いました。私は、雅は騙されていると思いました。『詐欺にあってる、ただの恋人にそんな大金を求めるのはおかしい』と言いました。しかし雅は全く聞く耳を持ってくれませんでした。私と雅は口論になり、私は怒りのままに雅を追い返しました。私はそのまま雅を放っておき、いつも通りの日常を過ごしました。雅の訃報を聞いたのは、それから二週間後の事でした。」
彼女は落ち着いた様子でロビーをゆっくりと歩きながら、淡々とした口調でそう言った。僕達は彼女の話しに口を挟むことは出来ず、ただただ黙って話の続きを待った。
「私は、遺品整理という建前で雅の自殺の原因を探りました。私は、雅のスマートフォンのトークアプリから、ある男とのやり取りを発見しました。男とのやり取りは、ほとんどが中国語で行われていました。雅は高校一年の時に中国へ短期留学へ行っていました。きっとその時に知り合ったのでしょう。私は中国語の知識はからっきしでしたから、翻訳アプリを通してトーク内容を読みました。トーク内容から、この男が雅の恋人であったこと、雅が亡くなる前にこの男へ三百万円を渡していたこと、そしてそれからの連絡は、雅から男への一方通行であったことが分かりました。きっと雅は、その男に騙されていたと知り、絶望して自殺したのだと思います。それから私は、トークの内容から男の行動範囲を特定し、色々な人から情報を集め、その男の行方を探りました。日本人への聞き込みだけでは限界があったので、必死で中国語を勉強し、中国人から情報を集めました。そして私はいよいよ、妹を自殺へ追いやった結婚詐欺師の男の素性と居場所を突き止めました。」
そこまで言うと、ワトソン君はシア君の方を振り向いた。
「その男の名は劉 麗孝。リ・ジュンシーという名前は、シアさんの前でだけ名乗っている偽名です。」
ワトソン君の言葉に、シア君は大きく目を見開き、両手で口元を抑えた。
「私は、妹の未来を奪ったその男が、今も女性を騙してのうのうと生きていることが許せませんでした。それから私は、リュウをストーキングしたり、ゴミを漁ったり、彼のスマートフォンに監視アプリを入れたりして、更に彼の情報を探りました。もちろん、シアさんの事もずっと前から調べて知っていました。そしてとある日、彼がシアさんとの旅行のために宿を取った事を知りました。山奥の知る人ぞ知るその旅館は、リュウが予約したその日にはまだ予約が一件しか入っていませんでした。その時、私は今回の復讐計画を思いついたのです。まず一人で事前にこの旅館に泊まり、この旅館の構造をくまなく調べ、計画を練りました。たくさんのアカウントを作成し、リュウが予約したその日のその旅館の全ての部屋の予約をしました。余計な邪魔が入らないようにする為です。そして今日、私はとうとう、妹を殺した男への復讐を成し遂げたのです。」
彼女はそこまで話すと、ゆっくりと目を瞑った。
「後悔はしていません。妹の仇を討つことが出来たのですから。」
彼女は自分に言い聞かせるようにそう言った。そして今度は、僕の方へと身体を向けてこちらを見る。
「日本の警察って、案外優秀なんですよ。本当は先輩の推理がなくたって、明日の朝になれば警察持ち前の科学捜査で、私が犯人だってことくらい一瞬で突き止めてしまうと思います。…だからこそ、そうなってしまう前に、先輩という名探偵に、私の計画を推理してほしかったんです。先輩に事件の全貌を突き止めて貰うところまでが、私の計画でした。」
彼女はそう言うと、ゆっくりと歩いて彼女が最初座っていたロビーのソファへと移動した。
「ミステリー同好会の合宿として、これ以上ないほどわくわくした活動でした。」
彼女は、ソファの上に置いてあった青色の魔法瓶を手に取った。そしてその魔法瓶の蓋をくるくると回す。
「これでもう、この世に未練はありません。」
彼女はどこか遠い目をしながら、そう言った。
「ワトソンはん、あんた、まさか…!」
これから彼女が何をしようとしているのか見当がついたらしい女将さんは、焦った様子でそう叫んだ。
ワトソン君は、魔法瓶の蓋を取っ払った。そして彼女は、魔法瓶を手のひらの上に逆さにして乗せた。それから何か違和感に気づいたのか、彼女は魔法瓶の中を覗き込んだ。…そして、彼女は驚いたように大きく目を見開いた。
「なんで…っ! 氷のアイスピックが…! ない…!?」
犯行がバレた時でも冷静さを保っていた彼女が、初めて本気で焦り、取り乱したように何度も魔法瓶の中を覗き込んでいる。
そんな彼女が面白くて、僕は声を出して笑った。
「僕を侮ってもらっては困るよ、ワトソン君。」
ワトソン君は焦った顔のまま、こちらへと視線を寄越した。
「全て終わった後、君が自殺するつもりだという事には気づいていた。」
「何故…!? 何故分かったのですか!?」
「君は、計三本の魔法瓶を持っていた。赤が一本に青が二本。赤い魔法瓶には飲み物が入っていたことを確認している。そして、一つの青い魔法瓶には氷の凶器。凶器と飲み物のどちらが入っているか見分けるために色分けしたんだとしたら、君は凶器の入った魔法瓶を二つ所持していたことになる。予備とも捉えられるが、君が風呂に持ち込んだ魔法瓶は一本だけだった。なら、もう一本の凶器は何に使うつもりだったのか? 答えは明白だ。だから僕は、あらかじめ魔法瓶の中に入っていた氷の凶器を捨てておいたのさ。今頃は溶けて水になっているだろう。」
僕がそう言うと、ワトソン君は勢いよくこちらへと近づき、僕の胸倉をつかんだ。そして彼女らしくもなく取り乱した様子で、感情に身を任せて大きく口を開いた。
「なんで! そんなことするんですか! 私は人を殺した、復讐を果たした! これ以上生きていても意味なんてない!」
ワトソン君は瞳に涙を浮かべながらそう叫んだ。
僕は彼女の胸倉をつかみ返す。
「僕の大切な後輩に死んでほしくなどないからだよ!」
僕は大きく声を荒げてそう叫んだ。怒りに任せて叫ぶなんて、いつぶりだろうか。探偵紳士に似合わない、良くない行動だ。そんなことは分かっているというのに、僕は自分の感情をうまく制御することができなかった。
僕の剣幕が予想外だったのか、彼女は少しだけ怯んだ様子で僕の胸倉から手を離し、身を引かせた。
そんな彼女の様子を見て、僕も少しだけ冷静さを取り戻す。彼女の胸倉から手を離して肩に手を置き、彼女の目を見た。普段は冷静で、あまり感情を見せないクールな彼女の瞳が涙で潤んでいる。
「同じ趣味を持ち、同じ土俵に立って話せる数少ない友人だったのだ。君と話している時はとても楽しく、幸せだった。君は、僕にとって大切な人なのだよ。」
僕がそう言うと、彼女は瞬きをしないまま、あふれ出した涙を頬に伝わせた。
「妹を失った君の気持ちは同情に値する。しかし、どんな事情があったとしても、人を殺すことはよくないことだ。君は罪を償う必要がある。死を以って償うのではなく、生きて償うのだ。」
「…もう、私に生きる意味なんてないのに。これ以上、どうやって生きればいいというのですか?」
彼女は、らしくないほどか細く弱い声でそう言った。
「生きる意味なんてなくていい。これまで通り、君の大好きなミステリー小説を読んで、僕と一緒に語り合う。そんな小さな幸せを大切にする人生だっていいじゃないか。」
僕がそう言うと、彼女は驚いたように目を見開いた。
「私は人を殺したんですよ。先輩は、もう私と関わりたくなどないでしょう。」
「さっきも言ったはずだ。僕は君のことを大切に思っていると。その気持ちは、今でも変わらない。君がきちんと今回の罪を償ったそのあとは、徹夜でお酒を飲みながら、ミステリー小説について語り合おうじゃないか。」
僕はそう言って、彼女に笑いかけた。
彼女は目を瞑り、絶え間なく涙を流した。僕はそんな彼女の頭に手を回して抱き寄せた。温かい液体で胸元が濡れる感触がした。
「…先輩、その時私の事覚えてるかな。」
「絶対に忘れないさ。」
「約束ですよ。」
「ああ、約束だ。」
僕とワトソン君は、そう言って指切りをした。
その後僕たちは、ワトソン君を空いている客室の一室に入れ、外側からつっかえ棒で抑えて隔離した。
僕は自分の客室で、一人夜を過ごした。客室がとても広く感じた。一人で飲むビールは味気なくて、一口飲んでそのまま飲むのをやめてしまった。
朝が来ると、警察がやってきた。僕たちは警察に事情を説明し、ワトソン君の客室のつっかえ棒をとっぱらった。彼女は抵抗する様子はなく、素直に警察の指示に従った。彼女がパトカーに乗り込んでから見えなくなるまで、僕は彼女を見送った。
◆◇◆
あれから、約五年の年月が経った。
大学を卒業し、会社員として平凡な人生を送っている。職場に共通の趣味を持つ人はいない。仕事は楽しく、人間関係にも恵まれ、それなりに充実した毎日を過ごしているはずなのだが、どこか心にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。
僕は今日も仕事を終え、コンビニで夕食の弁当を買い、エコバックを肩にかけていつもの帰り道をゆっくりと歩く。
「先輩」
懐かしい声がした。僕は、声のした方を振り向いた。待ちわびた人物がそこにはいた。
仕事の疲れなど一瞬で忘れてしまった。僕はにっこりとほほ笑んで、口を開いた。
「おかえり」
僕の言葉に、彼女もにっこりとほほ笑み返した。
「ただいま」
【『ノックスの十戒』を破ったね? 完】