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第三章

 自分の客室へ帰ると、事件は起きていた。

 客室に置いておいた僕とワトソン君の鞄の中身がそこかしこに散らかされ、荒らされていたのだ。僕はまず、自分の財布を探した。テーブルの近くに落ちていた自分の財布を見つけ、中身を確認する。良かった、免許証や保険証はちゃんと入っている。…しかし、現金が少ない。僕の財布には確かに五万円ほど入っていたはずなのに、ここには一万円しかない。確実にこの部屋を荒らした犯人に盗まれている。

「きゃぁあああっ!!」

 部屋の様子を確認していると、すぐ隣の部屋から悲鳴が聞こえてきた。僕は悲鳴の聞こえた部屋の方へと走った。するとそこにはワトソン君とシア君がいた。

 ワトソン君は僕の姿を確認すると、こちらを見て口を開いた。

「平松先輩。温泉に行っている間に、何者かにシアさんの部屋が荒らされてしまったようで…。」

「なるほど。僕とワトソン君の部屋も荒らされていた。僕の財布からは四万円が抜き取られていたよ。」 

 僕はそう言って、右手に持っていた自分の財布をゆらゆらと揺らした。

「まじですか…? 私の私物は無事ですか?」

 僕の言葉に、ワトソン君は困ったように眉尻を下げてそう言った。

「分からない。これから確認しに行こう。」

 そうして僕とワトソン君、シア君の三人は僕たちの方の客室へと移動した。客室の扉を開くと、ワトソン君は「うわぁ…」と声を漏らした。ワトソン君は室内に入り、自身の貴重品を探して中腰の状態でうろうろと歩き回った。

「~ったぁ!」

 すると、すぐ横でシア君がそう叫んだ。

「いたた…、なんか踏んだネ…。」

 彼女は右足の裏を両手で抱えるようにして撫で、バランスを取る様に左足でけんけんと数回飛び跳ねた。彼女の足元には、ワトソン君が両腕に着けていたとげとげ付きのリストバンドが落ちていた。それを踏むのは確かに痛そうだ。

「なんや悲鳴聞こえたけど、どないした?」

 そう言いながら、女将さんが駆けつけてきた。

「僕たちの部屋とシアさんたちの部屋が荒らされていたのだよ。」

「な、なんやて!? いったい誰がそんな事…って、うわあああああ! 鏡割れてますやん!」

 突然の女将さんの悲鳴に、僕はびくっと肩を跳ねさせた。女将さんはそう叫ぶと、部屋に備えられていた鏡の方へと近寄った。たしかに、その鏡は大胆に割れてしまっていた。

「絶対犯人見つけて弁償させたる…!」

 女将さんは静かに、でも確実に怒りに震えながらそうつぶやいた。

「犯人探しだね? ここは名探偵の僕に任せたまえ。僕にはもう、犯人の目星がついているのだよ。」

 僕がそう言うと、シア君と女将さんは驚いたような顔でこちらを見た。

「この旅館の雨戸は全てが閉め切られている。外部から人が侵入することはできない。ずばり、犯人は僕たち六人の中にいる!」

 僕は大きな声でびしっとそう言った。シア君は「おーっ!」と感嘆の声を上げている。

「被害者は僕とワトソン君、そしてシア君にジュンシー君。つまり! 犯人は女将さんか雛野さんのどちらかということなのだ!」

 僕はびしっと女将さんの方を指さしながらそう言った。ばっちり決められた。そう思っていると、ワトソン君はしれっとした顔で口を開いた。

「まぁ、そんなことは全員がわかってましたけどね。」

「名探偵、ポンコツ…?」

 ワトソン君は冷ややかな目で僕の方を見て、シア君はそういって小さく首を傾げた。

「何を言う! 見えない推論だけではなく、見える事実を提示するのももちろん、探偵の仕事であろう!」

 僕が声を荒げてそう言うと、ワトソン君はやや面倒くさそうに僕をあしらった。

「はいはい、そうですね。それじゃあ、とりあえずここにいない容疑者である雛野さんを探しに行きますか。」

「ほな、雛野はんの客室へ行きましょか」

 女将さんがそう言うと、ワトソン君は女将さんの前に手を差し出してそれを制した。

「雛野さんは風呂にいなかった。ということはきっと、客室に居ることでしょう。しかし、雛野さんの客室はこの隣。もし雛野さんが犯人でないのなら、この騒ぎを聞きつけてここへ来ているはずです。そしてもし雛野さんが犯人なら、きっともう客室にはいない。逃げようとロビーのほうへ向かっているんじゃないでしょうか。」

 ワトソン君が淡々とそう話すと、シア君と女将さんは「おおっ!」と声をあげ、きらきらと輝いた目で彼女を見た。

「すごい推理や!」

「ワトソン、名探偵より名探偵ネ!」

 女将さんとシア君が口々にワトソン君を褒め称える。ワトソン君は「いえ、それほどでも」と一言謙遜すると、僕の方を見て勝ち誇ったようににやりと笑った。

 まるで僕を煽るような彼女の表情に、悔しい気持ちが沸々と胸の中に沸き立ってくる。その気持ちが抑えられないままに、僕はびしっとワトソン君の方を指さした。

「ワトソン君! 君は『ノックスの十戒』を破ったね!」

「ノックスの十戒? なんのことです?」

「第九戒! 『助手の知能は、一般読者よりもごくわずかに低くなければならない』! つまり、助手である君が名探偵である僕の知能を超えることなどあってはならないのだよ!」

 僕がそう言うと、ワトソン君は目を真ん丸にして驚いた後、にやりと意地悪く笑って口を開いた。

「それ、私の方が賢いって負けを認めたってことで合ってます?」

 彼女は心底愉快そうに意地の悪い顔で笑いながら、まるで僕のことを挑発するように顔を近づけてそう言った。

「あーあ、せっかく今日は先輩に探偵という肩書を譲ってあげたというのに。結局、探偵は肩書きじゃなくて結果なんですよね。よりよい推理をした人物が探偵と呼ばれる。今この時点では、先輩よりも私の方が探偵力が高いってことです。ユーアンダスタン(分かるでしょう)?」

 彼女はわざと僕の口癖を使って挑発した。

「私を助手にしたいのなら、私よりも賢い推理を披露することですね。め・い・た・ん・て・い・さん。」

「ぐぬぬ…! ワトソン君、覚えていたまえ。この雪辱は必ずや二倍、いや三倍にしてお返ししてやろう。」

「楽しみにしてまーす。」

 彼女は余裕綽々といった様子で、間延びした話し方でそう言った。

「あのう…、ほんじゃ、ロビーの方に行こか?」

 女将さんは、僕たちの会話を中断するのを少し申し訳そうにしながらそう言った。

「そうですね。行きましょう。」

 ワトソン君はそう言って、先陣を切ってロビーの方へと歩き始めた。僕と女将さん、シア君は彼女の後を追うように歩く。

 そうしてロビーに着くと、ワトソン君の推理通り、そこには雛野君がいた。玄関の前にしゃがみこみ、がたがたと雨戸を揺らしている。逃げようとしたものの、玄関の雨戸が開かず逃げられなかったのだろう。

 そんな雛野君は僕たちの気配に気がついたのか、ちらりとこちらを見ると勢いよくこちらへスライディングしながら、額を床に擦らせて土下座を始めた。

「すみませんでしたぁっ! 全部返しますので、許してください! ほんと、気の迷いだったんです!」

 雛野君はそう叫びながら、ごんごんと何度も床に頭を打ち付けた。

「あのほんと…、あたしちょっと、お金が無くて…。ちょっと魔が差したっていうかぁ! あのほんと、ごめんなさいっ!」

「痛い、痛いデショ! 危ない、やめなヨ!」

 頭を打ち続ける雛野君を見かねたシア君が、彼女の頭を無理やり持ち上げてその奇行を止めさせた。

「その懺悔は、『私たちの部屋を荒らした物盗りは貴女である』という事でいいですか?」

 ワトソン君が問いかけると、雛野君はこくこくと何度も首を縦に振って頷いた。

「盗んだもの、全部返すからぁ…っ! どうか、警察だけは…!」

 彼女はそう言って背負っていたリュックを下ろし、中身をざっとロビーにぶちまけた。

 中からは大量のアクセサリーや電化製品が出てきた。しかし、その中に僕とワトソン君の私物は無さそうだった。

「あっ! これ、ワタシのネックレス! こっちはジュンシーのネ!」

 盗まれていたのはほとんどシア君とジュンシー君の私物みたいだ。シア君は、ぶちまかれた私物たちを丁寧に拾い始めた。

「僕たちの部屋は荒らしただけで何も盗らなかったのかね?」

「だって、あなた達の部屋には特にブランド品とかなかったから…。」

 雛野君は、ばつが悪そうに両手の人差し指をつんつんと突つき合いながらそういった。

 シア君は一つのネックレスを拾うと、泣きそうな顔で雛野君の前にそのネックレスを突きつけた。

「お金の問題じゃナイ! これ、ジュンシーのおじいちゃんの形見ネ! 世界に一つだけ! 盗まれたら困るノ!」

「そ、それは、知らなかった…。本当にごめん。返せて良かったよ…。」

 剣幕で叫ぶシア君に、雛野君はしおらしくそう返した。

「ジュンシー君のおじいさんはとてもトレンドに敏感だったんだね。このネックレス、去年のバレンタイン限定モデルでしょ? 」

 雛野君がそう言うと、シア君はきょとんとした顔で首を傾げた。

「ジュンシーのおじいちゃん、八年前に亡くなってる。」

「あれ? じゃああたしの勘違いかなぁ。」

 雛野君はそう言って首を傾げた。

 僕はふと、シア君がかき集めた私物達に視線をやった。そのほとんどはシア君のものだろう、レディースのアクセサリーや小物が集められている。

 しかしその中で異彩を放つ、安っぽいビニールで出来た水色のポリ袋が目に付いた。僕はそのポリ袋を手に取って雛野さんへと突きつけた。

「ブランド品でないからと僕たちの部屋からは何も取らなかった癖に、よく分からないポリ袋は盗んでいるのだな。」

 僕がそう言うと、雛野さんは吹き出して笑った。

「ああ、そう。あんた若いのに知らないんだ。これ、『バレンガシー』だよ。」

「『バレンガシー』?」

 僕がそう聞き返すと、雛野さんの代わりにシア君が割り入って話し始めた。

「バレンガシー、有名なハイブランドネ! これは、そのショッパーネ。ジュンシーのお父さんが買い物した時貰ったやつ、ジュンシーはずっと使ってるノ。」

 シア君が胸を張ってそう言うと、雛野君はまた笑い始めた。

「あははっ! シアちゃんも面白いね。これはショッパーじゃなくて、そういうコンセプトのバッグだよ。値段はなんと三十万円。」

「三十万円!? このどこにでもありそうなポリ袋がかね!?」

「そういうブランドなのよ。他にもガムテープみたいなブレスレットが百万円とか、ダンボール製の腕時計が数百万とかね。」

「僕には理解出来ない世界だ…。」

「実はあたしも。でも根強いファンがいるブランドで、このポリ袋みたいなバッグだって、ネット通販では百万前後で転売されてるんだから。」

「なるほど。君はそれを知っていて盗もうとしたってことだね。」

 僕がそう言うと、シア君は何やら難しい表情で床を見つめてこう呟いた。

「…ジュンシー、そんな高級品買うお金、無いはずだけど。」

 僕はふと、脱衣場でのジュンシー君との会話を思い出す。もしかしたら、彼が懺悔しようとしていた事と関係があるんだろうか。もしかしたら彼は、平民のフリをしてシア君と付き合っているどこかの御曹司だったりして。

 そんなことを考えつつも、僕は口を噤んだ。彼が隠そうとしていることなら、他人である僕がむやみやたらに暴くものではない。必要とされていない推理を口にして場を混乱させることは、探偵紳士の行動には似合わない。

「とりあえず、これで盗まれたものは全部返ってきて一件落着といったところでっしゃろか?」

 女将がそう言うと、シア君とワトソン君はこくりと頷いた。

「いや、僕の財布に入っていた四万円がまだ帰ってきていない。きちんと返してくれないかね?」

 物は返ってきたようだが、現金は返ってきていない。僕はそう言って雛野君にむかって催促するように手のひらを差し出した。

 すると雛野君は、腕を組んでぷいっとそっぽを向いてしまった。

「…そんなの盗んでない。あたしが四万取った証拠でもあるの?」

「な、何っ!? 僕は確かに財布に五万入れていた! 君が盗んだのだろう!」

 僕は少しだけ感情的になって、叫ぶようにそう言った。すると彼女も同じように怒気を孕ませて言い返す。

「だから、その証拠は? あたしが取った証拠! ないなら、それだけはあたしがやってない!」

「なんだとっ!? 財布に入っていた金額の証拠なんて、都合よくある訳がないだろう! 僕の記憶では確実に五万円が入っていたのだよ!」

「あーあ、名探偵を名乗るくせに証拠なしで疑うだなんて、失礼しちゃうわ!」

「君、自分の立場が分かっているのかね? 僕の部屋に侵入して荒らした物盗りなんだ、疑われて当然だろう。」

「それはそれ、これはこれ! やってない事まで疑われる筋合いはないもんね!」

 どうやら彼女は、証拠が出されるまでその主張をし続ける様子だ。

 私物であれば、彼女の持ち物を検査すればいい。しかし現金となると、彼女の持ち物から四万円が出てきたとして、最初から彼女が持っていたものだと言われてしまえばそれまでだ。

「はぁ…、分かった。仕方ない、四万円は諦めるとしよう。」

 これ以上意味の無い言い合いを続けるのも無駄だと思い、僕は諦めることにした。雛野君は勝ち誇ったような笑っていたが、どうだっていい。別に悔しくも何もななかった。

「はぁ…、なんだか一段落ついたと思ったら、どっと疲れて来ちゃいました。」

 ワトソン君はそう言って腕を頭の上に上げ、ぐーっと大きく伸びをした。

「ワタシも。早く部屋帰って、休みたいネ。」

 シア君もそう言ってふわっと欠伸をした。それを見るとなんだか無性に欠伸がしたくなって、僕も大きく口を開いた。

「あ、そうや。名探偵はんにワトソンはん、もう夕食の準備出来てますで。」

「そういえばもうそんな時間かね。それじゃあ、僕たちはこのまま宴会場へ向かうとしようか。」

 僕がそう言うと、ワトソンくんはこくんと一つ頷いた。宴会場と客室は同じ方向にある。僕達は五人で同じ方向へと歩き始めた。

 客室へ帰るシア君と雛野君とは突き当たりで別れ、僕とワトソン君、そして女将さんは宴会場の方へと歩き始めた。

「あ、あの、名探偵!」

 二人と別れてすぐ、背後からシア君に呼び止められ、僕は後ろを振り向いた。

「あのね、ジュンシー、まだ部屋に帰ってきてナイ。ジュンシー、サウナにすごく長い時間入る癖があるカラ。ちょっと、様子を見て来てくれナイ?」

 シア君は困り顔でそう言った。

 この旅館にいる六人の中で男は僕とジュンシー君のみ。だから彼女は僕に様子見を頼んでいるのだろう。

「なるほど、任せたまえ。」

「ありがとネ!」

 彼女は安堵した様子でにっこりと微笑んだ。

 僕はワトソン君と女将さんに事情を伝えてから、風呂へと向かった。

 青い男湯の暖簾をくぐり、脱衣場へ入る。脱衣場にジュンシー君はいない。ロッカーには彼の荷物が置かれたままになっている。彼はまだ中にいるようだ。

 脱衣場から水切り場、水切り場から浴場へと移動する。シャワーブース、湯船、水風呂に人影はない。

 とするとやっぱり、あのサウナの中か。彼がサウナに入ってから一時間くらい経っただろうか。ちゃんと休憩は取っているのだろうか? ずっと入りっぱなしだと身体に良くない。そんな心配をしながら、僕はサウナルームの扉へと手をかけた。

 扉をゆっくりと押して開く。ぶわっと熱い空気が流れ込んできた。そして、開いた扉の隙間から中を覗いた時、見えた光景に僕は目を大きく見開いた。

「う、うわあああああああああっ!!!」

 次の瞬間、僕は思わずそう叫んでいた。今までの人生で1番情けない悲鳴だ。僕は一歩後ろへ後ずさると、足元がもたついてバランスを崩し、その場に尻もちをついた。尾骶骨にジンジンと痛みが伝わる。

「先輩!? どうしたんですか!?」

 僕の悲鳴を聞いて来たのだろう。ワトソン君と女将さん、そしてシア君の三人が浴室へと駆け込んで来た。

 僕はきっと青白い顔をしている事だろう。尻もちをついた情けない姿のまま、僕はサウナルームの扉を指さした。

 ワトソン君はサウナルームの扉へ近づくと、一気にその扉を押し開いた。

「ーっ!!」

 その光景を見たワトソン君は、声にならない声を上げて絶句した。彼女はそのままかくっと膝を曲げてサウナルームの入口にへたりこんだ。

 ワトソン君が開いた扉の隙間から、シア君と女将さんもその中を覗き込む。

「いや…、いやぁぁあああっ!!」

 シア君は金切り声でそう叫び、大粒の涙を流しながらその場にへたりこんだ。

 サウナルームの中にジュンシー君はいた。鮮血に塗れ、胸を刃物か何かで刺された、見るも無惨な刺殺体となった姿で。

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