第九章 『ホテル竜(りゆう)空(ぐう)城(じよう)』
東郷、マッチ、ダンサーが集まって泰子の印象について話し合う。
「あの娘どう?」東郷がダンサーに尋ねた。
「あぁ、まず踊りはピカイチね、どこで覚えたんだろう私よりうまいよ。まぁ当然だけどセクシーな振りはギコチないよね」
「私、それが逆にウケると思う。男のスケベ心を刺激するのよ」とマッチは東郷を見てニヤッとする。
「うーん、その通り、ムラムラしてくる」と東郷は下半身に手を当て、腰を動かす。
「オッケー、明日は美津子だから、もう一日頼む」と東郷はダンサーに礼をして帰った。
翌日、朝から隣の部屋に美津子という娘が引っ越してきた。髪は長く、細面で目がちょっと鋭い感じだ。
目が合った。泰子は自然に会釈をする。美津子はなにも言わずお辞儀もしない。何かを警戒しているような目つきだ。泰子が先に話しかけた。
「おはようございます。私、隣の部屋の比護泰子といいます」
「横須賀の生まれですか?」美津子が聞いてきた。
「そう、汐入町、ここから十分ぐらいのとこ」
「そうか、ちょっと安心した」美津子の顔が緩んだ。
「私、津久井浜、うちは漁師だったの」と、美津子は遠くを見るようなしぐさで空を見る。
「あっ、本名は立花美津子です、よろしくね」
「そう、私、中卒、あなたもでしょ、仲良くしようよ」と泰子は仲間が出来たことを歓迎する。
泰子は美津子の引っ越しを手伝い、夕食に誘った。
「私、今月のお小遣いあるから、タコス……じゃなくて何か食べようよ」
二人は汐入駅近くの大衆食堂でどんぶり飯を注文した。引っ越しでかなり腹がすいていたのだ。
満腹になると、それぞれの身の上話になった。
泰子は沖縄寮の話、母の死、東郷から金を借りた経緯をかいつまんで説明した。
「そうかぁ、似たような話ね」と、うなづきながら美津子は自分の話を始めた。
「うちは母が早く亡くなって私は父に育てられたの。前に言ったけど父は漁師でね。古い船を一隻持ってるだけの貧乏漁師。でも私と二人だけだから、そんなにお金に困ったことはなかった。ところがね、ある年凄い豊漁が続いて収入が二倍になっちゃったの。それでテレビ買おうかとか浮かれてたんだけど、父がね、それを元手に博打に手を出しちゃったの。それで、……見事に負けたわ。取り返そうと思って、船も売っちゃって、全財産無くなっちゃった」と美津子は涙ぐみながら話す。
「そんなことあったんだ、でもここに入ったのは普通の就職でしょ」
「いや、普通じゃないよ、父がね、最後にお金を借りた先が東郷さんだったの。それで、あの日、私見てたの……怖かった。東郷さんの弟子みたいな人が二人、借金の取り立てに来たの。それで、話が違うってケンカになって父がその弟子の人を思いっきり投げ飛ばしちゃってその人、大怪我しちゃったの。父は、やり過ぎたって気が付いて逃げ出しちゃった。次の日からヤクザみたいな人が毎日二、三人、家の前で父の帰りを待ってるの。父は何日たっても全然帰ってこない。そしたら東郷さんが来て、こうなったら借金返すか、お父さんを傷害で訴えるかどっちかしかないよっていうの。私、お父さんが逮捕されるのなんかいや……そんな悲しい事、絶対いや。だから私自身が東郷さんにお金借りることにしたの」美津子の涙は止まらない。
「結局、お父さん帰ってこなかったの?」
「帰ってきたよ、だけどやっぱりお金全然ないって。実家のあった焼津へ帰る電車賃もぎりぎりでさ、『美津子、ごめんよ、待っててくれ、焼津で働いてお金作って必ず迎えにくるから』ってお父さん泣いてた。私、それまで我慢する……」美津子は両手を胸の前で強く握りしめる。
私以外にもこんなに不幸な人、いるんだ。泰子はもらい泣きした。
翌日、二人は昼ごろマミーに行った。店の掃除は二人だったので、ずいぶん楽だ。三時ごろになると、ホステスたちが次々と入ってくる。
「おはようございます」午後三時だが挨拶は『おはよう』だと言われていた。マッチさんが来た。
「おはよう、美津子来てるね。今日はさ、美津子はこのあとダンサーとスタジオ、泰子は京子と一緒にもう一軒の店に挨拶に行って。今日の仕事はそれだけ、いいわね」
「はい」二人は同時に返事をしてそこで別れた。
「ここよ、ここがリリー、ここは舞台ないから、ただのバーね」と京子が説明する。
「バーテンの貴よ、いい男でしょう」まだホステスはだれも来ていなかった。貴はリーゼントに決めた背の高い男だ。
「こんにちわ、比護泰子、あっ、おはようございますだ」泰子は挨拶を間違えた。
「ふっ、」男がちょっと吹いた。
「泰子っつうのね、おはよう」貴は敬礼の形でキザなあいさつを返す。
「よろしくお願いします」泰子が頭を下げた。
「えっ」泰子が顔を上げるとき、貴が泰子のアゴを持ち上げたのだ。
「ほう、かわいいじゃん」貴が泰子の顔をしみじみと見てニヤッとする。
「バカッ、貴、おまえ、手、出すんじゃねえよ」京子があわてて怒鳴る。
「泰子はマスターの声掛かりだぞ、聞いてねえのか」
「えっ、そうなんですか」貴はあわてて手を引っ込める。
「どうもー」貴はすぐ奥に引っ込んだ。
「泰子、帰ろう」京子は泰子の手を引いて店を出た。
「もう帰っていいよ」
「失礼します」泰子は日の出ホテルに帰る。帰り道で考えた。『マスターの声掛かり』って何だろう? なんとなく『普通じゃない』ってことは分かる。じゃあ、どう普通じゃないんだ。
部屋でテレビを見ていた。八時ごろだった、二号室に美津子が帰ってきた音が聞こえた。泰子はすぐ部屋を出て、二号室をノックする。
「はい」美津子が出てきた。
「お疲れ様、入っていい?」
「どうぞ」
泰子は遠慮なく上がり込んだ。美津子から今日の話が聞きたい。
「ごめんね、上がり込んで」三畳の部屋なので、二人分の椅子はない、ベッドに横並びで座った。
「きょう、スタジオどうだった?」泰子はそれが気になっている。
「どうって……ダンス踊らされた」美津子は浮かない顔だ。
「どんな振りだった?」
「うん……いやらしい踊り」それだけ言うと美津子は視線を下げた。
「えっ、私と違うみたい」泰子は驚いた。きっと自分と同じ振り付けだろうと思っていたのだ。
「衣装がイヤ、ベリーダンスの衣装だって。スカートが腰のあたりまで切れてて、動くとちょっとパンティが見えちゃうの。上の方もセパレートでブラジャーが小さくてすっごい恥ずかしい」道子は両手で顔を覆う。
なぜ美津子は自分と全然違う扱いなのか。もしかしたら自分もいずれ同じような事をさせられるんだろうか。泰子はそれ以上美津子の話を聞くのをためらった。聞く事自体が恥ずかしい。考えるだけで顔が赤くなってきた。
「もう、寝ようか」泰子はそそくさと部屋を出た。
二日後、二人がマミーの掃除を終えると、東郷が現れた。
「やあ、ご苦労、今日は今後の話だ」と二人を二階の事務室に上げた。
「今月一杯で、ホテルが完成して名前が変わる。『ホテル竜空城』だ。浦島太郎の竜宮城じゃねえぞ、空の城だ、いい名前だろ」と東郷は胸を張る。
「部屋は五室、最新の設備だ。全部の部屋に風呂もシャワーもついてる。冷蔵庫、冷房もだ。すげえだろう。アメリカ並みだ。当然安いホテルじゃねえ、特別料金を取る。問題は客だ。基本的に並みの客は相手にしねえ。大金持ちか地位の高いやつに限るんだ。政治家とか、俳優とかな。そのうちお目にかかると思うけど米軍関係の高級将校も来るはずだ」と東郷はタバコを一服ふかす。
「あの場所は山の上だ、それに崖っぷちだ。普通あんなとこまでわざわざ登ってくる客はいねえよな。ところがオレは思いついた。あの場所、横須賀で一番景色がいい場所なんだ。横須賀港、米軍基地、臨海公園全部が見渡せる。ということは逆に考えると目立つんだよ、思いっきり。そんで更に目立つように派手な龍の飾りを屋根につけた。あした屋根のカバーを取ると今にも空に飛び立とうとしている黄金の龍が出てくる」と東郷は得意満面に話す。
「次は設備だ。地位の高いやつが身元を隠して来れるようにした。あそこは標高三十メートルはある。外にエレベーターを付けたんだ。がけ下の一軒家を買った。客はその家まで車で来て庭からエレベーターで上がるんだ。だから誰にも見られねえ、それが重要なんだ。部屋が広くてきれいなのは当然として、内容がいいぞ。ジュークボックスが各部屋についてる。好きな曲をかけて、いいムードになれる。ベッドが窓際にあって、電動スイッチを押すとグーっと起き上がって寝たまま景色が見れるんだ。最高だろ」泰子は黙って聞いている。工事中の部屋をちょっと見たがそれほどの設備があるとは思わなかった。
「さて、その先がだ……」東郷が二人をグッとにらんだ。
「お前ら、その客の相手をしてもらう」
やっぱり……泰子はそれなりに覚悟はしていた。しかしあからさまに言われると、いきなり重い荷物を肩に掛けられたようにズシッとしたものを感じる。
二人が何も言わないのを確認して東郷はまたタバコをふかす。
「まあ、分かってるよな二人とも……客が高級だから、乱暴なやつはいないからその点は心配するな。ただよ、高級なやつほど癖があるんだよ癖が」と、東郷は眉間にしわを寄せて二人を睨む。
「おまえら、ボンデージって知ってるか?」と言って咥えたタバコを天井に向ける。
「……」二人はきょとんとして顔を見合わせる。
「知らねえか、そうだよな英語だもんな」東郷はタバコをもみ消した。
「じゃあSMは?」東郷がもう一度二人を睨む。
少し無言の時があった。
「私……知ってます」美津子が小声で答える。
「どんな事か言ってみな」東郷が美津子に促した。
「ええと、あの、友達が言ってたのを聞いたんだけど、いちばんいやらしい事だって」美津子は下を向いてモジモジする。
「詳しく言うと?」東郷が続ける。
「あのぉ、女の人が縄で縛られていやらしい事をされるんでしょう」美津子は下を向いたまま言った。
聞いている泰子も下を向いて顔が真っ赤になった。美津子の言う場面が脳裏に浮かんでしまう。
「そうだ、人には隠れた嗜好があるんだ、高級なヤツほどその気が強い。ただな、普通乱暴はしねえよ、たいがい雰囲気だけなのさ。恥ずかしいと思うけど、それ以上はねえよ」東郷は、うんうんと頭を振って頷く。
「それ専用の部屋が三部屋な。鎖とか手錠とか変な物がたくさん置いてある。使い方はマッチが教える」
「あのう、もし、もしですよ。そのSMで乱暴なことされたら私たち逃げられないじゃないですか」黙って聞いていた泰子が思い切って尋ねた。
「その対策はある。言えばおまえら、あのホテルの主力だ。だから大事にする。最初恥ずかしいがそのうち慣れる。どういうことかって言うと、あとで紹介するけど、大介っていうヤツが部屋を監視する」
「監視するってその時、私たちその男の人にずっと見らてれるんですか?」
「そうだ」
「いやっ、そんなの出来ません。見られてるなんて絶対いや」泰子が叫んだ。
「あのな、そいつ、大介な。普通の男じゃねえんだ」
「普通じゃないって?」
「体は男だけどよ、全く女に興味がねえんだ。というか男の機能がないのよ。ただ体はでかくてプロレスラー並みに力は強い。お前らのボディガードを兼ねてるんだ。なんかあった時、すっ飛んできてお前らを守ってくれる。ヤツに見られてるってのは逆に安心感になるぞ」と、東郷は両手で遠眼鏡のマネをする。
「ただちょっとおつむが弱くてな、難しいことはできねえ。ヤツの本来の仕事はホテルのボイラー焚きだ」と、笑いながら東郷はまたタバコに火をつけた。
「もう一つ変わったことがあってな、あそこに行く客は原則アイマスクをつける。有名人だと顔を見せたくねえからな。お前らもし客が誰だか分かったとしても絶対秘密だ。決して口外しちゃならねえ、いいな。……まあ、そんなとこだ」東郷はまだ何か言い忘れてる――と天井を見る。
「あっ、そうそうお前ら、くれぐれもホテルに勝手に男を連れ込むんじゃねえぞ、やったら只じゃ済まさねえ、厳罰だ」東郷はスゴ味のある言い方に変わった。
「はい」泰子が小さく返事をすると美津子が驚いた顔で泰子を見つめた。
「じゃあよ、今日はこれまで」東郷は立ち上がり、奥の部屋に入る。
「失礼します」二人はマミーを出た。
「泰子ちゃん、聞いていい?」帰り道、美津子が尋ねる。
「なに?」
「あのさ、さっき東郷さんが男を連れ込んじゃダメって言ったじゃない。私、返事できなかったけど、泰子ちゃん『はい』って返事したじゃん。ということは彼氏いるの?」
泰子はズバリそれを聞かれて焦った。あのとき、一瞬『松ちゃん』が浮かんだのだ。
「う、うん、いるよ」泰子は仕方なく答えた。
「いいなぁ、その人、同級生?」
「ちがう、一個上よ」
「そうかぁ、私、この仕事してる限り彼氏なんか出来っこないな……」美津子は歩きながら下を向いた。
泰子は何も返す言葉がなかった。しみじみ思う。二十歳になるまで自分にも本当の自由なんかないんだ。