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第八章 マミーでの生活

 マミーに戻った。すでにホステスが三人、ボーイが一人いる、客は日本人が一人だけだ。

「上へ行く」東郷はボーイに告げ、泰子を二階の事務室に案内する。

「おかえり」事務所にはマッチさんと男が二人、ソファに座っていた。

「よいしょ」東郷が中央の大きなソファに反り返って座る。

「こいつが鬼島、向こうが井上。鬼島は、なんて言うか、まぁオレの弟子だな。井上は事務」

「お世話になります」泰子は深くお辞儀をした。

「じゃぁ、井上、説明してよ」東郷が井上に泰子に説明しろというふうに指で合図をする。

「はい、それでは説明します。」井上が書類を机に置いた。

「比護泰子はもう、契約が済んでいるので、立場としては従業員です。給料は前払いとして手渡し済みなので、基本的にはありません。ただ、特別手当として食費と小遣い程度は毎月用意します。それで身の回りの物を買ってください。ここまで、いいですか?」

「はい」

「それでは明日から努めてもらいます。もう学校は自由登校になってるでしょ」

「はい」

「どうしても登校しなきゃならない日は行ってかまいません。それと卒業式もね」

「はい、ありがとうございます」泰子は頭を下げた。

「住み込み従業員の扱いですから、こちらの指定する部屋に住んでもらいます。場所は『日の出ホテル』知ってますよね」

「はい、あの、郵便局のとこの石段を上がったとこでしょ」

「そうです。いま改装中ですけど、従業員の部屋は先行して出来てます。明日からでも使えるので、すみやかにそこに引っ越してください」

「はい」

「つぎに仕事について。基本的にはホテルのメンテナンス、まあ、掃除とかね。当面はホテル自体が改装中なんで、このマミーの掃除をやっててください。だから毎日ここに来る」

「はい」

「あと、休みは日曜日ですけど、外泊はダメ、もしどうしてもというときは届けが必要です。それから……これは決まりです。あなたの部屋には友達でも入れちゃダメ。男でも女でも。いいですね」

「はい」

「ハハッ、泰子、沖縄寮と比べたら天国だぞ、個人部屋だし、ホテルだから風呂は付いてるから毎日入れるし、奮発してテレビも入れた」と、東郷がほほ笑む。

 この時代、テレビを持っているのは比較的裕福な家に限られた。それも一家に一台。まして個人の部屋にテレビがあるなど考えられない。

「はい、ありがとうございます」泰子は言われた通り天国だと思った。わくわくする。

「じゃあよ、明日、あさってで引っ越し終わらせろ。荷物なんかたいしてねえだろうから一人で引っ越せるわな」

「はい」

 泰子は勇んで店を出た。あさってから夢のような生活が始まるんだ。

 泰子と井上が帰った後、マッチと鬼島が残る。

「マッチ、あの娘どうよ」

「凄いわー、驚いた。マスターの言う通りね。十八才過ぎたらホステスとして間違いなくナンバーワンになる。さっきちょっと見たけどさ、歌も踊りもできるじゃん。仕込んだら、テレビに出れるし、女優にもなれそう」とマッチは最上級の評価をする。

「あとは、女としてどうか、だな。ヘッヘヘッ」東郷がスケベ笑いをする。

「マスター、楽しみだね」とマッチが東郷の膝を小突く。

「あと二人、目星つけてる娘がいます。もうちょいで採れそうです」鬼島が報告する。

「おうっ、よろしく頼む」東郷は若い娘を揃えて新しいビジネスを企んでいる。


「よいしょ、よいしょ」沖縄寮と日の出ホテルは五百メートルほどの距離だ。泰子はその日のうちに引っ越しを終わらせた。寮の皆にも挨拶を済ませ、井上が来るのを待つ。

 部屋は一号室、三畳ほどの狭い部屋だ。しかしベッド、物入など必要最小限だが全て揃っている。なによりテレビが付いているのがすごい。今日からいっぺんに近代的な生活に変わるんだ。泰子は胸が躍る。

「比護さん、引っ越し終わったぁ?」井上がやってきた。

「はい、一号室のカギ、あと今月中に二号室に女の子が入る。ホテルが出来たら四号室に男性が入る予定。三号室は未定ね。部屋の説明はさっきしたからもう分かるよね。じゃあおやすみ」井上は片手をあげてバイバイと去ってゆく。

「おやすみなさい」泰子は井上の後ろ姿に深くお辞儀をした。


 午後三時、泰子はマミーの前で待つ。

「あら、おはよう」マッチさんが先頭で、先日見たホステスも一緒にやってきた。カギを開けて中に入る。少し遅れて別のホステスも入ってきた。

「そうか、いけね、あんたが掃除やるんだっけ」マッチさんは『しまった』という感じで泰子を見る。

「はい、そう聞きました」泰子がマッチさんに指示を仰ぐ。

「あんた入るから掃除おばちゃんクビにしちゃったんだ、忘れてた、掃除やってねえよ」とマッチさんが店内を見回す。店内は昨日のまま、ビールビンもグラスも灰皿も置きっぱなしであちこちに飲み物がこぼれたままになっている。

「泰子、いまから二時間以内に店、きれいにして」とマッチさんが指示を出す。

「はい、掃除道具はどこですか?」泰子がたずねる。

「えーっと、店の裏行くと大っきな扉があってそこに入ってると思う」

「トイレの掃除道具もですか?」

「たぶん……ホステスって掃除なんかしないからさ、よく知らねえんだ」とマッチさんはぶっきらぼうに言う。

「わかりました」

 泰子は掃除道具を確認すると、こまねずみのように動いて掃除を終わらせた。

「あんたよく働くね、さすがマスターの目にかなった娘だわ。ごくろうさん、これ飲めば」

と、マッチさんが冷えたコカ・コーラを注いでくれた。

「今日は他にやることないんだ。夜になったらマスターがあんたをスタジオに連れてくって。それまでブラブラしてていいよ」といってマッチさんは控室に引っ込んだ。

 あー、結構大変だったけど、このくらい覚悟してたから。と、泰子はひといきついて店内をじっくりと見回す。

 マミーはドブ板の中ではかなり大きい店だ。黄色い派手なソファと小さめのテーブルがびっしり置いてある。泰子は掃除しながら気づいたのだが、ソファはかなり傷んでいて、あちこち修理した跡がある。やっぱり米兵が乱暴だから傷むのかな、と想像する。明るい時に見るとどれもかなり貧相な代物だ。こういう店は照明が暗くないといけないのね、と納得する。

 店の奥の方に直径四メートル、高さ五十センチほどの丸い舞台がある。ここで踊るのは分かるが、台の中心にメッキの丸いパイプがあって、あれ、踊りの時に邪魔になるんじゃ、と泰子は不思議に思う。

 天井には大小いろいろな形の照明がぶら下がっている。提灯のような行灯のような何ともいえない物、少なくとも日本の神社、仏閣にはない、ドブ板の店独特の飾りつけだ。舞台の少し奥に大きなカーテンがあって、たぶん踊り子がそこから出てくるのだろう。

 バーのカウンターの脇の小さなカーテンをくぐると、小部屋になっている。ハンガーや物入れが並んでいるのでここは着替え室だと分かる。さらに奥へ行くと二階に上がる階段があった。

「トントントン」二階から女性が下りてきた。初めて見る人だが、ホステスには違いない。

「あのう、比護といいます。上に上がっていいですか?」と泰子は尋ねた。

「あっ、そう、別にいいよ」とホステスは気に留めない。

「失礼します」泰子は静かに階段を上がる。女性の話し声が聞こえてきた。

「こんにちは、比護泰子といいます。掃除とかやらせてもらいます」泰子は部屋に入ると深くお辞儀をした。

「あぁ、聞いてる聞いてる。こんど入った娘ね」と一番年上の感じの女性が手招きする。

 やはりここはホステスの控室だ。畳の部屋、三面鏡が八台も置いてあって化粧品が散らばっている。ホステスは五人いる。なぜか五才ぐらいの男の子が部屋の奥でゴロゴロしていた。

「泰子ね、かわいい娘じゃん、ここ座って」泰子は呼ばれて部屋の真ん中に正座した。五人に囲まれて緊張する。

「私、京子、隣が夏子、広子、幸代、あっ、さっき下に下りてったのが美智子ね、それから最後が清美、そんで清美の子がケンゴよ。それぞれ苗字は、そのうち覚えて」と大雑把に紹介される。

「よろしくお願いします」泰子はあらためてお辞儀をする。

「泰子、あんた中卒でいきなりここに入ったの?」と京子が尋ねる。

「はい」

「そうだよな、そんで十八になったら店に立つんでしょ?」

「はい、そうです」

「ホステスってさ、どんな仕事かだいたいわかると思うけど、ドブ板のホステスって普通じゃないからね」京子が厳しい口調で言う。

「はい……」

「横浜あたりから流れてきた娘はここじゃ務まんない。すぐ逃げだしちゃう」京子は続ける。

「京子さん、そんなに脅しちゃダメだよ。この娘ずうっと居るって決まってるんだからさぁ、徐々に慣れればいいじゃん」と清美がちょっと抑える。

「泰子あんた、男、知ってる?」といきなり広子が遠慮なしに聞いてきた。

「えっ、……」泰子は口ごもった。しかし、そういう話はここでは当たり前の事だろう。

「はい」泰子はしかたなく下を向いて答えた。

「何回やられた」広子が追い打ちをかける。

「……二回です」泰子は恥ずかしさのあまり両手で顔を覆う。

「ハーハッハッ」いきなりみんなが笑い出した。泰子は恥ずかしくて居場所がなく、モジモジする。

「おねえちゃん、ボクで練習する?」子供の声の方を見て泰子は驚愕した。なんとケンゴの顔には直にマジックインクでギザギザの髭とメガネが書かれていてマンガのようだ。しかもケンゴはパンツを脱いで、下半身をさらしているのだ。

「ボク、いじるとちゃんと立つよ」ケンゴは自分で一物をもんで見せた。

 泰子はカアッと顔が真っ赤になって、突っ伏した。

「ハハハッ、泰子、分かる? ここはそういうとこ。ケンゴは男親が誰か分かんないんだよ。生まれちゃったから仕方なく清美が一人で育ててるんだ。子供だけど、ここにいるとみんなのオモチャになっちゃうから、耳年増になっちゃってけっこうヤバイこと平気で言うんだ、ハハハッ」と京子がケンゴを横目で見て笑った。こんな子供が……泰子は覚悟していたが、あまりの事に少し後悔を感じる。


「泰子いる?」マッチさんが上がってきた。

「はい」

「マスターが来てるからおいで」

「はい」泰子は皆に礼をしてマッチさんについて行く。

 緑ヶ丘を少し登ったところにスタジオがあった。中はそれほど広くないが二十畳ほどの板の間がある。別室にマスターとスタイルのいい女性が待っていた。

「泰子、来たか、今日はおまえのテストだ」

「はあ?」テストとは何だろう。今日はあまりに刺激的な事ばかりだ。泰子は不安になっている。

「この娘、新宿のダンサーだ。ダンサーって言ってもストリップのな」と東郷は平然と言う。

 ――ストリップ――泰子は身構えた。

「ハハハッ、ビビるなよ、おまえにストリップやれとは言わないから。十六、七の娘にストリップやらせたら、警察も見逃してくれねえよ」

「はい、わかりました」

「ちょっとセクシーなダンスを覚えてもらうんだ。それくらい我慢しろ」

「はい、お願いします」泰子は覚悟を決めた。

「泰子ちゃんね、これに着替えて」ダンサーが衣装をバッグから出した。

 思ったほど卑猥ではなかった。スカートは短いが、肌の露出は控えめだ。

「じゃあ、ちょっと私の振りをマネして」ダンサーは軽いダンスで、ときどきポーズを決める。

 東郷とマッチが別室から観察している。

「年の割に色っぽいね」

「このくらいの衣装の方が清楚な感じでいいな、これで行こう。おまえ化粧考えろよ」と二人は泰子の売り出し方を考えている。

 ダンサーの指導が終わった。

「オッケー、泰子、ごくろうさん、もう帰っていいぞ。あっ、それから明日、おまえの隣の部屋に美津子っていう女の子が入るから。おまえと同じ仕事だから仲良くな」

 泰子は着替えて部屋を出る。隣に来るのはどんな娘だろう。少し楽しみに思う。

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