フジノヤマイ #4後悔は遅く
***
「…………。」
「………」
ぼくと寺島さんは無言で夕食を食べる。
今日の夕飯はぼくの好きな野菜コロッケだったが、ほとんど味を感じなかった。
「…ごちそうさまです。」
ぼくは早めに夕食を終わらせ、風呂へと向かう。
「…どうしたんだい?歩君。寺島君、君も少し様子がおかしい。」
院長先生は優しい声でぼくに語りかける。でもー
「…すみません。今は、一人にさせて欲しいです。」
ぼくは自分の口から出る言葉が、院長先生に対してひどい態度で返してしまったことを理解するよりも早く風呂へと向かった。
*
ぼくはさっきの出来事を忘れられるよう、身体をよく洗う。しかし、こびりついた嫌な思い出はそう簡単に落ちることはなかった。
身体の泡をお湯で流し、湯船につかる。
「…………」
お湯に入っていてもあふれ出す、翔への想い。
…何で、翔が怒るんだよ。ぼくは二人に食べて欲しかったのに。二人が幸せなら、ぼくはそれでいいのに。
…本来怒る権利はぼくにあるはずだろ。翔も愛梨ちゃんもケーキを食べたじゃないか。それで嫌な顔ひとつせずにケーキを譲れるぼくを、ほめるべきだろ。
…なんなんだよ。『オレはケーキなんか、ぜんぜんいらなかったのに』?なんで感謝の一つも、言えないんだよ…
さまざまな思考が、頭をうめる。しかし、ぼくはその全てをどこかでイラつく自分がいるのを感じ取っていた。
……何で、ぼくがこんな気持ちに、なるんだよ……
「また、悩みごとでもあるのかい?歩君。」
湯けむりの奥の人影が、優しくぼくに話しかける。
「川渡さん…。」
*
「……なるほどな。そんなことが……。それで君は今、翔君に対して強い怒りを感じているんだね。」
川渡さんは優しくぼくに語りかける。
「……はい。でもぼくは、なんで自分が、自分自身に対してもこんな気持ちになっているのかわからないんです。ぼくはただ、二人にケーキを食べてもらいたかっただけなのに……。」
「なるほどな……。」
川渡さんは少し考えこむと、再びぼくに話しかける。
「……歩君。キミは翔君と愛梨ちゃんをどう思っているんだい?」
「どうって……親友です!ずっと昔からの……。だからこそ、ぼくは愛梨ちゃんが来たって知ったとき、二人に食べて欲しかったから、ぼくはぼく自身の分を愛梨ちゃんに譲ったんです。なのに、翔が……。」
すると、川渡さんはぼくの想いが伝わったのか伝わっていないのか、しかしぼくの目を真っ直ぐ見て、言った。
「……歩君。自分が来てしまったせいで大切な友達の分のケーキがなくなってしまったと、知ったときの愛梨ちゃんの気持ちを考えたことはあるかの?」
「………それは………」
「おそらく、翔君も同じ気持ちじゃろう。二人とも、誕生日である君にこそ、ずっと入院している君にこそ、何よりも大切な、親友である君にこそ、ケーキを食べてもらいたかったんじゃろう。じゃからこそ、愛梨ちゃんは君が誕生日であることを知りながらケーキを食べてしまった己の浅はかさに、翔君は親友である自分らに何も相談せずにケーキを譲った君に、怒りを感じたのじゃろう。」
「で、でも!ぼくは翔も愛梨ちゃんも幸せになって欲しいから!だからケーキを譲ったんだ!」
「本当に……そうかの?」
川渡さんは優しく、しかし強い想いのこもった声でぼくに言う。
「自分が我慢すればいい。自分さえ犠牲になれば他のものは幸せになれる。……そう思っているんじゃないかい?」
「……っ!」
そんな川渡さんの指てきは、ぼくの心の奥深くに突きささった。
……そうだ。ぼくはずっとそう思っていた。ぼくががまんして、それで二人が笑ってくれれば、それでいいと思っていた。
しかし、それで二人に自分の不幸をかくすことで、二人がどう思うか、なんて考えたことがなかった。
「………気づいたようじゃな。」
川渡さんは優しくほほ笑む。
「歩君。君はとても優しい子じゃ。しかし、周りにその優しさを振りまくばかりに、あったはずの幸せを見失ってしまう。…時にはもっと欲を出して、自分自身も周りからその優しさをもらうことが出来てこそ、本当の幸せが訪れるものじゃよ。」
「……川渡さん…。」
「…儂自身、孫の事を想うばかりに孫からの大切なものに気付けず、蔑ろにしてしまったからの。……今更悔いても、後悔しきれんがな……」
川渡さんは悲しい目をして言った。
…昨日も言いかけていたが、おそらくお孫さんはもう…
「…川渡さん、ありがとうございます。明日、二人に謝ります。二日間もぼくみたいな若造にお時間を割いてくれて、本当にありがとうございました!」
ぼくがお礼を伝えると、川渡さんは笑顔で返してくれた。
「はっはっは!君の役に立てたみたいでなりよりだわい!若者の悩みを導くのが、年寄りの役目じゃからの!…どれ、そろそろ上がるかの。」
川渡さんが湯船から上がる。ぼくも、川渡さんを追うように湯船から出る。
「そうですね。」
ぼくはタオルをしっかりもって脱衣所へ向かった。
明日、二人にしっかり謝って、それからー
ドサッ
突然、背後からにぶい音が聞こえる。
…嫌な予感がする。
「川渡さん?何かありまー」
振り返って目に飛び込んできたのはー
「川渡さん!!!」
額から血を流し、倒れた川渡さんがいた。
「……う……ぐぅ………」
川渡さんは必死に胸を押さえ、苦しそうにうめいている。
「川渡さん!川渡さん!!」
ぼくは必死に声がけをしつつ、パニックになった頭で状況を分析する。
なぜだ?なぜ急に?
額からの出血は、転んだひょうしによるものだ。おそらく脳へのダメージは直接的な原因ではないだろう。
川渡さんは胸を押さえている。なぜ?
ー儂みたいな老いぼれがー
川渡さんは院内の最高齢だったはずだ。これらのことから導き出される答えはー
「心臓発作…!」
自分に出来ることがないことを悟ったぼくは、助けを呼びに脱衣所へと走る。
「歩君!さっきの音、何があったの!?」
ぼくが風呂から出るより先に、イロさんが飛び込んできた。
「イロさん!…お願いです!ぼくの寿命、全てを差し上げますから、どうか川渡さんをー」
「待て!!」
突然、川渡さんの怒声が風呂に響き渡る。
「…慶蔵!」
イロさんが川渡さんに気付き、彼へと向かう。
「………歩、君。…さっき、言ったばかり、じゃろ。自己犠牲、は…相手に……必ずしも、幸せを呼ぶ…ものではない、と…。」
川渡慶蔵さんは、苦しげに笑いながらぼくに諭す。
「…これは、儂が…願った、代償…じゃ。…最期に……死ぬ前に、一度だけ、天国にいる…孫の顔が……みたい…という、儂の…願いの……」
「……慶蔵…」
イロさんの抑揚なく呟く声からは、どこか悲しいものを感じられた。
慶蔵さんは震える手でイロさんに、触れる。
「…………天使、殿。…儂の……願いを…叶えて、くれて……ありがと…う……。」
…最期に優しく微笑みながら、消え入るような声が風呂場に響いた。
トサ
……慶蔵さんの手が………イロさんを優しく包んでいた手が…地面に、落ちた。
***
目は、冴える。
翔と愛梨ちゃんに対して、とんでもない無礼をしてしまったこと。
間違いを優しく諭しぼくを導いてくれた川渡さんが、目の前で死んでしまったこと。
『死』のしゅん間を見てしまったぼくに対する寺島さんや院長先生達の気遣いさえもが、ぼく自身の罪悪感、やるせなさ、自己嫌悪を加速させていた。
布団に入り、かれこれ2時間。何も出来なかった、今日の自分自身を許せなくて、でも、川渡さんの残した意思を頭で反すうし、それでも、後悔が睡眠をさまたげ続けていた。
「…………」
窓の外、ぼんやりと空をながめるイロさんは、心なしかいつもより光が暗く見える。
「……歩君。」
「……?」
突然、イロさんはぼくに話しかける。
「これが何だか分かる?」
イロさんはぼくの目の前にペンダントを掲げる。
「…これはね、『願いの器』。このペンダントを開いている間に捧げる寿命と願いを言えば、捧げた分の寿命で願いが叶えられるなら、何でも願いを叶えることが出来るんだよ。」
「は、はあ。」
何で突然、そんなことを話すのだろう。
しかし、そんなぼくの疑問をよそにイロさんは続けた。
「これを見て。」
イロさんは何かぶつぶつと言った後、魔法陣のようなものを発動し、純白に光かがやく布を取り出した。
「これは、『天女の羽衣』。なんでも優しく包み込んでくれる。」
説明の後、イロさんは天女の羽衣をぼくに渡す。
「被ってみて。」
ぼくは言われるがままに天女の羽衣を頭からかぶった。
「どう?」
「……暖かいです。」
そう。
羽衣を被ったしゅん間、何とも言えぬ幸福感がぼくを満たした。
「それは良かった。」
イロさんは優しく笑い、ぼくの頭をなでる。
「…何でこんなものを?」
「…いやね、キミが眠れなそうにしてたから、いっそのこと、昔話でもしようかなって。」
イロさんはくるんと飛んで、『魔王と友達』をぼくに投げ渡す。
「面白かったよ。その話。今から話すのはそのお礼さ。別に、聞き流してもらっても構わない。」
そう言ったのち、イロさんはぼくの前に座る。
「…改めて、僕の名前はイロ。『願いの器』『天女の羽衣』を含めた6つの神器を操る、史上最強の天使長さ。」
イロさんは、遠い、遠い昔の、在りし日の物語を、語り始めた。
*
どれだけ時間が経っただろう。
いや、実際はそんなに時間は経っていないのかもしれない。
それでも、イロさんの話す昔話はあまりにも悲しく、儚いものを感じさせ、ぼくに時間を忘れさせた。
「………そんな……そんな、こと。…でも、何で。」
イロさんは何故子供の見た目なのか、何故ぼくや川渡さんのような人の願いを叶えるのか、その全てを知ってしまったせいか、上手く言葉が出てこない。
…この人は、その幼い見た目からは想像もできない思いをずっと、何千世紀も、一人で抱えてきたのか。
「……そんなことがあって、なぜ、天使を未だに続けているんですか。」
この質問に意味がないことは分かっている。
…それでも、天使であり続けることはイロさん自身があまりにも救われないではないですか。
そんな想いがあふれてしまっていた。
「…一つは、さっきも言ったように彼ー転生したヤキョウといつか会えるって、信じているからかな。そしてー」
イロさんは大きく息を吸い込み、吐き出した。
「ーもう一つは、僕が生み出してしまったシキを、いつか必ず見つけ出して、この手で始末するため。」
あまりに冷たいまなざしに、背筋が凍り付く。
「…歩君。”シキ”という名前を聞いたこと、もしくは『聞いたことがある記憶』はないかい?」
イロさんは氷のような声でするどく問い詰める。
「…………シキ、さんですか…。すみません…。聞いたこと、ないです……。」
「………そうか…。」
イロさんはぼくのちぐはぐな答えに納得はしてなさそうだったが、ウソを言ってないことが分かったのか元の優しい黄褐色のひとみに戻った。
「まあ、そもそも天使になった以上は心が朽ちて自然消滅するか堕天して闇に飲まれるかしないと死ぬこともできないんだけどねー。」
イロさんは軽く笑いながらとんでもないことを口にする。
「…そんなこと、」
何で笑って言えるんですか。と、言おうとしたが、昨晩自分も天使になろうとしていたことを思い出し、口をつぐんだ。
「……シキさんも、イロさんにとって大切な人なんですか?」
聞いたらいけないとは思いつつも、好奇心に勝てず口から言葉が出ていた。
「……………まあね。アイツはヤキョウと違って僕が人間だったころに出会い、僕自身の手で生み出してしまった存在だけど。」
イロさんはどこか遠くを見つめて言った。
「…さあ、もう遅い時間だ。僕の人間時代の話はまた今度話すとして、キミはもう寝た方がいい。でもー」
「…?」
「慶蔵の願い、聞いただろう。キミも大切な人がいるのなら、自分が死ぬ前に話しておいた方がいいんじゃないかな。」
「……!」
ぼくはベッドから飛び下り、部屋に設置されてる固定電話に手を伸ばす。
「……お父さん。」
深夜2時を過ぎているのにも関わらず、お父さんはすぐに電話に出てくれた。
『どうした、歩。こんな時間に珍しいな。』
「急で申し訳ないのだけど、明日、会えないかな?」
こんな時間まで働いている両親に無理を言うのは、本当に申し訳なく思う。それでもー
『ああ、そのつもりだったが。今日まではどうしても平日だからと仕事を押し付けられてきたが、年に一度の誕生日だからな。一日遅れですまないが、明日昼頃に母さんと一緒にそっちに向かう予定だったぞ。』
「……ありがとう。」
『何を言う、親が子の誕生日を祝うのは当然のことだ。それにな、』
『父さんと母さんは、何があっても歩の味方だ。何ならお前がどんな道を歩んでもそれがお前自身の道になるならそれでいいと思っているし、止めるつもりもない。お前は今までもこれからも私たちの自慢の子だよ。』
「……お父さん……お母さん……」
ああ。ぼくは本当に幸せ者だな。こんな素晴らしい家族に恵まれて。
『それからーーお誕生日、おめでとう。歩。』
お父さんの優しいほほえみが、電話越しにも伝わってくる。
「……うん!ありがとう!」
ぼくは感謝の気持ちを伝えて、電話を切った。
「…イロさんも、ありがとうございました。」
「もう、悩みは晴れたかい?」
「はい!」
「それなら、これはもういらないね。んじゃ、おやすみ。」
イロさんはぼくから天女の羽衣を受け取り、窓から雲の方へ飛び立った。