フジノヤマイ #2絶望と希望の翼
***
な、何で夢で見たやつがここに…
動ようしているぼくを見すかしたかのように天使は言う。
「最初に言ったでしょ?これは夢や幻なんかじゃない。現実さ。」
「…げ、現実…」
「そうさ、現実。」
ぼくは恐怖でふるえていた。
こんなファンタジーな存在が夢ではない事実と、そしてー
「…ぼく、一週間以内に死んじゃうの…?」
「……そうだね。キミの寿命は一週間以内だ。もしかしたら来週かもしれないし、今、この瞬間かもしれない。」
ぼくはあぜんとした。
…うそ…だろ……
直視しがたい現実が、当然のごとくぼくに、告げる。
「…信じたく無い?誰だってそうさ。……キミの脳が正常に判断できる証さ。」
天使はぼくの心を読んでるかのように話す。
…いやだ……死にたくない……だって…………
「…帰ってください。」
こんなやつ、見たくない。
こいつみたいな非現実的存在さえいなければ、信じる根拠もない。
「…僕の姿を見たく無い?まあ、いいさ。『運命』ってやつから目を背けたいなら逃げればいい。…最も、冷静な判断ができそうにない今のキミに願いを求めるのは僕にとっても、本意じゃない。」
天使は振り返り、窓へと向かう。
「……今晩また来る。…それまでに話を聞けるように納得してくれ。」
天使はそれだけ言い残して夕焼け空へと消えた。
ダァン
「歩君、大丈夫!?急に悲鳴が聞こえたから急いできたけど…」
振り返ると寺島さんがいた。夕飯のじゅんびも放ってぼくを心配してきたらしい。
「……あ、すいません……。ちょっと急に虫が入ってきたので……」
「本当?それなら良かったけど……。」
「……あの、食堂行けそうです!なので先に行っててください!」
「そう?無理はしないでね。」
ぼくは寺島さんが部屋をでていくのを見届けてまたベッドに倒れこむ。
死にたくないという思いと、こんな非現実を受け入れてしまっている自分という矛盾した気持ちを抱えながら。
***
『天使』
『運命』
そんな非科学的な言葉を認めざるを得ない日が来ようとは思ってもみなかった。
確かにぼくが見た天使は夢や幻なんかじゃなく、ちゃんと質量をもっていた。……しかも浮くことも出来たし……。
「…あんなの幻覚にきまってるじゃないか!」
ぼくは声に出して言う事で自分を説得しようとするも、あの天使の姿はいつまでもぼくの脳にこびりついていて離れない。
「はぁ……」
深くため息をつく。
「大丈夫?…やっぱり、さっき私がいない間に部屋で何かあったの?」
隣でぼくが食べるのを見守る寺島さんが聞く。
「……寺島さん、天使っていると思いますか?」
「……天使?いるんじゃない?……詳しくは知らないけど。」
「ですよね……」
「どうしたの?突然。」
「いや、さっき変な夢を見てそれで……。」
ぼくは夕飯のチキンカツを口にほおばりなから言う。
「……そっか……歩君、怖い夢でも見たのかな……?」
寺島さんは心配そうな目でぼくをみる。
「……まあ、そんなとこです。……すいません、変なこと言って。」
ぼくは慌てて寺島さんに謝る。
「ううん、気にしないで!……そうだ、歩君、最近病院の近くで新しいケーキ屋さんができたの知ってる?」
寺島さんは妙にそわそわしながら言った。
「……知らないです。」
ぼくは夕飯をほおばりなら答える。
「良かったら明日、案内しようか?気分転換にもなるだろうし!」
「そうですね……じゃあお言葉に甘えちゃおうかな。」
ぼくはすこし苦笑いをしながら言う。
「うん、任せて!」
寺島さんは笑顔で言う。
「ありがとうございます。……ごちそうさまでした。」
ぼくは夕飯のチキンカツをたいらげて手を合わせる。
「はい。お粗末さまでした!」
寺島さんがお皿を片づける。
「……じゃあぼく、お風呂行ってきます。」
「行ってら……」
そこまで言いかけて寺島さんはぼくの方を向く。
「お風呂、一人で入れる?一人じゃ怖いなら私が付いていこうか?」
「いや、大丈夫です。もう3年だし。」
ぼくは寺島さんの言葉に慌てて返す。
「……そう……わかったわ……でも何かあったら言ってね。」
「はい。ありがとうございます。」
*
だついじょで服を脱ぐうち、鏡に写る自分が見える。
……なんて顔してんだよ、ぼく。
鏡に映る自分の顔をのぞきこむ。
顔色がすこぶる良くない。……まあ、あんな非現実的なことがあったあとじゃ仕方ないのかもしれないけれど……。
「っ!?」
その時、ぼくはあの天使の言葉を思い出す。
ーキミの寿命は一週間以内だ。もしかしたら来週かもしれないし、今、この瞬間かもしれない。
そんなバカな……とひていしようとするも、あの天使のきおくがそれをじゃまする。
「くそっ!」
ぼくは自分のほほを叩く。そしてお風呂へと入っていく。
「はぁ……」
湯ぶねにつかりながらぼくは今日何度目かのため息をする。
……何でぼくがこんな目にあわなきゃいけないんだ。
死ぬのはいやだ。
でも、実際に『死』という言葉を突きつけられたとき、きょうふでなにも考えられなかった。……いや、考えたくなかったのかもしれない……。
「……歩君?」
「!?」
突然後ろから声をかけられておどろく。
振り返ると入院している患者で最年長の川渡さんがいた。
「何か悩んでいる様子だが、大丈夫かの?儂みたいな老いぼれでよければ相談のるぞ?」
川渡さんはほほ笑みながら言う。
「……いや、大丈夫です……。」
ぼくはすこしだけ顔を下に向けて答える。
「噓、じゃな。」
川渡さんの言葉に思わずドキッとする。
「儂は結構長く生きてるからの。それぐらいわかるわい。」
「……そうですか。」
「どれ、儂に言ってみい。悪いようにはしないぞ?」
川渡さんは湯ぶねにつかりながら言う。
「いえ、本当に大丈夫なんで……。多分、信じられないだろうし……。」
ぼくはそう言って出ようとするも、川渡さんに止められる。
「まあ待て。年寄りは若者の話を聞くものじゃ。」
川渡さんは、ぼくが話始めるまで湯ぶねからでようとはしなかった。
*
「……それは確かににわかには信じられんのう……。」
川渡さんが言う。
「そうですよね……自分でもこんなこと、信じられませんし。」
ぼくは苦笑いしながら話を切り上げようとする。
「いや、信じるぞ?儂はな。」
川渡さんはぼくをまっすぐ見て言う。
「え?」
ぼくは思わず聞き返す。
「実はの、この病院にはある噂話があってな。ー老い先短くなった老人に願いを叶える天使様が舞い降りるといったものじゃ。お前さんの話と全く同じじゃの。」
「そんな……」
ぼくは信じられなさすぎて言葉を失う。
「まあ、この噂については儂も半信半疑でのう。……ただ、お前さんが今悩んでいることはその『天使様』と関係があるんじゃないのか?」
川渡さんはそう言う。
「……そうかもしれません……。」
「なら、最後まで聞くべきだと思うぞ?……それでお前さんはどうしたいんじゃ?」
「どうって……?」
「だから、天使様に何を叶えて欲しいのかじゃよ。」
「あっ………」
ぼくは天使が最初に言ってたことを思い出す。
ー幸運にも天使であるこの僕を見つけられたキミは願いを叶えることができるー
そうか、まだ自分にはなんとかなるチャンスがあるかもしれない。
「あの、ありがとうございました!」
ぼくは川渡さんにお礼を伝える。
「はっはっはっはっ!気にするでない!こんな老いぼれ褒めても何も出てこんわい!…お前さんの役に立てたみたいでなによりじゃ。」
川渡さんはそう言って笑った。
「さて、儂はもうあがるとするかの。」
ぼくは笑顔でうなずく。
「……そうですね!」
ぼくも一緒に湯ぶねからあがる。
「…あの、」
「何かね?」
「もし、失礼なければでいいんですけども、川渡さんなら何をお願いするんですか?」
「儂か?儂だったらの………孫の顔がみたいと願うかのう……。」
「えっ?」
川渡さんの言葉にぼくは戸惑う。
「はっはっはっ!冗談じゃよ!……そうさな、もし儂に力があるならこんな老いぼれが上に行かんようにしてもらいたいわい!」
そう言って川渡さんはまた笑った。
そうか、この願いならー
ぼくは希望を抱いて風呂からあがった。
***
うす暗い渡りろう下を歩く。
ガチャリ
自分の部屋に入ると、青白い月明かりとともにまばゆい白い光に包まれたー
「ーこんばんは、橙歩君。話を聞く準備は出来たかな?」
天使が、いた。
「はい。…覚えててくれたんですね、ぼくの名前。」
「そりゃあーー自己紹介したのに名前、憶えてなかったら、ね。」
天使ーイロさんは当然のごとく告げる。
「…それで、願いは決まったのかな?歩君。」
「はい、決めました。ぼくの願いはー」
ぼくは大きく息を吸いこむ。
「ぼくを『普通の人』みたく長生きさせて欲しいです。」
「………………。」
イロさんは少し考えた後、こう言った。
「…それは、寿命を延ばして欲しいってことかな?……残念ながらその願いは、かなえることができない。」
「えっ…………」
「僕が最初に言ったようにこのペンダントに捧げる寿命の長さと願いを言えば当価値以上であった場合は理論上どんな願いでも叶えることは可能だ。…しかし、キミのその願いの内容だと、例えば寿命を70年延ばして欲しい場合なんかは同じく70年分の寿命が必要なんだ。…つまり、最長でも一週間しか寿命が残ってないキミは最長でも一週間しか寿命を延ばすことは出来ない。ただしねー」
イロさんは続ける。
「このペンダントで願いを叶えたものは本来の寿命で迎えた死因に関係なくその身体は期日を迎えると心臓の活動を停止する。いわば、心臓麻痺となる。…期日までに自殺でもしない限りはね。要するに、キミの死因を『何か』から『心臓麻痺』に変えることは実質代償なしで叶えることは出来るよ。」
「そんなの……」
意味、ないじゃんか。
けっきょく、寿命を延ばすーぼくが長生きすることができないのならば、意味のない提案じゃんか。
それにー
「ぼくはぼくの死因、大体分かってます。…誰が喜ぶんですか、その提案。」
ぼくは自身の胸にあるいくつもの縫合痕、自身の持病である『肺総静脈還流異常』を思い出しながらいった。
「未知よりはいいかと思ってね。キミが不満なら忘れていいよ。」
「……」
「…さて、さっきのキミの願いがかなえられない以上、キミは次に何を願うのかな?」
そんなもの、無いよ。
ぼくは大人にならなきゃいけなかったのに…
「…今のキミに次の願いを聞くのは少し酷かな。叶えられる願いの個数には制限は無いからゆっくり考えると良いさ。」
「…あの、」
「?なんだい?」
「イロさんだったら何をお願いするんですか?」
ただの何気ない質問、あるいは自分の参考にする程度のつもりだった。しかし、返ってきた答えはー
「…僕か。…僕だったら…………『人間に戻して下さい』、とかかなぁ…」
「え?」
「‼︎」
突然イロさんはバツの悪そうな顔をしたが、すぐに平静をよそおった。
「…人間、だったんですか?」
「………」
「天使って、元は人間なんですか?」
「……」
「ぼくも、……天使になれますか?」
「それはダメだ!」
「⁉︎」
「!……」
気まずいちんもくが流れる。
「…お願いです、イロさん。ぼくを、天使にしてくれませんか?」
「……何で、天使になんかなろうとするのかな。」
「…それはー」
ぼくは、両親から聞いた7年前の自分の記おくを思い出すー
***
「ー歩!あゆむ!」
「先生!歩はどうにかならないんですか⁉︎」
「ー我々も最善は尽くします。しかし、現在の歩君の状態は非常に良くありません。…こんな事、ご家族の方には言いたく無いのですが、……万が一の場合を想定していて下さい。」
「そんな…!歩!あゆむ!」
手術室の外で、橙歩の両親は叫ぶ。
ピクリ、ピクリと、橙歩の心臓はか弱く鼓動するが、次第に弱くなっていく。
「おい!脳に酸素が行き届いてないぞ!」
酸素供給装置がピーと、音を立てる。
「先生!原因は分かったのでしょうか?」
酸素供給装置を操作する看護士が言う。
「…恐らく、動脈血が上大静脈に流れており、脳や全身に酸素が行き届いていない。……こんな症例、聞いたことない……」
「そんな……!」
再び、酸素供給装置がピーと音を鳴らす。
「先生、どうにかならないのでしょうか……」
「……患者に残された時間は少ない。こうなったら、一か八かだ。肺と左心房を無理やり人工的に繋げる。」
「…先生!それは一歩間違えれば……」
「…ああ。だが、やるしかない!」
主治医は、メスを取り出した。
***
「…きせき的にぼくは助かって、手術を終えました。その時にぼくを救ってくれた医師のみなさんにあこがれて、医者になりたかったんです。」
「…それがキミが医者になりたい理由かい?」
「医者になりたい理由はもう一つあります。」
ぼくはイロさんに向けて言う。
「…手術でばく大な治りょう費がかかり、現在遠くで働いている両親に恩を返したかったんです。もちろん、そのための努力もいっぱいしてきました。」
「…………」
「少しずつでも一歩一歩、努力すればいつかは夢は叶うと思ってました。しかし……」
ぼくは歯を食いしばり、続ける。
「………半年ほど前に悪化して、この病院に入院して検査を受け始めました。それでも、いつかは良くなると思ってたのに……」
「……それで、少しでも誰かの役に立ちたいと残された寿命で自分に出来ることは何かないかと考えた結果、天使になって皆を救うことだと。」
「はい。……イロさん、お願いします。」
ぼくは、まっすぐイロさんを見て言った。
「………………天使になるのに願いの力は必要ないよ。」
「え?」
ぼくは思わず聞き返す。しかし、イロさんは続ける。
「…誰かからの寵愛を受ける者が、聖なる地で生きたままその身を土に還すことで、稀に天使へと転生することがある。」
「それって……」
「……つまり、天使になるには聖地にて生き埋めになる必要がある。それでも、天使に必ずなれるとは限らない。」
イロさんは答える。
……それでも、いい。ぼくは、ぼくを救ってくれた皆に、恩を返すんだ!
「……273億4091万3426」
「え?」
「…何の数字かわかる?……僕が天使となってからの9億年間で僕が会って、キミと同じように願いを叶え、…死んでいった人の数だよ。」
「!……」
「キミの言う『皆』はキミと関わった人の事を指しているのだろう。でも、『皆』が死んでも、天使のままなんだ。その先ずっと、僅かに自分が見える誰かの願いを聞いて、叶えて、死んでいくのを見守る生活。相談してくれる人は誰もいない。……そんな生活、耐えられる?」
「…………」
「それでも、キミは天使になりたいかい?」
言葉が、出てこなくなった。
誰とも話せない孤独、知り合う人々が皆すぐ死んでしまうわびしさ。そういったものをこの人はずっと経験してきて、そんな思いをしてほしくないからこそぼくに警告してくれているのだろう。
「…なら何で、やり方を教えてくれたんですか。」
「それは…………」
イロさんはどこか遠くを見つめた後、言った。
「……遠い昔の誰かに、キミを重ねたからかな。……キミには、愚かにもやり方を知って天使になった彼みたいにはなって欲しくないからね。」
「……それって……」
ぼくが続きを言うより前にイロさんは言葉をさえぎる。
「ごめんね。幼い子にこんな事話して。……さあ、もうこんな時間だ。明日、ケーキ屋に行くんだろう?早く寝た方がいい。」
イロさんはそう言って、窓から出て言った。