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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

泣かないで、勇者様

作者: 間孝史



「本当に泣き虫だなぁ、お前は! 俺、泣き虫は嫌いだぞ!」

「だって、だって、おいてっちゃ、やだもん!」


 呆れたように笑う少年に、ピュリアは大声を上げて泣き出した。

 

「お前、足が遅いんだよ。すぐにバテるし。お前のペースに合わせて走るの、疲れるっつうの」

「バテないようにするもん! 足、早くなるもん! だから、置いてっちゃやだ!」


 ピュリアの足は小さく短くて、ちょこちょことしか走れない。

 昔から、こうなのだ。生まれた時から、何故だか皆より一回りも二回りも小さくて。

 本当に育つのか、なんて両親にも心配されていた。

 

 それが分かってるだろうに、少年は容易く追い抜き、すぐに先へ先へと駆け出していってしまう。

 

「わぁん! わぁぁぁん!」

「泣くな、喚くなって!」


 でも、いつも最後には。

 しょうがねぇなぁって顔をして、ピュリアの手を引いてくれるのだ。

 

「そんなんじゃ、俺の家来にはなれないぞ! 俺は勇者になって、悪い魔王をやっつけるんだからな!」

「えぐっ、えぐ……ゆーしゃに、なるの?」


 少年は、いつもキラキラとした顔で、ピュリアに夢を語ってくれた。

 

「そうだ! すっごく強くなって、皆からも尊敬されて、色んな人から褒められるんだ!」


 美味い物をいっぱい食べて、お金持ちにもなって、皆から勇者様! 勇者様! って尊敬されたい。

 そいで、綺麗な女の子とかをパーティーに加えて、楽しく冒険とかをする。絶対にする!

 そう、少年は言い切った。

 

 幼いピュリアは、そんな欲望に塗れきった少年の夢を、『スゴイ、楽しそう』としか思わなかった。

 

「わたしも、したい! 冒険、したい! 一緒に、いきたい!」

「でも、お前はチビだし、体力もねえからなあ……」

「行く! 行くんだもん! ゆうしゃさまの仲間に、なるんだもん!!」

「わかった! わかったから泣くな! じゃあ、お前も俺のハーレムのまっせきに加えてやるよ!ありがたく思え!」

「わぁい! まっせきー! はーれむ!」

 

 言葉の意味も良く分からないまま、ピュリアははしゃぐ。

 少年は、ため息を吐きながらも、その手を離さない。


「ずっと、いっしょだよ! ゆうしゃさま!」 

 

 いつもの光景。いつもの日常。

 ずっと続くと信じていた、夕暮れ時の、その約束。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ■

 

 

「でぇぇぇい!!」


 裂ぱくの気合と共に、青年は剣を振り下ろした。

 光さえ霞むような速度の斬撃は、狙い誤らず、魔物の巨体を縦一文字に叩き切る。

 叫びさえ上げられず、一つ目の巨人は己が肉体を二つに分け、血飛沫と共に大地に倒れ伏した。

 

「勇者様! やりましたね!」


 ピュリアが叫ぶ。流石は勇者様。こんなデカい魔物だって一刀両断だ!

 

「騒ぐな、騒ぐな。これくらい、大したことはねぇって。なんたって俺は勇者だからな!」


 かかか、と大口を開けて笑い出す勇者。

 ピュリアは、血にまみれたその体を拭きながら、ニコニコ笑う。

 

「おい、シーラ。回復魔法を掛けてくれよ。いつも通り俺だけだ。コイツはいいから」

「あのチクチクしたの、癖になるのに……」

「うるせぇ、バカ。そら、邪魔だから離れてろよ」


 勇者に押しのけられ、ピュリアは少しだけ頬を膨らませた。

 代わりに彼の前に立ったのは、蒼い髪の美女だ。

 白雪のように透き通った肌、煌めくような碧の瞳。

 さらさらとした髪は、風に靡いてふわりと良い匂いを漂わせる。 


 ピュリアは、ムムムと唸り、自分の体に香水を振りかけた。

 

「……いつまで、こんな事をするのです?」


 美女――シーラは、ピュリアを横目で睨み付けた。

 まるで、汚物をみるような瞳。ちょっと怖いとピュリアは思う。

 

「何がだ。別に良いだろ」

「あんな娘、早く放り出してしまいなさい。それが、貴方の為ですよ」

「うるせぇ。アイツは俺の家来だ。余計な口を出すな」


 忠告はしました。そう言って、シーラはまたピュリアを睨み付けた。

 光の聖女と謳われた彼女は、どうしてもピュリアの存在を許せないらしい。

 

(やっぱり、私がこんなんだから、いけないんだよね……)


 だったらせめて、お荷物にはならないように、頑張らなくては。


「おい、勇者! こっちは片付いたぞ!」

 

 向こうから、仲間達の声が上がる。

 

「よしよし、コレで討伐完了だな。おい、行くぞ!」

「はぁい、勇者様!」


 ピュリアはもう一度香水を体に振りかけ、彼の後を追った。

 

 

 ◇ ◇ ◇ ■ ■

 

 

「シーラ様、援護を! ゾンビくん、スケルトンさん、お出でませ!」


 ピュリアが手を掲げると、大地に魔法陣が輝き、そこから死霊達が這い出てくる。


「さぁ、魔物達をやっつけて!」


 あいあいさーと、何十体もの死霊達が、魔物の軍勢とぶつかり合う。

 

「ナイスだ、ピュリア! そのまま抑えておけよ!」


 その隙を突くように、勇者が全身から光を放ち、一気呵成に魔物の首魁へと飛びかかった。

 

「勇者・無敵斬り!」


 ネーミングセンスもへったくれも無い一撃は、しかし魔物の固い鱗さえも易々と切り裂き、その首を刎ね飛ばす。

 

「やった! 流石、勇者様――あっ!?」


 彼の活躍に見惚れていて、油断した。

 死霊の軍勢を抜いてきた魔物の一匹が、牙を剥き出し、ピュリアの首筋目がけて飛びかかって来たのだ。

 

「……ふん」


 血飛沫が舞う。肉を咀嚼される音が響くが、傍に居るシーラはこちらを一瞥するばかり。

 見上げた目に映った聖女の顔は、歪な喜びに彩られていた。

 

「何をやってやがる!」


 慌てて戻って来た勇者が、ピュリアを食んでいた魔物を、あっという間に切り伏せる。


「おい、シーラ! 何をボサッと見てやがった!」

「良いではないですか。ここで喰われて居なくなった方が、彼女にとってはマシというものです」

「てめぇ!」


 ケンカは良くない!

 ピュリアは慌てて立ち上がり、二人の間に割って入る。

 

「寄らないでください、汚らしい!」


 しかし、シーラに振り払われ、ピュリアは尻もちを付いてしまった。

 

「いい加減にしてはどうです!? 『死霊術』等と言う、おぞましき術を使ったこの娘を、いつまで連れ歩くのですか!」

「おい、言い方ってもんを――」

「事実でしょう! 戦士アイルズも、聖騎士トゥルーブも、それがゆえに貴方の元を去った! 私だって、貴方が神託の勇者で無ければ、ここまで着いて来ようとも思わない!」


 言い争う二人の姿に、ピュリアはしょぼんとするばかり。

 自分は頭が良くない。最近は更に悪くなった気さえする。

 

 ピュリアは香水を取り出し、自分の体にせっせと振りかけた。



 ◇ ◇ ◇ ■ ■

 

 この国の子供達は、一定の年齢になると『儀式』によって、自分が得意とする『技能』を判別する。

 四属性魔法や卓越した剣技、精霊への親和性。それらが予め分かるだけでも進むべき道は見定められる。

 そんな時、幼馴染の少年は何と『光の大精霊』への親和性――すなわち、勇者としての適性を認められたのだ。

 

 その日の興奮と落胆を、ピュリアは今でも覚えている。

 やっぱり、少年は勇者なのだ。ピュリアの勇者様なのだ!

 だったら、きっと自分は、彼の家来として役に立つ技能を――

 

 しかし、現実は無常だった。

 

 『死霊術』

 

 それが、少女に与えられた適性。命を弄び、死した肉体を自在に操る邪法。

 本来、魔に属する者にしか使えない筈の、おぞましい呪われた力だった。

 

 魔物の擬態を疑われ、大人たちに捕まりそうになったピュリア。

 両親に助けを求めるも、彼らが娘を見る目はもう、昨日までとは変わっていた。

 おぞましい、汚らしい物を見る瞳。絶望するピュリアを救ってくれたのは、やはり『勇者様』であった。

 

『ピュリアを離せ、そいつは俺の家来なんだ! 手を出したら、タダじゃおかねえ!』


 少年が、己の力に目覚めたのは、その時だった。

 まばゆい光を持って、大人たちをなぎ倒すと、泣きじゃくるピュリアを抱え、周囲を睨み付けた。

 

『俺は勇者だ! 逆らうんじゃねえぞ! 魔王を倒して欲しかったらな!』


 ――魔王。それは、突如としてこの世に現れる、邪悪の化身。

 数多くの魔物を操り、諸国を欲望のままに喰い散らし、滅ぼしつくす。

 倒せるのは、光の大精霊に選ばれた、『勇者』のみ。

 

 魔王と勇者、光と闇の戦いは、そうして古来より、延々と続いていた。

 

 勇者はその権限を持って禁じられた書を取り出すと、ピュリアが乞うままに与えた。

 ピュリアは独学であるが一生懸命勉強し、腕を磨いた。

 不思議な事に、本を読み解くごとに、何処からか『声』が聞こえて来て、ピュリアを導いてくれるのだ。

 死霊術の扱い方、馴染ませ方、その全てを、悉く。

 そうして十六を数える頃には、ピュリアは完璧に死霊術をマスターしたのである。

 

『光と闇が合わされば、それ最強じゃね? 勇者である俺の家来に、相応しい力だ! へこむな泣くな、胸を張れ!』 

 

 その間、彼女をずっと守り続けてくれたのは、『勇者』だ。

 

 彼は、強い。心も身体も、誰より強い。

 両親が流行病で亡くなった時でさえ、涙を溢すことさえしなかった。

 ピュリアは一度も、彼が泣いた所を見たことは無い。

 

 いつも高らかに笑って、涙ぐむ自分を庇い、慰め、力づけてくれる。

 大好きな、大好きな勇者様。

 

 だから、ピュリアの全ては彼の物。彼の為だけに、この命は在るのだ。

 

 

 ◇ ◇ ■ ■ ■

 

 

「もう、耐えきれません。私の旅はここまでです」


 聖女シーラがそう宣言したのは、魔王討伐に出てから、三年ほどが過ぎた時だ。

 魔王の住まう領域、その間近にまで迫った所で、彼女はパーティーから離脱する事を選んだ。

 

「せめて、神の加護が貴方に在るよう、この印を通して祈りつづけましょう」


 シーラはそう言って、勇者に聖なる紋章が刻まれたペンダントを手渡す。


「常にそれを、身に付けていなさい。光の力は強まるはずです。気休めくらいには、なるでしょう」

「そっか……悪いな。お前には色々と面倒かけて、すまねえと思ってる」

「謝るくらいなら、最初から――いえ、言っても無駄ですね。諦めました。貴方は、強すぎる。誰ひとりだって、肩を並べる事すら出来やしない。回復魔法だって、本当は必要なかったのでしょう?」


 あの娘と同じで。

 そう言って笑うシーラの顔は、少しだけ寂しそうだった。


「結局、無駄でしたね。貴方の試みも、私の努力も全て無駄。だったら、貴方も諦めれば良いのに。私はもう、彼女を見ているだけで辛いんです」

「……やめろ。俺はまだ、諦めてねえ。まだ、試して無い事はある」

「何処までも立派な『勇者様』ですね、貴方は。だからこそ、吐き気がするくらいに、おぞましい。この先に待っているのが何なのか、それが分からない筈はないでしょうに」


 シーラはかぶりを振り、踵を返そうとする。酷く疲れたような、その仕草。

 堪え切れず、ピュリアは聖女に声を掛けた。

 

「シーラさま、ごめんなさい……」

「言わないで。貴女の傍に居るのはもう耐えられないの。馬鹿なことをしましたね、本当に」


 そうかもしれない。

 でも、バカなピュリアに考え付くのは、これくらいだった。

 

 ピュリアはフードを被ったまま、香水を自身に振りかける。


 そんなピュリアを憐れむように一瞥し、シーラは去って行った。

 

「勇者、さま……」

「教会も認めたことだ。仕方ねえ。後は、俺達二人で魔王を倒すぞ」


 なんてことはない口調でそう言って、勇者はピュリアを手招き、歩き出す。

 

 ピュリアは足を引きずりながら、その後を追った。

 最近は、少し短くなったせいか、歩きにくい。昔に戻ったみたいだ。

 そんなピュリアを呆れた風に見ると、勇者はその手を掴み、子供の時と同じように、歩き出した。



 ◇ ■ ■ ■ ■

 

 

「そら、メシだ! 美味そうだろう! 喰え、喰え!」


 山盛りの肉を抱え、勇者はピュリアの所に戻ってきた。

 街から離れた森の木陰。そこにシートを敷き、ピュリアと勇者は食事をする。


「おい、溢してるぞ。仕方ねえなあ……」

「ごめんなさい、ゆうしゃさま」


 口元から、ポロリポロリとこぼれる肉を、勇者が拾って食べさせてくれる。

 最近は、歯もあまり上手く噛みあわないのだ。

 

 勇者が、シートの上に転がった白くて小さな物を見て、何とも言えない顔をする。

 

「ゆうしゃ、さま?」

「何でもねえよ。食べかすだ」


 何故だかそれを懐に仕舞い込み、勇者は食事を再開する。

 

「……ごめんなさい、ゆうしゃさま」

「謝るなら、ちゃんと喰え。ほれ、喰え喰え」


 勇者は肉を小切りにし、ピュリアの口に運んでくれた。

 大好きだった、山羊のお肉。でも、今は何故か。あまり味がしない。

 

「やかないほうが、おいしいかも」

「そっか。まぁ、それならそれで別にいいんじゃねえか」


 勇者はピュリアの呟きに、何でも無さそうに答え、生肉を差し出してくれた。

 

「ごめんなさい、ゆうしゃさま」

「謝るなよ、バカな奴だなあ」


 そう言って笑う勇者がとても眩しく見えて、ピュリアは無意識の内に香水をまた、振りかけた。

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 ここは、最接近領に築かれた砦。

 人類の盾となるべきその場所には、猛者たちが集まっている。

 しかし、誰もが勇者とピュリアを遠巻きに見るばかり。

 その口ぐちに上るのは、英雄を賛美する声ではなく、彼らを畏れる言葉だけ。

 

 ――あれが、死ねば。次は、もっと素晴らしい勇者が誕生するのでは?

 ――おぞましい娘を連れ歩く、呪われた勇者だ。


「へっ、ビビリ共が。精々そう言って喚いてやがれ」


 砦を急襲した魔物を苦も無く打ち倒し、勇者は笑う。

 彼の力は、日を増すごとに強まっているようだった。

 

 ――恐ろしい、おぞましい。 

 ――あの強い光の輝きが、何よりも恐ろしい!

 

 それらの陰口を、何てことはなさそうに流し、勇者はピュリアの手を引く。

 ぽとり、と。ピュリアが羽織ったローブの裾から、何かが零れ落ちた。

 

「おい、また落ちたぞ」

「あ、ごめ、なさい……」


 爛れてぐちゃぐちゃになりかけたそれを受け取り、腕のあった場所に嵌め込む。

 勇者がマントで隠してくれたから、周りの者達には見えていないようだ。

 

「も、だいじょ、ぶ……」

「そっか。じゃあ行くぞ」


 勇者は歩く。いつもみたいに、ピュリアの手を引いて。

 


 ■ ■ ■ ■ ■



 ――魔王城。

 それは、この世の醜悪を塗り固めたような、おぞましい場所であった。

 瘴気により、捻じれ曲がった木々や岩。それらが肉塊と一体になり、奇妙に脈打っている。

 

「みんな、い、って……」


 ピュリアが手――だったモノを翳す。

 魔法陣が地に空に、四方八方に浮かび上がり、膨大な数の死霊が溢れ出て、魔物達を呑み込んでいく。

 

「やるな! 流石は俺の家来だ!」


 彼に褒められるのは、すごく、すごくうれしい。

 ピュリアの力も、勇者のそれと呼応し、互いに高め合うように、かつてない程の強大な力を顕現させていた。

 

「光と闇が合わされば――って奴だな! 俺達は最強だ! 行くぜ!」

「は、い……」


 瘴気を切り裂くように光の剣が舞う。

 それを、ピュリアは、とても綺麗だと、そう思った。

 

 勇者の力を、如何に温存させたままに魔王の元へ辿り着くか。

 ピュリアは、己の持てる力を最大に振るい、道を切り開いてゆく。

 

 そうして、『魔王城』の最奥に、遂に二人は辿り着いた。


「オォォォ……カンジ、ル……オォォォ……ドウホウの、ケハイ……」


 床も壁も肉塊に包まれた、奇怪な空間。

 そこに浮かぶは黒い、黒い大きな影。

 ――それが、魔王の正体であった。

 

「シュクフクサレタ、ムスメヨ。ワガウンメイ、ヨ……オノレガ、カエルベキ、バショヘ……コイ……」


 魔王の体から、黒い波動が放たれる。

 空間そのものを歪ませるがごときそれは、勇者を弾き飛ばし、ピュリアのローブを引き裂いた。

 

「ウツクシイ……ウツクシイゾ……」


 顕わになった体を見て、魔王が嗤う。

 ピュリアは、己のそれを見下ろし、深く、深くため息を吐いた。

 

 奇妙にねじくれた足。骨がはみ出しかけた腹。腐りかけた肌。

 今の自分は、おぞましい不死人ゾンビそのものであった。

 

「ヨクキタ、ワガ ハナヨメ ヨ…… サア、ココニ コイ。 トモニ セカイヲ ウツクシキ モノ ニ ソメアゲヨウゾ」


 ピュリアは、黙って右腕を上げた。

 

 空間に魔法陣が走り、死霊達が飛び出す。

 それらは、勇者を庇うように整列し、魔王目がけて突進してゆく。


「ナゼ、ダ……? ナゼ……? オマエハ エラバレタ ムスメ ナノニ…… アノヒ ワタシガ マイタ ハナヨメノ インシ、ノ……」

「やっぱり、テメエか……」


 勇者が、ゆらりと立ち上がる。

 その体からは、かつて見たことも無い程の怒気が立ち昇り、目も眩むような光が迸る。

 

「テメエが――ピュリアを!」


 勇者の放つ光の剣閃が、影を切り裂いた。

 

「ワレノ ハナヨメダ…… ソノショウコニ ソノムスメハ ジブンジシンニ コクインヲ キザンダ デハ ナイ、カ……」


 そう、そうなのだ。『魔王』の言う通り。

 ピュリアは、ピュリアの体はもう人間のものではない。

 

 旅に出て、一年目。勇者を庇って魔物の攻撃を受け、ピュリアは致命傷を負った。

 息も絶え絶えの中、脳裏に閃くような、『声』が聞こえた。

 それは、ピュリアの耳元に生き延びる『術』を囁き述べる。


 躊躇しなかったといえば、嘘かもしれない。

 それを使えば、最後。自分は、きっと――


 迷いを振り切らせたのは、やはり勇者であった。

 必死にピュリアを手当し、命を繋ぎとめようとした、彼。

 その眼に見たことも無い滴が溢れそうになるのを見て、ピュリアは決断した。

 

『ずっと、いっしょだよ! ゆうしゃさま!』


 禁忌の禁忌。それを己に使用したのだ。

 死霊術の奥義である――死霊転化の術法を。


 そうか、あの声は――


「サア、コイ。ワガ、イトシノ ハナヨメヨ――」 


 心に忍び寄って来る、甘い誘惑の囁きを、しかしピュリアは振り払う。


「わた、し……ゆ、しゃさま、の、けら……」


 全ては、彼の為。この命の全ては、彼の物。

 彼が嫌だと言うまで、付いていくのだ。どこまでも。

 

 腐りつき、鈍る思考の中で、それだけがピュリアの望みだった。

 それだけが、ピュリアの救いだった。

 

「だから、あなた、もの、なら、ない……」


 怒号と咆哮。それは、誰が上げたものか。

 持てる限りの力を尽くした戦い。その天秤は、次第に勇者とピュリアに傾いていく。

 

 当然だ。勇者は言っていた。

 光と闇が合わさった自分達は――『最強』だと。

 

「ワレガ キエレバ、マノ チカラハ――」


 何かを叫ぼうとしたその口を、ピュリアは咄嗟に死霊術で塞ぐ。

 それを言わせてはならないと、何となく悟っていたのだ。

 

「ゆ、しゃ、さま!」

「……あぁ」


 一度だけ、勇者はこちらを振り返った――ように思える。

 もう、前がよく見えない。目玉が腐り落ちたのかもしれなかった。

 感じる気配だけで、ピュリアは戦っている。

 

「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 見えぬ目で、確かにピュリアは『視た』

 絶叫と共に、極限の光が剣に収束し、魔王の巨影を拭き散らしてゆく。

 

「コンナ、ナゼ――ワガ、ハナヨメ――」

「テメエの花嫁じゃねえ! こいつは俺の、俺だけの――」


 後は、言葉にならなかった。

 叩き落されるように降り注ぐ、滝のような光の奔流。

 それは魔王を打ちのめし、砕き、消し去ってゆく。

 

 その瞬間、ピュリアの体が、ふわりと軽くなった――気が、した。

 

「ピュリア!」


 誰かが叫び、ピュリアの体を抱き留めてくれたようだった。

 答えようと指先だったものを動かそうとするが、ぴくりともしない。


「動くな! 指が、体が、崩れて……!」


 ああ、そうか。そうなのか。

 ピュリアは満足げに、息を吐き出した。

 これで、自分の旅は終わりなのか。

 

 これで、やっと勇者は解放されるのか。

 

「ゆ、さ、ま……」

「クソ! 待ってろ! クソ! 崩れるな! 崩れるなって言ってんだろ! 俺の言う事が聞けないのか!」


 家来の癖に! そう、勇者が叫ぶ。

 ポロポロと、ポロポロと。何かがピュリアの頬を濡らす。

 もう、感覚すらほとんどないのに、どうしてだろう?

 

 それを、ピュリアは暖かいと、そう感じた。

 

 ――だいすきな、ゆうしゃさま。

 ――とてもとてもたいせつな、ぴゅりあだけの ゆうしゃさま。

 

 いつかのあの日、夕焼け空の下で呆れたようにこちらを見る、少年の顔が浮かぶ。

 泣き虫は嫌いだって、そう言ってた彼。

 なのに、今は。今は、彼の方が――


「――で、さ、ま……」

「ピュリア!」


 叫びと共に、大きな、大きな光が弾け――

 

 

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 ――そうして、ピュリアは『目』を開いた。

 

「あ、れ……?」


 声が、出る。しゃがれた、潰れたそれではない。

 自分の、元の声だ。

 

「あれ、手、ある……? 指、も……?」


 崩れた筈の手。腐り果てた指。それらは、全て元通りになっていた。

 旅に出たあの頃と同じ、元のピュリアの姿に。

 

「はあ、はあ……! どうだ、見たかシーラ! 成功したぞ、バカ野郎め!」


 間近で聞こえた声に、驚いて振り向くと、そこには肩で息を吐く少年の姿。

 その口元からは血が滴り落ち、頬がゲッソリと痩せこけてしまったように見えた。

 

「勇者様!? どうして――」

「お前の命と、俺の命を繋いで再生させた」


 勇者は、口元を拭い、そう言った。

 音を立て、勇者の首に掛けられた紋章が崩れ去ってゆく。

 

「俺の『光』とお前のそれは、反発し合うみたいだからな。魔王の『力』とやらが、消えるのを待っていたのさ。上手くいくかは賭けだったが……俺は勇者だからな!」


 これくらい、軽い物だと彼は笑う。

 

「ゆう、しゃ、さま……」


 あぁ、そうだ。そうだった。彼は、『勇者』なのだ。

 どんな時も、いつだって、ピュリアを助けてくれる、この世でただ一人の勇者様。


「お前は俺の家来だからな! だから、一生俺の傍から離れなくさせてやった! 不満を言っても駄目だぞ。もう戻せないからな!」


 早口でそう言って、勇者はピュリアを抱きかかえた。

 

「さあ、行こうぜ。勇者だ何だと騒がれるのも面倒だし、俺達はこのまま死んだことにしちまおう。光の精霊術を応用すれば、顔を少し変えて見せるくらい、軽いもんだ。今度はもっとのんびりと、旅でも楽しもうぜ」


 ペラペラと、勇者は捲し立てる。

 ピュリアを見ず、上を向いて、何かを堪えるように体を震わせて。

 

「ちゃんと付いて来いよ、今度は無茶すんじゃねえぞ! あぁ、それで、それでな……」

「勇者様」


 答える代わりに、ピュリアはその頬に口付けた。

 塩辛い味が、ピュリアの舌を湿らせてゆく。

 

「……かった、ほんと、ばか、やろ、が……ばか……や、ろ……!」


 強く、強く。ピュリアの体が抱きしめられた。

 視界が歪む。透明な滴が、後から後から溢れて、止まらない。

 それでも、涙に霞んだ景色の中で、彼の顔だけははっきりと、見えた。

 

 

『本当に泣き虫だなぁ、お前は!』

 

 

 いつかの声が、耳に響く。

 気付けば、熱いものが再び、ぽつりと落ち、ピュリア自身の涙と混じり、頬を濡らしてゆく。

 その温もりを、心から愛しく感じながら、ピュリアは勇者の目元にそっと指を添える。

 

 そうして、彼を安心させるように、少女は微笑んだ。

 

 

「――泣かないで、勇者様」



お読みいただき、ありがとうございました!

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ブラボー…おおブラボー!
[良い点] 何回読んでも素晴らしい作品です。
[一言] 大切な人がどんどん腐って人として外れる姿を見ながらもそばに居ると決めて進んだ勇者の心の内がきっと、ピュリアが腐りきったら魔王を倒しても間に合わず、魔王を倒しても成功するかも分からず焦燥の日々…
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