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一話

 私、ハルリアがエルザ・リーリスを初めて見たのはある夜会の事であった。その夜会は大身の貴族たちも多く参加しており、私は会場の隅の方で目立たぬようにしていた。

 そのような社交場は私は苦手であったし、私は愚鈍な男なので下手なことをしゃべり無用な災いを招きたくなかった。だから隅の方で猫が水を舐めるように葡萄酒を舐め、亀のように首を縮め、目立たぬよう目立たぬよう心を砕いていた。


 そんなふうに時を過ごしているとわっと声が上がり拍手が鳴り響いた。一人の金髪の美青年とそれに負けぬ美貌を備えたこれもまた金髪の少女が会場に足を踏み入れたところであった。

 男はこの国の第一王子アルカ・ドーソン。そして少女はその婚約者であるエルザ・リーリスであった。アルカ様に婚約者が出来たと聞いてはいたがなるほど彼女が、と思った。

 エルザは息を呑むほど美しかった。どんな宝石よりも輝き、どんな花よりも可憐であった。私はそのときエルザを欲しいと思った。しかしそれは到底叶わない願いであることは明白であった。


 それから私はアルカ様とエルザが参加する夜会にはなるべく足を運ぶようにした。無論話しかけるなど恐れ多いことはとてもできない。

 ただエルザを眺め葡萄酒を舐める。それだけが楽しみであった。

 彼女は視線を向けられることに慣れており、私がいくら不躾な視線を飛ばしてもどこ吹く風といった感じであった。つまり、私はエルザにとってその程度の、注意を向けるほどの男ですらなかったということだ。


 そのようにエルザを眺めるために足繁く夜会に出席していた私だがいつの頃からかアルカ様の近くに、ある女が侍るようなったことに気が付いた。

 特に美しい女ではない。そばかすが目立ち艶のない黒髪は縮れているし背も低く貧相な体付きであった。エルザと比ぶべくもない女であった。


 しかしアルカ様とかなり親しそうにしゃべっている。何者なんだ、と思った。振る舞いが堂々とし過ぎている。とても貴族の子女とは思えないがその女の態度は自らがこの場にいることを露程も疑問に思ってない、そういう態度であった。


 「あの女は何者なんだ?」


 私は私と同じく壁に背を付け酒を飲んでいる友人に尋ねた。私はその友人があの女のことを知っているとは思わず何気なく尋ねたのだが友人は意外にも女の事を知っていた。


 「あぁ、彼女はアルカ様が拾った女だ。なんでも……」


 そこで友人は声を落とし、私に手招きでもっと近くに寄れといった身振りをする。私はそれに従い素直に顔を寄せる。


 「空から落ちて来たらしい。だから拾ったというか、落ちてきたのを受け止めたってのが正確な表現なんだろうが」


 そう言われて私は眉を顰めた。友人に担がれていると思ったからだ。私のそんな表情に気が付くと友人は笑いながら眉に唾を塗る仕草をした。

 

 「だが経緯はどうあれあの寵愛ぶりだ。エルザ殿も最近は気が立っているって噂だったが、あのご様子ならその噂も確かなようだな」


 そして目線をエルザに移し、顎をしゃくる。確かにエルザは苛立っているようであった黒い扇子をしきりに開け閉めしてじっとアルカ様と女を睨んでいる。

 私はその様子を見て、単純に哀れんだ。自らの婚約者がどこの馬の骨とも知れぬ、しかも自分より圧倒的に劣っていると見える女と親しくしているのは良い気分ではないだろう。女心に疎いと自他ともに認める私にもそれくらいは察せられた。


 「その、アルカ様が拾った女はなんていう名前なんだ?」


 友人はしばらくえっとなんだっけな……とぶつぶつ言いながら考えていたが、しばらくすると「あぁそうだ! 思い出した」と手を叩いた。


 「ハナコ・ヤマダというらしい。随分変な名前だから覚えにくいんだよな」


 ハナコ・ヤマダ。この女が私の運命を大きく変えることになるとはもちろんその時私は思いもしなかった。


 それからアルカ様のハナコ・ヤマダへの寵愛はちょっと異常なものであった。

 まるで洗脳でもされたかのように普段仮面を被っているのではないかと思うほどの無表情をハナコ・ヤマダの前では相好を崩し笑みを浮かべている。

 夜会にもエルザは連れてこず、ハナコ・ヤマダを伴うようになった。


 正式な婚約者は間違いなくエルザなのだがその振る舞いはハナコ・ヤマダに寵愛が移ったことを明確に示しており、そうなれば自然と人情として他の貴族たちも無位無官の女でしかないハナコ・ヤマダに丁重な態度で接し、たまにエルザも夜会に現れるがそちらの方への挨拶が疎かになるのも仕方ないことであった。


 傍から壁に背を付きながらその様子を見ているといつ変事が起こっても不思議ではないほどの不穏な雰囲気が漂っているのがはっきりと分かる。

 アルカ様は決して人の機微の分からぬお方ではない、むしろ鋭いお方のはずなのだが傍から見ている分にはエルザにまったく気を遣っていないようであった。


 「ありゃなんか起こるぜ。渦中にいると分からないものなんかな?」


 いつもの友人がにやにやと声をひそめて私に言ってくる。


 「他の方ならいざ知らず、アルカ様はそのようなことが分からぬお方ではないし、あのような振る舞いリーリス家も不快に思うだろう。王国に隠れなき大貴族であるリーリス家の令嬢であり自らの婚約者に対してあのような非礼……なにを考えているかわからん」


 「恋は男を盲目にするものさ」


 「あのような女に恋、か?」


 私は今一度ハナコ・ヤマダに目を向ける。どう見てもエルザはおろかそこらの町娘にもその器量は劣っているとしか思えない。しかし相変わらずその態度は堂々として、むしろふてぶてしいくらいだ。周りを囲む大貴族たちをまるで人形かなにかのようにしか思ってなさそうであった。


 「エルザ殿も最近は苛立ちを隠せぬようだ。もともと貴族の女というのは感情を抑えられぬものだがエルザ殿は負けん気も強い。尚更我慢できまいて」


 そこでまた友人はにやにやとし、私に手招きする。私も慣れたものですっと顔を近づける。


 「最近、エルザ殿は第二王子のマルカス様にお近づきになってる」


 「マルカス……あのみそっかすにか? なんでまた」


 マルカス・ドーソン、第二王子であるがその存在感は無いに等しい。頭は鈍く、体も弱い、人柄も常におどおどしておりはっきりとせぬし、歩く姿も背を丸めて見栄えが悪い。王位継承権はあるにはあるがまったく相手にされておらず、あくまでアルカ様に万が一のことがあったときの予備としか思われていなかった。

 そんな男になぜエルザ・リーリスともあろう女がわざわざ近づくのか理解できなかった。


 「いやいや、元々エルザ殿とマルカス様は懇意であったのよ、それがエルザ殿とアルカ様の婚約が決まったので接触を断ったが最近また……」


 「近づき始めた? わからないな。なぜそのようなことを」


 「それは俺にもわからない。もしかしたら……」


 そこでひときわ友人は声をひそめて、ぼそりと呟いた。


 「もしかしたら、あのハナコ・ヤマダを殺してくれとお願いしているのかも、な」


 「おい! めったなことを言うな!」


 顔を離して、私は友人を叱責する。すまんすまんと片手を上げるがその顔は笑っていない。

 そしてそこでふと、俺は彼があまりにも事情通であることに疑問を持った。


 「それにしても君はよく知っているな。どこからそんな情報を仕入れるんだ」


 あくまで興味本位の言葉であったがふと友人は真面目な顔をして「それは知らないほうがいい」と言った。

 それはいつもの軽薄な雰囲気ではなく至極真面目な、やもすると剣呑な雰囲気まで漂わせたので私は面食らった。

 そういえば、と思った。私は彼のことをなにも知らないとその時思った。彼とは夜会で顔を合わせる程度の仲でしかない。いつも大なり小なり酒が入っているので聞いたはずの名前や爵位もよく思い出せない。途端に薄気味悪いものを感じて私は彼から目を逸らした。


 ふと見てみるとエルザが件のハナコ・ヤマダに凄い剣幕でなにかを言い募っていた。形の良い眉が吊り上がり、髪が逆立ち、口から火が出るのではないかという様相である。

 あいにくなにを言ってるのかまではここまでは距離があるためよく分からない。あの様子なら口汚く罵っているのだろう。


 その様子をじっと見ていたアルカ様が不意にエルザに近づき、なにかを言った。その言葉を聞いたエルザはしばらく呆然としていたが、わっと声を上げ泣き出し走り去っていってしまった。


 「こりゃ本当になにかあるかもな」


 私の後ろで得体のしれない友人が静かに呟いた。

 

 

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