人は見かけによらない その六(解決編)
俺達三人はそろって学生会室のある校舎の一階に向かった。
時間は夕方の六時半。窓の外はもう暗い。
「今、学生会室に行けば、学生会役員が予算委員会の結果をまとめてるよね。今回の件は、すぐに青目さんに話した方が良いと思うから早く行こう」
先を歩く橋田の足取りは軽く、ご機嫌な犬の散歩に付き合っているみたいな気分だ。
「で、何が分かったのか教えろよ」
俺はしびれを切らして聞く。
「きょうふのみそしる」
振り向きもせず歩きながら橋田は、その一言を答えた。
「は?」
俺と町野さんの声がハモる。
前を行く橋田の表情は見えないが、この声の感じだと、たぶんニヤついて笑っている。ポカンとしている俺達二人の様子を想像するのが面白いんだろう。
「あるじゃん? 『今日、麩の味噌汁』なのか『恐怖の、味噌汁』なのか、文を区切る位置で意味変わるやつ」
「小学生かよ」
俺が悪態をついたところで階段についた。
階の中間に踊り場の折り返しがある階段なので、下り始めると橋田の表情も見えた。やっぱりニヤついている。
「ああ、ぎなた読みね。『弁慶がな、ぎなたを持って』ってどんな誤読なのよ。このエピソード無理あるよね」
町野さんは普通に橋田の話に合わせる。毎度、適応力の高さがすごいと思う。
「そうそう、そういうやつ。区切る位置って大切だよね」
「それが今回の話と関係するのか」
俺の適応力は人並みなので、単刀直入に聞く。
「そうそう、そういうこと。区切る位置が大切ってこと」
橋田は答えているのか答えていないのか、よく分からない返事をした。
そんな話をしている間に俺達は学生会室に着いた。
橋田は迷うことなく学生会室のドアをノックした。どうぞと中から返事があり俺達は部屋に入る。
学生会の打ち合わせはちょうど終わったところらしく、役員は帰り支度をしていた。
「学生会の仕事、お疲れさまです。青目さんいます? あ、ちょっと話したいことあってさ。良い?」
俺が橋田の後ろから声をかけると学生会室の奥の棚に書類を片付けている青目さんがこちらを向いた。
「はい、……なんでしょう?」
突然俺達が訪問したので驚く青目さんだったが、俺達は夕食時なので食堂に一緒に行こうとなかば強引に彼女を連れだした。
「あの、話ってなんでしょうか?」
校舎から食堂へ向かう途中、青目さんは状況が呑み込めず、やや不安そうな目で俺と町野さんを交互に見る。
「バイトのことで、気になることあってさ。ちょっとそれについて話そうかと思って……」
俺はどう話を切り出していいか分からず、頭をかいた。少し困って町野さんを見る。町野さんは青目さんと寮の同じ階だったので、助け舟を出してほしかった。
「ほんと、突然ごめんね。ほら、若木とバイトの話していて、土曜日のこと、こいつ気にしていたみたいでさ。話、聞き出しちゃって。で、何か問題あったなら、なんとかできないかなって……」
同年代の子が泣くほどの問題なので、会話の糸口を俺も町野さんもおっかなびっくりで探す。
「いやぁ~、突然で戸惑うと思うし、そこはほんと、ごめんなさい! 僕、電気科二年の橋田です。若木くんたちと同じクラス。たまに体育委員会で会ってはいるけど、直接話すのは初めてですよね」
俺の横から顔を出して青目さんに挨拶して、まくし立てる橋田。
「土曜日のバイトの時の話で、もしかしたら青目さんの考えたことに誤解があるかもと思ったんだ」
橋田は歩きながら俺と位置を入れ替わって青目さんのすぐ横に移動して話を続けた。
「もちろん、言いにくいことだったら無理に答えなくてもから、まずは話聞いてくれる?」
俺達が口をはさむ間もなく、橋田はどんどん話を進める。
「土曜日のバイトの後、座り込んじゃったんだよね。仕事で気になることがあったんだよね」
「え、あ、はい……。その……、そうですね。あの時は若木くんに迷惑かけちゃいました」
「いいのいいの! 若木くんはいつも、いろいろとドタバタしていること多いから気にしないで」手をひらひらと振りながら橋田は笑う。
「まず、その時の理由、仕事で失敗しちゃったとか、そういうことが直接の原因じゃないよね」
「はい」
小さい声ではあるが、青目さんは頷いた。
「じゃあ、名札の件なんだけどさ……」ここまで言って橋田は一呼吸おいて、青目さんを見た。
その言葉で青目さんの顔が一瞬曇り、数秒だけ沈黙が流れた。
「青目さんの名札は、当日初めてもらったんだよね。先輩から。字の汚いあの先輩の、手書きの名札」
「は、はい、そうです」
「青目さんの名札にはなんて書かれていたの?」橋田は少し真面目な顔に戻って、言葉をつづけた。
「そりゃお前、名前だから……」
青目さんが言いにくそうな雰囲気だったので俺は助け舟を出そうとした。
「若木くん、今はごめん、黙ってて。……青目さん、なんて書かれてた?」俺の方に手のひらを向けて制止して、橋田は目線を青目さんから外さない。
彼女は小さい声で言った。
「名札には『見た目によらず ばか です』って書かれていて……。それが、冗談だったとしてもショックで……」
「え?」
また俺と町野さんは同時に声が出た。
「私、確かに仕事で失敗も多いし、頑張らなきゃって思っていたけど名札にそんなこと書かれて……。店長さんも先輩も笑っているし。若木くんは黙々と仕事するタイプで、仕事中に私のことをいじる事もなくて、サポートもしてくれて。だからギリギリ、頑張れてたんです」
あまりの告白に俺と町野さんは青目さんの話をしばらくそのまま聞き入ってしまっていた。
「でも、やっぱり、考えるとその環境で続けられるか不安で。今週末の仕事で辞めることを相談しようかと思っていたんです」
一通り言い切ると、青目さんは口を堅くつぐんだ。
「いや、まってよ! 違うよ。だって青目さんの名札は『見かけによらず しずか です』って書いてあったじゃない?」
ようやく正気を取り戻したかのように、俺は思わず大きな声を出してしまった。
「えっ?」
今度は青目さんの方が目を丸くして驚いた。
それを見て橋田は小さくクククッと肩を震わせて笑っている。
「あはは、良かった! ははは、あー、いやいや、ごめん! でも本当に思った通りで良かったよ」
橋田はこらえきれなかったのか、声を出して笑った。
「いや、ほんと悩んでいたところ、ごめんね。その先輩、字が汚いんだよね。青目さんの静夏って名前を先輩は普通に『しずか』ってひらがなで書いたつもりだったんだよ」
そういうと、橋田は指を前に出して空中に文字を書いた。
「でも、その先輩、『し』と『ず』の位置とバランスが悪すぎてそれがひらがな一文字の『ば』に見えちゃったんじゃないかな」
「あぁ、そういうことか。だからさっき、文字の区切る位置って言っていたのか」
俺はやっと理解できたが、それならそうと青目さんに説明する前に分かりやすく言ってほしい。むしろ、橋田のヤツ、わざと分かりにくく言って俺達をからかっている疑いが増してきた。
青目さんは、まだ少し口を開けてポカンとしている。
原因が青目さんの誤解だったことが分かって安心したのか、橋田のまくし立ては続く。
「学校では真面目で無口な委員会の書記さんだから、学校の友人も教官も、本人ですらも皆『真面目で大人しい優等生』だと青目さんのことを認識しているよね」
「まあ、言われたらそうかもな」
「で、青目さんはバイト先ではいろいろと失敗も多くてドタバタしていて騒がしく、にぎやかな雰囲気を出していたんだよ、たぶん。つまりバイト先での印象、見た目は『にぎやかな明るい子』なんだよ」
橋田は、どういう意味なのか分からないが手を顔の横でワシャワシャと動かした。もしかしてそれ、にぎやかって意味のボディーランゲージなのか?
俺の眉毛がへの字になったことに橋田は少しも構わず言葉を続ける。
「つまりね、バイト先の先輩達は、青目さんのことを『にぎやかな子』と認識している。でも青目さんの名前は『しずか』。だからバイトの先輩は見た目はにぎやかな子だけどそれに反して本名が『しずか』ですって意味で名札に『見かけによらず しずか です』と書いたんだよ」
確かに、その人の立場や背景、これまでの経緯を知っているかどうかで『人の見た目』というのはガラリと変わる。
「じゃあ、結局、誤解だったってことね」
そう言うと、町野さんは青目さんの方を見る。
「そうだったんですね。やだ、私、そんな勘違いしていたんですね」青目さんは両手で自分の耳を押さえるような格好をして顔を赤くした。
「まあ、良かったよ。ってか、俺も気づいてなくて、ごめんね、青目さん」
「ううん、良いの。若木くんにも心配かけてごめんね。いろいろありがと」やっと夏目さんに笑顔が戻った。「町野さんもありがとう」
「いいのよ! って私も特に何もしていないし!」
「ということで、安心してバイトは続けてよ。それが言いたくてさ。今日は引き留めてごめんね。さ、ごはん食べに行こー。食堂閉まっちゃうよ」
いつもと変わらない軽い口調で、橋田はまた先頭に立って食堂に向かって行った。
青目さんと町野さんと俺は顔を見合わせて、食堂に走った。
人は見かけによらない、というエピソードはこれでおしまいです。