66、網を放る
真っ暗な空に真っ黒な鳥が飛ぶ。
羽ばたくことをせず、羽を広げたままふらふらと飛ぶその様は風に揺れる薄い布のようにも見える。
あの鳥は目が悪いらしい。
わざわざ夜に飛んでくるくせに、いつもふらふらしていて目標が定まらない。
きっとこちらにも気づいていないだろう。暗闇で軍のマントを被っている少年の姿などそれと知っていなければ見えないに違いない。
案の定その鳥はマーシェよりも国境の少し南側を飛んでいた。マーシェに全く気付いていないに違いない。
油のにおいがする。距離が近いせいで腐ったツンとした匂いでむせそうだ。
マーシェはゆっくりとそちらに向かって歩いた。
鳥は目標を定めたのか、同じところを旋回しているように見える。暗くてどちらを向いているかわからないが、回っている軌道はわかった。
あの鳥が回り込んでこちらを向いている時に網を投げるのはよくない。あちらに向いたときを狙って網を投げようと決めた。タイミングを取り、網を投げやすいところへ移動する。
空に黒い鳥の羽が浮かんでいる。ゆっくりと回ってあちらを向いた、その時、マーシェは立ち上がり鳥を捕る網を力いっぱい投げた。
網には錘が付いている。
勿論投げ方も練習した。ただ、あまり高いところだと届かない。この暗さではいまいちどのくらいの距離感かはつかめていない。
だが、ちょうどその時、一滴の火だねが落ちた所だった。
微かな明かりに距離が見える。
バサと、網が向こうに落ちる音がした。
網は鳥に届かなかった。掠りもしなかったらしい。
広場を見守っているガッツェ中隊の息をのむ空気だけが伝わってきた。
それと同時に火だねの落ちた所から火が上がった。城壁前の広場の端っこで、低木が数本燃えだした。
しかし、マーシェはその火など見ていなかった。なぜなら、あの鳥はマーシェに気づいたからだ。そしてマーシェも鳥の姿がくっきりと見えた。
やっぱり鳥だった。
それも特大の鳥だ。マーシェの知っているどんな大きな鳥よりもずっと大きい。
それがグングンとマーシェの方へ向かってきた。近づけば近づくほど大きさを増す。家が飛んでくるような気にすらなる。
逃げるか。
網は放ってしまった。失敗した場合、小隊の仲間がもう一つ網を持って来てくれる算段になっていた。
しかし、ここで網を持ってこられても、あれっぽっちの網で、この大きな鳥を捕らえらえる気はしない。
マーシェは逃げなかった。
マーシェは剣を構えた。あの鳥がこちらへ突っ込んでくるのなら、迎え撃てばいいのだ。そのほうがずっと分がある。
剣先が光る。
鳥は羽ばたきもせずに、マーシェの方に滑空してきた。
「来いっ」
剣を構えて助走を付ける。
お互いが近づき、マーシェの剣が鳥を捉えると思った瞬間、鳥はいきなり上昇した。相手は鳥だ。人間ではない。そんなことも気づかなかった。
あっ、とマーシェが上を向く。
鳥はすれ違い様にあの匂いを撒いた。油か、油と言うよりはもっと霧雨のような、しかし黒くて臭いものだ。これに触れば、あとで火が付いたときに危険だ。
マーシェは油から逃れるために転がって逃げた。
よけきれただろうか。匂いだけでほとんど見えないのだ。どこか服に付いていたら大変だ。
しかしそれよりも目を疑ったのは、あの鳥の上に人間がいたことだった。