53、城壁からふく風
「マーシェ、急ごう」
スプトゥの声は硬かった。この状況が危険だ。小隊長だけではない、兵隊たちにも不安が広がっている。
「前進します!」
マーシェが声をかけると、各小隊長が自分の隊員に向けて号令を発し、すぐに出発となった。互いの剣が少し擦れ、カチャカチャと鳴るのが聞こえる。
「し、静かに」
マーシェが歩くことに集中できるように、小隊長たちは自分の隊を静かにさせた。
荒れ地にはひしゃげた木が立ち並んでいる。
偵察隊はそれぞれこの木の下に身を潜めていた。
第四小隊がいた木立には彼らはもういなかった。先に伝令が来て少し明るいうちに東へ向かうことができたのだろう。
もう暗くなっているから歩みは遅いかもしれないが、ここより先に行けているようだ。もしかすると第五小隊や第六小隊と合流できているかもしれない。
マーシェがホッと少し安心したその時、異変に気付いた。
「血の匂いがする」
スプトゥも気づいたようだ。
あの腐った油の匂いとは違う、もっと生臭い匂いがする。それも微かにではなく、確実にわかる匂いだ。
何かあったのだろうか。
頭の中に警鐘が鳴る。何かが起こっている気がする。
しかし辺りは真っ暗でほとんど何も見えない。ただマーシェだけが、なんとか荒れ地に進むべき道を見つけられるのだ。
マーシェは歩きながらも、五感を集中させた。
あの油の匂いが少し近づいている気がする。他には何も感じられない。兵隊たちが静かに歩く、その慎重な足音が感じられるほかは何も……いや、違う。風が出ている。
今まで荒れ地には風すら吹いていなかった。しかし空気の流れを感じるのだ。それは、自分たちの右側にあるモヴェズヴィルの城壁のほうから感じる。
城壁から風が通るなどということがあるだろうか。
それは城壁が開いているということではないだろうか。
ドクンと心臓が鳴る。
「スプトゥ、城壁が開いてる気がします」
「なんだって?」
二人が小声で言葉を交わしたその時、マーシェは見つけた。
前方に人が転がっている。
木、ではない。
あれは人だ。
動かない、人間が転がっている。
「人がいる」
マーシェは歩みを止めた。
「ここにいてください。見てきます」
「おい、マーシェ、俺が、」
「僕じゃないと見えないから」
スプトゥもそれはわかっていた。しかし、今ここで案内役のマーシェが離れるのは、心細いものがある。
とはいえ、マーシェはすぐに離れ、そしてすぐに戻ってきた。
ゴクリと一度唾を飲み、それから発した声は震えていた。
「キャトロム小隊長です、死んでいます」
「な、第四小隊が」
「城壁からモヴェズヴィルの兵隊が出てきていると思われます」
小隊長が3人集まってきた。ことは重大だ。
「この先は危険だ。ここに留まろう」
第一小隊長が言った。
確かにそれが良い。スプトゥも頷いた。
敵兵がどの程度いるかわからないうえに、ほとんど見えないのだ。ここで交戦するのはいくらなんでも無理がある。
小隊長たちがここに留まることを決めた時、マーシェが後方に気づいた。また遠くに火の手があがったのが見えた。