15、本当の名前
フーが意識を回復すると、もう辺りは薄暗くなっていた。
臭い、吐瀉物の中から身を起こすと、そこには誰もおらず剣だけが置いてあった。
誰もいない。捨てられたのだろうか。それだったらここから逃げられるだろう。いや、そっちから捨ててくれたのなら大歓迎だ。
しかしそばに置かれた剣を見て、フーはわかっていた。
屋敷に戻らなければならない。
力の入らない身体でなんとか立ち上がり、鍛錬場の裏で衣服を洗い、水を浴びた。それから剣の手入れをして定位置に戻す。
逃げようか。何度も思ったが、それは叶わないとわかっていた。
屋敷に戻り、研究室に行くとヒーが仕事をしていた。
口の前に指を当て、静かにと合図する。それから勉強部屋へ行くよう指で示された。
フーは言われた通り静かに勉強部屋へ行った。そこにはミーが勉強していた。
「フー、大丈夫か」
「うん」
大丈夫ではないが、こう答えるしかない。少なくとも、身体や心が壊れかけていても、こうして立っているのだ。
「トクシックはもう部屋に入った。でも今日はいつもよりイライラしてる、静かにしてたほうが良い」
「うん」
「ご飯少しとっておいたから食べな」
とても食べられないと思ったが、食べなければ身体が持たない。
「うん」
フーが簡単な食事を少しずつ口に運んでいると、ミーがフーの頭を撫でてくれた。
「ミー、いつも不思議だけど、ミーが頭を撫でてくれると、すごく落ち着く」
「うん?」ミーは優しい顔をして答えた「そうだな」
それだけだった。それでも、フーは理解できた。ミーは何かを治す力のようなものがある。そしてそれをミー自身も知っているということだ。もしかすると、ヒーもトクシックも気づいているのかもしれない。だから、誰かが死にそうになるとミーに手を当てさせるのではないだろうか。
フーの食事を終え、ヒーとミーもそれぞれの仕事を終えた。
屋敷の中には少年の叫び声が聞こえている。
三人はいつものようにフーの部屋に集まった。
「僕たちは、いつ死んでも不思議じゃない。それで、お願いがあるんだ」ヒーが言った。
「お願い?」
「うん。僕の名前、覚えておいて欲しいんだ。僕たちはただの1、2、3じゃない。僕の本当の名前はセイン。僕も君たちの本当の名前を憶えておきたい」
「セインか。良い名前だね。僕はノル。気づいてるかもしれないけど、ヴォンテールの血が混ざってる」
「わかってる。大丈夫、トクシックには言わないよ、絶対に。フーも、言わないでね」
「うん」
そう言われても、ヴォンテールというのが何なのかはフーにはわかっていなかった。
「フーの名前は?」
フーはしばらく考えた。
自分の本当の名前、親につけられた名前などすっかり忘れていたのだ。孤児院にいたのはずっと昔のことだ。そのころの記憶はもうほとんどない。
「マーシェ」
思い出した。口に出すと熱いものが心に流れ込んでくるような気がした。
三人で手を出し、握り合う。
ただの1、2、3ではない、三人の絆はますます固くなった。