#9 再会
「薬塗ったけど……掌だから暫く何も出来ないな……」
瑞希は、掌を青色に染めて洞窟の中に引きこもった。しかし、怜羅が瑞希のシルクの薄い服を見ながら、
「これは少し丈が長いな。切っても良ければ、その手に包帯をしてやれる」
と、瑞希の長い上着を指した。
「あ、これか……良いけど包帯してくれるのか?」
自ら進んでそう言ってくれた事に対して
瑞希はチロリと流し目で怜羅を見た。
「何だその目は。変な目で私を見るな。それは私には出来ないと思っているからなのか?」
怜羅は、それならそれでやってみせようじゃないといきり立った。
でも瑞希的には、出来る出来ないと言うわけで視線を注いだわけではなく、怜羅にそう言う言葉を掛けられた事に嬉しい反面何故そんな事を言ってくれるんだろう? と言う気持ちがそうさせたわけで……
「んじゃ、やってくれるかな〜?」
何て返してみる。真面目にどうして? 何て言葉を掛けると、きっとこの事は無に帰すだろう。
「ああ」
怜羅は、瑞希の服の裾部分にナイフを入れると、包帯になるくらいの長さに二本ほど切り裂く。そして、そのシルクの包帯を瑞希の掌に巻きつけた。止めるのにもナイフで切り目をいれそれをクルクルと結びつける。
意外に手馴れたもので、瑞希は怜羅が女王様な生活ばかりしていたわけではなかったんだと一応理解した。
「おお、ありがとな」
両手に巻きつけられたシルクの包帯は、普通の包帯みたいには馴染まないが、それでもあのままよりかはずっと良い。これで、何かを掴むという事は出来るようになった。
「だから礼を言われるような事はしていない……それより、眠くなった。暫く寝かせてくれ……」
住処となった洞窟の壁に体を預けて怜羅は言った。そして次にはすんなりと眠りに落ちていった。
「うん。暫く休みな。俺も少し眠たくなってきた。寝るよ」
体を動かした分、瑞希も眠気が襲っていた。それは、見習い天使の時のような眠りとはまたちょっと違った安らぎのあるそんな眠り。
人間になった瑞希にとっては、こういう眠りが有るのかと頭の片隅でちょっと不思議な感覚だったけど、それは眠りの狭間で霧に包まれたかのように消えて無くなって行った。
その頃の礼司は、まだ亜空間で彷徨っていた。抜け道を見つけ出したいのに、上下左右靄で包まれているかのようでそれが判らない。それに重力も掛からないから今上を向いているなと思ってもいつの間にか下だったり。全く動きづらい。
それでも、何かを得たいと動き回る。この広い空間で。
そんな時、いきなり今いると判断すべき右方向から七色の光が差し込んできた。それは、シャボン玉のような丸いキラキラ光る物と共にこの場所へと流れてきたのである。
「何でしょう……これは……」
礼司は、そのシャボン玉に触れた。すると、それは『パシンっ』と割れて、中から映像がこの亜空間一杯に漏れ出す。
その映像は、瑞希様と怜羅と言うあの小悪魔が天界とは似てはいるが色が反転した場所で、セフィロトの木に実っている果実を食べている所であった。
「瑞希様! それは食べていけません!」
礼司は、その映像がまるで今行われている行為なのかと錯覚させられて思わず声に出してしまったが、実際それはただの映像。よって、瑞希様と怜羅はそのまま食べてしまった。
そしてその映像は消える。
「これは……どういう事なのでしょうか?」
礼司は、また流れてくるシャボン玉を割る。
それは、木や葉っぱでセフィロトの木に添って家を作っている様子だった。
「もしかしてこれは……今まで瑞希様がしていた事……なのでしょうか。ならば、このシャボン玉が流れてくる方向を逆走して飛んでいけば、もしかすると辿り着けるのかもしれませんね」
礼司は、必死でそのシャボン玉が流れてくるその方向へと翼を操る。そして、その出てくる場所を見つけ出したのであった。
亜空間と、今瑞希様がいらっしゃる場所。その空間の狭間は人一人が丸まって入り込める場所だった。
礼司は疑うことなくこの穴を潜る。するとその先には虹がまるで天界を裏返したかのような世界へと橋渡しをしていた。
その虹に足をかける。すると、それは足場がちゃんとあり礼司は一瞬と惑ったが、今はその虹の上を歩くより、痛めていても動く翼を操る。
「少しでも早く、瑞希様をお救いしなければ……瑞希様!」
その一心で……
「う、うん……」
瑞希は、眠りの狭間で誰かに呼ばれた気がして目を醒ました。呼んだのは、聴き覚えのある声。そう、長いこと付き添ってきたかのように懐かしい。
周りを見渡す。しかし、怜羅は眠りについたまま起きている様子はない。じゃあ一体誰が? 『瑞希様』とかすかに聴こえた。自らに様を付けるのは、礼司くらいだった。じゃあ、礼司がこの世界に来ていると? そう考える。
確か、あの亜空間に呑み込まれる時、怜羅付きの小悪魔界瑠には、礼司に知らせる様にと言い残した気がする。だからと言って、あの亜空間にどうやって入れると言うのか。
ガブリエル様の力で、出来たと? いやそんな都合のいい話があるはずもない。いくらガブリエル様でも、人間界に愛や恋をもたらすエレメンタルの天使ではこの空間を見つけ出す事などできはしない。なら……他に何か手が有ったというのであろうか?
瑞希は、頭を巡らせるが、到底想像も付かない。神にしかこんな場所判るはずもない。いや、神にでもこの場所がわかるとは思えない。天界とは間逆のこの世界。そして、誰もいない世界……
「全く、滑稽な話だな。戻りたいなんて虫が良い話だ。俺はもう見習い天使ではない。人間になってしまったんだからな……きっと幻聴だ」
瑞希は、有り得ないと否定し、洞窟から足を運び出した。空にはいまだ虹がハッキリと出ている。それが、まるで違う世界への架け橋に感じられて苦笑いした。
もう戻れないのに、如何してこんな事を考えてしまう? 心のどこかで感じている不可解な気持ち。怜羅とこの世界でずっと過ごすことになっても良いだろう。でも、たった二人だけでと言うのが引っかかるのであろうか。
怜羅のことは嫌いじゃない。今は好きに変わりつつある。意外に可愛い側面を持ってて、それを判り始めた。だけど何かが足りない。
それが何なのか判らないけれど、必要な物が欠けている。
それが何なのか判らないためにジレンマを起こしているのだろうか? 両手に巻きついている包帯を見た。もう、痛みはない。薬が効いているのであろう。でも、心が少し痛んだ。瑞希はため息をついてしまった。
「怜羅を起こすか……」
そんな事を考えていた時、上空。頭の遥か上の方から、自らの名前を呼ぶ声が聴こえた。
瑞希は直ぐ様空を見た。オレンジ色のその空を。
「瑞希様〜!」
今度はハッキリと聴き取れた。この声は、礼司? やっぱり礼司なんだと判り、瑞希はその姿を捜す。
「礼司〜!」
今までだったら、念じる事で交信する事が出来たものを、声を張り上げる事しか出来ないので、必死に声を出す。その大声が、洞窟の中まで反響した。
「何か有ったのか? 五月蝿いんだが……」
まだ寝足りないと、怜羅は目を擦りながらも洞窟の外まで這い出てくる。
「怜羅! もしかするとこの世界から出ることが出来るかもしれないぞ! 礼司が、元見習い天使だった時の俺の遣いが此処に来てるんだ! さっき声が聴こえた!」
瑞希は、喜び勇んでそう怜羅に言い放った。
「何だと! それは本当なのか?」
怜羅は、目が醒めたらしく、直ぐ様周りに目を見張った。
「何処だ?」
でも、怜羅にはそれが何処なのか? そしてそんな姿は見られないので頭を傾げた。
「まだ声だけなんだ。上空の方から聴こえる。
もしかしたら、空にいるのかもしれない。此処だと見つけづらいだろうから、あの草原にでも行ってみるか? あそこなら見晴らしが良いしさ」
瑞希は、ウキウキとそれはもう嬉しそうだった。
それに対して、怜羅は、嬉しいけど、そんなにあからさまに喜ばなくても良いじゃないかと少しだけ不満そうに、
「良いぞ。此処で私と一緒にいるより、元に戻れる方が良いものな? それなら早く行こう」
何て感じで言った。でも瑞希はその心を読む事はなく、嬉しいが先にたち、怜羅の不満を理解できていなかった。
「よし、行こう!」
と、怜羅の手を取ると、そのまま一気に怜羅を引っ張ってあの草原へと向かったのである。
森の中を駆け抜けていくと、オレンジ色の空と紫色の草原が視界に飛び込んできた。
涼やかな風がカサカサと草の触れ合う音を引き起こしている。その中を、瑞希と怜羅は歩いた。上空を見回しながら。
すると、ここに来てハッキリと、自らの名前を呼ぶその声が聴こえてきた。風に乗りそれがどの方向かを考えると、こっちだ! と瑞希はその方向を見た。
すると、上空に黒い点が見えた。瑞希は、自らが此処に居るのだと主張するように、
「礼司〜!」
と呼びながら、両手を大きく振った。その主張が伝わったのであろう、その黒い点はドンドンと瑞希と怜羅のいる場所に近づき大きくなった。そして、その礼司の姿がハッキリと判るまで大きくなると、瑞希は、手を伸ばす。それを礼司は受け止めた。
「ご無事で何よりです。瑞希様」
礼司は、スッとしゃがみこみ膝を着くと、今の瑞希が元気でいることに安堵した。
「よせよ、そんな改まりすぎる挨拶……俺、もう見習い天使でもなんでもない人間になっちまってるし……って、お前その翼どうしたんだ!」
真っ黒い翼に変色しているそれを確認して瑞希は驚きを隠せない。それに、その翼は血で汚れている。
「あ、これですか……そうたいした事ではありません。この世界に入るまでに代償を払ったまでです」
礼司は、淡々と話した。それはまるで、瑞希が無事ならそれで良いといった感じだった。
「それより、瑞希様が申された、人間になったという事の方が重大です……何が有ったのですか!」
礼司は、直ぐ様言葉を繋げた。
それに関して瑞希は、
「まあ、そのだな……この世界に来た時は、確かに見習い天使だったんだ。そう翼もちゃんと有ったし。天使の輪もあった。だけど、あそこの木の実を食べたら翼と輪っかがなくなった。天使としての力も失ってしまったんだよ……」
瑞希が言ったその木を見た。
この世界は確かに天界とは真逆だが、あの木は……そう礼司がこの世界に来た時、シャボン玉の様な物の景色で見たあの木は、確かにセフィロトの木だ。何がどうしてこんな風に此処にセフィロトの木が存在するのかは判らない。だけど、間違いなくセフィロトの木。その実を食べたという事は、それは、堕天したことと同じである。
がしかし、この世界では人間になったという。それをどう解釈すれば良いのか。それは今の礼司だとて判らない。だから、次の句を告げずにいたりする。
「そうだよな。怜羅? お前もあの実食べたら小悪魔から人間になっちまったんだし……
俺達同類になっちまったんだよな?」
と、礼司に怜羅の存在を一応把握させる事も手伝って、瑞希は怜羅を自らの横に肩を寄せさせた。
「貴女が、怜羅さんですか。私はそちらの瑞希様の召使いで、礼司と申します。地上で、界瑠さんよりこのたびの件を聴きこちらに赴いた次第です」
初めの『貴女が』というのは、今知った訳ではないけれど、挨拶としては一番良いだろう。で、界瑠が今は地上で帰還する事を待っていると告げた。それに関して怜羅は、
「界瑠……余計な心配を掛けさせしまった。でも、ここから出る手段などあるのか? あの亜空間は、この世界には通じていたようだし、地上に繋がっているとは思えない。その辺りどうなのだ」
怜羅は、直接的な言葉で今の状況をどうにかする事ができるのかと問い掛ける。それは、歓喜の物ではない。閉鎖された、感情を抑えた問いかけだった。
行きはよいよい帰りはなんとやら。そんな難しい問題だと考えている。
「そうですね。地上に帰るのは難しいと考えられます。あの亜空間に入るのに、この私は自らを堕天させました。その際魔界に堕ちるその空間から亜空間を見つけ出し此処までやって来れたという次第です。もしこの世界より脱出することが出来るなら、亜空間を超え、そのまた先に有る魔界へのコースを辿るしかありません。よって、堕天使になるしかないというわけです。小悪魔さんに関しましては、元いた場所に戻る事になるのでしょうが、お二人は人間になられてしまわれたのこと。それでは、あの亜空間を乗り越える事が出来るかどうかも判りません。只一か八か試すしかないと言うわけですね……」
考えられる範囲はそれくらい。後は、未知のこと。誰にも判らない。もし知っていると言う者がいるならば、それは神であろう。
「まあ、そう堅く考えるなよ、礼司。此処から出れるか……それは確かに難しい事だけど、
それより先にお前少し休め。その体、かなり消耗してるだろう。それからでも遅くはないさ。怜羅も、まだ病み上がりなんだ、二人とも休め。俺が色々食い物探してくるからよ」
と、瑞希は言った。確かにその通りである。少し休んだ方が良いことは確かだ。しかし、礼司は落ち着いて休んでばかりはいられない気分だ。
人間になってしまった瑞希様。そして、小悪魔から人間になった怜羅。その二人が共に人間になってしまい、この不思議な世界に二人きりでいたこと。それを考えると、前世のこの二人の魂が恋人同士だったと言う事が頭を過ぎらずにはいられない。
これは故意にそうなってしまったと言うのであろうか? 神は何をお考えになられている? 礼司は疑問に思うことが沢山ある。しかしそれを瑞希と怜羅に話そうとは思わない。それをしてしまったら、それこそ大変な事になりそうな気がするから。だから黙って、怜羅と瑞希様が案内してくれる洞窟へと足を運んだのである。