表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Amour  作者: 星河 翼
3/12

#3 初めての失敗

『お〜い、礼司〜お勤めは終わったぞ〜俺もう帰って良い?』

 女医の体から抜け出した瑞希は、やれやれと金髪頭を掻きながら、翼を広げた。暫くすると、女医ははっと気が付き、今まで何をしてたのかしらといった感じで、デスクに着く。それを見守りながら、透明になっている瑞希は問い掛けた。

『いえ、今日の授業の単位は必ず取って貰わないと、現実の貴方は卒業できません。よって、授業に戻って下さい』

 礼司は容赦ない言葉を掛けた。それも、瑞希のスケジュール管理をしている礼司の仕事なのであるのだから。

『さいですか。休む時間くらい欲しいぜ。全く……何だってこんなに急がしいのかね〜』

 見習い天使の休息はいつの事やら? そう想いながらも後半年間の山積み恋愛問題はこれから先も続く。それを少しでも楽しいものである事を祈りたいと瑞希は思うのであった。


(れい)()様……本日もまた、あの瑞希という見習い天使は、勤めをクリアした模様です。これでは、我ら小悪魔は、仕事を奪われかねません。この後の采配を!』

 こちらは、瑞希達天使とは打って変わって、小悪魔達がひしめき合っている魔界。それは、不幸や惨劇を楽しむ(やから)達の巣。よって、天使とは相反する者達なのである。

この世が平和であれば良いという考え方は悪魔らにはない。その為、天使と悪魔により地球は天秤の様に均衡を保ってはいない訳である。

『全く小ざかしい……あの、玲於奈と雛は、この私が引き裂いておったものを! 界瑠(かいる)! 瑞希という者は、何故私の仕事をことごとく元に戻そうとする? 今までだとてそうだ……どの者達も、この私が全部壊してきたというのに!』

 そう、この怜羅という小悪魔は、まだ見習い悪魔。言うなれば、恋愛で人を惑わす悪魔であり、一番の柱、通称リヴィアタン。その配下として、この世に悲恋を司るように命を受けたというわけだったりする。しかしその見習いも、後半年で終わる。瑞希と同じく。但し、瑞希のように地上での活動ではない。そう、悪魔は、闇に潜みそして、ゆっくりとその魔の手を広げるという変わった方法を用いる。例えば、夢魔(ナイトメア)のように夢に現れたり。でも、それを言うならば、天使も同じく神の命を受け、夢に現れ代弁してみたり。全く、表裏一体な、天使と悪魔。それが、この世の裏事情。ストーリーは人間にだけ紡がれているという訳ではなかったりするのである。

『もしかすると、怜羅様……瑞希という天使は、怜羅様の今生の敵なのではありませんでしょうか? 私はそう想えてなりません!』

 界瑠と呼ばれた、小さななりをしたショートカットに黒髪の少女らしいその小悪魔は断言する。終生の好敵手(ライバル)であるのだと。

『界瑠! あの様なちんちくりんの金髪頭が、この私の終生の好敵手だと! 笑わせないで頂戴! この私に敵など()らぬ! あれは、私の足下を掬うだけのカスに過ぎんわ!』

 怜羅は、まるで自らが正義だと主張するかの如く、此処魔界の自らに与えられたイギリスの洋館のような宿舎の一室で喚いた。

『失礼いたしました。怜羅様……私の出すぎたお言葉でお気を悪くなさらないで下さいませ』

 界瑠は、そんな怜羅の様子に、謝罪の言葉を述べる。

『ふむ。判ればそれで良い。しかし、このままでは面白くない。あの天使見習い……どうにかやり込める事が出来ないであろうか?』

 腕組をし、黒く長いローブを纏った怜羅は、通し鏡に映った地上にいる瑞希を眺めながら漆黒のストレートの長髪を右指で摘み上げると、これが考えているときの癖ですと教えるかのように、クルクル玩ぶ。

『怜羅様? こういうのはどうでしょう? 今回の恋愛に関しての働きを、あの見習い天使に対してもう一度挑戦されては。只でさえ、尋常ならない恋愛です。壊すのは簡単。でもそれを修復させるのは、あの見習い天使には酷というもの。きっと失敗に終わると私は想います』

 界瑠は閃いたと言いたげにそう言った。

『確かに壊すのは簡単なことだ。でも、天使という者は、一度それを行うと、後の事は当人達任せと決められておるのではないか? よって、それでは勝ったことにならぬと想うぞ。私は』

 怜羅は、界瑠の言葉に異論を唱えた。しかし、

『確かに、天使にはその義務は有りません。しかし、こういったイレギュラーな恋愛こそ標的なのではございませんか? せっかくくっつけた恋人同士が直ぐ様引き裂かれるなんてこと……愛天使としての誇り(プライド)が有れば、目に付こうこと、この上無しです!』

 界瑠は、今こそがこの見習い天使である瑞希にダメージを与えるチャンスであるのだと言い張った。

『ふむ。そうだな……そういう考え方も出来るか? よし! これから、策を練る! 否、

私自身、地上に上ろう。界瑠着いて参れ!』

 こうして、勝手な行動を起こす小悪魔見習い怜羅と界瑠の、見習い天使、瑞希没滅大作戦の火種が撒かれたのである。


 瑞希撲滅大作戦。その、拠点となる緑陽学園の同じ三年A組に編入という形で怜羅は足下を固めた。先ずは敵の傍に身を置く。それこそが、この作戦の始まりでもあるとそう考えた結果だった。瑞希は、そんな怜羅の事等知らないであろう。よって、闇工作をした怜羅は、次の朝から始まる頭脳的戦いを模索する。

 先ずは火種を撒くために、夜間、あの雛の幼馴染、真由美の夢の中に潜り込んだ。そして、囁く。貴女の幼馴染の雛は、年下の女の子と愛し合っているのであるのだと。

 その夢を見た、真由美がその夢を確実に覚えて置くように、怜羅は魔法を掛けた。嫌悪になるか、嫉妬になるか? それは真由美自身の判断だが、確実に真由美は雛を色眼鏡で見てしまうであろう。それが人間の不可思議な点。一度疑念を持つと、それはしこりとなり、次に意志とは反しても行動を起こしてしまう。それが天使や悪魔とは違う点。感情というものは、摩訶不思議なものなのである。

 そして、朝はやってきた。怜羅に勝利を確信させるだろうその朝が……


「本日の、お勤めです……瑞希様」

 同じようにやってくる朝。そして、礼司のこの台詞。それでも、今朝は昨日のような憂鬱な気分は少しだけ和らいでいた。

「おう。で、今日は誰と誰なんだ?」

 声のトーンが少しだけ弾んでいる。礼司にはそれがよく判った。でも、その気分を害する事を言わなくてはならない。そう、昨日のお勤めは失敗に終わったんだと。

「昨日の、石川玲於奈及び桂雛。この二人です」

 それでも、仕事としての言葉を抑揚無く礼司は突きつける。

「は? ちょっと待て! あの二人は俺がちゃんと結ばせたぞ? 何かの間違いだろ。それはよ!」

 勿論瑞希は反論する。有り得ない……

「翼箱に確かにこの二人の名前が書かれた指令は入っておりました。残念ですが、瑞希様の天使様としてのお勤めは失敗に終わったようです……」

 礼司は、少し目線を下げてそう言った。今まで失敗したことなど無かった瑞希にとってこれほどの衝撃は無かった。

「何だよそれ……絶対何か間違ってる! ガブリエル様も、冗談きついぜ? 失敗だなんて……ちゃんとこの手に二人を結んだ手ごたえは有ったし、あの後幸せそうにしてたぞ。

それなのに、昨日の今日で失敗だ?」

 瑞希は、誇りを傷つけられた事と、最任務(リテイク)を食らった事に対してわなわなと肩を震わせた。

「ですが、それが事実です。実際、今日の翼箱に入っておりましたこの指令ですが、ガブリエル様直筆でありました。今まで、こんな事はございませんでした。そう、ガブリエル様はとてもお忙しい方であるのですから」

 そう、指令を出す事に関しての処理は、ガブリエル様のお膝元のアークエンジェル達がするのである。なので、指示は出せても、自ら筆を取られるという事は無い。ならば、何故直筆で、この件に関して指示を出されたのであろうか?

「ガブリエル様直筆! それって、何か問題が有るからこそだよな……俺自身に関してか

? それとも、あの二人が特別だからなのか?」

 自ら、神を冒涜するような態度をお勤め以外でなしてきた瑞希にとって、思い当たる節がありすぎる。でも、それで失敗だと直接指令を出すガブリエル様だとは思えない。こんな下っ端の見習い天使に対してなど。

 それならば、あの二人の身の上に何かが起こったと考える方が正しいであろう。でも何時如何して? 確実な手ごたえ。それを感じたからこそ、もうあの二人は大丈夫だと想ったのだ。

 そんなことを頭の中でグルグル考えていても、答えは一つも出るわけが無い。そう、考えているだけでは駄目なのである。そこに行動が伴わなければ只の停滞だ。

「瑞希様。一度、あのお二方を観察に行かれると言うのは如何でしょう? 先ずは……」

 と、礼司は或る方法を提案しようとしたのを瑞希は、

「判ってる。今まで結びついたカップルのその後なんて興味なかったし、見たいとも思わなかったが、これは見に行くしかないだろう。

礼司に言われなくても判ってるさ!」

 誇りがそれを邪魔してそういう行動を想い付かなかった訳ではない。只興味が無かった。そう言い切りながらも、瑞希はこの不可解な現象に立ち向かうしかないのである。

 しかし、あのキューピットの矢を使うことは出来ない。一度きりの物。

「あの二人は今何処だ。ちっ! 捜さなきゃいけねえのかよ!」

 そう言い放つと、気を放出して透明姿になると、翼を広げいつも打ち合わせとして使っているこの屋上から校庭へと羽ばたく。問題として取り上げられている、玲於奈と雛を捜しに……


「ちょっと、知ってる〜?」

 校庭に登校してくる学生達の間で、この台詞が所々で飛び飛び交っていた。コソコソと、もしくはその台詞だけ強調されて。

『これじゃ、内容が判らないぜ!』

 気になる話題だ。これらに何かあの二人に関する事が有るかも知れないと感じた瑞希は、手近に居た女生徒の体に(チェン)転換()した。

「あら何々?」

 何て言葉を発しながら、女生徒に成り切れる瑞希は見習い天使としては一流だろう。自らも、役者向きかも知れないと、実、想った。

「今朝メールが届いたんだけど。それがさ〜、二年B組の桂雛って居るじゃない? 彼女と、一年生が禁断の恋をしてるって事よ。この学園男女共学なのにさ〜ちょっとおかしいんじゃないかって噂よ〜」

 横に並んでいるその女生徒は、ボソボソと気味が悪いとでも言いたそうな表情で、顔を顰めながらそう言った。

「それって噂なんでしょ? 勝手に流して良いの?」

 その返事には、

「でも出所が確実なのよね〜だってさ、桂雛の幼馴染が言ってるんですもの〜」

 確信して、噂を流している。その中心人物が、あの幼馴染の真由美という事が判った瑞希は、もう此処には用がないと、自らの体に心転換した。

『何故だ? 幼馴染の真由美がこの事を知った経緯……それが判らない』

 あの時、保健室の外に居たのは確かに玲於奈だけだった。それは、気配を感じなかったからだ。あの時感じた気配は一つ。そう玲於奈だけ。なのに、何故?

 瑞希は、これだけでは判らないと、直接噂の発信元である、幼馴染の真由美の教室に行く事にした。それは、あの桂雛と同じクラスでもあるのだけれど……


 瑞希が向かった二年B組の教室は、ざわめいていた。それは、真由美の机を皆が囲んで行われていた。

 瑞希は一度雛の姿を捜したが、そこには雛の姿は見当たらなかった。

「真由美……それ本当なの? あの桂さんがっての。だって可愛いし、男子にも人気高いんだよ? ちょっと考えられないんだけど〜」

 一応半信半疑な子も居るらしいが、それでも結局話題に乗ると言うのには変わらない。全く、女子というのは噂話が好きだな。と、天使の瑞希が思う事ではないが、実際そういうものだから否定する言葉を持つ気は無い。それでも、会話は進む。

「あ〜ら。幼馴染の私が言うのよ。信じられないかしら? それに、昨日のあの体育の時間怪我したあの子を迎えに行ったのに、実際

居なかったんだもの。それが、次の授業前の

あの子、誰に連れて来られたと思う? 一年生のあの生意気そうな石川玲於奈よ? これが動かぬ証拠よ!」

 これが、幼馴染の台詞かと瑞希は気分が悪かった。あの保健室での女医としての瑞希がこの真由美を友達として薦めたのは過ちだったとしか思えない。此処まで非情になれるものだろうか? 

「あ、それあたしも見たわ! 二人親密そうだったもん。確かに!」

 肯定する者が居れば、それはドンドン真実味が出て来る。そんな話題をしている時、教室のドアがガラガラと鈍い音をさせて開かれた。その先には、雛が中に入ってこようとする姿が有ったのである。

「あ、真由美……何故先に登校したの?」

 今自分がどういう状況に置かれているのか。それを知ってか知らないでか、その噂の渦中の当人物は、丸い黒目がちな目を瞬かせて周囲に居る女生徒を潜り中に入ってきた。

 瑞希は、度胸有るなと言うか、噂になってるそのこと自体知らない天然な雛に脱帽しそうになる。普通、この雰囲気に入り込めれないだろう。何となく、避けるのが普通ではないだろうか? もしくは、気が付く。

「あ〜ら。雛は、愛しの玲於奈ちゃんと一緒に登校なのじゃなくて? 私が居たらそれこそお邪魔よね〜?」

 真由美の台詞に、クスクス笑う女性徒も居たりで、やっと自分の立場という物が何なのか判った雛は、可愛らしい少し高潮した頬を直ぐ様青く染め替えた。

「な、何を言ってるの? 真由美と一緒に……」

 言葉を詰まらせながらも、雛は何かを言おうとしていたが、後ろからドンッと背中を押されて小さな体が前のめりになりそうになる。

「あ〜ら、ごめんなさい? ちょっと気分が悪くなっただけよ。でも触ってしまったわ。

手を洗ってこようっと!」

 それはまるで触りたくない物を触ってしまったとでも言いたげな行動だったために、雛は泣きそうな顔で、一度真由美を見ると、一気に鞄を持ったそのままの状態で教室を駆け出していった。

 その後には、フンっと鼻で笑った真由美が机に座った肘を着いたまま顎をしゃくった。周りは笑い声で教室中が犇め(ひし)く。それは、虐めと言う人間社会の未だ解決されない問題であった。

 瑞希は、そんな人間を一瞥すると、直ぐ様翼を操り雛を追う。こんな状態で、今の雛を助けられる者が居るであろうか? そう案じながら……


「見てください、怜羅様。あの見習い天使の慌てっぷり! 良いざまですわ!」

 三年A組の教室で、界瑠は怜羅に耳打ちしていた。自らの経歴などの情報操作は完璧。そして侵入したこの学園。その教室でこそこそと。

「ほほほ。いい気味だわ! これこそ快楽だわ。それに、悲劇を見るのは楽しいわね。あの女生徒の泣きっ面に味を占めてしまいそう」

 怜羅は、今にも高笑いしそうなその心を一応押し殺しつつ界瑠に伝える。

「さ〜て、あの見習い天使。え〜と何でしたっけ? 瑞希とか? どうするつもりでしょうね? こうなってしまっては、もう、あの二人を引っ付けるなんて出来っこないのに」

 界瑠は、クスクス笑いをしつつ、校庭に走り出てきた雛と、姿隠しをしている天使の姿の瑞希を目で追いながら楽しそうに言った。

「どうしようもないでしょ? こんな手を使ってしまったら。と言うより、壊した物が元には戻らないように、このまま別れるだけよ。

『あ〜愛しの王子様、あたしは、もう、此処にはいられません〜!』って具合にね?」

 自らのセーラー服を纏った細い体を両腕で掻き抱くようにして、怜羅は演技じみた様に言った。それは、悪魔の勝利宣言である。が、周りのクラスメイトから見れば、何あの人。変な人。であろう。

 そんな三年A組の窓際とは全く逆、廊下側で机に座り窓際のその二人組みを見る礼司。

『あの二人……昨日まで居なかった筈ですね

……どこの誰なんでしょう?』

 天使には効かない魔術。それが天使と悪魔の共通点。いくら人間の記憶を改竄しても、天使には無効。見習いにもなれない礼司ではあるが、この魔術は効かない。よって、些細な事でも気がかりな事は天界に連絡しなくてはならない。

 自らの胸元のポケットから革手帳を出すと、この事についてのメモ書きをした。すると、それは自動的にページが切り取られ、宙に浮くと、そのまま消えた。

『天界への連絡は終わりました。後は待つだけ。さて、まだ時間はありますね。瑞希様の方はいかがでしょうか』

 スーッと息を吸い込むと、目を開けたまま瞑想に入る。これが、瑞希の行動を追う時の礼司のお役目。こういう瞬間は、何か周りで囁かれても聴こえて来ない。友人を作ってない休み時間ならではのお勤めであった。

 

 校庭に走り出た雛は、校門目掛けて走り出そうとしていた。それを、訝しげに振り返る生徒達。しかし、校門には守衛が居る。この学園は、一度校門に入った生徒が授業の終わるまでの時間、外に出る事を禁じている。

 まるで外国の学園のようなシステムであった。

「おや、キミ? 駄目じゃないか! 未だ授業は終わってなどいないぞ」

 勿論飛び出そうとした雛は取り押さえられる。

 しかし、今この場所に雛の居るべき場所は無い。こんな事になって、逃げるしかない雛にとって難関だ。

「気分が悪いんです。病院に行かせて下さい」

 雛は訴えたが、届けもないし、今の今まで走ってきた人間が気持ちが悪いなどとは思えない。それが昨日足を痛め、どんなに鈍足であってもである。

「嘘はいけないな。どんな事情があろうとも、この学園を出る事は授業が終わらない限り、受け付けられない。さあ、教室に戻って下さい」

 結局承諾が得られないまま、雛はその門の脇に体を寄せてジッと蹲った。

『……外には出られない今、どうする? それより、玲於奈……あいつはどこに居るんだ

? この状況を察していたら真っ直ぐ雛の所に来るだろうに……』

 瑞希は、蹲ったままの雛の傍に腰を下ろして、頭をナデナデした。それは、何となくこうする気分になった。此処に居ない玲於奈の変わりに。すると、頭上から聞覚えのある少しハスキーな声が掛かった。

「あ、雛……どうしたの? 気分でも悪いの?」

 その声の主は、待ちわびていた玲於奈であった。こうしているだけで、雛だと判る玲於奈は凄いかもしれない。とか言ってる場合じゃなかった。そう、この状況下、玲於奈も今、雛が置かれている立場を理解していない。噂とは、結局当人達に判らないように出来て居るのかも知れない。

「……玲於奈ちゃん……あたし教室に行けないよ……」

 そんな台詞に、昨日痛めた左足首には未だ包帯がなされているから、足が痛いのかと思ったらしい、

「じゃあ、私が運んであげるよ。でも、いつも一緒に通っている真由美さんは?」

 今の玲於奈に、その真由美の名前は強烈だろう。瑞希は止めたかったが、そんな事は出来ない。くそっ! 何か良い方法は無いだろうか。そう考えるけど、周りの女生徒や、男子生徒を見回しても、心転換しても何の役にも立たない者にしか過ぎない。瑞希は歯噛みした。 

せめて、あの女医に心転換できれば……それなら事情も判るし話にも応じられる。そう思ってしまうが、此処まで女医が来る理由が判らない。なら、玲於奈がそこに運んでくれれば良いのだ。そう、保健室に行こうとそう一言促してくれれば良いのだと思った。

「……玲於奈ちゃん。そうじゃないの。教室には行けないの……あそこはあたしが居ちゃ駄目なの……玲於奈ちゃんにも迷惑かかっちゃう。家に帰りたいよ〜」

 真由美の事は何一つ漏らさない。それに、玲於奈を責める訳でもない。きっと気が付いてるんだ。こういう子は、何かに当たる事は出来ない。自らを責めるタイプなんだと瑞希は悟った。考えてみれば、そうだろう? 離れていく人間を考えて心に壁を作ってたのだから……

「ちょっと、雛? 今一理由が判らないんだけど……あ、済みません」

 後方から校門を潜ろうとしている男子生徒に肩がぶつかり雛の事を気遣いながら、玲於奈は雛の体をおんぶすると、校庭脇の銀杏並木のベンチに腰掛けさせたのである。

「何があったの? ちゃんと話してくれないと、私……判んないわよ?」

 取り敢えず心を落ち着けてといった感じで、軽くウェーブの掛かった栗色の雛の髪をなでた。

「あの……教室に入れないの。玲於奈ちゃんも多分教室に入れないよ……ごめんなさい。

あたしのせいだよ……」

 その繰り返し。流石の玲於奈も、これじゃ埒が明かないと感じたのだろう。

「ちょっと待ってて……雛にとって話したくないことなのね? 私が教室に入れないって思ってるのだったら、私が雛の教室に行ってくる。そうしたら判るのね?」

 理由も話せない状態の雛に訊くより、手っ取り早いだろう。そう玲於奈は感じたらしい。

「いや! 駄目! 玲於奈がちゃんが傷つくよ!」

 傷つくという言葉に、玲於奈はピンッと何かが頭を過ぎったらしい。

「止めないで。何が起こってるのか……それが何なのか判った気がしてきた。行ってくる。

雛が今どういう目に遭ってるのかちゃんと私の目で確認してくる!」

 そう言い放つと、玲於奈は二年B組へと足を運ぶ為に体を翻した。その後姿を雛が何度も止めようとしたが、振り返らなかった。

『……凄い展開だな。単身で雛の教室に向かうだなんて……或る意味男らしい』

 などと、瑞希は興味深げにというのは失礼だが、この状況で手出しできない以上、見守るしか出来ない。そう傍観者のように。


「済みません。真由美さんはいらっしゃいますか? 一年A組の石川玲於奈です。そうお伝えしていただければ判ります」

 玲於奈は、真っ直ぐな姿勢で少し会釈すると、二年B組の教室の前にたむろって居る男子生徒に声をかけた。その男子生徒は、一瞬引き吊った表情に摩り替わったが、玲於奈の申し出を受け取ると、教室に入り真由美を連れてきた。

 その時、教室は真由美を取り囲んで会話をしているその状況が見えた。玲於奈は確信した。雛の居場所を奪ったその当人が真由美であるのだと。

「あら、玲於奈ちゃん。二年生の教室に何の用? 私じゃなくて、雛に用事の間違いじゃなくって?」

 あっけらかんと、周りに聴こえる様に真由美は言って退けた。

「嫉妬ですか? 真由美さん。見苦しいですね……」

 玲於奈は怒りのために、少し声のトーンを落として言った。

『嫉妬?』

 瑞希は、その言葉に動揺を隠せなかった。

真由美に対しそう言った玲於奈にとって、それは勝利宣言のような意味合いだ。という事は……この真由美という女子学生も、雛が好きであったという事になる。

「し、嫉妬ですって? は! 笑わせないでよ。何で嫉妬なんかしなくちゃならないって言うの。この私が!」

 真由美は、眉間に皺を寄せて玲於奈に食い掛かる様な形相だった。瑞希はそれを見て、女の子って怖いと思わずにはいられなかった。

「逆切れですか? 本当に器が小さくていらっしゃる。だから、雛は弱いままなんですよ。 貴女に飼い慣らされて、可愛い可愛いと。それは今まで付きっきりだったんですものね。でも、雛はそれで済む様な人間じゃありません。ちゃんと感情というものがあるのだから

!」

 玲於奈は、冷静にそして、的確に相手にダメージを与える言葉を選んでいる。これは、玲於奈の怒りなんだろう。大事な者をどういう形で守るのか。それをちゃんと自らの言葉で示している。瑞希は、この二人のやり取りを見ながら、不謹慎にもこれは見ものかも知れないと思った。

「な、失礼な! 誰があんな子を可愛いだなんて思ったりするって言うのよ! ただ、出来損ないの哀れな子を庇ってただけじゃない。それを器が小さいだなんて言われたくないわ

!」

 真由美も引かない。これは長期延長戦でこの戦いは続くぞ。瑞希はそう思いながらバチバチ音がしそうな二人の重なり合った視線を感じて身震いした。

「そういうところが器が小さいと言っているのです。雛は哀れな子ではありません。ちょっととろい所があるかも知れませんが、ちゃんと自分の意志を持ってますし、それを実行に移せます。それを、汲み取れないようでは真由美さん、貴女は何も雛のことを理解できてなかったと言わざるおえません。それから、一つ言っておきます。貴女がしたことのこの報いは、その内自分に返ってくるという事をお忘れなきよう……ではごめんあそばせ?」

 丁度、朝のホームルームが始まるというそんな時間帯になった事に気が付くタイミングに関して玲於奈は絶妙だった。言い終わったとたん予鈴のチャイムが鳴り響いた。それはまるで、恐ろしい予言でも残していく悪魔の如く、今の真由美には薄々感じられているであろう。だけどそれだけのことをしているという自覚はないかも知れないが。そんな玲於奈の後姿を一瞥すると、周りの野次馬に、

「ちょと、見世物じゃないのよ! 早く教室に入りなさいよ!」

 このクラスの副委員長としての役割を果たす。そして廊下に一人残った真由美は呟いた。

「何さ。そんな脅しが私に効くと思っているのかしら。雛も……石川玲於奈、貴女もこの学園から追放してやるんだから」

 そう捨て台詞を吐くと、教室の中へと消えて行ったのである。


『うむむ。玲於奈を追うべきであろうか?

まあそれが当然だろうな。俺のやるべきことは何故俺がお勤めを失敗したかのその探索なんだし。それにしてもビビッたな。女の子って可愛いものだと思ってたけど、中身はドロドロじゃんか。はぁ〜優しくなれるそんな感情はないのかなぁ〜』

 なんて、今まで色んな天使としてのお勤めをしてきたから、こういう嫉妬? みたいな感情も少しは慣れて来たと思っていたけれど、今回のは、想いが交錯し過ぎていて参る。それが、尋常ならない恋な物だから、違和感があるのであろう。瑞希は翼をバサバサその場でホバーリングさせながら、胡坐をかき考え込んでいたが、

『ここで考えていても仕方ない……玲於奈の後を追おう』

 瑞希は今瑞希が居るであろう場所。銀杏並木のベンチへと急いだ。

 

「お待たせ、雛。此処でずっと居ると風邪引くから、あの保健室に行きましょう。あそこなら、女医の先生が何とかしてくれると思うから」

 そう言って、玲於奈は雛を立つようにと促す。

「足は痛くはないんでしょ? なら一人で立てるよね?」

 玲於奈自身、自分も雛に対しては甘い所がある。でも、真由美の様な接し方をしていたら駄目なんだと自分に言い聞かせるようにして、立ってと促した。それは自分の言葉に責任を持っているかのようにも感じられた。

「うん。ありがとう玲於奈ちゃん。あ、それでね……玲於奈ちゃんあたしの教室に行ったんだよね? 大丈夫だったかなって……嫌な気分にならなかったかな? とか色々考えちゃって……」

 雛は、飽くまで真由美の事は口にしない。それは、真由美の事を話すべきじゃないと思

っているのかも知れない。もし、雛が真由美が自分の事を好きだと気づいていたならば、玲於奈にとってそれは、良い気分はしないだろうからだろう。あ、でも違うか? 彼女は真由美を幼馴染としてちゃんと許容していた。そして、自らはなれて離れていくことまでをも案じていた。ならばその線は消える。雛は、真由美の気持ちには気付いてはいない。ならば、何故玲於奈に話さない? 幼馴染が、こんな状況を作り出してしまい、それを責めたくないからか? 否、そんな単純な気持ちではないだろう。雛の心の中にある物が判らない。瑞希は、まだこの雛のことを理解できていない事に気が付いた。

『何たる失態……精神的に未熟だな俺は……』

 そんな事を呟いた。

 そして、瑞希は、そんな雛の言葉を玲於奈がどう返すのか? に焦点を合わせることにしたのである。

「嫌な気持ち? それは無かったわ。有ったのは、軽はずみな私の行動への嫌悪ね。だから、雛が気にする事は無いわ? 良い? 後は私に全て任せておいて。雛はとにかく保健室で休んでいなさい。あそこはあなたを守ってくれる場所なのだから。判った?」

 そう言って、玲於奈は、雛の背中を押した。

「ホームルームが始まっているの。ここで一度解散。一人で行けるわね? 雛は強いんだから!」

 その言葉に、雛はコクンと頷き、いつものように頬を高潮させて微笑んだ。それに安心して、玲於奈は踵を返し、自らの教室である校舎へと足を向けた。そして、雛も自ら決心を付けたかのように、保健室のある、校舎へと足を向ける。瑞希はそれを見守り、一早く保健室へと向かった。あの女医と心転換するその為に……


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ