#10 礼司の想いと怜羅の想い
「じゃあ、俺は食べ物取りに行って来るから、暫く礼司と怜羅はそこで休んでろよ。あ、そうだ……怜羅。まだあの薬残ってるよな? それを礼司に塗ってやってくれないか? 治りが早くなると思うから。じゃあ、行ってくるぜ!」
言った言葉そのままに、直ぐ様森の外へと出て行く。行動力があると言うかジッとしていられない性格なのだろうか……礼司はそれでもそれが瑞希様の良いところだなと思ってしまう。
で、焚き木の仄かな明かりの洞窟の中、怜羅と二人きりになった礼司は、薬を塗ろうと用意している怜羅を背に暫く黙ってしまう。
特に話すようなことはない。と言うのもあるのだが、何であろうか? 話し出すきっかけがないと言うのもある。
すると、礼司ではなく怜羅が話を持ちかけた。
「お前は、あの元見習い天使の召使天使だったんだよな……あいつは、お人よしなのか自分勝手なのかよく判らない奴だ……仕えていて、不思議に思うことはなかったのか?」
それは素朴な疑問だったのであろうか。怜羅は瑞希の事を問うた。
「怜羅さん。貴女も随分な自分勝手な人だと思いますが、それを瑞希様付きのこの私に問うのですか?」
礼司は、この世界に来る元凶を作ったこの元小悪魔怜羅に少しだけ当たった。心持ち、もしかしたらこの怜羅を憎いと思ってしまったのかもしれない。判っている。これは、生まれ変わる前、二人がそれぞれを愛し合っていたと言う運命も関わっているのかも知れないという事は。だけど、自らの主人は瑞希様だ。そう考えると、そういう言い方を抑える事はできなかった。
「私は元小悪魔だ。勝手なのは判ってる。今私が訊いてるのは、お前が仕えていた、あの瑞希の事だ。別に隠す必要なんてないだろう。話せないなんて思ってるのなら、それこそ、貴方はよほどの秘密主義者か、只の嫉妬からくるものだ!」
きっと頭に来たのだろう。口調がきつい。でも、そう言われるに礼司はどちらかと言うと後者の気落ちの方が高い。自らこの怜羅に嫉妬している感がある。それは、今まで感じたことのない感覚だ。
もしかしたらそれは、礼司が途中まで堕天してしまった結果なのかもしれない。それは自覚が無くとも、そういう感覚を持ち合わせてしまっている。でも、それに気づくには礼司は余りにも瑞希様付きの召使い天使と言う誇りを持ち続けすぎていた。
「お気に触りましたか? それは失礼しました。私は忠実に瑞希様に仕えてまいりましたため、あの方を侮蔑されるような言葉は好きではありません。でも、一つ言えるのは、瑞希様は、とても心が豊かな方だと言わせていただきます」
礼司は、謝罪する理由など無いが、立場上そうなった。でも、何だろう。このイライラは……そう思いながら、背中の翼に薬を塗っている怜羅の冷たい手を感じていた。
「ふーん……そうか。だからあんなに莫迦なのだな? そこらへんが元見習い天使らしい
」
この言葉が、礼司にとってイライラを増徴させた。
「出会って間もない貴女に何が判るというのですか! 瑞希様は、それは素晴らしい方です。確かに、少しだけ至らない点もありますが、それでも、仕事はしっかりされていますし、相手の気持ちを汲むところはずば抜けております! それを、そんな風に取られるのは不愉快だ!」
礼司は思わず肩を怒らせ怒鳴った。それはこれまで無かった事だった。自分でも言った後驚く。でも、それだけ瑞希様を慕っているのだと言う証でも有る。
「そうなのか。それが本当なら、良い主人に仕えていたと言うわけだな。だが、その主人も、もうお前の主人と言うわけには行かない。人間だからだ。それに、私は、あいつを気に入った。だから、あの元見習い天使は私が頂く。あの元見習い天使は人間で言う、男なのだから」
礼司は、その言葉を聞いた瞬間硬直した。冷や汗が背中を伝わった。今何を言った?
「あの瑞希と言う人間を、好きになったみたいだ。もう、人間なんだから大丈夫だよな? 天使でも悪魔でもないのだから。よって、お前にはこの場を荒らされたくない。速やかに帰ってくれ!」
最期の薬を塗り終えた怜羅は、礼司の翼の根っこから手を離す。そして、言葉を切った。それは、礼司を必要とはしていない。そう突き放したかのようである。
「な!」
礼司は、怜羅の方へと振り返った。
「お前は要らない。私が必要なのは、瑞希だ! だから此処から去れ!」
怜羅はもう一度繰り返した。
「どうせこの世界から抜け出せないのだろう。そう判っているのなら、この世界に必要なのは、私と瑞希の二人だけで充分だ! 不穏分子は要らない!」
怜羅は追い討ちを掛ける。礼司は、その様子にカッと頭に血が上った。
「まだこの世界から抜け出せないなんて決まった訳ではない! それに、私は瑞希様の為にこの地に来た。お前の為なんかじゃない!」
自らの意見を吐くことなどなかった礼司らしくない権幕。それに対する怜羅は当然だと言えよう。そしてこうなったら、どちらも引かない。そんな見えない闘志の炎が見えるようなこの焚き木のみの暗い洞窟の中。それは、一人の男子を取り合う二人の女子の様な図だった。
しかし、その燃え盛る炎の中に水が掛けられた。
「よう! 取ってきたぜ、食べられそうな物を。森の中に果実が沢山あってな。野苺に、イチヂク、それに……これって栗なのかな?焼き栗にして食べような?」
自分のことで話がこじれているとは思いもよらない瑞希は、嬉々としてそう言った。
「早かったな……」
「早かったのですね……」
怜羅と礼司は、揃って口を開いた。が、その後二人は顔を合わせてしまい、ぷいっとそっぽを向く。
「? どうしたんだお前たち……そんなに牽制しあってさ……もっと、明るく行こうぜ!
な?」
と、一応この雰囲気の悪さを察したらしい。瑞希は二人の顔を見比べた。
「別に何もない。そうだな。ここは暗いから、外で食べるとしないか。見晴らしの良いところの方が良いな。そう思わないか? 瑞希」
今の今まで、怜羅は見習い天使としか言わなかった瑞希のことを、名前で呼んだ。それに違和感を感じた瑞希ではあったが、まあそう呼んでくれた方が気持ち的には嬉しいし、特に何も突っ込みを入れるような必要性は無い。が、礼司は少し不機嫌のような顔をした。その理由は良く判らないが、瑞希はそう感じた。今までこんな礼司を見たことなど無い。だから違和感がある。
「見晴らしの良い所……か?」
瑞希は、ウムム?と呻る。
「決めかねるのならば、あの宮殿跡が良いんじゃないか? この世界にとってあの場所が何なのかよく判らないが」
怜羅は、すんなりとそう言った。真っ黒い宮殿の跡地。それはもろく今にも崩れそうにも感じられるが、確かにあの場所は一度訪れてみないといけないような気がする。
「ああ、あそこか……確かに見晴らしは良さそうだけど、ちょっと遠くないか?」
瑞希は、礼司の事に気を取られてはいたが、それでも会話はきちんと出来ている。まあ、気にしなくても良いことなのかも知れないしなと言うのが頭のどこかにあるのかもだが。
「それなら、私がお二人を抱えて飛べば良いことですから、大丈夫です」
礼司は、賛成と言うわけではないが、このポジションで役に立つならこういう事であろう。そう思いすすんで言った。
「いや、お前まだ傷が癒えてないだろう……無理をする事はないぞ」
瑞希はそう諭したが、
「いえ、もう傷は癒えています。あの薬、効き目が凄く良いですね。ほらこの通り」
青色をした薬の合間から見える傷はもう既に完治していた。まだ先ほど塗り終えたばかりだと言うのに。
「そうか? なら、任せようか! 怜羅が俺を支えるより、俺が怜羅を支えるほうが良いだろう?腕力的に考えると」
瑞希は先を促す。取り敢えず、この洞窟を出ながら。
「じゃあ、礼司、俺を抱えてくれないか?
で、俺が怜羅をこうやって支えよう」
と、礼司を一番上になるようにと先ず礼司に飛んでもらう。そしてその体勢を伝える。
「判りました。では、瑞希様、抱えますよ」
礼司は、瑞希を後ろから抱えた。そして、少し浮かんだ所で、瑞希は怜羅を後ろから抱える。腰を抱えるようにして。
「では飛びます。暴れたりしないで下さいね。バランスを崩す恐れがありますから……」
瑞希の手前、二人に伝えたつもりだった。でも、礼司の中に怜羅という存在は無い。落ちてしまえば良いのにという気持ちさえ芽生えてしまっている。それが心苦しくて、礼司は自らを叱咤しそうになったけど、それは必要ないことだと言い聞かせてみた。
そんな中、空中飛行を終え、無事宮殿跡へとたどり着く。
天界とはまるで違う、墨のような黒い柱。そして、壊れて朽ち行こうとしている天上。オレンジの空に、まるで侵食していきそうだった。
「あそこ、見晴らしが良いぞ? ちょっと岩場になるけどさ、あそこで食べよう!」
瑞希が指し示したのは、表からではない裏の宮殿下。そこからこの世界の裏が望める場所であった。直ぐ下は足下が無い。そんな場所。
「危なくないか? お尻を滑らせたら落ちてしまう」
それに対して礼司は、
「大丈夫です。私が居ますから! 落ちても助けられますよ。どんなドジを踏んでも」
少し皮肉って言ってみた。それに対して、怜羅は少し顔を顰めたが、
「そうだな。見習いにもなれない天使様がいるのだ、安心できるな?」
とこちらも皮肉っている。
「おい……お前たち、本当は何か有ったんじゃねえ? すげー怖いんだけど……」
敏感にその間の空気を読んでしまう。底知れない冷気でも感じているかのように。
「何もありません」
「何も無い」
それに関して触れてくれるなと礼司と怜羅は何事も無いと笑った。
「変な奴ら……まあ、じゃあそういう事であそこに行こう!」
結局三人は、その場所へとそそくさと歩いて行った。
「うお〜すげ〜。上半分がオレンジ下半分は紫! あ、でも河はオレンジか……」
瑞希は下を見下ろしながら『絶景かな』と言う気分だった。食べている木の実も果実汁たっぷりで美味しい。
「よく見てください。瑞希様……あのオレンジの空に掛かる虹。あれの色は反転していますが、ちゃんと七色ですよ」
礼司は、沢山の色を判別できるようにとクスリ笑って見るように勧めた。
「あ、本当だ。あの虹に乗れたら、地上に出られないかな〜なんて思うぜ?」
「乗れるわけが無い。虹なのだぞ? 瑞希も変なこと言うな。能天気すぎる……」
怜羅は、おめでたい瑞希にそう言って退けた。
「あ、そのことですが、あの虹はちゃんと上に乗れます。もしかしたらどこかに通じているかもしれませんね? その先を私は知りませんが……」
礼司は、しれっと言った。怜羅はまた顔をしかめた。要らぬ事をといった感じで。
「そうなのか! それなら試してみなくちゃだな! 礼司、あの虹の下まで行けるかな?」
嬉々として立ち上がった瑞希は、思わず今居るこの場所がどうなっているのか? それを忘れてしまっていたのである。右足が崖からズルリと落ちた。それにはっと気が付いた怜羅がその腕を取ろうと体を投げ出す形で二人は崖の傍で宙ぶらりんな形になる。それを、礼司は、下から救おうと崖の上で翼を広げたが、何故だかこの場所では飛ぶことが出来ない。ただあるだけの翼。意味が無い。
怜羅の手が突起した岩に絡みつきそれは痛いたしくも血が滲み出ている。
「ちょっと待っていてください……今引きずり上げますから……怜羅さん……手をそのままにしていてください!」
体を地面に伏せそして右手を差し出す。怜羅の手は礼司の手を待つ。そして、やっと掴んだ所で、礼司は二人分の体重が右腕にかかり、下半身を捻らせた。
「くっ……そのまま動かないで下さい……今、引きずり上げますから!」
このままでは三人とも落ちてしまうくらいその重みを腕に感じた。
「私は良い。離せ! このまま一度空中に舞え! その後、飛んでこい! この空間で飛べるかどうかは判らないが。だが、地上すれすれならいけるかもしれない!」
怜羅はそう笑って言うと、礼司が掴んでくれている手をスルリとかわした。
礼司は落ちていくその怜羅が、瑞希を持ち上げるように引っ張り上げたのを見た。
「莫迦やろう! 何てことを!」
瑞希は自らの体よりも先に落ちていく怜羅に向かって叫んだが、怜羅の体は下へと落ちていく。それを追うように瑞希自身の体も落ちていく。
礼司は、怜羅の瑞希様を思う気持ちが純粋過ぎた物だったのだと自らの頭を殴られた気がした。
時間が何であろう、この世界で瑞希様と怜羅が過ごした時間。それが怜羅の心に何かしらの変革をもたらした。それがこの行動に出てしまった。
礼司は、崖から少し離れたとこから助走し、そして、思いっきり加速落下を試みた。
「私は、瑞希様も怜羅さんも必ず助ける!」
そう言い放って。