第3.3話 歌詞と未練 -過去-
夜を徹してカップリング曲のメロディを仕上げ、ラフデータを田中へ送付する。
さすがにそろそろ睡眠をとったほうがいいと判断し、DAWを終了しようとしたが、ふと思い立って”アネモネの花は暁に消えゆく”のプロジェクトデータを開き再生する。
レコーディングやミキシングに携わった訳ではないため、手元にあるのはパラデータを取りまとめただけのプロジェクトファイルであり、ボーカルもコンペ提出時点の仮歌であった。
本楽曲は戸松が制作した曲の中で作詞者としてもクレジットされている数少ない曲である。
尤も、自身が望んで作詞に携わったわけではない上、況や過去の恋人をイメージしながら書いた歌詞が採用されるとは思ってもいなかった。
昨今、人気アーティストのコンペにおいては、デモの段階でそれなりの完成度が求められる。そのため、仮歌もハミングでなく、仮であっても歌詞を入れたものが望ましいとされている。
本楽曲の提出先も人気アイドルのコンペであったことから、歌詞つきの仮歌を入れる必要があったが、当時は金銭的余裕もなかったうえ、採用の蓋然性が低い曲の作詞のためにプロへ依頼することに心理的抵抗があったため、やむを得ず自分で行うこととした。
作詞は不得手であったものの、幸か不幸か、コンペ曲のテーマが”失恋”であったため、自分の過去の辛くも甘い経験からすんなりと歌詞を仕上げることができた。
戸松にとって計算外だったのは、コンペでのみ使用するつもりだった歌詞が、そのまま本採用されてしまったことであった。
作詞での印税収入やレーベル側の心象も斟酌し採用を受諾したが、それでも自分の未練タラタラなポエムが公になることは、戸松を悶えさせるには充分であった。
名義が本名でないこと、歌詞の内容も個人を特定できるような要素が含まれていなかったこともあって、まさかこのような形で香坂の知るところとなるとは想像だにしなかった。
(あぁ、次会う時は一体どんな顔をすればいいんだ……。さっきは動揺して慌てて電話を切ってしまったし、あからさまに訝しんでいるよな……)
思い悩むうちに、曲の再生が終了する。
「この歌詞私は好きよ。ストレートで等身大な感じが、the青春って感じ」
仮歌を歌ってくれた女性の感想を思い起こす。
青春なんてもはや縁遠いものと認識していたが、ずいぶんと濁った形でその残影を追うことになりそうで、戸松は口角を上げながらため息をついた。