17
人間たちの住む街を訪れることはめったになかった。
ウラノスは人間たちの音や色に溢れた騒々しい暮らしに近づくのが苦手だったからだ。
けれども時おりアーリアの寂しそうな顔を見ると、ウラノスは低く街の上を飛んだ。
仲間の姿を見ることが、アーリアの慰めになると考えたからだった。
しかし季節が本格的に夏になると、ツバメたちの姿は街から消えて行った。
子育ても終わり、雛たちは成長して自分の力で飛び立っていった。
「あの子、元気に大人になったかしら」
「あの子?」
「ウラノスが助けた赤ん坊よ」
ウラノスは地面で頭も上げることができずに小さく鳴いていたツバメの赤ん坊を思い出した。
「ウラノスが助けた子ですもの、きっと強い子になっているわね」
「ああ、そうだな」
街から少し離れた丘の上に、小さな白い人間の住む家があった。
いくつかのツバメの夫婦は、その家に巣を作り、子供を育てた。
その巣を覗き込むようにウラノスとアーリアは飛んだが、もうツバメたちが住んでいる様子はなかった。
ウラノスは家を見下ろす形で立つ近くの楡の木に止まり、家を眺めた。
家の前はよく手入れされていて、なだらかな広い芝生とそれを囲むように白や黄色やピンクの花が咲き誇っている。
その家には、三人の親子が住んでいた。
三歳くらいの女の子と母親、めったに姿を見せない父親がいた。
「ねえ、あの子みて?」
それに最初に気づいたのはアーリアだった。
「あの子、目が見えないみたい」
女の子はいつも母親に手を繋がれて歩いた。
家の前の芝生で母娘二人、よく昼食を食べていたが、独りで歩くようなことはなかった。
ウラノスたちが目の前を飛んでも目で追う事はなく、定まらない視点でいつも空のどこかを見ている。
母親はその子のことをとても愛しているように見えた。
いつも一緒にいて、抱きしめ、話しかけ、頭にキスをした。
時折母娘の食べるパンを狙ってトビが姿を見せた。
一羽、二羽と、上空を円を描くように舞って、隙を見て近づいた。
けれども母親はそれがあらかじめわかっているのか、常に長い木の棒を持っていて、トビが近づくとそれを持って追い払うのだった。
ある日ウラノスがその家の上を飛んでいると、一匹のトビが近づいてきて話しかけてきた。「おい、その背中に乗せてるの、ツバメか? 俺にくれよ。腹が減ってるんだ」
ウラノスは相手にする気もなく、ひと言「失せろ」と言うと、大きく羽ばたいてスピードを上げた。
「なんだよ、つまんない奴だな」と言ってトビは離れて行った。
その日は三匹のトビが空を舞っていた。
気づかれないようにと思ってか、最初は遥か高いところを飛んでいたが、母娘がいつものように家から出てきて芝生に座り、昼食を食べ始めると、三匹のトビは徐々に下に降りてきた。
その日はいつもとトビの様子が違った。
一匹が母娘の前に降り立つと、母親はいつものように木の棒でそのトビを追い払おうとした。
すると別の一匹が気づかれないように母娘の後ろに降り立った。
「何をする気かしら」アーリアが怪訝そうな顔で言った。
後ろの一匹は、母親が目の前の一匹に気を取られている間に近づき、女の子の食べていたパンをむしり取るようにして掴むと空に舞い上がった。
それに気づいた母親は、舞い上がったトビに何かを叫んだ。
するとさっきまで目の前にいたトビがそのすきにパンの入ったバスケットをひっくり返した。
中に入っていたサンドウィッチはバラバラに飛び散り、トマトとオレンジが転げ落ちた。
「まあひどい……」アーリアが言った。
母親はまた目の前のトビを追い払おうと棒を突き出したが、今度は三匹目のトビが急に降りてきて、後ろから女の子の髪の毛をひっつかむと、そのまま持ち上げるように前に押し倒した。母親はそれに驚いて棒を投げ出すと、泣き出した娘を庇うように抱きしめた。
もう母親に戦う気がないとわかると、三匹のトビは母娘を囲むように降り立ち、それぞれが芝生に散らばったパンやハムをついばみ、それに飽きると今度はからかうように母娘に鉤爪を向けて飛び掛かった。
「ねえウラノス、やめさせて!」
「わかった」
そう言うとウラノスは止まっていた楡の木から飛び立ち、母娘を囲む三匹のトビに飛び掛かった。