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「ウラノス、見て? あそこだわ」
そう言われてアーリアの視線の先を見上げると、人間の住む家の屋根の下に泥で作られたツバメの巣があった。
そしてそこに不安そうにこちらを見つめている一匹のツバメの顔がある。
「きっとこの子の母親ね。まだ子供たちが小さいから抱いて温めているんだわ。ねえウラノス、この子をあの巣に戻せないかしら」
「あの巣にか?」
「ええ、そうよ。この子、このままだと死んでしまう。巣に戻さなきゃいけないのに、親の力じゃあそこまで戻せないの」
「あんな狭いところにどうやって飛ぶ」
「なんとか……、そうね、足の上に乗せて、巣の近くまで寄せてくれれば、私がなんとかするわ」
「俺は同じところにじっとなんか飛んでいられないぞ」
「ねえお願いよ、ウラノス。せっかくあなたが救った命を大切にしたいの」
ウラノスは足元で小さな赤ん坊を抱きしめるアーリアの姿を見た。
背中に乗るアーリアの体重は、ウラノスの体重の五百分の一ほどしかない。
広げた羽の大きさも、七十分の一ほどだ。
そんなちっぽけなアーリアの眼差しに宿る想いが、なぜ自分の心をそれほどまで動かすのかウラノスにはわからなかった。
ウラノスはフンッと鼻を鳴らした。
そして「わかった」と一言だけ言った。
「ゆっくり、ゆっくりよ、ウラノス」アーリアにそう言われて、ウラノスはこんなので体が持ち上がるのかと自分でも思うほどの動きで翼を動かした。
足の先にはツバメの赤ん坊とアーリアがいる。
ほんの少し足を動かしただけで、飛べないアーリアも赤ん坊も地面に落としてしまうことになる。
「ゆっくり、ゆっくりね」
「わかった」
ウラノスは呼吸も忘れるほど緊張しながら翼を動かした。
足を動かさずに地面から飛び立つことが、これほど大変なことだとは思わなかった。
「そうよ、いいわ、いいわよ、ウラノス」
そう言われてウラノスはゆっくり、ゆっくりと地面から離れた。
なんとか飛び立つことはできたものの、翼を仰ぐたびに体が上下に揺れる。
「大丈夫か、こんなので」
「ええ、大丈夫よ。そのままゆっくり巣に近づいて」
アーリアの声を頼りにウラノスはゆっくりと羽ばたいたが、あまりに軽すぎるのか、赤ん坊が自分の足先にちゃんと乗っているのかどうかすらわからない。
と、その時突然、巣の中にいる母親が叫んだ。
「助けて!!!」
その声に、ウラノスは一瞬バランスを崩しそうになった。
「大丈夫、心配しないで!」アーリアが叫んだ。
「いやよ! それ以上来ないで! 子供たちがいるの。ねえ、お願いよ、その鷲を巣に近づけないで! 誰か、誰か助けて!」
と、不意にどこから現れたのか、一匹のツバメが「やめろ!!!」と大きな声を上げながらウラノスの背中めがけて爪を立てて攻撃をしてきた。
そんな攻撃でびくともするウラノスではないが、足先に乗せたアーリアと赤ん坊を落とさないかと気が気ではなかった。
「この子の父親よ」アーリアは言った。「ねえ、話を聞いて! この子を巣に戻したいだけなの!」
「誰がそんなこと、誰がそんなこと信じるもんですか! 私たちの子供を狙っているのはわかってるの! 子供たちに手出しはさせないわよ!」母親がそう叫ぶと、また後ろから父親のツバメが猛突進してウラノスの背中にぶつかってきた。
「ウラノス! 大丈夫!?」
「心配ない」そう言いながら、ウラノスは必死にバランスを保ち、徐々にツバメの巣に近づいた。
「来ないで! 来ないで来ないで来ないで! 助けて!!!」母親はパニックに陥ったようにそう繰り返した。その声に反応するように、父親のツバメの攻撃も続く。
「さあ、さあ、もうすぐよ。あともう少し、ウラノス、ウラノス、お願い……」
そして怯える母親をなだめすかせるように、「何もしないわ、ねえ、信じてちょうだい。この子を巣に戻したいだけなの。わかるでしょ? あなたの赤ちゃんよ?」とアーリアは語りかけた。
母親のツバメは、目の前にせまるウラノスの巨大な鉤爪に恐れをなしたのか、巣の中で赤ん坊を抱いたまま動きを失っていた。
「ウラノス、今よ。今なら大丈夫。あとほんの少し足を前に出して」そう言ってアーリアは、ウラノスの足先が巣に届くと、赤ん坊を押し出すようにして巣の中に落としいれた。
「やったわ! さあウラノス、もう大丈夫よ! 行きましょう!」アーリアのその声がウラノスの耳に届いた瞬間、父親のツバメがウラノスの横っ腹を叩き、足に乗せていたアーリアが逆さまに落ちた。
「アーリア!」そう叫ぶウラノスの視界の中で、アーリアは動かない羽を力なくひらひらとさせ、固い地面に叩きつけられるように落ちて行った。