15話:太平洋戦争2
アメリカ軍正規空母「ヨークタウン」に打撃を与え航行不能。その後ヨークタウンは日本軍潜水艦によって撃沈。しかし残った飛龍も敵の猛攻撃にさらされ沈没。この海戦によって日本海軍は主力空母4隻と搭載機263機全機、そして多数のパイロットを一度に失うという大打撃を受けた。一方のアメリカ軍は、正規空母1隻を失うだけで済んだ。
アメリカよりも工業生産力ではるかに劣る日本は、敵と戦いながらこの打撃から回復するのは難しい事で、この後、日本軍の緒戦の連勝の勢いは止まり、じりじりと追い詰められた。ミッドウェー作戦に敗れ、多数の空母と搭乗員を失った日本は、機動部隊による作戦が難しくなった。そこで、ソロモン諸島の1つ、ガダルカナル島に航空基地を築き、そこからハワイとオーストラリア間の輸送路ににらみを利かせる事にした。
1942年7月1日、日本軍はガダルカナル島に飛行場の建設を開始。ガダルカナル島には、飛行場建設のため約2500人の設営部隊と、守備隊として約300人の兵士「陸戦隊」が乗り込んだ。飛行場が完成目前の8月7日、突如アメリカ軍の大軍がガダルカナル島に攻撃を仕掛け、上陸を開始。ガダルカナル島にいた設営隊と陸戦隊は、森に逃げ込みました。ガダルカナル島を奪回すべく、数度にわたって陸・海・空の激戦があった。
中でも陸の戦いは悲惨を極め緻密に張り巡らされたアメリカ軍の機関銃や大砲による防御網に日本兵は次々とかかり戦死した。日本軍はガダルカナル島へ何度も食糧や武器弾薬の輸送を試みた。しかしガダルカナル島の飛行場や付近の空母から襲来するアメリカ軍機に阻まれ補給は思う様にできない。そのため残された兵は閉ざされた島で極端な飢えとマラリア、赤痢などの病に苦しめられた。1942年12月、取り残された日本兵の間で死んだ戦友の肉を食べたり食べ物を奪い合った。
12月31日、天皇陛下出席の下開催された御前会議でガダルカナル島からの撤退が決定。撤退は周到な準備の下進められ1943年2月1、4、7日の3日間に分けて実行された。この戦いで日本軍の戦死者は2万人以上と推測される。戦死の大部分は餓死と病死によるもの。ガダルカナル島から日本軍が手を引いた後、アメリカ軍は日本への攻撃スピードを上げ日本軍は敗退の一途をたどることに。その後は、米軍は南方の島からB29で日本本土の都市部を中心に爆撃し焦土と化した。
沖縄戦は1945年3月26日から始まり、主な戦闘は沖縄本島で行われた。組織的な戦闘は4月2日に開始、6月23日に終了。1945年5月末に第32軍の首里司令部は陥落し、日本軍は南部に撤退したが6月下旬までに組織的戦力を失い、6月23日には牛島司令官らが自決。その後も掃討戦は続き、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言した。
広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦末期の1945年8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用した。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人のうち9万から16万6千人が被爆から2から4か月以内に死亡したとされる。原爆投下後の入所被爆者も含め56万人が被爆したとされる。
それから3日後の8月9日午前11時頃、アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した人類史上実戦で使用された最後の核兵器。アメリカ合衆国連邦政府は、長崎市に投下した原子爆弾のコードネームを「ファットマン」と名付けていた。正式名称はマーク3原爆。原爆の投下により、当時の長崎市の人口24万人のうち約7万4千人が死亡。建物は約36%が全焼または全半壊した。




