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1話:里見敬之が横浜の生糸店へ

 ここは、八王子南部の鑓水地区、この地区が大栗川の源流部にあたり湧水が大変豊富だった。そこで、地元民は、多摩丘陵の斜面に槍のように尖らせた竹筒を打ち込んで飲料水を得ていた。こういう方法で水をくむ方法を「ヤリミズ」と言い、それがこの地区の名前となったようだ。八王子は、当時、信州「長野県の上田・依田」、上州「群馬県の下仁田・富岡・安中・大間間」の生糸が上質だった。


 この頃、海外の生糸は、欧州、特にフランス産の生糸が多く出回っていた。しかし、ヨーロッパでは蚕病「特に微粒子病」が流行するようになり,繭の生産量が急激に減少した。フランスの繭生産量は1854年から激減し回復しなかった。その結果,1850年代からヨーロッパでは生糸の生産量減少と価格高騰が起きた。そのため絹織物を織るのに使う生糸を細くして生糸を節約した。


 一方、開港したばかりの横浜港では、日本産の生糸が以前の2倍以上の高値を呼び日本中に生糸作りのブームを巻き起った。信州でも群馬に近い上田地方を手始めに「上州座繰り器」と呼ばれる、歯車仕掛けの1回の手回しで繰り枠が4回半回る最新式の糸繰り器を据付、近所の人手を借りて輸出用の生糸作りを始める「製糸家」と呼ばれる人達が現れた。


 市場に生糸が溢れ、日本生糸の粗製乱造が問題になった。外国商館の中には、近代的製糸工場を日本に設立し外国商館自らが生糸作りを行う要望を再三申し入れきた。そこで当時の政府は、欧州流の工場を作り製糸業の近代化の模範をしめすため、フランス人技術者と官営富岡製糸工場建設を契約して工事を始めた。そんな1856年4月4日、八王子近郊・鑓水の百姓の次男として里見敬之が誕生。


 その頃、生糸取引もやっていた豪商の小野組は、1870年「明治3年」前橋藩との契約が終わり、横浜に戻った富岡工場を作ったフランス人技術者と東京築地に60人繰りのイタリア式製糸工場建設の契約を結び、1871年に製造開始。1972年には、官営富岡製糸工場が操業開始。里見敬之は、小さい頃から計算、記憶力に優れ、明るく人見知りしない性格。


 しかし、幼い頃から重たいものを持ち足腰、腕力もあった。愛想が良くて、可愛い笑顔で、食べ物を近所のおばさん方にもらって腹を満たしていた。江戸時代の末期、鑓水は生糸の取引で「江戸鑓水」と呼ばれるほど賑わい鑓水商人という商人集団が誕生。まだ、横浜港が開港する以前の鎖国中の1851年の日本で、外国人を接待するための「異人館」と呼ばれた螺旋階段つきの洋館まで建てられた。


 開国後の1859年にはイギリスの外交官、アーネスト・サトウも「異人館」を訪れ、宿泊したという。鑓水商人は最盛期を迎えた。そして平本、・八木下・大塚などの商人が活躍し既に活躍し始めていた。横浜港が開港すると高値で売りたい養蚕農家と生糸の欲しい外国商社との間を取り持ち、各地から生糸を買い集めた。そして鑓水村にある自前の蔵に蓄え、頃合いをみて高値転売を行うという手法で一層発達した。


 その鑓水商人の1つ真田屋に8歳になった1864年、里見敬之が奉公人として雇われた。力持ちで働き者、男前で交渉上手で商い上手が認められた。その後、横浜港に生糸を運んで商いをするようになった。もちろん業績が良かった。しかし、里見は、鑓水の山道で、絹を生んだ商人の一眼が夜盗に襲われ、大事な生糸と命を落とす事件を見て震えあがった。


 1868年、12歳になった里見敬之は、真田屋が生糸を横浜へ売りに行くときに勉強のため同行させられた。横浜に着いた、里見敬之は、その横浜で、赤毛の外国人が行き来し、聞いたこともない英語で話をしているのを聞き、自分も近いうちに、ここで外人さんと英語で商売の交渉をしたいものだと考えた。そんな時、よそ見をしながら歩いていると大きな体の外国人とぶつかって里見は、もんどりうって倒れた。

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