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まるちゃんのみどりのたぬき

作者: へび

 まるちゃんの緑のたぬきを食べたいと思った。

 片手に乗るくらいの大きさの、丼の形をした発泡スチロールカップに入って、緑色のパッケージで包まれているアレだ。

 たぬき、といったがもちろんたぬきが入っているわけではない。たぬきそばの「たぬき」だ。だから、このインスタント麺はメインが蕎麦である。

 蕎麦。

 美味しい蕎麦屋さんの蕎麦はいい。つるんとした歯触りに、噛むほどにこみ上げる芳醇な蕎麦の香り。こだわりのつゆと一緒にすすった時に口の中にあふれるうまみは、嗚呼日本人に生まれてよかったなぁと毎回思ってしまうほどに大好きだ。愛おしい。

 けれど緑のたぬきにはそんなうまみはない。いや、美味しいは美味しいのだけど、それはあくまでカップ麺の範疇に収まったうまさだ。

 麺はぼそぼそしているし。

 天かすか天ぷらのつもりらしい添えものは、なんだか黄色のおせんべいのような形をしているし。

 つゆだって粉をお湯で戻したものになるから、毎回溶けきらなかった粉が底に残っていたりする。

 有名店に勝てる旨さは、緑のたぬきにはない。

 でも食べたいのだ。緑のたぬきが。

 仕事に行く前にちらりと覗いたガレージの奥に、まとめ買いした段ボールから出されたらしい緑のたぬきが並んでいた。

 あれはたぶん、父がたまに仕事場に持って行く用のやつだろう。

 けれど一個くらい食べたって文句は言われない。というか、もしかすると気づかれないかもしれない。

 よし、あれを食べよう。

 緑のパックを包む透明なビニールに、キッチンばさみの端を引っかけて穴を開け。破いたそこに指を入れてさらに大きく破き、むしり取る。くしゃっと丸めたビニールは、後で空けた器と一緒に捨てればいいのでキッチンの片隅に放置する。

 はさみを一端置いて、紙蓋のぴらぴらしたところをつまむ。指に力を入れてひっぱると、ぺりぺりという音とともに蓋が開いた。完全にはめくりきらない。半分以下、大体三割のところで止める。開けた中に見えるのは銀色のパックとせんべいみたいな天ぷらだ。両方とも取り出しておく。

 せんべいもどきは先入れ派と後入れ派の二種類がいる。父は確か先入れ派だ。というか、あの人はカップからこれを出すのを面倒くさがっていた。私はかりかりしているものが好きなので後入れ派。なんだったら小皿に入れて麺をすすりながら食べたいくらいだ。かりかり。想像しただけで食欲がわいてくる。大事に蓋の上に置いておく。

 銀色のパックは左が粉状のつゆで、右側が薬味の唐辛子だ。唐辛子の方は使わないのではさみで切って冷蔵庫の薬味入れに入れておく。そのうち誰かが使うだろう。そう思ってため込まれた薬味の数は、数えるのがめんどうだ。たぶんそのうち誰かがチャーハンにでも入れるだろう。たぶん。

 いつかのことなんて気にしない。残った粉のパックをつまみ、軽く振って粉を片方に寄らせる。つまんでいる方にはさみを入れると、うまいこと粉をあふれさせずに切れた。満足して、中身を開けたカップにぶち込む。茶色と灰色の中間みたいな色をした乾燥麺の間に粉を入れ、心持ちとんとんとたたいておく。なんとなく、麺と麺の間にまで粉が入った方が、溶け残りが少ないような気がして。

 そこまでやってはたと気づく。そういえば、お湯を沸かすのを忘れていた。舌打ちしたい気持ちになりつつ薬缶にお湯を入れ、最大火力に設定したコンロの上に置いておく。一回休みがもどかしい。電気ケトルもあるのだけど、私は薬缶派だ。そっちの方が早くお湯が沸く気がするから。

 とかなんとか言っている間にお湯が沸いた。蓋からあふれる熱湯に気づいて慌てて駆け寄り、カップの中にお湯を入れる。しまった。上に置いていたせんべいもどきにかかってしまった。ちょっと迷って、避けておいた透明ビニールの上に置いておく。三分の間にしおしおにならないといいのだが。そう考えながら、重し代わりのキッチンばさみを蓋の上に置く。左手の壁にかけてあるキッチンタイマーを見て、三分設定しスタートを押した。そういえばこのキッチンタイマーはずっとここにあるせいで上の方が埃まみれだ。キッチンにあるものが埃まみれというのもなんだか不衛生な気がするので、待つ間に湿らせたティッシュで拭いてやる。電化製品は洗えないのがネックだな。

 そうこうしているうちにタイマーが時間を告げた。あと少しだけ仕上げ拭きをして、綺麗になったそれを壁に戻してよれよれのティッシュをゴミ箱に放り込む。

 キッチンばさみを横に置き、跳ね上がった蓋をつまんでひっぱり取る。全部剥き終えたところで、一番奥に溶けきらなかった粉を発見した。どうやらまんべんなく粉を広げようとして逆に奥に集まってしまったらしい。失敗した、と思いつつ、丼を持ち、ビニールの上に置いたせんべいもどきを唇で挟むようにしてくわえてダイニングテーブルに移動する。途中で箸立てから箸を取り、いざ実食。くわえていたせんべいもどきを左手にもって、右手に持った箸を麺の中に潜り込ませる。

 一回。

 二回。

 三回。

 かき混ぜると溶けきらなかった粉が溶けて消えた。準備よし。

 灰色と茶色の中間のような麺に、箸を向ける。引っかけて伸ばし上げたそれからもわりと白い湯気が立ち上り、顔にかかった。今は夏。今日は少し涼しいが、それでも二十七度はあった。道産子にとっての二十七度は灼熱だ。顔と背中中心に、全身に汗が噴き出す。でも気にしない。張り付くTシャツを感じながら、盛大に音を立てて麺を吸い込んだ。

 ずぞぞっずぞっずっ。

 ずっずっず、ずるーっずんっ。

 舌の上と上顎を火傷しそうな温度が口の中に広がる。遅れてやってくるのは出汁の効いためんつゆの味だ。二三度噛むと、ぼそぼそしているのだが、熱いつゆのせいでなめらかになった蕎麦麺が蕎麦の香りをたててきた。口の中で堪能し、まだそこそこ熱いそれを飲み込む。

 食道を、あつあつのそれが下っていく。体の中から汗がまた噴き出してくる。気にせず二口目、三口目を口にすると、早くも蕎麦の味に飽き始めてきた。だからここで左手に持ったままのせんべいもどきをかじる。

 ざくっ。

 少しお湯がかかったからか、少しだけふにゃ、というか、ぐにゃ、とした食感だ。だが十分鮮やかな歯ごたえをしている。柔めの麺からのこのざくざくとした食感がたまらない。箸と咀嚼の速度が上がった。

 ざく、ざくざく、ごく。

 ずぞっ、ずーっずずっずっ。

 ざくざくっ。

 ぞぞっずっ。

 熱い麺だとか、つゆがあたりに飛ぶだとか、そういうことは気にしていられない。右手の柔い麺をすすり、二三度噛んで飲み込んだところで揚げ物をざくりと一口。具材といえるものの殆ど無い、ほぼほぼ天かすのかたまりだからこそ、潔い食感が心地よい。エビだの野菜だのなんだのが形がわかるほど入っていないからこそ、遠慮なくかぶりつける。

 歯形が鮮やかに残ったそれを視界の端で見ながら、口の中でばらばらになりつつある固い天かすに絡めるように麺を吸い込む。柔らかいと固いの合奏を口の中で堪能し、飲み込んだ。

 夢中で喰っていると瞬く間に麺が減っていく。ペースを調整しつつ、せんべいもどきをかじる面積を調整していく。途中で見つけた二枚の乾燥かまぼこは宝物のようにそれだけ箸でつまんで食べた。本物のかまぼこと比べたら藁半紙をかじっているようなものだと思うのだが、どうしてか、カップ麺の中のかまぼこというのは素晴らしいものに感じられる。有名な老舗店のかまぼこよりも、輝いて見える。不思議だ。

 カップの中が見下ろす限り深いつゆ色になった。箸を差し込めば一センチ前後の麺をつまめるが、そう何度もつまむのはあずましくない。一口サイズまで小さくなったせんべいもどきを口の中に放り込み、ざくざくとかみ砕きながら右手に箸をもって立ち上がり、流しに行く。

 排水溝の上で、カップの縁に箸を当ててつゆを流していく。全部飲んだら塩分過多だ。でも、残った麺まで捨てるのはもったいない。大体麺が見えてきたあたりでストップして、最後に残った濃いつゆを、カップに口を当て、麺ごと一気に吸い込む。

 熱かった。半端なく。舌の上を本気で火傷した。

 でも吐き出すなんてことはできない。はふほふ言いながら口から湯気を逃しつつ、右に左に熱すぎるつゆと麺を転がす。そのうち冷めてきたそれをたまらず飲み込むと、細かい麺と一緒に熱すぎる液体がぞろりと喉を下っていくのを感じた。上顎をちょっと火傷したかもしれない。でも、まあ、問題はないだろう。

 食べ終えた。空になったカップと、使った箸を洗う。カップはリサイクルへ。箸は洗いかごへ。他のゴミも分別して捨てていく。置きっぱなしのキッチンばさみは引き出しの中に戻した。

 洗い終えた箸を、ひっかけたままのタオルで拭いて箸立てに戻す。そこで一息つくと、汗をかいた体がなんだか涼しいと気がついた。多分、熱いものを食べたせいだろう。

 なんとなく、熱いままなのもなんだかなと思って冷蔵庫を開けてみる。わずかに残った麦茶を発見。コップを出して、全部注ぎきってあおる。ごくごくと飲み干したところで、息をつく。

 口の中が蕎麦と麦茶の匂いでいっぱいだ。おなかの中では、あつい麺と冷たい麦茶が出会っている。考えて気づいた。これ、腹の中で喧嘩しないだろうか。

 まあ、いいか。

 思考を放棄し、息をつく。ごはんを食べたからか、眠くなってきた。麦茶を新しく仕込んだら、少しだけ昼寝しようかな。

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