6話:首都圏での情報収集1
やがて、2010年となり、4月の高度臨床検査センターのグループ名が、
高度臨床検査センター準備委員会となり、今年の10月に、再度、個別にセンター
開設のための預託金をいくら出せるか、調査し、発表すると佐藤重幸さんが宣言した。
一方、泉田誠二は、2011年には、橫浜市の民間大型病院の放射線科に配属
されて、週に3回勤務して、空いてる時間に、他の個人病院、開業を1時間単位
でアルバイトをして、病院の宿直をして、ひたすら働いていて、既に500万円
を貯めたと話していた。
2011年2月18日に6340円で全株売、税引き後利益3108万円
となり、残金が3162万円となった。2011年8月14日、泉田誠一が実家
に帰ると、弟の誠二も来ていて、その晩、家族4人でビールを飲みながら、
雑談していた。その時、誠一が高度臨床検査センター設置委員会の話をすると、
誠二が、もう東京に、2,3年前にできたよと言った。
それを聞いて、資料が欲しいと言うと、誠二が自分のノートパソコンをあけて
、メールを送っておくよと言ってくれた。もう数回、手伝いに行き、就職しないか
と誘われたが、臨床医をあきらめるつもりはないので断ったと話した。その話に
よると、大学元教授、大型病院の元院長、開業医が金を出して、会社を設立して
、うだつの上がらない医者や高齢の放射線技師などがメンバーでいくつもの医師会
と提携して、開業医が、その高度臨床検査センターを紹介しているようだった。
20011年現在、東京に8軒、首都圏に8軒の合計16軒できていると
知らせると、さすが、大東京、すごいと言った。そして、誠一が、この情報を
仲間に知らせて良いかと誠二に、聞くと、オープンな情報だから構わないと
言ってくれ、早速、誠一は、佐藤重幸さんにメールで、この情報を送った。
こんな話を聞いていた、両親の泉田欽一、泉田薫子は、誠一も誠二も立派に
育って、うれしいよと言い、乾杯しながら、母の泉田薫子は、涙を浮かべていた。
翌日、誠一は、病院に帰って、佐藤重幸さんに会うと、佐藤さんが、1日休み
をもらって、一緒に東京の高度臨床検査センターに電話をして話しを聞きに
行こうかと言われ了解し、面会の約束は、全部、佐藤さんに任せますと言った。
その後、佐藤さんからの電話で、9月10、11日の2日で8人から、面会の
約束をもらったので、一緒に行こうと、いわれ、了解した。まず、神奈川県、
田園都市線の沿いの2軒、12時半から面会しこのグループができた経緯を
聞いた。それによると、開業医でCT、MRIを見たいときにその設備がない
ので、大病院に回さなければならない不便さを解消してもらうために、医師会
、医療機器メーカー、地元の金融機関と相談して医療機器メーカーと金融機関
でリース契約を結び、運用し始めたと言った。