4話:泉田誠二の卒後研修
その後、病院では、忙しく、勤務時間も長く、月のうち休みが4日だけという日
もあり、お金を使う暇もなく、順調に貯金が増えていった。2005年終わりに
50万円、2006年中に140万円と貯金が貯まった。2007年7月17日
に丸紅を8千株1200円で売り、税引き後利益が770万円となり、残金が
780万円となり、父に、100万円を送金し、借金を返し、残金が680万円
となった。
やがて2007年3月になり、次男の泉田誠二は、橫浜市立大学医学部を無事、
8年で卒業した。そして、2008年の医師国家試験は、2008年2月2日の
土曜と2月3日の日曜と決まり、医師国家試験の問題集を参考に、最後の仕上げ
の勉強を継続していた。
模擬試験を受けに行ったりして、万全の体制で、夏が過ぎ、秋、冬、やがて、
2008年を迎えた。その頃、泉田誠二は、体調管理に気をつけ、風邪を引かない
ように注意して、試験日を迎えて、合格した。その後、2年かけて、外科、
整形外科、内科、小児科、皮膚科の研修が待っていた。
2008年4月に外科に入局し、手術見学し、手術方法を習う授業の時に、
泉田誠二は、手術時の出血をみて、顔が青ざめて、貧血を起こして、会場を出た。
その後、外科の医長と面接して、外科系は難しいと言われ、その後の整形外科、
脳神経外科の授業は中止となり、5月から内科の研修に移った。その時に、注射
、検温、触診の勉強をしているとき、内科医長が、注射が上手なのを見て、内科
に向いてるかも知れないと言い、話し方も優しく、わかりやすいと誉めてくれた。
次に6月から小児科へ行っても、評判が良かった。次に皮膚科でも好評価で、
最後は、選択で、放射線科、精神科、心療内科、神経内科、泌尿器科のなかで
2つ選択することになり、放射線科と泌尿器科を選んだ。放射線科では、
レントゲン写真、CT、MRI画像診断と患者さんに対する説明方法、
話し方の勉強をしたが、誠一は、自分に向いてるかも知れないと思った。
その理由は、これからの時代、何と言っても病気の早期診断が、一番重要だと
思っていたからだ。最後に、泌尿器科を研修したが、やはり、気分を悪くして、
途中で研修を中止した。そして、泉田誠二の指導医から、残り1年は、放射線科
の勉強に費やして、画像診断の勉強をしなさいと言われ、橫浜市立大学放射線科
、研修医として、早朝のカンファレンスから夜遅くまで、寝る時間は、月に
1、2日の休みで、画像診断の勉強をしていると、飲み込みが早いとか、センス
が良いと言われて、上機嫌で、さらに、勉強に熱が入った。
そして2009年1月から橫浜市内の大病院の放射線科に週5日、アルバイト
に出て、放射線科の部長の下で画像診断の勉強や内科医との会合に参加して、
意見を言ったりした。そして、当直のアルバイトの仕事もはいり、毎月20万円
の給料をもらえるようになった。