2話:泉田家の変遷1
その頃、次男の泉田誠二は、国立高校の2年生になり、負けず外来の性格で必死
に勉強し、クラスでベスト8まで成績を上げて、医学部を狙おうと頑張っていた。
2年の冬には、クラス3位となり、3年を迎え、橫浜市大医学部を目標にして、
勉強を続け、2003年を迎えた。
その頃、橫浜市大医学部の合格確率が80%になり、受験日まで、体調を崩さない
ように自己管理して、風邪も引かずに受験日を迎えて、無事合格した。八王子から、
通えないので、八景島シーパラダイス近くの橫浜市大医学部に合格して、大学まで
自転車で10分の所に学生用アパート借りて、大学まで通うことになった。
翌年の2003年3月に、首都大学大学の健康福祉部放射線学科を卒業して
臨床放射線技師となった。その後、社会福祉法人の大きな病院の放射線部に
2003年4月に採用されて50人を超えるスタッフと仕事を始めた。そして
、近くのN証券に証券口座を開き、父に電話して、株はじめたいので100万円
貸して欲しいと言い、銀行口座を教えた。
翌日、銀行に行くと送金されており、早速、自分の証券口座に100万円を入れた。
そして、2003年5月1日、成り行きで丸紅株を、1株122円で8千株を
89.6万円で買え、残金が10.4万円となった。7月の暑い夜、寝苦しくて
寝付けない時に、昔の思い出が頭に浮かんだ。
金を持っていないと駄目だと、悔しそうに言っていた」のを思い出した、その後
、株の本を何冊も読んで、パソコンを使いプリンターに、2次曲線グラフを見て
、上下に直線を書いて、ここから下を買い、ここから上で売れば良いのだと自分
で納得しているの横顔を見た。そうして、数週間勉強して、株投資を始めた。
その当時のアパートは、玄関を入ると直ぐ、流しとテーブルがあり、その先に
6畳があり、4人して寝て、左側に父の書斎があり、本棚とパソコンと椅子机が
あり、狭い部屋で、イスから腰を上げるだけで、本もプリンターでも、直ぐに
手が届いた。本を読んだり、勉強するときはパソコンのテレビは、机の下に置き
、広くしてから本を開いていたのを思いだした。
そして、中学の頃になると、市営団地に引っ越し、大きなテーブルと3人掛け
の大きなソファーが入るリビング・キッチンと6畳が3部屋あり、6畳1部屋で
弟と机を2つを置き、夜は布団を引いて寝た。隣の部屋は父の書斎で、その隣が
両親の寝室であり、父の書斎に1つのクーラーとリビングキッチンに大きな
クーラーが入っていた。
風呂も、以前比べて大きくなり子供なら十分に2人は入れる大きさだった。
今考えて見ると、何故、あんな広い家に住み替えられたのだろうと不思議に
思った。そして、高校2年の2000年の時のクリスマスに、大きな鳥の丸焼き
とたくさんのフルーツがのった大きなクリスマスケーキを買ってきた。
そして翌年、2001年には、カローラを購入したのも印象的だったので、
よく覚えている、これから、遠くへも車で家族4人でいけるんだと思うと
ゾクゾクした。