第四話【0031:帝國】IIIII
「あなたが……総理?」
コタローのきょとんとした目つきと覚束ない返事に、
「もう駄目だ! もうお終いだ!」
黒地に赤のストライプが入った派手なスーツを着た老翁……[総理]はオーバーリアクション気味に頭を抱えながら膝から崩れ落ちた。
……かと思えば、
「どこまでだ!?」「うおっ」
いきなりシャキっと立ち上がったかと思うと、
「君の名は!?」
「えっ?」
「じゃあ私の名は!?」
「いや」
「だったらウチの社名は!?」
「いや……」
「ええい! では研究所の住所は!?」
「ちょっ近っ、近い……」
「何でもいい! 何か思い出せないかね!? ねえ!」
つかつかとコタローへ詰め寄り、人差し指を向けながら大声で問い掛け始めた。
「君だけが私の希望だったんだぞ!? 君さえ帰ってくれば! この狂った世界を元に戻せる! そう自分に言い聞かせて! この5週間ずっとやってきたんだ! 5週間もだ! 60過ぎの老体に鞭打って! 右も左も分からない政治家の真似事をして! 分かるかね!? いいや分からないでくれ! 記憶がちゃんとした御言くんだったら、例え尊敬する社長の私の苦労でさえも涼しい顔で無関係を決め込むだろうからね!」
「あの……総理?」
一人で暗黒舞踏を踊りに踊る総理を前に圧倒されていた双五だったが、やっとの事で冷静さを取り戻して声を掛けた。
「イマイチよく分からないんですけど、その[御言くん]ってのは誰なんですか? ってか、[社長]って何の事ですか? その言い方的に……このガk……コタローがいたら、世界を元に戻せるんですか?」
「ご苦労様、君はもう帰っていいよ」
「いや、そういう訳にもいかないでしょう」
「帰っていいよ」
「いや、ですから……」
「帰っていいよ!」
「……」
「君が帰らないと、突っ込んだ話を始められないんだ。分かってくれないかね?」
コタローと双五は数秒顔を見合わせた。
……双五は目だけを動かして自分の胸ポケットの中の携帯を一瞬差し、何も言わずエレベーターの方へと戻っていった。
「……行きましたよ」
「さっき目配せしていたが、ありゃ何の暗号だね?」
「……っ!」
「まあ差し詰め、私が君に危害を加えようとしたら双五くんが駆けつけてくる、そういう取り決めでもしているんだろうが……君に何かあって困るのは私の方だからね。そこは安心して構わないよ」
状況が自分にとって都合が悪いと分かるや否や取り乱したり、かと思えば異様に冷静かつ抜け目のない観察眼でこちらの手の内を的確に言い当てたり。
人間臭いのか冷酷なのかよく分からない態度を前に、コタローは言葉に出来ない気持ち悪さを覚えた。
「さてと。落ち着いて考えてみれば、別に君が私や襟弩くんや我が社の事を覚えていなくても構わないような気がしてきたんだが、どうだろう? ちょっと私の話を聞いてみて、何か思い出せないか、やってみてはくれないかね?」
「頼まれなくてもそのつもりでしたよ。僕だって、本気で[異世界転生]したとは思ってないですから」
「転生、か……まあ、君の気持ちも分からないでもないがね……公私ともに人間関係に恵まれなかった挙句、最後に信じた相手は……正直気の毒だとは思っていたよ。ま、でもその話は後で頼むよ」
総理はもう一度椅子まで戻って腰掛けてから、じっとコタローの顔を見つめ始めた。
「確認だが、すっとぼけて私を弄んでいる訳ではないんだね? 本当に、君が[白幸御言]である事は、覚えていないんだね?」
「はい。そこは正直に、何も覚えていないですね……っていうか、仮にすっとぼけてたとして、はいそうですって素直に答えると思います?」
「そういう意地悪な屁理屈を言う時は正直に答えてる時だね」
「……」
「さて、気を取り直して。
私の名前は[黒田時仁司]。
黒田商事の社長で、君が所長を務めていた[クロダ・インターナショナル・サイエンス・ラボラトリー]の設立者でもあった。
学生時代に東京大学で量子力学を研究していたにも関わらず就職氷河期の煽りを受けて薄給プログラマーとして生計を立てていた君の才能を見出し、研究所の所長職と量子力学の研究環境を与えたのも私の一存だった。
何故なら……、君の卒業論文を読んで、私は恐れ慄いたからだ。
量子揺らぎを起点に、物理世界の構成要素を書き換える事を目的とした研究論文……。
まるでパソコンのプログラミングかハッキングのような感覚で、現実世界を思いのままに改変してしまう方法……。
悪意を以て使用すれば世界を滅ぼしてしまえるような危険な話だが、同時にそれは実現さえすれば、べらぼうな大儲けを生み出す商売になる。
私は資産の1/3を君に投じる事にした。
そして君は、それを使いきるどころか、1/3の更に1/3程度の予算と半年の開発期間で、結果を出してきた。
聖体。
そう名付けたのは私だった事、覚えているかね?
まあ忘れていても構わない。割とどうでもいいだろうからね。
神のもたらした奇跡のような発明だったから、私はそう名付けたんだ。
そして、私は……君の[まだテストが全て完了していない]という言葉をすっかり忘れてしまう程に狂喜乱舞し、君の制止を振り切って、その場で全世界に向けてのプロモーション配信を始めようとした。
だが、プロモーションは失敗した。
聖体は暴走し、すべての人工物を砂に変えてしまう大嵐を起こした。
私の研究所や会社どころか、この国のすべてが砂と化してしまったんだ。
すべては、私の責任だ。
だから私は責任をとる事にした。
生存者の中には、突然の出来事によるショックなのか、記憶を無くしてしまった人が少なからずいた。
彼等はもうどうにもならなかったが、まだ断片的にでも記憶の残っている人達を集めて、どうにかこの新東京を作ったんだ。
私のせいで彼等がこれ以上精神的苦痛で記憶を失ったり、更なる犠牲者が増える事を少しでも抑える為に。
幸いな事に、この大事故……初期化インシデントの原因が私達である事を知っていて尚記憶が残っていたのは、私と襟弩くんだけだった。
だから皆、私を総理として一時的な国の立て直しを行う事に賛同してくれたよ。
記憶があやふやな皆を上手いこと騙して、バラバラになった聖体のパーツをかき集める。
そして、君に聖体を使ってもらって、この世界を元に戻す。
それだけを目標にして行動してきた5週間が今までの流れ……という訳だ」
話し終えた黒田は深く項垂れると、椅子ごとコタローへ背を向けた。
「なるほど……大体の事情は分かりました。でも……」
黒田の話は、嘘をついている部分と意図的に省いた部分がある。
[初期化インシデント]が起きた直後、何故襟弩に人を遠ざけさせていたのか。
幾ら開発者とはいえ、何故[白幸御言]なら確実に世界を元に戻せると言いきれるのか。
そして……あの赤い服の女は何者なのか。
「黒田さん、あなた……僕の記憶を試しましたね?」
「ほう? 私の言葉を疑うというのかね?」
言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうな声色だった。
「僕の記憶は、確かに不完全ではあるけれど……でも、自分にとって不都合だった事をそうやって隠そうとするのは世界がこうなる前からの悪い癖だったって事くらいは、アバウトに覚えてますよ」
まずは揺さぶりを掛けてみる。
こちらの記憶は不完全ではあるが、逆にいえば[どこまで覚えているか]を彼は知らない。
故に、具体的に覚られないように、しかし必要な情報を可能な限り引き出す事は出来る筈だ。
「僕の記憶に間違いが無ければ、
初期化インシデントの直接的な原因は、あなたじゃなかったハズだ」
「……!」
黒田が息を呑んだ声が聞こえた。
「幾らあなたが目先の金しか考えられないバカだからって、流石に論文読んで危険性を理解していてそんな事をする訳がない。っていうか、僕がテストも済んでない危険な装置をあなたへ出来上がった体で紹介する訳がない。僕を騙したいのなら、もっとマシな嘘をつくべきですけど……まあ、わざと、ですもんね。
……それから、事故が起きた時、あなたは僕に[何とかして止めてくれ]と頼んだ。僕は一度はあなたの事を[自業自得だ]と突き放したが……、そのままにしておくと、僕は自分の大切なものが失われてしまう事に気付いて、結局あなたの頼みを聞き入れた。
記憶、合ってますか?」
「いや、君が考え直した理由までは知ったこっちゃないが……君の行動はまさに今言った通りだ」
……黒田の声色からは、嘘をついている様子は感じられない。
話を続けることにした。
「それであなたは……僕が言った[世界を元に戻す]という言葉を信じて、事故の隠蔽工作を始めた。具体的には、襟弩を使って機動隊を足止めしたんだ。……それもかなり手荒な手段を使って」
「手荒……? 何を言っているんだね? 私は襟弩くんに[君のお得意の口先三寸でどうにか機動隊とお茶でもしといてくれ]と言っただけだ。それで、彼……双五くんは、襟弩くんと押し問答をしていた時に、手に持っていた銃が暴発してああなった、そう襟弩くんからは聞いているが……」
「アイツそんな事を……端的にいえばそれは嘘で、双五を撃ったのは襟弩ですよ「何だと!? それは一体どういう事だね!?」まあ、双五の話を信じるなら、ですけど」
「……砂嵐の影響を受けた者の話は、信用出来ない。その話は後回しに出来るかね?」
どうやら自分で通報して呼んだ機動隊員を撃ち殺そうとする程倫理観の無い人間ではないようだ。
となると……黒田の現状への理解を、意図的に襟弩が歪めている可能性がある。
だが、何の為に……?
コタローには、襟弩の目的が理解できなかった。
「分かりましたよ。じゃあ最後に」
とりあえず黒田に襟弩に対する疑念の種を植える事は出来た。
恐らく、これからは彼の発言に対してある程度警戒をしてくれるハズだ。
それを成果として、コタローはいよいよ核心に触れる事とした。
「聖体を起動して、初期化インシデントを起こした[彼女]は今、何処にいるんですか?」




