第五章 シークレットプレイス ~君たちがくれたもの~
はい、というわけでですね。
いくらあんな感じで、自分の中にある本音に気づけたところでですね、どうにもならないってことはあるんですよ。
そりゃあ、今までろくに部活もバイトもやってなかったモヤシっ子高校生が、毎日吐きそうになるまでバイトに明け暮れてたらどうなりますかって話ですよ。
しかも、マリアの家で食ったのが唯一と言ってもいい、ちゃんとした「料理」だったとしたら?
そしたらどうなるかって。
答えは簡単。
ものの見事に風邪をひくわけですよ。
ピピピッ、ピピピッ。
ちょっと耳触りぐらいの電子音が鳴り、脇に挟んでた体温計を取り出す。
三八・五度。
「あー、意外と高いよね」
頭がボーっとする。あと咳がひどい。
多分、昨日の琴子との長電話が決定打だった。
四月とはいえ、夜はまだ肌寒い。暖房器具のない部屋で、上半身裸のまま長時間いれば、そりゃ湯冷めもするって話だ。
学校にはついさっき連絡をいれておいたから大丈夫。あとは──
「今日のシフト……」
今から午後までがっつり寝て、少し無理すればバイトに行けなくもないと思う。
けど、そんな状態の俺が行ったところでただの足手まとい。いるだけ無駄。むしろ余計に仕事を増やす可能性だってある。
「素直に今日は休もう」
そう思ってみたところで、マリアのやつには連絡しづらい。
後で何言われるか分かったもんじゃない。
もしかしたら、学校帰りに僕を消しにこの部屋に乗り込んでくるかも……。
ただでさえHPが赤色で、状態異常『カゼ』になってる上に、もしあの杖での攻撃が加わったら。一発で持ってかれる……。
そうなったら、誰か僕を教会で復活させてくれるだろうか? そういや僕って、復活に何Gかかるんだろう?
ああ、なんかそんなこと考えてたら、今にもマリアがこの部屋のドアを蹴破って入ってくるんじゃ──
ピンポーン。
「ギャ────!! ゴメンなさいゴメンなさい許してください死にたくないよ──!!」
「えっと、高橋君大丈夫かい? 僕だよ。小野だよ」
「……小野さん?」
死の恐怖から逃げようと床を転がり回っていると、ドアの向こうから優しい声が聞こえてきた。
冷静さを取り戻すまで数秒かけた後、半ば這うようにして玄関のドアを開ける。そこには、副店長を務める小野京平さんが立っていた。相変わらず、開いてるのか分からないような特徴的な糸目で、僕を優しげに見ている。
「いやぁ、家にいてくれてよかったよ。どうしたの? 体調でも崩したのかい?」
「あ、はい、風邪ひいちゃいまして……。中入ります?」
僕が半身引いて招き入れる仕草をすると、小野さんは笑顔で首を横に振る。
「いや、高橋君がここにいることが確認できればそれでよかったんだ。愛沢さんから連絡があってね」
「愛沢さんから?」
「そう。学校に高橋君が来てないんですけどって。連絡も取れないし、もし時間があったらでいいので様子をみてくれないかって」
そこでハッと気づき、ポケットの中のスマホを見る。
「しまった……」
昨日、長電話したにも関わらず、充電するのを忘れてた。学校に連絡したあと、ついに切れたらしい。
「小野さんスミマセン、お手数おかけして。愛沢さんには僕から連絡しておきます。それと、今日のシフトなんですけど……」
「うん、お休みって店長には伝えておくよ」
「ありがとうございます」
「体調悪い時ぐらい、気にしなくていいよ。よし、じゃあ僕はそろそろ行くとするよ。ちゃんと温かい格好して寝るんだよ。あとこれお見舞い」
そう言って小野さんは、コンビニの袋を手渡してくる。
「気のきいたものじゃなくてゴメンね。もしかしたら体調崩してるんじゃないかと思って、買ってきて正解だったよ」
袋の中を見てみると、ゼリーやプリンがいくつか入っている。
「あ、ちょうどこんなのが食べたかったんですよ。本当、何から何まですみません。今お金払います」
「あ、いいっていいって」
部屋の中に財布を取りに行こうとした僕を、小野さんが引きとめる。
「お見舞いだっていったでしょ。それにこういう時ぐらいは、先輩としてかっこつけさせてよ」
小野さんは、そう言ってイヤミなく笑う。
何この人! 超絶イケメンなんですけど! 惚れちゃう! うん、惚れちゃう! 女の子が好きな僕でさえ惚れちゃう!
あれ、何だこの気持ち?
なんか胸のあたりが……。気のせいか、ほっぺも熱い。
このドキドキ、これってもしかして──ってないから!
単純に熱があるだけだわ!
いくらキャラなしがイヤだからって、その方向性にだけは行っちゃダメだわ!
そんな僕の心の葛藤には気づかなかったらしく、小野さんは「それじゃ、お大事に」とだけいって去って行った。僕は、キャラ探しに必死すぎる自分にドン引きながらその姿を見送る。
部屋に戻り、さっそく愛沢さんに連絡を取るべくスマホに充電器を挿しこむ。電源を入れてみれば、愛沢さんからメールと電話が二件ずつきていた。
急いで愛沢さんに、風邪で学校とバイトを休むというメールを打つ。
「これでよしっと」
スマホを置いてベッドに横になろうとすると、スマホがバイブする。
愛沢さん、随分返信が早いな。まったく、ちょっと僕に会えないからってそんなに心配しなくても。
内心ニヤつきつつ画面を除く。
「チッ」
次の瞬間、あからさまに舌打ちしていた。
だってねぇ。
愛沢さんからの愛のメールかと思ったら、差出人が『八紙栞』だった時のガッカリ感たらないでしょうよ。
ま、何だかんだ言ってメールを読んであげる僕は優しいけどね。
ちなみに、栞はよくバイトに遅刻してくる。本人いわく、部活が長引くせいだと言っていたけど、この前あいつの部活が何か判明した。『漫画部』で漫画を描いてるらしい。筆がのると、つい時間を忘れて書いてしまうとかなんとか。
どうでもいいけど、バイトはちゃんとやろうな。
「えーとなになに?」
『今度BLの漫画を描こうと思うんですけど、どう思いますですか?』
………………………………………………………………………………………………。
「よし寝よう」
さっきの、小野さんとの流れの後にこのメール、一瞬で僕の精神負荷がキャパオーバーだった。
○
ピンポーン。
「あう?」
熱にうなされながらまどろんでいると、唐突に呼び鈴が鳴った。
スマホを見ると、時間は昼の十二時。
「こんな時間に誰だろう?」
イマイチ働かない頭でボーっと考えていると、もう一度呼び鈴がなる。
「はいはい、今出ますよ……」
もちろん、ドアの外の人に聞かせる意思はない。そうでも言わなきゃ、自分の身体が言う事を聞いてくれそうになかった。
「……留守か?」
ドアに這うように近づいたところで、低いけど、不思議とよく通る声が聞こえてきた。
あれ、この声は武光さん?
「……病院か? ……寝てる……のか?」
あ、それならそれで今は助かる。武光さんにはムチャクチャ申し訳ないけど、今は人と喋ったりするのは正直辛い。
「……まさか…………死にそうなのか?」
おっと、いきなり思考がホップ・ステップ・ジャンプですよ。
「……俺が……助ける!」
うん、もし本当に死にそうな人がいたら、救急車が一番ですよ。
「……このドア……鉄か」
そうだ。そもそも、助けると言ったところで、ドアの鍵が閉まってるんだからどうしようもないだろう。
この間にドアを開けてあげればいいじゃん、という声が聞こえてきそうだけど、聞かないふりをする。
今は一人でゆっくりと休みたい気分だ。
「…………仕方ない」
ほら、武光さんも諦めるみたい──
「斬り捨て御免!」
「ああ武光さん! どうしたんですかこんな時間に! すみません寝てて出るのが遅れちゃいまして!」
「……高橋……元気そうだな」
「おかげ様で!」
みなさんに今の状況を説明したい。
お分かり頂けないだろうが、武光さんただ一人を相手にしてるのにも関わらず、ボケが渋滞をおこして僕のツッコミ処理能力を軽く凌駕してしまっている。
さて、軽く整理が付いた所で、そろそろツッコミ始めたいと思います。お付き合いください。
とりあえず、なぜ日本刀を腰に差し、今にも居合斬りを放たんとするかのような格好をしてるのかについては触れるのを控えるとして、さっきのは明らかに必殺技を出す時の掛け声だろうとか、いつもはあんな喋り方なのに、なんで掛け声だけは生き生きとしてるんだとか、あなたは鉄を斬れるのかロロノアですかとか、なんで今微妙に残念そうな顔してるんですかとか、元気じゃなくて焦って飛び出したんだよとか、『おかげ様で!』は皮肉ですよとかってのを、とりあえず心の中で総ツッコミを入れました。
はい、なんとか消化できましたでしょうか。
「…………七点」
「ちくしょう!」
僕のキャラ作りは迷走中です。
「……あがって……いいか?」
「あ、はい。ちょっと散らかってますけど……」
そう言って、武光さんを中に通す。武光さんに座布団を出し、テーブルを挟んだ向かいに僕も座る。
「……京平から聞いた。……風邪……らしいな。……見舞いだ」
端的にそう言うと、武光さんは小さな黒い箱のようなものを渡してくれた。
「これは?」
「……印籠だ」
「はい?」
全然意味分かりましぇん。
「江戸時代、印籠は薬入れとして使用されていた」
何か急に饒舌になった!
「印象としては、やはり水戸黄門が強いだろうな。形は平たい長方形、木製だけでなく金属製のものもあり、三段から五段ぐらいに分割できるようになっている。中には、螺鈿や蒔絵で装飾されたものもあり──」
「ちょ、武光さん?」
「! ……忝い。……つい……我を忘れて」
「あ、いや、いいんですけどね」
はい、この人は歴史オタク決定です。
「それで、なぜこれを僕に?」
「……中」
「中?」
そう言われるがままに印籠を開けてみると、中から黒い玉が出てくる。
「……風邪薬だ」
「わざわざ入れ替えたんですか?」
何と手間のかかることを。
「……これもだ」
武光さんはそう言うと、腰に差していた日本刀をテーブルの上に置く。
「古来より刀、剣は魔除けの力があるとされている。それは三種の神器の中に、天《あめ》の叢雲の剣、別名草薙の剣があるように──」
「武光さんストップ!」
「! ……忝い。……またも我を忘れて」
「いやもういいんです。刀に魔除けの効果があるのは分かりましたけど、どうしてそれを僕に?」
「……カゼとは……『邪』な『風』と書く。…………刀で……『邪』を祓うという……まぁ、願掛けだな」
表情にはほとんど出てないけど、心なしか武光さんは照れ臭そうに説明してくれていた。僕はその行為が、好意が素直に嬉しかった。
「武光さん、ありがとうございます。これ飾っておきますね。でも、貰っちゃっていいんですか?」
「……構わない。……もう一本……『しんけん』が家にある」
なにさらっと物騒なこと言ってんだこの人。
「それって、『真剣』なやつですか? それとも、『神剣』とかっていう、ちょっとアレなやつだったり?」
「……どちらでも…………ある」
伝説級の代物出た────!?
「……ちなみにそれは……『村正』の模造品」
「素直に喜べない!」
それ、妖刀で有名なやつじゃないですか……。
さっきは飾るとか言ったものの、やっぱり破棄しようか悩む僕だった。
○
「はいはーい、しょうがないから来てあげましたですよ。はい、お邪魔しますですよー」
「は? 何? え? 栞?」
ベッドから起き上がって玄関の方に顔を向けると、学校の制服姿の栞が勝手にうちに上がってくるとこだった。しまった。武光さんが帰った時に鍵するの忘れた。
「いやぁ、今日も学校はつまらなかったです。てか栞のメール、シカトするんじゃねぇです。ま、もういいんですけどね。そんなことより、ヘンタイさんには困ったものですね。病弱キャラにでも手を出したですか?」
「んなわけあるか」
栞は大きなリュックを下ろしながら、さっき武光さんが使っていた座布団に、当たり前のように腰を下ろす。仕方なく僕もベッドから抜けだし、テーブルを挟んで栞と対面する形で座る。ベッドを背もたれにできるから、ここに座るのが一番楽でいい。
「ですよね。病弱キャラは儚げな少女がやってこそ、その真価を発揮するです」
マリアを除いたら、今一番会いたくないやつが来てしまった。栞の元気ハツラツな声に、眉間に皺を寄せる。
「で、何の用?」
僕が露骨に態度に出すと、栞は呆れたように溜息を吐いた。
「随分とご挨拶ですね。この超絶美少女栞ともあろう者が、せっかくヘンタイキャラなしさんのお見舞いに来てあげたというのに」
「お見舞い? お前が?」
あまりに予想外の答えに少しの間呆然とする。僕が呆然としてる間、栞は「ふふん」と胸を張っていた。無い胸を。
「そうです。泣いて喜んでいいですよ?」
「泣かないから、帰ってくれないかなぁ」
機嫌がいいのか、僕の暴言もまったく意に介した様子はない。
「お前、何を企んでいる? まさか! 僕が弱っていることをいいことに、ここぞとばかりにボケまくって、僕をツッコミ過労死させる気だな!?」
なんて恐ろしいことを考えるやつなんだ!
「心外です。被害妄想も甚だしいです。栞はちゃんとお見舞いを持ってきたのです」
「マジで?」
ほっぺを膨らまして抗議する栞は、ガサガサと背負ってきたリュックをあさり始めた。
「カゼの時、病状の次に辛いものはなんと言っても『暇』! ということで、栞が最近ハマっていたアニメのDVDを貸しますです。さぁ見て下さい、『僕はキャラが無さすぎて死にたい』です!」
「そのアニメ成り立つのか!? 全然面白くなさそうなんだけど! そしてそのチョイスは、僕に対する悪意を感じる!」
「人気ですよ。アニメも四クールやってましたです」
「長っ!」
後半ぐだぐだな気がする。
「最終回は泣けましたです。主人公が仲間たちと協力し、宇宙から飛来した超時空生命体から地球を守る。そして実は違う時空の住人だったヒロインとの永遠の別れ。その経験を通して、主人公は唯一無二のキャラを手に入れることに成功したのです!」
「そんな壮大な話なの!? キャラ所得するのに無駄に遠回りしてる気がするんだけど。てか、結末言っちゃったら見る意味ないじゃん!」
メンバー全員が白魔道士のパーティぐらい意味がない!
「しまったです! なら原作ラノベの方を……」
「どっちみちだよ!」
ちくしょう! 僕は今日、こいつにボケ殺されるかもしれない!
この世にツッコまれないボケを残して逝くなんて。無念だ。
「まぁ、また持って帰るのは正直面倒なので、DVDとラノベは置いていきます」
そう言うと栞は、DVD約二十巻、ラノベ約二十冊を机の上に積む。
やめろ、今にも崩れそうじゃないか。
「……これでだるま落としでもするですか?」
「しねぇよ! 病人をハラハラドキドキさせるんじゃない! あと、お気に入りなら大事にしなさい!」
愛着がなさすぎるだろう!
「冗談ですよ。じゃあ栞は帰りますです。まったく、栞は忙しいのです。自作の漫画も描かなきゃいけないのです。本当ならお見舞いなんてしてるヒマはないのです。感謝してください。こんなサービスめったにしないですからね」
「サービスの押し売りだよ」
訪問販売の人だって、もっとマシな営業トークするだろう。
「一応お大事にです。せっかく持ってきたんですから、暇になったら見るなり読むなりしてくださいです」
そう言うと栞はトタトタと、長すぎて余っている制服のブレザーの袖をぷらぷらさせながら、玄関の方へ走っていく。そのままの勢いで靴を、踵の部分を踏み潰すような形で履き、ドアを押し開ける。そこで栞の動きが、何かを見つけたかのように唐突に止まった。
「あれ、舞子りんもお見舞いですか?」
栞が新たな来訪者に声をかけていた。半開きのドアから話し声が聞こえてくるけど、具体的な内容までは聞き取れない。
どうやら僕はまだ寝れないらしい……。
溜息をつきつつもう一度玄関に目を向けると、栞と話し終わったらしい春日さんが、当たり前のように玄関で靴を脱いでいる姿があった。
栞といい春日さんといい、何で自分の家かのように上がり込んでくるんでしょう。
「よう新兵。まったくだらしが無い。健康管理も任務のうちだろう?」
「返す言葉もございません……」
言葉のチョイスはやっぱりアレだけど、仰ることは至極真っ当なことだった。面目次第もございません。
「まぁ、環境の変化もあるのだろうよ。どんなに屈強な兵士でも、環境の変化というものには辟易するものだ」
話しながら、春日さんはどかっと座布団に座る。今日も迷彩柄のカーゴパンツを穿いている。上は「最終兵器」という文字が胸元にプリントされた黒いTシャツ。確かに春日さんのものは最終兵器と言っても過言ではないほど素晴らしいけど、いささかシュールすぎる。春日さんのセンスを疑わざるを得ない。
「そういうものですかね?」
「そうだとも。こうなったからには仕方がない。今は身体をゆっくり休めるのが最優先任務だ」
春日さんはそういうと、僕の頭を少し乱暴に撫でる。結構恥ずかしい。
歳は一つしか違わないのに、春日さんがすごく大人っぽく見える。シャープで、綺麗だと表現すべき整った顔立ち。今は豪快さと不思議な包容力を感じさせる笑みを浮かべている。そしてポニーテールに結わえられた黒髪。もちろん、そういう見た目の部分から大人っぽさが滲み出てることもあると思う。
でもそれだけじゃない。
格好や言葉遣いで勘違いしてたけど、この人はものすごく面倒見のいい人なんだろう。不思議と安心する。小野さんや春日さんみたいな人を、会社で言ういい上司ってやつなんだろうな。
「さて、見舞いの品だ。スナイパーライフルM110SASSのモデルガンをお前にやろう」
前言撤回。
「TSUDAYA」の人たちは、ものの見事に僕の期待を裏切ってくれます。僕はあと何回前言を撤回しなきゃいけないんだろう。
ガチャッ、という重厚感を感じさせる音とともに、結構大きなモデルガンがテーブルに置かれる。
「すでにチューンアップ済みだ。中のバネを大幅強化し、パチンコ玉を射出できるようにしてある。100メートル先の空き缶なら、余裕で撃ち抜けるぞ」
「最早本物と大差ない殺傷能力では?」
ドン引きだった。
「アメリカ陸軍で制式に採用されてる型だぞ?」
「だからどうした!」
そんな情報を挟まれたところで、全然魅力を感じない。
「そもそもこれで僕にどうしろと?」
僕の抗議を受けて、こめかみに人差し指をあてて考える春日さん。ややあって、何か思いついたように手を合わせた。
「何かを狙撃するなり、狩るなりすればよかろう」
「何を?」
「リア充?」
「いったい何の恨みが? で、獲物はどこです?」
「ああ、スマン。ここら一体は私が狩り尽くしたのだった」
「すでに局地的絶滅?」
「なら親父?」
「絶対狩っちゃダメです!」
「リオレウス?」
「飛竜種がいてたまりますか! そもそもこの装備じゃ負けます」
「潮干?」
「ツッコんじゃダメだツッコんじゃダメだツッコんじゃダメだ」
だって春日さんの顔、ツッコミ待ちみたいにニヤニヤしてるんだもん!
「何だ、それは残念だ」
「やっぱり確信犯か!」
頭が痛い。多分原因は風邪じゃない。
「もういいです。大人しく頂戴いたします。そもそも貰っちゃっていいんですか? これ、結構高いんじゃ……」
僕が遠慮がちな態度を見せると、豪快な笑い声とともに手を振る春日さん。
「なに、たいしたものでもないさ。気にしなくていい。それに、私の家には『しんじゅう』がある」
僕は聞きなれない言葉に首をひねる。
「『しんじゅう』ですか? それって、『真銃』と書いて本当の銃ってことですか? それとも『神銃』っていう、また伝説級のアレな代物? 春日さんまで武光さんみたいなこと言って──」
「いや、『神獣』だが?」
「伝説そのもの? てか銃関係ねぇ!」
「生物兵器だな」
「兵器なんだ! てか、僕の部屋の上にいったい何がいるんですか?」
「よし、そろそろ帰るか」
「会話の終了が唐突すぎる! そして真相がムチャクチャ気になる!」
「騒ぐと治るものも治らないぞ?」
「このタイミングでの気遣いは逆に残酷だ! てかその話嘘でしょう?」
「嘘ならよかったんだがな……」
「本当なの? ねぇ、何でそんな遠い目をしてるの? 一体何があったの?」
「さて、あまり騒いでも身体に障るからな。私もそろそろ本当に去らせてもらおう」
「ホントに帰るんですか! あなたは鬼ですか!」
僕がパニックに陥っていると、おもむろに立ち上がる春日さん。この人、本当に帰るんだ。なんて残酷な置き土産をしていく人なんだ。気になって眠れないじゃないか。
夜中とか、変な声や物音がしないか心配じゃないか。
ま、これ以上ツッコんでも埒が明かなくなりそうだったので、僕も諦めることにした。
「それにしても『身体に障る』だなんて、いったいどの口が言うんですかね」
「ほう、それは上官に対する反逆と捉えていいのか?」
「スミマセンデシタ」
「はっは! 冗談だよ新兵。反逆はギアスを使えるようになってからにしとけ」
意味の分からないことを言いながら、春日さんは颯爽と玄関へと向かう。見送ろうとしたら手で制された。
「今日は疲れたろ。そのまま休め」
時計を見れば、すでに夕方の五時。ずっとカーテンを閉めてたから気づかなかったけど、よく見ればカーテンの隙間から、オレンジ色になった太陽の光が差し込んでいる。見舞いが入れ替わり立ち替わりしていたせいか、全然休めてないわりには時間が経つのが早く感じた。春日さんに言われて初めて、自分が結構疲れてることを実感する。
「じゃあな」
春日さんはそう言ってドアに手をかける。ドアを少し開けたところで「あ、そうそう」と何かを思い出したように振り返った。
「病床だと何かと気が回らないだろ。戸締りとか」
「ええ、まぁ確かにそうですけど……?」
急に何の話かと思ったけど、確かにその通りだった。今日だって戸締りを忘れたせいで、栞の侵入を許してしまった。
「やっぱりな」
腕を組み、うんうん頷く春日さん。
「だからな、お前の部屋の前にトラップをしかけておいてやったぞ」
「僕の部屋の前を要塞化しないでください!」
何てことしやがる! 下手したら僕自身出れないじゃないか。
「心配するな。部屋の外から来るものにしかトラップは作動しない」
「なるほど。下手したら、僕は自分の部屋の敷居を二度と跨げないということですね」
娘の交際を認めない頑固オヤジでも、もう少し寛大なはずだ。そして、どっちみち部屋から『出た』らお終いじゃないか。
「最近は物騒だからな」
「あなたが一番物騒です」
本格的に頭が痛い。絶対風邪のせいじゃない。
春日さんは例のごとく、胸を反らして豪快な笑い声をあげている。あ、その格好、素晴らしいおっぱいが素晴らしく強調されて素晴らしいですね。
「じゃあお大事にな。早く治せよ」
今度は本当に部屋を出ていく春日さん。その後姿にお礼の言葉をかけると、振り向くことはせずに、片手をあげて応えてくれた。格好いい去り際だな。
ドアが大きな音をたてて閉まるのと同時に、部屋に待ち望んだ静寂がおとずれる。
待ち望んだ静けさ。
微かに残った、ドアの音の余韻もすぐに消える。
遠くで車の走る音がする。
駅の、電車の発車音がかすかに聞こえてくる。
どこかで犬の鳴き声がする。
普段なら聞き逃してしまうような音が聞こえる。
一人だけの空間。
自分の息遣いさえも聞こえる。
そんな、待ち望んだはずの静寂なのに……。
「寂しいな……」
やっと落ち着いて寝れる。そのはずだけど。
静かで寂しい。
なぜかそう思った。
そう思う自分が意外過ぎて、自分の思考じゃないみたいだ。「寂しい」と思う自分を、人事のように見ている自分がいる。そんな感じ。
モヤモヤする。
今まで風邪ひいてもこんなこと思ったことなかったのに。
そもそもあの人たちのこと、あんなに苦手だったのに。
結局、「さっきまで騒がしかったのに、急に静かになったから」という結論に無理やり気味に達し、僕は布団に包まることにした。
「おう、キャラなし野郎。しょうがねぇからこの俺が仕方無くお見舞いに──って何だ? 今なんか『カチ』って音が──何? こりゃ姐さんのトラップ? 何でこんなところに? い、いや、ちょ待って……ギャ──────────────────?」
………………。
僕は布団に包まってたから、何も聞こえなかったことにした。
○
カンカン。
「ん?」
結局大して寝れなかった。お見舞いでもらったゼリーを夜ごはんとして食べて、テレビをボーっと見ていたら、玄関のドアを遠慮がちに叩く音がした。
時刻は夜十時。
「はいはーい」
薬を飲んだおかげで、昼間よりは幾分軽くなった足で玄関に向かう。
こんな時間に誰だろ?
まさかバイト終わりの愛沢さん?
マジかよ照れるぜ。
風邪をひいた僕を心配して、わざわざお見舞いに来てくれたのかい? ほんと、可愛い子猫ちゃんだ。まさか夜通し看病してくれるのかい? 寒気のする僕を、人肌で温めてくれるとか? 僕もう、頭の中がわっしょいお祭り騒ぎだよ。あれ、なんか熱出てきたかな?
なーんてね。そんな世の中、ご都合主義的にはできてないことぐらい僕も分かってますよ。そんなことがあったら、幸せすぎて死ぬわ。
「あ、高橋くん。風邪大丈夫ですか?」
「なるほど、今日が僕の命日だったか」
「そんなにヒドイんですか? むしろそれ風邪ですか?」
こともあろうに、ドアの外にはマイエンジェルこと愛沢・キューティー・葵さんがご降臨されていた。今日も相変わらず、意味不明なミドルネームをくっ付けたくなるぐらい可愛いよ。
僕の思考回路は熱のせいでショート寸前。今すぐ君に会いたいよ……って目の前にいるんだった。
「あ、ううん。ただの風邪だよ。薬も飲んだし、今は落ち着いてるから心配しないで」
嘘です。僕の頭の中はリオのカーニバル並みの騒ぎだ。何がなんだか分からなくなってる。
「そんですか。それならよかったです」
心配そうな表情から一転、僕に笑顔を向けてくる愛沢さん。
大変だ。今僕死んだかと思った。愛沢さんが可愛すぎて、一瞬天使が僕をお迎えに来たのかと思っちゃった!
「えーっと、もしかして寝てました?」
愛沢さんが申し訳なさそうに聞いてくる。もしかして、起こしちゃったと思って心配しちゃったのかな? なんていい子なんだ。
「いや起きてたよ」
「それならよかったです。なんか少しボーっとしてるように見えたので」
「あ、えーっと、熱のせいかな?」
愛沢さんが可愛いから妄想に火がついて、思考が宇宙の彼方へトリップ状態だったなんて口が裂けても言えません。
「あ、そうですよね。すみません、こんなとこで立ち話してしまって……」
「あ、僕なら全然大丈夫だから! 全然気にしないでよ!」
僕のバカ! 余計なこと言うから愛沢さんが暗い顔しちゃったじゃないか!
「高橋くんは優しいですね」
「へ?」
いつの間にか愛沢さんの顔は笑顔に戻っていた。よく分からないけど、僕グッジョブ!
「でも、やっぱり立ち話は身体に障ります。四月と言っても夜は寒いですし」
そう言いつつ、愛沢さんは僕に紙の束を差し出してくる。よくみるとルーズリーフの束だった。一番上の紙に、『古典』と書いてある。
「これって……」
「お見舞いってほどのものじゃないですけど。今日の授業のノートです」
パラパラめくってみれば、今日の分全部しっかりある。
「貸してくれるの?」
「いえ、それは高橋くんの分です。私のはあるので」
「え? わざわざ僕の分を作ってくれたってこと?」
「バイトもあったので、渡すのがこんな時間になっちゃいました」
「いやいや、本当にありがとう! 大変だったよね?」
「いえ、そんなことは……」
ああ! 自分のノートも取った上、こんな僕のような下賤な輩にノートを作ってくださるなんて! しかもこんな綺麗な字で! しかも、その苦労をおくびにも出さないその謙虚さときたら! 君は天使! いや、神様仏様女神様!
「あれ、変だな。僕、どうして泣いてるんだろう……?」
「ええ? この一瞬で高橋くんの心情にいったい何があったんですか?」
「あ、気にしないで。愛沢さんの慈悲深さに打ち拉がれてるだけだから」
「それは『打ち震える』の言い間違いであってほしいです!」
あれ? 日本語間違ったかな?
「本当に大丈夫ですか?」
「んー、多分。でも、愛沢さんが来てくれて嬉しいよ。ノートも本当にありがとう。愛沢さんの顔見たら、何か元気出てきたよ」
「え、あ、そんな。あう……」
顔を真っ赤にして俯く愛沢さん。あれ? 僕今何か変なこと言ったかな? 愛沢さんのおかげで本当に元気が出たけど、やっぱり熱のせいで少しボーっとする。
「え、えと、じゃ、じゃあ、私そろそろ行きますね」
愛沢さんはそう言って一回会釈すると、まだ顔を少し赤く染めたまま隣の部屋へと歩き出す。
「うん。本当にありがとう。あっ、今朝連絡出来なくてごめんね」
「いえ、気にしないでください。それじゃあお大事に。お休みなさい」
最後に優しげな笑顔を残し、隣の部屋へ入っていった。
しばらく笑顔の余韻に浸ったあと、僕も部屋の中へと入る。手渡されたルーズリーフの束をテーブルの上に置き、ベッドに腰掛けて一息。
ふう。
………………………………。
「あぁぁぁぁぁぁ!!」
なにやってんだよ僕!
今のは完全にチャンスだったじゃないか!
立ち話がダメなら、何で部屋に招き入れるとかしないんだよ! 愛しの愛沢さんを部屋に招き入れるチャンスだったのに!
情けない。
自分のヘタレっぷりが何とも情けない。
もうキャラ探しとかどうでもいいから、せめて意中の人との接近イベントぐらい起こせよ僕の煩悩! 無駄な時だけ煩悩発揮しやがって!
僕が、年末の除夜の鐘で煩悩全て吹き飛ばしてやろうかと考えていると、またしてもコンコンと何かが叩かれる音。
「なんだ?」
一瞬愛沢さんが戻ってきてくれたのかとも思ったけど、どうやら違うみたいだ。音が聞こえたのは、ドアの方からじゃない。
コンコン。
再度何かが叩かれる。音は僕の後ろ、窓の方からだ。警戒しながらも、僕は窓を開ける。
「いったい何だ? キツツキが巣でも作ってぐばら」
「あ」
顔面のど真ん中ストレートに衝撃を受けて、真後ろへと盛大に吹っ飛ぶ僕。錐揉みしながらテーブルを飛び越え、反対の壁へとまさに胴体着陸。いや、胴体着壁? 残りHPゼロ。
「えーと、わざとじゃないわよ?」
「そ、その前に言うことありませんかね……?」
生まれたての小鹿よろしく、ガクガクと震えながら窓を見上げると、自称魔法少女が窓を乗り越えてくるところだった。
「危ない?」
「それは僕が空中四回転半捻りをする前に言ってほしかった!」
「すごいじゃない。オリンピック出れるわよ?」
「反省しろ!」
僕の傍らには、例の木製の杖が転がっている。これが僕の顔面にクリティカルヒットをかましてくれやがったらしい。
「だってなかなか窓開けてくれないんだもん」
「二回しか呼び出されてないんだけど」
「十分よ。そりゃ魔法で窓開けるしか方法ないでしょう」
「十分じゃない! それに魔法じゃない!」
魔法使いが杖を手放したら、ただの役立たずのできあがりじゃないか。
「あら、今のは『衝撃の杖』というれっきとした風属性の魔法よ?」
「そのネーミングも実際起こったことも、物理攻撃の要素しかないじゃないか!」
「そう思いたければそう思えば?」
必死の抗議をするも、マリアは取り付く島もないといった感じで抗議の言葉を受け流す。僕は溜息を吐き、何とか立ち上がると、そのままベッドへ腰を下ろす。わがもの顔でベッドに腰掛けているマリアと距離をできるだけ取って。
「何でそんな格好してるんだよ?」
「何でって、これが私の部屋着だもん」
マリア嬢降臨のドタバタでツッコむ機会を逃していたけど、こいつの格好は普通では考えられない格好だった。
マリアは黒猫だった。
いや、意味分かんないな。
要は黒猫の着ぐるみみたいのを着ていた。
上は黒の長袖パーカータイプで、被ったフードには猫ミミが付いてる。顔の左右からは、収まりきれなかったボリュームのある髪が垂れていて、下の方で白いリボンでそれぞれ纏められている。下は黒いショートパンツのようで、そこから白くて細い素足が惜しげもなく伸びていた。お尻のあたりに、ご丁寧に尻尾までついてる。
「何で黒猫……?」
「そんなんも分からないの? 魔女と言ったら黒猫でしょう」
それで自分が黒猫になっちゃうのは、方向性を誤ってるとしか言いようがない。
「この前は着てなかったじゃないか」
「そんなの、洗濯しちゃったからに決まってるじゃない」
何着も持ってて、毎日黒猫さんというほどこだわりは無いわけですね。
「まあいいや。それで、なんの用?」
不機嫌を惜しみなく全面に押し出す僕。顔面へ先制ダイレクトアタックをくらったこともあるけど、こいつにはできれば会いたくなかった。たぶん文句を言われるに違いない。ついに来たかって感じもするけど。
「何怒ってるのよ。さっきのことなら謝るわよ」
マリアはぶすっとしながらも、ちょっと決まり悪そうに目を背ける。話し出すタイミングを計るように、口を開いたり閉じたりしている。その間僕は腕を組んでマリアを凝視。逆にマリアは僕と目を合わせようとしない。
「その……具合どう?」
「え?」
小さな口からやっと紡がれたその言葉は、僕の想像していたものとは大きく違った。
「いや、さっきお店で他の人たちに聞いたら、結構辛そうだったとか言ってたから」
マリアがどんな顔してるのかは分からない。漆黒でボリュームのある髪が、マリアの顔を隠してしまっている。
「え、あ、今日一日寝てたからだいぶ良くなったよ。それよりバイト休んでごめん。大丈夫だった?」
マリアの表情が分からず、どう返したものかと悩んだ結果、無難なことしか言えなかった。さっきまでの怒りとか不機嫌は、一瞬にして霧散していた。
「お店の方は大丈夫よ。今日は水曜日で、週中の平日だったからそんな混まなかったしね」
「そっか」
どうもおかしい。てっきり怒られると思っていたけど、そんな気配が一切ない。それどころか、マリアは必要以上にしおらしい気がする。
「そう。熱は?」
「多分まだあるかな」
「多分?」
「うん。僕、体温計持ってないんだ」
引っ越してきて早々風邪をひくなんて思ってなかったから、救急箱とかそういう類はまだ揃えていない。家族と住んでいた時はあって当たり前だったけど、一人暮らしになって、その大切さが身に染みる。
「そうなの?」
「うん、今度買えばいいやって──え?」
気づけばマリアの小さな手が僕のおでこに当てられていた。
「ま、マリア……?」
「動かないで。……よく分からないわね。わたしの手も温かいからかしら」
そう言うと、なんと今度は顔を近づけてきた!
「え? ちょっ、な?」
「ん……」
甘い香りに包まれたと思った瞬間。
目の前数センチのところにマリアの顔がある。閉じられた瞳、瞼から伸びる長くて綺麗にカールしたまつ毛。陶器のように、光を帯びた白いすべすべの肌には少し朱が差している。小さなピンク色の唇から洩れる吐息が、僕の唇を刺激する。幼いけど愛くるしい、子猫を思わせるような顔。
おでことおでこをくっ付けた状態。
ひんやりとした感触の中に、ほんのりと確かにマリアの体温を感じる。
「動かないで」
咄嗟に後ろに引こうとしたら、マリアに頭を掴まれる。
「こ、こうでもしないと熱あるか分からないし……。す、すぐ終わらせるから……動かないで」
「はい……」
「あんた、まだ結構熱あるんじゃない?」
近くで聞くマリアの声。もう聞きなれたはずなのに、妙にドキっとさせられる。
「え? あ、う、多分、風邪のせいじゃない……」
「え? よく分からないけど、まあいいわ」
直後、マリアから解放される。名残惜しくもあったけど、あのまま続けられてたら、間違いなく僕の回路がショートして再起不能になってた。オーバーヒートして暴走モード突入してた可能性もあるけど。
「やっぱあんた、顔赤いわよ?」
「うん、それも風邪のせいじゃないと思うから……大丈夫」
いや、ある意味大丈夫じゃないんだけどね。
眉毛を八の字に曲げて、心配そうに見上げてくるマリアを直視できない。恥ずかしいってのもあるけど、純粋に心配してくれてるのに、下心を抱いてしまったのが少し気まずい。
「従妹なんだから、別に遠慮しなくていいのよ?」
「うん。そんなこと思ってないよ」
そんなこと全然思ってない。むしろ、こいつと従妹だってことを今思い出したぐらいだ。その事実はつい忘れてしまう。それだけ僕らは似てないし、共有する思い出もない。昔会ったことはあっても、そのことは覚えていない。記憶の大海に沈没してしまっている。サルベージは困難だ。
「ご飯食べた?」
「一応、お見舞いでもらったゼリーを」
「それだけ?」
「それだけ」
「それじゃあ、治るものも治らないわよ」
マリアは大仰に溜息をつくと、ベッドから立ち上がって廊下のほうへと向かう。そのままキッチンの横に置いてある冷蔵庫へと直行、勝手に中を物色し始めた。
「うん、一応材料はあるわね。キッチン借りるわよ?」
「え? いいけど何で?」
僕が声をかけると、廊下と部屋を仕切るドアの陰から、マリアの呆れ顔が出てくる。
「そんなの料理するからに決まってるでしょ。料理と魔法の研究以外のキッチンの使い方があるなら、私に教えてほしいわね」
……魔法の研究?
とりあえず、今度機会があったら津田家のキッチンを見せてもらおうと思った。
「ふぅー」
マリアが作ってくれたのは、病人食の定番、梅干しの乗ったお粥と、具がもやしオンリーのお味噌汁だった。
シンプルなクセにこれが予想以上に美味く、結局僕はお味噌汁とお粥を二回ずつおかわりした。まぁ、今日ゼリーしかまともに食べてないから、当たり前っちゃあ当たり前だけど。
「ご馳走様。マリアはやっぱ料理上手いよね」
今はキッチンで洗い物をしてくれているマリアに声をかける。背が低くて童顔のマリアがキッチンで洗い物をしてると、なんだかお母さんの手伝いをしてる子のように見えて、少し微笑ましい。
「一人暮らしなんだから、これぐらい当然よ」
当然か。なら僕は全然だ。もっと料理のレパートリーを増やしたい。
「マリアは将来、いいお嫁さんになるね」
普段ならこんなこと言わない。今日のマリアはなんか優しかったのと、熱で少しボーっとする頭のせいで、僕の考えは理性という検閲に引っ掛かることなく発言されてしまう。
「お、お嫁さん……」
「ん?」
見ると、マリアの顔に赤みが差してる。
まさか、褒められて照れてるのか?
ほほう、店長なんぞを名乗っていても、実際はこやつもただのウブな女子よ。
僕の中に芽生えた嗜虐心が、理性の検問を強行突破。普段の意趣返しとばかりに、マリアを攻めにかかる。
「こうして見ると、なんだか新婚さんみたいだよね」
「ししししし新婚……」
「可愛い女の子に料理を作ってもらえるなんて、僕は幸せ者だな」
「かかかかかかわ? かわっ? かわふ……」
僕って、こんなどっかのチャラ男みたいなこと言うキャラだったっけ?
いや、でもぶっちゃけムチャクチャ楽しい。
普段はあんな冷徹そうな態度で、杖でぶん殴ってくるくせに、今のマリアときたら顔を茹でダコのように真っ赤にして、目をぐるぐるさせてる。完全にキャパオーバーみたいだ。オロオロして、洗い物が手につかなくなってる。
さて、今度はどんな言葉で攻めてやろうかと考えていた時──
パリィン。
ついに限界突破してしまったらしいマリアの手から、持っていた茶碗が滑って床で砕けた。
「あっ、ごめ──いたっ!」
「大丈夫?」
音に驚いたマリアが、焦って割れた茶碗を拾おうとすれば、結果は火を見るより明らか。
案の定、マリアの白くて綺麗な指に赤い筋が刻まれる。
「マリア大丈夫? あーあ、指切れちゃってるじゃないか。早くこっち来て」
マリアの手を取り、ベッドの前に座らせる。僕は棚から消毒液と絆創膏を取り出し、マリアの指の手当てをした。体温計はないけど、絆創膏や湿布類はこの部屋に完備されている。仕事中あれだけド突き回されてればね。レンタルショップの店員って生傷の絶えない仕事だっけ?
幸いマリアの傷は深くない。これなら一日二日で治るだろう。
「ごめんなさい……」
「いや、僕の方こそゴメン。調子に乗ってからかいすぎた」
「…………」
「…………」
沈黙。
応急処置をした後、僕はベッドに背を預けるようにして、マリアと肩を並べて座る。言うべき言葉を考えるも、なにが正解なのか分からず、ただただ無言の時間だけが流れていく。年齢イコール彼女いない歴の僕にとって、こんな時に女の子にかけてあげる言葉なんて分かるはずないじゃないか。
なんて、誰にともなく抗議したところで状況が改善されるわけでもない──と思ったら、あっさりマリアさんが打破して下さいました。
マリアもこの状況に耐えかねたんだろうな。
「……太郎。あんた、小さい時わたしと会ったの覚えてる?」
「いや、覚えてない……」
「やっぱり」
肩を落とし溜息をつくマリア。マリアもベッドにもたれる形で座っていた。
「まぁいいわ。今から思い出話をするわ。あんたには関係ないけど、とりあえず聞いてなさい。あんたには全然関係ないけどね!」
「う、うん」
マリアの気迫に押され、強制的に視聴者モードへ移行。
「わたしの両親は昔から家を空けがちだった。もちろん仕事なのだからしょうがない。幼心にもわたしはちゃんと理解してた。もちろん親も、幼いわたしを放っておくようなことはなく、当時はお手伝いさんがわたしの面倒を看てくれていたの。それでも私わたしまだ幼稚園生よ? しょうがないとは思っていても、寂しいと思ってしまう心はどうにもならない。自分の行動は騙せても、心情までは騙せない。そんな状態が長い間続いて、わたしはついに、情緒不安定になったわ」
淡々と語るマリアの口調や表情からは、何の気持ちも感じられない。ただあった出来事をそのまま語るだけ。
日本史の教科書を読んだところで、感情移入なんかしない。マリアの声はそんな感じだった。
「そんなある日、わたしはある男の子と出会った。彼は彼の両親とこの町に、泊まりがけで遊びに来てた。彼が帰るまでの三日間、毎日一緒に遊んだわ。その間はわたしの情緒が不安定になることもなく、毎日が楽しかった。でも」
一度マリアは言葉を切る。表情はさっきと変りない。
「彼が帰る日、わたしは号泣した。それはもう大号泣だった。『お父さんとお母さんみたいに、あなたもわたしを一人にするの?』って。最後の最後で不安定になっちゃったのね」
やっと見せた感情は、自嘲するような苦笑い。
その姿は、思わず触れて確かめたくなるぐらい儚げだった。
「そしたらね、彼、何て言ったと思う?」
僕が思わずマリアに触れて、その存在を確かめなかったのは他でもない。マリアの表情が、苦笑から微笑に変わったからだった。
「彼ね、『ぼくはキミをぜったいにひとりにはしない。いつまでもキミのそばにずっといてあげる。すぐもどってくるからね』って言ったのよ? 本当、ませた子供よね。でもそのおかげで、私は悲しくなくなった。嘘のように……魔法をかけられたように泣きやんだのよ」
マリアはその光景を思い出したように、ふふふっと軽く笑った。その拍子に、僕とマリアの肩が軽く触れる。服越しに伝わってくる体温。
マリアの微笑を湛えた顔が近い。気を抜くと引きこまれてしまいそうなほど、魅力的だった。
こいつ、こんな笑い方するんだな。
手で触れなくてもマリアの存在を確かに感じる。
僕も自分の存在を主張するように、少し体重を預けてみる。
「その子は戻ってきたの?」
そう聞くとマリアの顔は、喜びと悲しみをない交ぜにしたような複雑な表情になった。
「彼は、いえ、『彼』はまだ戻ってきてないわね」
「そっか」
言っている意味がよく分からなかった。
でも、それ以上にかける言葉は見つからなかった。
安易な言葉で返していい話だとは思わなかった。
「ていうか、これだけ言っても思い出さないわけ?」
「え? 何の話?」
「何でもないわよ!」
一瞬マリアの肩が引いてしまった気がしたけど、すぐにまた僕の体重を支えてくれる。それでもマリアの表情は不満げなままだ。
「主人公が、異性からの好意に鈍感だなんて王道よね。いやむしろ、いろいろ普通すぎて一般道と言うべきかしら」
何かブツブツ言っていたけど、深く追及したら僕が傷つく気がしたので、やめておくことにした。
「ふわ……」
マリアの口から可愛らしい欠伸が出た。
時計を見やれば、深夜十二時をとうに過ぎている。
僕は一日中ダラダラしていたからいいものの、マリアはバイトが終わってからこっちに来てくれている。眠くなるのも当然だろう。
むにゃむにゃと可愛らしく目元を擦るのが終わってから、僕は口を開いた。
「マリア、もう遅いから帰ったら? ご飯ありがとう。すごく美味しかった。それと、せっかく来てくれたのに調子に乗ってケガさせちゃってゴメンね」
僕の言葉を受けて、マリアはほとんど目の開かない状態で、いやいやをするように首を振った。まるで小っちゃい子みたいだ。中身も外見も。無性に抱きしめたくなる。
「ううん。さっきも言った通り、従妹として、店長としてあなたの面倒を看てあげてるだけよ。それに」
「それに?」
続きを促すも、しばらくその先が紡がれない。その先を思い出すように、言葉を選ぶように、マリアの口がゆっくりと開く。
「風邪ひいた時に一人って寂しいじゃない」
その言葉にハッとする。マリアはしょっちゅう両親が仕事で家を空ける。お手伝いさんがいたとしても、風邪で身体が弱ってる時は、やっぱり家族の看病が一番なはずだ。
さっき僕が感じた寂しさもそう。家では感じないはずだ。
家族のように、当たり前のようにうちに上がり込んでくるあの人たち。実際、そっちの方が妙な気遣いとかせずに、僕も気楽にいれた。
その行為は普通に考えれば非常識だ。
でも幸か不幸か、あの店には常識的な人の方が少ない。その上みんな一人暮らし。なら、風邪の時に一人でいることの辛さも知ってるはずだ。
今思えば不思議だよね。
お店の人、みんながみんな(一名途中リタイア)僕のお見舞いに来てくれたんだから。
そして一番面倒を看てくれたマリア。
僕の近くにいる唯一の親族として、家族の恋しさを知ってるからこそ、バイトで疲れてるだろうにご飯を作りに来てくれたのかもしれない。
そう思うと、笑いが込み上げてくる。ほっぺの筋肉が弛緩していくのが手に取るように分かるのに、それを止められない。止めようだなんて野暮なことも思わないけど。
ああ、ヤバい。
マリアが可愛すぎる。
愛沢さんという人がありながら不埒な。
それほどまでに、親族補正の加わったマリアは愛おしく思えた。親族というより、身近に感じたって言う方が合ってるかな? 別に僕はロリコンでもシスコンでもないよ?
ブラコンの妹にシスコンの兄とか手に負えなさ過ぎる。
火に油なんて騒ぎじゃない。アラブの油田にイフリートが召喚されるぐらい、何かといろいろ燃え上ってしまいそうじゃないか。
「何ニヤついてるのよ……?」
そんな妄想小旅行を楽しんでいると、マリアの氷点下の視線が突き刺さる。アラブからいっきにヒマラヤに吹っ飛ばされた気分だ。
「いや、素直に嬉しくて。本当にありがとう」
そう言って笑いかけると、マリアの顔がボンっといっきに赤くなる。
「きゅ、急に何よ改まって。それに……それに、結果的に従妹としては面倒看てあげられたけど、原因的に店長としては面倒看るのを怠ってたわけだし……」
「どういうこと?」
さっきまで真っ赤だった顔が、しぼんでいくようにみるみる陶磁器の白へと戻っていく。表情の変化に忙しいやつだな。
普段の冷静沈着なマリアと、今の感情の起伏が激しいマリア。どっちが本当のマリアなんだろう。いや、多分どっちも本当だ。どっちもマリアのキャラクターだ。
「あんたが体調崩したのは……その……」
「何?」
「私があんたをこき使いすぎたからでしょ?」
「え? そうなの?」
「は? 違うの?」
「…………」
「…………」
「ぷっ、く、あははは」
「ちょっ、何がおかしいのよ!」
そっか、そういうことだったのか。今日、マリアが何割増しにも優しかったのはそれが原因か。
マリアは僕が体調を崩したのは、過酷なシフトのせいだと思ってたのか。
「そんなこと心配してくれてたの?」
「なっ! 別に心配なんか……」
「風邪ひいたのは僕が悪いんだよ。昨日湯上りに、裸で妹と長時間電話しちゃったからね。それで湯冷めしちゃったんだよ」
「へ? そうなの?」
あら、なんというアホ面。僕の拳が入りそうなぐらいポカーンと口開けちゃって。
「だから全然気にする必要ないよ。確かに『こいつ僕に惚れたのか? まったくツンデレさんめ』とか思ったけど、そういう理由があったんだね。ゴメン、ちょっと勘違いだった。でも嬉しかったよ」
僕の言葉を聞いてる間、マリアの顔はみるみる赤くなり、身体がプルプル震えていた。次第にそれがブルブル、ガタガタへと変わっていく。僕の言葉に感動しているのかな? だったら何で転がってた杖を取りに行くんだろう?
「あんたってやつは……」
「おいおい、そんなに杖を振り上げちゃあ危ないだろマイベイべだばらっ」
「だ、誰があんたに惚れてるのよ! 死ねキャラなし! 風邪ひいた理由は湯冷めなの? 心配して損したわよ!」
「やっぱり心配してくれてたんだ」
「う、うるしゃい!」
「あ、噛んだ」
「うるにゃい!」
「あ、また噛んぐはぁぁ!」
僕が病人だってことを完全に忘却の空へと吹き飛ばし、一心不乱に殴りかかってくる。この暴走はマリアの体内電源が切れて活動限界になり、完全に沈黙するまで続いた。
どこの人型汎用決戦兵器だよ。
結局この騒ぎが原因だったのか、僕の風邪は次の日まで続き、学校もバイトも二日連続で休まなければならなくなった……。
 




