(2)
登校するなり職員室に呼び出しをくらった遙飛がふたたび教室に戻ったのは、朝のホームルームがはじまる直前のことだった。
「ハルちゃん、おは~。朝から災難だったねぇ」
居心地の悪い視線がチラチラと集まるなか、それでも席についてホッと息をついた遙飛に声をかけてきたのは、隣の席の小柳沙優海だった。色白でふんわりとした雰囲気の、アイドル系女子である。小柄な体格に見合った小顔のなかで、ぱっちりと自己主張している大きな二重の瞳が、興味津々といった様子で遙飛に向けられていた。
「あ、おはよう」
挨拶を返した遙飛の顔が、わずかに赤らむ。気さくな性格の沙優海とは日頃からそれなりに会話も交わしているが、学年で一、二を争う美少女の眼力は、なかなかのものだった。
「先生たちに怒られた?」
「あ、うううん。事情聞かれて、あとは軽く注意されただけ」
「そうなんだ。よかったね」
「うん、まあ」
曖昧に頷いた遙飛に、沙優海は屈託のない笑顔を向けた。
「でも、呼び出されて注意とか、なんかちょっと理不尽じゃない? ハルちゃんだって、騒ぎに巻きこまれただけの被害者なのにねぇ」
「しょうがないよ。先生たちも事情が呑みこめてなかったみたいだから」
「まあ、そうなんだろうけどさ」
言ったところで、「ね、ハルちゃん」と、沙優海はあらたまった調子で顔を近づけて小声で尋ねた。
「それでやっぱ、あの人って本物だったの? ひょっとしてホントに、一条漣と知り合い?」
遙飛の顔を覗きこむつぶらな瞳が、隠しきれない好奇心を溢れさせていた。
「ま、まさか小柳って、一条漣のファン、とかいう?」
「まさかってなに~? あたし、超大ファンだよ? ファンクラブだって入ってるもん」
「えっ、ウソッ!?」
「なにがウソさ~。サユミちゃんをナメないでよね。こう見えてあたし、筋金入りのレンの追っかけなんだから」
沙優海はそう言って両手を腰に当て、得意げにふんぞり返ってみせた。
「はじめて聞いた。いままでそんなこと、言ったことなかったよね?」
「話題にならなかったから言わなかっただけだも~ん。レンはあたしの理想の王子様なんだからねっ」
「……あんなガラの悪いのが?」
思わずボソッと呟いてしまい、あわてて口を噤んだ。
「え? なんか言った?」
「あ、うううん、なにも」
フルフルとかぶりを振る遙飛を見て、沙優海は真顔で詰め寄った。
「で? 真相は?」
できればぜひとも本物であってほしい。そんな下心が、見事なまでに透けて見える。欲得と打算がふんだんに盛りこまれた、期待に満ち溢れた眼差しだった。しかし沙優海がそれをやると、まったくいやらしさを感じさせないのだから美少女は得である。遙飛としても、ここはさらにお近づきになるためにも真実を打ち明けたいところだった。しかし、そうおいそれとバラすわけにもいかない。内心で涙を呑みつつ、否定の言葉を口にした。
「誤解だよ。本物なわけないじゃん」
途端に沙優海の顔に、あからさまにガッカリとした表情が浮かんだ。それでも諦めきれない様子でくいさがる。
「え~、でも、あたしもあのとき校舎の窓から覗いてみたけど、本物に見えたよ?」
「間近で見たわけじゃないでしょ?」
「そうだけど、レンなら絶対、見間違えない自信あるもん」
艶やかなふっくらとした唇を、可愛らしく尖らせる。そして、じゃあだれだったの?と不満げに尋ねた。
「じつはあれ、俺の従兄」
遙飛は職員室で苦しまぎれに捻り出した言い訳を、そのまま口にした。
騒ぎの中心となっているのが、日頃地味で目立たない生徒である遙飛とわかって、教師たちは一様に意外そうな顔をした。が、今度は逆に、真面目でおとなしい印象を受ける生徒だからこそ、気づかないところでよからぬ問題を抱えているのではないかと心配しだした。
なにか困った事態に陥っていないか。陰で妙な連中と関わっていないか。人に言えない悩みを抱えているのではないか。
受験生というデリケートな立場も相俟って、余計に不必要な心配を煽ったようだった。
怒らないから正直に言ってみろと居並ぶ教師たちに威圧感たっぷりにうながされ、遙飛はこれ以上ないほどの窮地に立たされた。しかし、どうあっても逃げ出すことは許されない。いい年をして、親でも呼び出されようものなら、それこそシャレにならなかった。そこで、咄嗟に思いついた言い訳――
「あの、じつは俺の従兄も一条漣の熱烈なファンでね、なまじ身長とか、そこそこ見た目にも恵まれてたぶん、その気になって本人になりきっちゃったっていうか、完璧なコピーを目指すあまり、極めちゃったっていうか……」
「でも、他人のそら似にしては、顔まで本人そのままってくらいソックリだったよ?」
「そ、それはっ、だからそのっ、もともとわりと似てたところを、さらに完璧にするためにアレコレ手を加えたっていうか……」
「あ~、あれか! ようするに顔イジッちゃったってやつだ!」
突如まえの席の石清水将輝が振り返って会話に加わった。ふたりのやりとりをずっと聞いていたらしい。そして言うまでもなく、会話に加わらずとも、周囲のクラスメイトたちも同様に聞き耳を立てていることは疑いない。
「うそっ、整形っ?」
将輝の言葉に、沙優海も驚きの声をあげた。
「でも、いくら整形でも、あそこまで瓜ふたつになれるもの?」
疑いの眼差しを向けられて、遙飛は内心でどぎまぎしながらも、しぶとくしらばっくれた。
「遠目だったから、余計にそう見えただけじゃないかな。近くで見ると、そんなでもないよ?」
「うそ。あたしは間に合わなかったけど、真っ先に飛び出していった莉乃ちゃんたちが間近で見て、どこからどうみてもレン本人だったって言ってたもん」
「いや、それだけたぶん、なりきってたんじゃないかなっ」
自分でも苦しいと思いつつ、遙飛は言い張った。本人なのだから、どこからどうみても本人にしか見えないのは当然である。だが、それをここで認めるわけには断固いかない。
「じゃあ、なんでハルちゃんは、そのイトコさん見て逃げちゃったわけ?」
沙優海の疑惑の目はますます強まる。
「そ、それは……、その、なんていうか、悪ふざけがすぎて、あんな目立つ場所でわざと待ち伏せなんかされちゃったから、いたたまれなかったっていうか」
職員室でも、なんとかその理由で押し切ってきたところだった。たんなる親戚の人間の悪ふざけで、好ましくない相手とよからぬ関わりを持っているわけではない、と。
「だから今後は、近隣の人たちにも迷惑がかかるから、あの手の冗談は控えるよう従兄にもちゃんと言い聞かせるようにって職員室でも注意されてきた。次やったら、警察呼ばないわけにいかないからって」
「え~、そうなの~?」
そこまで言われると、さすがに疑いつづけるのも難しくなったのだろう。沙優海は不満顔で唇を尖らせた。
「うん。ごめんね?」
「べつにいいけどぉ。たしかにレンが、こんな普通の公立高校になんか来るわけないし」
「サユちゃん、残念だったね」
すかさず慰めの言葉をかけた将輝に、クラスのマドンナは仕種だけで泣き真似をしてみせた。
「残念だけど、でも、あそこまで本物に似せちゃうイトコさんも、それはそれですごいと思う。ね、ハルちゃん、イトコさんてなんて名前? 苗字はハルちゃんとおんなじ篠生さん?」
「あ、えーと……」
しまった。そこまでは考えてなかった。
思わぬ質問にあわてた遙飛は、咄嗟に思いついた名前をそのまま口にしてしまった。
「山田太郎」
きれいにカールしたつけまに縁取られた大きな瞳が、さらに大きく見開かれる。直後に弾けた将輝の爆笑。周辺の席でも、同様ににぎやかな笑い声が湧き起こった。
さすがにちょっと、現実味のない名前だっただろうか。思ったところで、いまさら撤回のしようもない。沙優海のなかに、ふたたび余計な疑惑の種を植えつけることになってしまったのでは。肝を冷やした遙飛の焦りを余所に、沙優海はポツリと呟いた。
「イケメンだと、純和風の名前もカッコイイ響きに聞こえちゃうんだねぇ」
漣さん、ごめん……っ!
沙優海の感心と周りの席のクラスメイトたちの笑い声で沸き返るなか、遙飛は内心で、とんでもない偽名を名乗らされるはめになったトップモデルに、手を合わせて謝罪することとなった。