(2)
「現、実……?」
「まあ、これ言うとまた混乱すっかもしんねえけどさ。こっちの世界の話じゃないんで、現実、っつっていいかどうかもまた微妙な話だけどな」
こっち? こっちって、どっちの話だろうか? というか、そもそも『こっち』とか『あっち』って、どういう基準?
混乱を深めていく遙飛の耳に、一条漣は容赦なく、さらなる爆弾を落とした。
「あ、ちなみに俺がラグールだから。千草がディルレイン。おまえは当然、ファルダーシュな。その辺、俺らのことはともかくとして、自分がだれだったかぐらいは認識できてるか? おまえが統治してたのがイオニア国。カリテ海に面したベルジアン半島の南東部に位置する、まあまあの大国だったよな?」
あたりまえのような顔で確認を取られても、簡単には頷けない。
カリテ? ベルジアン?
ラグールが一条漣でディルレインが千草宗幸? いや、逆か? 一条漣がラグールで千草宗幸はディルレイン――いや! いやいやいや、そんなのはこの際どうでもよくて、え、俺? なに? イオニア国? ファルダーシュ?
知っている。たしかにいずれの単語も、遙飛のなかにばっちりインプットされていた。それは、くだんの作品のなかで、頻繁に登場する固有名詞だったからだ。
充分憶えはあるのだが、だからどうだと言われても、それはそれで非常に困る。
やはり、からかわれているのだろうか。
突飛すぎる内容に、当惑を深めたところで逆に訊かれた。
「なんか、俺の言うこと完璧疑っちまってるみたいだけど、じゃあちなみに、おまえはなんで知ってんの? どこまで把握中?」
「なんで、って……よくわかんないですけど、いつのまにか知ってて……」
「あ~、いつのまにか、な。いつから? 最近? 2、3年くらいまえ?」
「いや、もうちょっとまえ」
「ちょっと?」
「いえ、その、わりと昔……」
「わりと?」
「え…っと……、そ、そこそこ……それなり、に?」
重ねて訊かれて、しぶしぶ白状する。
「中学のときは?」
「……はい」
「小学生」
「え~と、まあ……」
「幼稚園。それかもっとまえ」
「た、たぶん……」
「んで? これ、いつどこで観た、なんの映画だったっけなぁ、と?」
「は、はいっ」
なにやら尋問されている気分になってきた。
一条漣は長い足を組み、ついでに両腕も組んで背凭れに身を預け、じっと遙飛を眺めていた。
なんでこんなことになってるんだろう。
いたたまれないほど気詰まりな沈黙のなかで、昨夜から何度目かわからないおなじ疑問を胸の裡でふたたび繰り返した。
本当であれば、一生のうちで一度でも、ナマでその姿を見る機会すらないような雲の上の存在である。そんな相手と、こんな地元の高校生しか通わない、小汚いカラオケボックスで対面していること自体があり得なかった。この現実のほうがよほど夢のような状態なのだが、それをどう受け止めればいいのかわからない。彼は結局、なにが言いたいのだろう。
「まあとりあえず、映画でもなんでもいいとしてだ」
一条漣はぶっきらぼうな調子で言った。
「最終的に俺ら――その話がどうなったかまで、結末は把握してるか?」
「結末?」
「そう。登場人物にどういうことが起こって、最後、どういう終わりかたをしたか。そこまで理解は及んでるか?」
「あ、いや。それは全然」
「じゃ、なにをどこまで知ってる?」
思いのほか真面目な顔で訊かれて、遙飛は戸惑いながらも考えこんだ。
「えっと、思い出せる時系列がバラバラだから、順を追って把握できてはいない、です」
「わかってる範囲でいい」
「なんか、モンスターっていうか、化け物みたいなのがいっぱい襲ってくるんで、城の兵士みたいな人たちと撃退してて、ラグールとディルレインは一応そのなかにいて、みたいな」
「決着はついたところまで知ってるか?」
「知りません」
「ラグールとディルレインは、途中でどうなった?」
「とくになにも。とりあえず、いつも一緒にいて戦ってる、ぐらいしか」
「ほかに、もうちょっとわかってることはあるか?」
「えーと、ふたりとも見た目は、普通に人間だった、気がします」
答えたあとで、遙飛は思い出した。
「あ! そういえば、ふたりは恋人同士だったかも!」
声高に言った途端、一条漣はガクッと椅子に座ったままずっこけた。
「ちょっ、待て! よりによってそんなとこだけ、とっ散らかった情報まとめるのかっ!?」
「えっ、記憶違い?」
「完全にな。いや、一応どこでそう思いこんだのかはわかる気がするが、とりあえずそれはない。俺も千草も、おまえが夢で見知ってるとおり性別はオスだし、当然、繁殖相手はメスしか選ばねえ。そもそも俺たちは、種属が違う」
なにやら非常に獣じみた言いまわしをしているが、それも『人間ではなかった』という部分と関係しているがゆえなのだろうか。ともあれ、ふたりの関係性については自分の認識違いだった、ということだけは遙飛にも理解できた。というか、やはりあのふたりに関することは、『俺と千草』のことになってしまうらしい。
「いまの段階でわかっているのは、そのぐらいか?」
確認するように訊かれて、おそるおそる遙飛は頷いた。
「あの、結末ってことは、最後どうなったか、おふたり――一条…さん、たちはもう、全部知ってるんですか?」
「まあな」
あっさり肯定したあとで、「けど、俺らの口からは言わないぜ?」と釘を刺された。
「おまえ自身でそのうち知ることになるかもしんねえし、このまま知らずに終わるかもしれない。おまえ次第なとこがあるから、外野から余計な情報は入れないようにする」
「でも……」
「まあ、あんま愉快な情報でもねえしな」
ポツリとした呟きに、遙飛はドキッとした。結末は、あまりいい内容ではない。そういうことになるのだろうか。戦いに負けた。あるいは登場する人々のうちのだれか、もしくは複数が悲劇に見舞われたか、それとも全滅か。そんな終わり。一条漣が発した言葉のニュアンスには、そんな響きが含まれていた。
「ま、そんなのはどうだっていいんだよ」
直前の思わせぶりな雰囲気を払拭して、美形モデルはバッサリ切り捨てた。
「過去は過去。なんだったらおまえが思ってるとおり、どっかの国が作った映画の話、フィクションと思ったっていい」
「いい……んですか?」
「いいに決まってる。俺たちが生きてるのは、いま、この時代なんだからな」
聞きようによっては恥ずかしいほど気障なセリフなのだが、一条漣が言うと、やはりさまになっていた。それはそれとして、じゃあ、なにが問題なのだろうか。
「おまえさ、さっきのアレ、はじめてか?」
唐突に訊かれて、遙飛は眼前の整った貌を見返した。
「アレ?」
「俺が追いついたタイミングで見たヤツ、いるだろ?」
言われた途端にギクリとした。
「えっ、なっ、なんで……っ」
「ああいうの、これまでに見たおぼえは?」
動揺する遙飛を見ても、一条漣はどこまでも落ち着き払っていた。
「あっ、あのっ、まさか見えて?」
「見えたから、おまえもスピードゆるめたんだろ?」
「それは、まあ……」
では、あれはやはり、見間違いではなかったのだ。