(1)
逃走を諦めた場所から徒歩数分。
人目を避けるため、ふたりで裏路地を抜ける。遙飛が案内したのは、学校帰りに時折友人たちと立ち寄る、ゲーセンと併設になっているカラオケボックスだった。
店内が薄暗いうえににぎやかで、皆、それぞれゲームに熱中している。おかげで、一条漣のような目立つ人間が入店して狭い通路を移動しても、注意が払われることはなかった。
奥のカウンターでさっと受付を済ませ、指定された番号の部屋にふたりは入室した。
外から室内の様子が丸見えになっても困る。最小限の灯りで押さえた薄暗い室内で、遙飛と一条漣は、L字型のソファーにそれぞれ対面で座を構えた。余計な出入りを避けるため、ドリンクなども注文しない。密室にふたりきり。斜向かいに膝を突き合わせて座る有名人をまえに、遙飛はあらためてそのオーラに圧倒され、緊張を強くして縮こまった。
「なに、おまえ。まさか、いまごろ緊張してるとか言う?」
「だ、だって……っ」
「ま、無理もねえか」
遙飛の弁解を聞くでなく、国内随一の売れっ子モデルはどうでもよさそうに肩を竦めた。
「おまえにとっちゃ、自分の置かれてる状況自体がまるっきり意味不明だもんな」
「はあ……」
「ってか、おまえにこんな口の利きかたしてるなんてバレたら、まぁたあいつに文句言われっかな。あいつホント、融通利かねえうえに上下関係うるせぇから」
心底げんなりした様子でぼやいて、遙飛と目が合うなり「千草だよ」と、華やかな貌立ちの美形は捕捉した。
「昨日、最初に声かけただろ。あいつ」
「あ、はい。あの、今日は一緒じゃないんですか?」
「あ~、まあ、あいつもそれなりに忙しいからな。べつに俺も、暇ってわけじゃねえけど」
「あの、イクシードの経営者一族の人って……」
「そうそう。なんだ、知ってんじゃん」
「昨日、あのあと、ちょっと調べて……」
口籠もる遙飛を見て、一条漣は口の端を吊り上げた。
「へえ。一応関心は持ったわけだ」
「そ、そりゃ……」
真っ赤になりつつ、遙飛は思いきって尋ねてみた。
「……あの、それより上下関係って……」
「ああ、まんま言葉どおり? 俺らよか、おまえのほうが立場的に遙かに上っていう」
「なっ、なんで…っ、意味がわかりませんっ!」
遙飛はすかさず反論した。
相手はあきらかに10歳近く年上で、さらには社会的にも成功している。そんな立場の人間が、知名度すら欠片もない、たんなる一受験生にすぎない高校生の自分より格下のわけがなかった。
「いやまあ、おまえが全否定したくなる気持ちもわかるけどな。ただ、そこはもう変えようがねえ事実っつうか」
「そっ、そもそもっ、なんでおふたりは俺のこと知ってるんですか!?」
「そりゃおまえ、おまえは俺らの主君だし? 俺らはおまえの下僕だし?」
「………………は?」
言われている意味が、まったく理解できなかった。
遙飛は呆気にとられてポカンと口を開けた。その反応を見て、一条漣もまた、「ま、当然そうなるよな」と軽く応じる。
「なんてぇかさ、俺もまだるっこしいのは性に合わねえから単刀直入に言っちまうけど、そこがそもそもの本題なんだわ」
説明する口調は、じつに面倒くさそうだった。
「おまえまだ、全然覚醒しきれてねえみてえだからピンとこねえと思うけど、俺ら、前世で繋がりがあんだわ」
言われて、遙飛はますます目が点になった。
「かく…せい……? ぜんせ? おっ、おれ――『俺ら』っていうのは、つまり……?」
「だから、おまえと俺と千草」
「そっ、それでまさかその……、その『前世』、とかで、俺、が……おふたり、の……」
「そうそう。俺らの主。おまえ、人間界の王様だったしな」
なんだ『人間界』って。
現実では到底あり得ない、いかにもファンタジーめいた内容を、いい年齢の社会人があっさり肯定する。それどころか、さらにとんでもないことを付け足した。
「あ、ちなみに俺らは人外――ようするに人間じゃなかったんで、そこんとこよろしく」
「はぁあっっっ!?」
遙飛はここで、とうとう話についていけなくなった。もはや、こうなっては理解する意欲を手放すしかない。キャパオーバーもいいところである。いったいどこの世界に、こんな非現実的妄想話をバカ正直に受け止める高校生がいるというのか。
前世? 人間界? 人外っ!? なにそれ。いま流行りの異世界転生モノとか言っちゃう気?
思いっきりつっこもうとして、そこでようやく合点がいった。
あ、なんだ。そういうことか。
納得しつつ、いやいやいや、絶対無理!と即座にかぶりを振った。
「あっ、あのっ、俺できませんからっ!」
「あ?」
「無理です。だって俺、これでも一応、受験生なんでっ!」
「だから?」
「いや、だからそのっ、お断りさせていただきますっ」
「断る?」
「はい。あのっ、そもそもまず、演技とか絶対無理なんでっ! それに目立つの好きじゃないし、人前に出るのとかももってのほかって感じで。あと、見た目的にも、その、自分で言うのもなんだけど、全然パッとしないし。なんで俺なのかわかんないですけど、そういうわけなんで、そのっ」
遙飛の顔をまじまじと見ていた業界随一の美形モデルは、やがて天井を見上げると大きく嘆息した。
「まあ、至極まっとうっちゃ、まっとうな解釈か」
「はい?」
「ようするにおまえ、あれだろ? 映画とかドラマの出演依頼――俺がおまえをスカウトしに来たって思っちゃった、と」
「……違うんですか?」
「まあ、そう思ったとしてもしょうがねえよなあ」
明確に言葉で否定はしないが、態度とニュアンスで確実に遙飛の勘違いだったことがわかる。そんなリアクションを返された。
一気に顔が熱くなるとともに、じゃあなんの話だろうと、ふたたびあらたな疑念が頭を擡げた。
「おまえさ、いい大人がなに夢物語ほざいてんだ、とか思ってんだろ?」
軽く開いた足の上に両腕を置くようにして、一条漣は上体を乗り出した。その恰好で間近から顔を覗きこまれ、遙飛は及び腰になって身を引いた。
「いえ、あの、そういうわけでは――」
「ラグール」
何気なく呟かれたひと言に、座っている位置をずらして、差し向かいの相手と距離をとろうとしていた遙飛はそのまま硬直した。
「ディルレイン、ファルダーシュ、イオニア」
「なっ……なんで、それ……っ」
「おー、なんだ。やっぱ知ってんじゃん」
遙飛の反応を見て、一条漣は満足げに口角を上げた。
「あのっ、あのそれっ、ずっと考えてて思い出せないんですけど、なんの映画ですか? 絶対俺の作り話とかじゃないはずなのに、周りで知ってる奴、だれもいなくて、それどころかいくら調べても、それらしい作品も全然見つからなくて――」
「フィクションじゃないぜ?」
「え?」
「映画じゃねえしドラマでもない。当然、アニメでも漫画でも小説でもない」
じゃ、ほかになにが――あ、ゲーム?
「現実の話だよ」
遙飛の内心の結論をバッサリ切り捨てるとともに、覇気に富んだ整った貌が眼前でニッと笑った。