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異空の盟約 うつし世の誓い  作者: ZAKI
第10章 それでもやらなきゃいけないときがある
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(2)

「あいつだって許されるなら、安全な場所で、おっとりのんびり過ごしたかったんじゃねえの?」


 遙飛の心の裡など知らぬげに、漣は言葉をつづけた。


「肉体的な面はもちろん、メンタルの部分でもあいつがつよいのは、そうなるべく努力した結果だろ。イオニアの国王として、神王の力を受け継ぐ者として――まあ、この点に関しちゃ無自覚だったろうが、とにかくあいつは、生まれながらに背負ってかなきゃならないもんがあった。怖いから。嫌だから。重たすぎるから。トップに立つ者の使命として、そんな理由でその責任を放り出すことは許されなかった。少なくとも国の王としては、百万の民の生命を預かる身なんだからな」


 おまえがいちばん知ってるはずだろ。あたりまえのように言われて、遙飛は押し黙った。


 そうだ。ファルダーシュが覚醒する直前のあの苦悩、悲哀。そして己自身に向けられた憤り。それは、感じている重圧とともにはかりしれないものがあった。

 遙飛自身が弱いせいで、ファルダーシュのちょっとした過去の記憶と感情を必要以上に増幅させてしまったわけではなかった。あれこそがファルダーシュの偽りのない思いであり、苦しみでもあった。だがそれを、彼は泰然と構えた笑顔の奥に伏せて、なんでもないことのように呑みこんでいた。


「大事なものを自分の手で護りきってみせる。その覚悟のあらわれがあいつの強さになった。ただそれだけのことだ」


 大事なものを自分の手で護る覚悟――


 漣の言葉を心のなかで反芻した遙飛は、いまの自分に置き換えてみた。


 護りたいもの。なくしたくないもの。

 ファルダーシュに比べれば、それは遙かにちっぽけで、狭い範囲に限られていた。それでも決して、喪うことのできないものだった。


 家族、友達、平穏な日常、ありきたりで退屈な毎日。


 武器を手に戦う必要のない生活。その戦いによって自分のみならず、(ちか)しい者たちの生命が絶えず脅かされ、いつ失われるともしれない恐怖に苛まれる不安のない幸せ。あたりまえのように学校に行き、勉強をして、家に帰れば自分で支度をしなくともバランスのとれた食事と温かい風呂が用意され、清潔な衣服も調えられている。


 なんでもないことのようでありながら、そのじつ、なにより貴重で得がたい日々。


 一度でも、感謝したことがあっただろうか。あんな過去を持ちながら、こちらの世界に生まれ落ちて以降の自分は、恵まれたその環境をあたりまえのように享受し、ありがたいとも幸せだとも思わなかった。


 父がいて、母がいて、親しい友人たちに取り囲まれ、少しでも困難だと思うことには果敢に挑戦するのではなく、無難に回避して楽なほうの道を選んできた。周囲に甘え、自分に甘えてゆるく生きてきた今日までの日々。自分がだれかを護るのではなく、護られるのが当然だとさえ思っていた。

 自分には無理だから。やってもどうせできるわけがないから。それがお決まりの文句で、そうやってつねに自分で逃げ道を確保していた。げんにいまだって、そうして泣きごとを言うことで漣や千草が助け船を出してくれること、あるいは自分が出張ったほうがよさそうだとファルダーシュが交替してくれることを心のどこかで期待していた。


 なぜ。どうして。


 前世を思い出したいま、ファルダーシュと篠生遙飛で、なぜこんなにも違うのだと歯がゆくさえ思う。


 なぜ、あんなふうに生きられたのだろう。なぜ、いまはこんななのだろう。


 あまりに情けなく、不甲斐なく、恥ずかしかった。

 過去から現世へ。それは、とてもおなじものとして引き継がれた魂とは思えなかった。

 漣のように、千草のように、かつての自分をそのまま新しい自分のなかにも蘇らせることができなかった。


 違いすぎる。自分がファルダーシュなら、あんなふうに笑えない。あんなふうにたった独りで堪え忍ぶことなどできはしない。あんなふうに、腹をくくれない。


 ラグールを刺したときの生々しい手の感触が記憶の底から甦る。遙飛はゾクリと身をふるわせた。

 それが、覚悟の違い。

 自分にとって大切なものすべてを手放し、叩き壊したとしても、それでも護り抜いてみせるのだという気概。覚悟。


 遙飛は己の掌をじっと視つめた。


 この手でできることはなんだろう。過去の自分に羞じぬように。現世(いま)の自分に失望することのないように。

 できないのではない、やるのだ。ほかのだれかに期待するのではなく、自分の成すべきこととして、自分の力で成し遂げるのだ。

 護りたいのも、失いたくないのも自分なのだから。


「漣さん、千草さん」


 遙飛は呼びかけた。その声に、ふたりはハッとする。色合いの異なるふた組の視線を受け止めて、遙飛はゆっくりと口を開いた。


「あの、援護……、よろしくお願いします」


 わずかに驚きを見せたあとで、漣は厳然とした表情になった。


「覚悟は、できたのかよ?」

「正直、自信はまったくありません。でも、俺にも護らなきゃいけないものがある」


 遙飛は断言した。その決意を聞いて、漣はややあってから小さく息をつくと口の端を吊り上げた。


「やっと肚が決まったかよ。ったく、世話が焼けるぜ」


 うんざりした物言いに反して、満足げに言う。そして相棒に視線を流すと、軽い口調でうながした。


「ってことで、ようやく我らが主君にもその気になっていただけたみたいなんで、俺らもいっちょ、本気出しますかね」


 それを受けて、千草は立ち上がった。


「異空からの襲撃に関しましては、ご案じなさいませぬよう」


 言葉少なに告げて背を向ける。その千草を、遙飛は呼び止めた。呼びかけに応じて、千草は無言で振り返った。


「あの、なるべく早くカタがつくように頑張るから、できればその、あんまり殺さないで……」


 遙飛を見る黒瞳が、一瞬大きく見開かれた。かつては黄金色をしていた、涼やかな瞳。


「あっ、も、もちろん無理だったらいいんだけど! 手加減とかして、逆にふたりが危険な目に遭うほうが困るし、その、怪我とか生命にかかわることになっちゃうと、それこそ大変だから」

「承知いたしました」


 やわらかな笑みを浮かべて千草は応じた。


「我らにとっては、その程度の匙加減など容易たやすいこと。我が君の仰せのままに」


 丁寧な物言いだが、怒っているわけでなく、嫌味を言っているわけでもない。ファルダーシュに対するのとおなじ、主君への敬愛と好意が込められていた。遙飛もまた、「うん、よろしく」と笑顔を返した。


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