(4)
「父は、そのようにして王位に即いたというわけか」
苦い口調で遙飛は呟いた。
そのことと、自分が何者であるかという問いのあいだに、どんな関わりがあるのか。その答えは、あらためて問うまでもなく、すでに、明白な事実として投げられている気がした。
「俺は、父と母の子ではなかったというわけだな」
「血統でいうなら、キファの血筋ということで繋がりはある。だが、ヴァンのほうが遙かにその血は薄い」
漣の返答こそが、まさに遙飛の疑問に対する答えだった。
「それでおまえたちは、俺の臣下に下ったか」
「おまえが把握してるかぎりではそうなるが、俺たちはもともと、おまえに仕える者だったんだ」
「うん? どういう意味だ?」
遙飛はわずかに首をかしげた。それに対して、漣は涼しい顔で肩を竦めた。
「俺たちはともに、もともと神王に仕える者だったんだ。だから、キファとのことが露見して、サリアが幽閉の身となって以降は、サリアにかわって俺たちが繭の周囲を結界で固め、『神子』を護る任に就いていた。王家はあくまで、その眠りを妨げることのないよう見守ることが役目だったから、実質、本当の意味での『守り役』は俺たちだったことになる」
「不覚にもその守りを破られ、『神子』を連れ去られる事態となりましたが、我々がサリア様の血と力を受け継ぐあなたに忠誠を誓うのは、ごく当然の使命だったのです」
「なるほどなあ」
しみじみ納得した遙飛は、腕を組んで唸った。
「どおりで成人して以降、俺の年の取りかたは周囲に比べて異常なほどゆるやかだったはずだ」
深刻さの欠片もない的はずれな述懐に、漣はカクンと膝の力が抜けたような動きをした。
「おまえ、納得するところはそこかよっ」
「いやまあ、いろんな意味で驚きすぎて、逆に落ち着いてしまった」
鷹揚に笑う年下の主君に、漣は両腿に手を置いて上体を支えるような姿勢をとるとガックリと項垂れた。
「そうだよ、おまえはそういう奴だった。図太いんだか大雑把なんだか脳天気なんだか考えなしなんだか」
「おいおい、ひとつも褒めてないじゃないか」
「おまえのどこに褒めどころがあるってんだよ」
「細かいことにこだわらない。くよくよしない。じつにおおらかで前向きで度量のある、主君の鏡のような美徳ではないか」
「……言ってろよ」
げんなりした様子で漣はぼやいた。
「ってか、なんで遙飛は真逆の性格なんだよ。後ろ向きでうじうじしてて臆病。図太さでは類を見ないおまえの特質を、いっこも引き継いでねえじゃねえか」
「その図太さがあればこそ、おまえたちが臣従の意を表明したときに受け容れることもできたのだぞ?」
遙飛は不本意そうに反論した。
「そもそも今世での性格については、繊細で用心深いと言ってもらいたいところだな。おなじ魂を持っていても、ファルダーシュと遙飛では生まれ育った環境がまるで違うのだから、おなじ人間になりようもなかろう。むしろ、おまえたちのようなケースのほうが珍しいのだ」
平然と応えたあとで、遙飛は「それに」とすぐさま付け加えた。
「過去の記憶が意識の底に沈んでいようとも、ファルダーシュとして生きた日々は魂にしっかりと刻まれている。今世では完全な人間として生まれてしまった以上、用心深さと臆病さを前面に出すことで自衛を講じたかもしれんな」
いささか他人事のような所見ながらも、遙飛は性格の違いについてそう分析した。そして、
「まあ、いまの話で、長年腑に落ちなかったことがようやく俺のなかでも説明がついた」
スッキリした口調と表情をもってそう告げると、ふたりの友に向かって結論を口にした。
「半神半人。ファルダーシュのなかに流れる血が種属を跨ぐものであったからこそ、その能力を終生安定させることができなかった。不規則に訪れた『昼』と『夜』の時間は、結局、そのことに起因していたということで相違ないな?」
「そのとおりだ」
「なるほど。ならば今世で、こちらの世界に人間として生まれたことも得心がいく」
『神王』としての力を安定した状態で使いこなすためには、ふたつの血が流れる状態ではなく、人か人にあらざるモノか、どちらか一方でなければならない。そして後者であった場合、その転生は神族ではなく、妖獣としての生となることは避けられない。ファルダーシュの裡に根付く神王の力は、必然的に、より邪気にまみれたものとなることは必至である。それを回避するための徒人としての転生。
それでももとの世界であれば、ファルダーシュがそうであったように、絶えずその生命が妖獣らによって脅かされることとなる。
機が熟すまでのあいだ、『神王』の力に気づかれることなく安全に過ごすことのできる場所。別次元に存在する『こちら側』の世界は、そのようにして選ばれた。
「自分にできる最大限の力で、幻精界と人界の境界を封じはしたんだがな」
不安定な力で施した封印は、不完全なものにしかならなかった。わかっていたからこそ、前世でやり残した仕事を完成させるために、過去の魂を携えて生まれなおした。
「ったく、俺とディルレイン、獣神族と竜族の長の力を神王の力に添わせれば、多少はなんとかなるかと思ったが、そううまくはいかなかったか」
「そろって大きな宿題を残してしまったがゆえの、今世での再会だ」
大仰に嘆息する漣に向かって、遙飛は愉しげに笑った。
「サリアの粋な計らいと受け止めることとしよう」
「お気楽なのはいいけどよ、それはそれとして、ケジメだけはきっちりつけるぞ」
「承知している。俺の存在も向こう側に知れてしまったことだしな」
妖獣らの『封じこめ』ではなく、幻精界そのものから邪気を祓わねばなるまい。遙飛はそう断言した。
「神王によって毒された以上、神王の手で、バラまかれた毒は廃されるべきだ。摂理を曲げてまで貫いた想いの証として俺が存在する以上、この手で贖罪はせねばなるまいよ」
「ファルダーシュ様、なにもそのような……」
「案ずるな。なにも父と母、そして自分の境遇を恨みに思って自棄になっているわけではない」
「まったくだ。根っからの楽観主義者のこいつが、そんな繊細な神経、持ち合わせてるわけもねえ」
「漣、さっきから聞いてると、人を神経すら通っていない鈍感の固まりのように――」
「充分褒めてるつもりだぜ? 悲観や卑屈とは無縁の前向きさが立派な美徳だってな」
漣は悪びれもせず嘯いてニヤリとした。不満げに口を尖らせた遙飛は、すぐに気をとりなおして話を戻した。
「ともあれ、宿題を片付けるあいだ、おまえたちにも尽力してもらう必要がある。時空を繋いで幻精界に直接働きかけるからな」
ふたつの世界が繋がった状態で遙飛が神王の力を全開にすれば、その力に吸い寄せられた妖獣らが大挙してこちら側に押し寄せることは想像に難くない。漣と千草には、それを水際で阻止してもらわねばならなかった。頼りにしているぞ、という主君の言葉に、漣と千草は従容として頷いた。
「おまえは心配せず、自分の仕事に専念しろ」
「異空からの襲撃は、すべて我らにお任せを。我が君におかれましては、心安くお勤めに励まれますよう」
それぞれの言葉で後押しをされ、遙飛もまた頷きを返しかけたところで、ふと心づいた様子でふたりの友を見やった。
「そういえばおまえたち、連携するのはいいとして、そのまえに事前準備はしておかなくていいのか?」
唐突な問いかけに、問われた側はともにキョトンとした。
「事前準備?」
「ああ。おまえたちもそれぞれに妖獣の力を完全解放するのだから、獣の本能に理性が引きずられることのないよう、エネルギー交換をしておく必要があったのではないか? 口移しで」
最後のひと言を聞いた瞬間、ふたりの友はゲッソリとした表情を浮かべた。
「……王様、頼みますから、要らぬ心配はご無用に願えますかね?」
端整な貌を歪めたまま、苦虫を噛み潰したように漣は吐き捨てた。千草に至っては、横を向いて返答することすら拒否するありさまである。遙飛はそんなふたりの反応を見て、不思議そうに首をかしげた。
「なんだ? いま、なにかおかしなことを尋ねたか? 問題のあることでも?」
「充分おかしいし、大問題だろ!」
即答して、漣は心底イヤそうな顔で傍らの千草を顧みた。
「いいか、俺たちはいま、普通にただの人間なんだよ。いくら前世の自分たちの力を取り戻したからって、べつに獣神になるわけじゃねえし、竜体に変化するわけでもねえ。だから獣の本性に引きずられて我を失った挙げ句、街中でゴジラみてえに自衛隊相手にドンパチやりながら大暴れするとか、そういうのはねえから、全然!」
「そ、そうか……」
「ええ、そうなんですよ。おわかりいただけますかねっ?」
「む、むろんだ」
「そういうわけなんでっ、野郎同士でチュウとかも絶対あり得ねえから! そもそも、日本を代表するトップモデルの一条漣がイクシードの御曹司とスキャンダルなんて、全然笑えねえし、笑い話にしようとしたところで、この面とあの面じゃ、顔面偏差値高すぎてシャレじゃすまねえんだよ、このヤロウ! どうしてくれんだ、マジでホント勘弁ってことになりかねねえんですよ! それについてもおわかりいただけますかね? 聡明にして明敏なるイオニア国王陛下っ!」
「わかったっ。よくよく理解した! すまん、俺が浅はかだった。いましがたの問いは取り消す!」
遙飛は諸手を挙げて降参した。
胸倉を掴みかねない勢いだった漣も、それで気がすんだか、鼻息ひとつ吐いて気を静める。遙飛は緊張を解くと、妙な流れになりかけた場の空気を咳払いで払拭してあらためてふたりに向きなおった。
「とまあ、こんな軽口を今後も気安くたたき合えるよう、まずは目の前の大仕事にさっさと取り掛かるとしようか」
言って、不敵に口の端を上げた。どこまでも食えない奴だと、漣は呆れた表情を浮かべる。そんな友の様子を満足げに見やって、遙飛は完爾と笑った。
「ここから先は、人間である『遙飛』の仕事となる。ふたりとも、しっかり援護を頼んだぞ」
言い放つなり、強い『気配』が消失した。
あたりに静寂が訪れる。ひと呼吸かふた呼吸の間合い。
重い沈黙の後に、凍っていた空気が一気に溶解した。
直後。
「び、びっくりした……っ」
遙飛の口から、細い声が漏れ出た。