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正史では語られることのなかった真実に、遙飛――ファルダーシュは驚くばかりだった。
イオニア王国の始祖、キファ・ゼイン・イオニアは、神族のモノたちにその人柄を見込まれ、幻精界と人界、ふたつの世界の架け橋となるべく、聖なる土地を領土として与えられた。
正史に記され、イオニア王家の歴史としてファルダーシュが幼きころより学んだのは、そのような『史実』だった。
では、捏造された記録の裏側に秘された真実は、なにを意味するのか。
己の裡に湧き上がる疑念を、遙飛はただちにひとつの結論へと結びつけた。それは、考えるまでもないことだった。
捏造に込められた真意はただひとつ。『神子』の存在の秘匿。その一事にあることは疑いなかった。
イオニア王家は、『神子』の父親であるキファ・ゼインの流れを汲む。それゆえに与えられた『守り役』であり、領土であり、王位だった。その特権に、果たしてどこまで無欲を通せるものか。
『神子』を、人界に利する力を与えるものとして覚醒をうながしたなら、その存在を楯に、神族どころか、神王その人を掌中に絡めとることさえ可能となる。キファ本人にその意志がなくとも、事実を知る者があれば、代を重ねるなかで必ずそのような欲得に駆られる者が現れる。そのことを怖れたのだ。
神王という立場にありながら、自分のせいで我が子と引き裂かれ、母となる歓びを断たれて生涯幽閉される身となったサリア。彼女を、これ以上悲しませることはできない。ましてやあの尊き無垢なる存在を、どうして裏切ることができるだろう。
人界に対してつねに友好的だった神族が人間を警戒し、距離を置いて忌避する事態になった責任はすべて、不可侵なるモノに思慕を抱いた自分にある。その思いがキファを動かした。
ふたつの種属を、これ以上引き裂いて険悪にするわけにはいかない。なにより、生を受けながら、この世に生まれてくることを許されず、親の罪を一身に背負うことになってしまった我が子に、これ以上の犠牲を強いることはできなかった。『神子』の存在を、私利私欲の材料として利用させることだけは、なんとしても阻止しなければ――
それゆえの隠匿。
「その禁を犯したのが、祖父だというのか?」
尋ねた遙飛に、漣はそうだと頷いた。
「むろん、キファが正史で伏せた真実にたどり着いたわけではない」
ファルダーシュの祖父、ジグネティス・イオニアが禁忌に触れたのは、偶然の重なりによるものだった。そう説明されて、遙飛はなにがあったのかをすぐに察した。
より多くの利を得るため、鉱脈探しをするなかで『繭』の存在を発見してしまった。そういうことだろう。そして、それが『なに』かを理解しないまま、神族によって大切に守られていることをもって『価値あるモノ』と判断した。
手に入れたなら、おそらくは黄金の鉱脈より遙かにイオニアに利をもたらすものとなるに違いない。そう確信するに至った。それこそがまさに、王家が永きにわたり、その眠りを妨げることのないよう不可侵の立場を貫き、守ってきたモノであることに気づきもせずに。
「こともあろうに、ジグネティスに遣わされた山師の一行は、人間が立ち入ることを許されていない『牆壁の森』へと踏みこんで来やがった」
漣は不快げに吐き捨てる。その不敬の果ての蛮行。
結界内で厳重に守られていた『繭』は、まんまとひとりの人間に盗み取られてしまう。
神族の護りが働いていた結界が、なぜあっさりと破られることになったのか。
「簡単だ。『繭』自身が、盗みに現れた奴の侵入を許したからだ」
それこそがジグネティスの息子にしてファルダーシュの父、ヴァン・ガレリウスだった。
ヴァンもまた、間違いなく初代イオニア国王、キファ・ゼインの血を引く者。繭の内に眠る『神子』は、その『血』に反応したものと推察される。
「次男として生まれた奴は、当時、第二王位継承者。王太子である実兄を出し抜くためには、相応の功績が必要。そう踏んでの計画的犯行だ」
そしてその目論見は、まんまと功を奏すこととなる。
兄の優位に立ったヴァンは、みずからの思惑どおり、見事、王太子の地位を勝ち取ることに成功する。否、そこに至るまでに、彼はもう一段階、評価を高める功績を残していた。
最愛の我が子が奪われた――幽閉の身にありながら、その事実を正確に察知したサリアの怒りと悲しみは凄まじかった。
我が子と引き裂かれて幾星霜。人間の寿命から比すれば、神族のそれは時の流れを感じさせぬほど長くゆるやかに進む。だが、その長さゆえにサリアの味わった苦しみは計り知れず、無垢なる魂を次第に蝕んでいった。
愛するキファがこの世から去ってすでにひさしい。深い喪失感と果てのない絶望に、それでも耐えてくることができたのは、キファと自分を繋ぐ唯一の愛の証が存在すればこそ。その唯一の希望の光が奪われた。それも、キファの血を受け継ぐ者の手によって――
踏みにじられ、裏切られたサリアの心は、ついに限界に達した。
怒り、憎悪、怨嗟、悲哀。
一気に爆発したエネルギーはサリアの躰を食い破り、瞬く間に幻精界全土を覆い尽くしていった。
神王の消滅によって幻精界の秩序と平安は損なわれ、発散された邪気に犯された神族は妖獣へと変容を遂げた。
幻精界は、この穢れをもって暗黒の時代を迎えることとなる。
怨恨と憎悪と呪詛にまみれた妖獣らの大半から理性と叡智は消失し、かつて神王サリアによってもたらされた恩恵――自然界の光の波動により生成される『聖気』は、その生命力を弱らせる、忌むべき害毒となった。
弱きモノほどその傾向は顕著となり、生命を繋ぐため、彼らは互いの肉を喰らい合うようになっていく。
足りない。足りない。こんなものでは生命を維持することなどできはしない。もっと質のいい栄養を。もっと栄養価の高い餌を。ひもじい。苦しい。力が出ない。こうしているまにも生命が流れ落ちて干涸らびていくようだ――
理性を狂わせた妖獣らは、本能の赴くままに殺戮を繰り広げ、互いを貪り合った。かろうじて神族のなかでも高位にあった種属のみが妖獣となってなお、エネルギー摂取による生命維持を可能としていた。しかしそれもやがて、幻精界全体の邪気が強まるにつれ、激しい飢餓感に襲われるようになっていく。
そうしてあるとき、ついに見つけた理想の餌。
人間が妖獣にとって最高の栄養源になることに気づくや、彼らはこぞって人界へと繰り出し、活きのいい獲物を求めて狩りをはじめるようになった。その妖獣らの何度目かの襲撃に際して軍を率い、堂々迎え撃ったのがヴァン・ガレリウスだった。
消滅に際してサリアは最後の力を振り絞り、神王の力を繭の内に眠る我が子へと託していた。神族として神王の恩恵を享受していた過去があるからこそ、その力は妖獣らにとって脅威となる。繭の正体をいまだ知らぬヴァンが、当然その事実を知ったはずもなかった。
しかし彼は、持ち前の勘の鋭さと計算高さをもって、神族の守りの内にあった繭が、妖獣との戦いに有利に働くことを正確に見抜いていた。
前線に繭を持ち出すと、ふとした折りに妖獣らの攻撃力が鈍り、弱まる瞬間がある。神王の力を受け継いだ『神子』が、繭の内で不安定ながらも自然界のエネルギーに働きかけ、その影響をもって周囲に『聖気』が溢れる瞬間がそれであった。
敵味方ともに知る由もない偶然がもたらした好機により、ヴァンは見事、妖獣らを撃退し、イオニア全土に武勲を知らしめることとなる。




