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異空の盟約 うつし世の誓い  作者: ZAKI
第7章 なにはともあれ待たせたな
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(4)

 * * *


 理性のたがをはずして獣の本性を剥き出しにした男の殺傷力は凄まじかった。


 日々鍛練を積み、戦いに慣れた兵士たちが束になってかかっても、たったひとりを相手に見る間に捻り潰されていく。人外の膂力りょりょくをもって屈強な兵士たちの四肢や首がへし折られ、一刀のもとに鍛え抜かれた胴がまっぷたつに両断された。

 悲鳴や怒号が飛び交い、あたりには無惨に引きちぎられた人々の亡骸が累々と積み上げられていった。


 心を失った相手に、もはや言葉は通じない。

 最後まで主従の盟約にこだわりつづけたその意味が、ようやく理解できた。


 盟約の縛りにより完全体に戻ることを封じられてなお、これほどまでの力を発揮する存在。


『決して躊躇ためらうな。おまえが護らねばならないこの国の民のために、王の務めを果たせ』


 友と交わした、最後の約束。


「陛下っ、おやめくださいっ! いかがされるおつもりですっ!?」


 側近らの制止を振りきり、ファルダーシュは単身、剣を片手に戦乱の渦中へと身を投じた。


 長年にわたり、苦楽をともにしてきた家族同然の家臣たち。度重なる妖獣らの襲撃も、彼らの存在あればこそ、今日まで堪え忍んでくることができた。ラグールとディルレインが加わったことで、国の護りはさらに堅固なものとなった。

 不甲斐ない王のため、身命なげうって仕えてくれた大切な者たち。その彼らの生命が、無惨に引き裂かれていく。友であり、仲間であった者の手により、無情に打ち砕かれていく。


 躊躇うな。王であるその手で大切な者たちを護り抜け。

 残虐極まりない殺戮を止められるのは、もはや自分をおいてほかにない。


 獣の本質に立ち返り、理性を手放してなお、彼は獣神への変容を最後の意志の力でくい止め、人型を保ちつづけている。だがそれも、すでに時間の問題だった。人としての理性を保つため、獣神の身でありながら竜種の力を取りこんできた。そして突如、その力を取りこむことができなくなったことをもって、その身の裡でふたつの力が均衡を崩して暴れ狂い、彼の心そのものを破壊しはじめていた。

 完全に心を失えば、盟約の縛りなど意味を成さない。やれるのは、いまだけ。機を失すれば、彼は人の殻を打ち破って本来の獣神へと変容を遂げる。そうなれば、万にひとつも勝ち目はなかった。


 情は捨てろ。期待は持つな。一度狂えば、二度とふたたびその心が理性を取り戻すことはない。

 損な役回りだが、しかたがない。


『しょうがねえよ。だっておまえ、王様じゃん』


 思いきりよくとどめを刺してくれ。

 むごい要望を、ごく軽い口調で笑って頼まれた。


 家臣を、民を、国を護らねばならない。この国の王として。


 友の《人》としての矜恃きょうじと尊厳を、守り抜かなければならない。彼の忠誠を受け容れた者として。


 ファルダーシュは剣を構える。


 友よ、来世でふたたび再会を果たそうぞ。ディルレインとおまえと俺と。いつかまた、ともに酒を酌み交わそう。血腥ちなまぐさとは無縁の、平穏なる世界で。


「ラグー……ルッ!!」


 ――先に行って、待っていてくれ。俺も必ず、あとから行く。


 大音声の呼びかけに振り向いた相手に向かい、ファルダーシュは全霊の力を込めて突進した。

 王を護るため、周囲の兵士たちがいっせいに斬りかかり、長槍を振るい、矢を射る。それらを一瞬で薙ぎ倒したラグールは、太い咆吼を放ってファルダーシュに向き合った。


 無数の兵士たちの血脂にまみれ、刃毀はこぼれした大刀が、凄まじいスピードと破壊力をもってファルダーシュに打ち下ろされる。すんでのところでその一撃をよけたファルダーシュは、身軽く飛び退いた先で素早く体勢を整えなおした。だが、その直後に、息つく間もなく鋭い斬撃が繰り出された。


 激しい打ち合いのさなかに、互いの息がかかる至近で睨み合う。瞳のなかに滾るのは、純然たる殺意と狂気。


 相手の攻撃を受け止める。歯を食いしばる。力で力を跳ね返す。こちらからもいっさいの加減なく、渾身の一撃を繰り出す。

 めまぐるしいほどに攻守が入れ替わる苛烈な攻防。

 自分を映す黒い瞳に、かつての理性は欠片も存在しない。それでも肌で、たしかに感じとる。ラグールが獣神として真の力をぶつけてきたなら、ただの人間にすぎない自分には、到底敵うはずもない。こちらが全力を出してなお、互角以上の力を有している相手が、意識の深層で己をセーブし、自分に好機を与えようと加減しつづけていた。


 勢いよくぎ払われた剣が、己の手から弾け飛ぶ。思わず手もとに意識が向いた瞬間、激しい衝撃とともに腹部を蹴り飛ばされ、躰が宙を飛んだ。

 目が眩み、意識が白濁する。それでも咄嗟に探った手が、折り重なる兵の遺体のなかから長槍らしきを掴み取る。いまだ焦点が合わない目を凝らし、ファルダーシュは迫りくる殺気めがけて力のかぎりにその柄を投げつけた。


 鋭い切っ先が、肉を貫く鈍い音が響く。ようやくはっきりしてきた視界が、長槍に右肩を貫かれて攻撃の勢いを弱めるラグールの姿をとらえた。


 ファルダーシュは己の腰に手をやる。掴んだのは、短刀の柄。豪奢な象嵌がなされた黄金の鞘から刃を抜き取り、しっかりと握りなおす。

 立ち上がり、正対したファルダーシュの姿をとらえた瞬間、狂気を宿した黒瞳がほんのわずか、平静に凪いだ。

 ファルダーシュは息を詰める。そして反動をつけ、地を蹴った。


 ゆっくりとした動きで眼前に迫るラグールの肉体。その両手が、己を迎え入れるように軽く開かれる。短刀を握る手に力が籠もる。右肩と両手が、逞しい体躯に勢いよくぶつかった。ラグールの胸に当たった右耳が、その体内で鋭い凶器が肉を抉る音をとらえた。

 腕に伝わる強い衝撃。触れ合った部分を通じて、その躰がビクリと痙攣したのがわかった。


 大切な友の生命が、零れ落ちていく。


 握りしめる短刀から伝わるその感覚を、苦い痛みとともに噛みしめていたファルダーシュは、不意にその身を硬張らせた。

 身の裡で突如生じた、思いがけない衝撃。

 咄嗟に手を放し、反射的にラグールからも離れようとする。だが、いまだ人型を保つ獣神は、国王の躰に覆いかぶさるようにしてその動きを止めた。


 ――なぜ……っ。


 ファルダーシュは押し寄せる苦痛に顔を歪める。ラグールの躰から、とてつもないエネルギーの波動が押し寄せ、ファルダーシュのなかに一気に流れこんできた。

 人の身であるはずの自分に、獣神であるラグールの力がなだれこむ。否、みずからの裡に入りこみ、侵蝕していくのはラグールのそれだけではない。そこにはたしかに、いまは亡き、もうひとりの友の気配をも感じた。


 ラグール。そしてディルレイン。


 妖獣のなかにあっても群を抜く貴種、獣神と竜種の、稀少にして純粋なる力が容赦なくファルダーシュのなかに注ぎこまれ、満たしていった。


『そのうちにわかる』


 ふたりの友が自分を選び、主従の盟約を結んだ理由がそこにあった。


 まさかこんな――


 力のすべてを注ぎ終わったとき、ファルダーシュの視界のなかでラグールの膝から力が抜けた。

 それに伴い、胸部を貫いていた短刀の切っ先から逞しい体躯が抜き取られ、崩れ落ちていく。


 地に沈み、眼前で横臥した友の姿を茫然と眺めやりながら、ファルダーシュはひとり、その場に立ち尽くす。


 光の消えた黒瞳。満足げな笑みを湛えた口許。



 ――なぜ……。



 蒼天を視つめつづける友に、ファルダーシュは押し潰されそうな思いを抱えたまま、ひそやかに問うた――






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