(2)
湯川の真の狙いはラグール。それはいったい、どういうことなのか。
遙飛の混乱は、深まるばかりだった。
湯川は自分の覚醒を待っていると千草は言ったが、それはすなわち、漣と千草、ふたりも力を取り戻すことに繋がる。漣がラグールとしての力を得ることに目的を置く湯川の真意とは、なんなのだろう。
単純に考えて、敵であるなら相手が弱いほうがいいに決まっている。漣が力を取り戻すことを望んでいるならば、それは味方か、あるいは、それ以上の強敵か……。
少なくとも、自分にとっての味方でないことだけはたしかだった。そして湯川のことを語った千草の口調からも、千草とも相容れない存在であることが窺えた。
欲しているのはラグール自身。もしくは、ラグールの持つ力――
学校でふたたび顔を合わせるかと思うと、ひどく憂鬱だった。
できれば会いたくない。そばにいたくない。折りにつけ、またあんな視線を向けられたらと考えただけでゾッとする。漣の覚醒を待っている湯川が、すぐに遙飛に手を出してくることはないというのが千草の見立てだった。だが、そんな保証がどこにあるだろう。いままでの人生で、とっくみあいの喧嘩すらした経験がないのだ。湯川が仮にただの人間だったとしても、突如襲いかかってこられたら、遙飛には太刀打ちできる自信など欠片もなかった。
いまから武道でも習いに行く? 思った直後に、すぐさま埒もない思いつきを打ち消した。非現実的にもほどがある。そんな余裕が、いったいどこにあるというのだ。習ってすぐに護身術が身につくわけもなく、予備校のほかに、さらに受験とはまったく関係のない月謝まで親に負担してもらうわけにいかない。なにより、受験勉強にこれから本腰を据えねばならないこの時期に、あらたに習い事をはじめるなど、自分で考えてもバカげた発想としか思えなかった。
漣や千草に言われたとおり、早く『王の務め』とやらを果たせばいいのだろうか。けれど、それはすなわち、ふたりの力に頼るということで、いかに無力とはいえ、それも男としてはあまりに情けなかった。無力は無力なりに、なにかできることはないものか。
千草と会った翌日、学校に向かう遙飛の足取りは重かった。会いたくないという理由で学校を休むわけにもいかない。湯川がいるあいだ、ずっと休みつづければ出席日数の問題が出てくるし、休んだところで所詮無駄なのだということを、遙飛は昨日のうちに思い知らされていた。千草と別れ、適当に時間を潰して帰宅した遙飛は、待ちかまえていた母親に大目玉をくらうはめになった。なにごとかと思えば、早退した遙飛を心配した湯川が、学校で配られた三者面談のプリントを届けがてら、見舞いに訪れたのだという。
あんたっ、学校サボって、いったいいままで、どこでなにしてたのよっ!
烈火のごとく怒り狂う母親を余所に、遙飛は言い知れぬウソ寒さを味わっていた。
逃げ隠れしたところで無駄だ。自分がマークしているのは、なにも学校だけとはかぎらない。
湯川の無言の圧力であることは間違いなかった。
嫌な気分のまま登校し、空いている前方のドアから教室に入ろうとして、遙飛はそこで唐突に身を竦ませ、足を止めた。教室の入り口から何の気なしに見渡したクラス内の光景。窓ぎわ寄りの、真ん中よりやや後ろのほうに自分の席があり、その左隣の席に小柳沙優海がいる。沙優海は、立ったまま別の女子と談笑していた。
「お~、遙飛、はよ。具合悪いの治ったん?」
背後からポンと肩を叩かれて、遙飛は飛び上がらんばかりに喫驚した。オーバーともとれるその反応に、声をかけた将輝のほうが驚いて咄嗟に手を引っこめる。それから、まじまじと遙飛を視つめた。
「なんだよ、ゾンビにでも遭遇したみたいなツラして。ってか、大丈夫? 顔、白くね?」
まだ体調がよくないのを無理して出てきたのではないか。そんなことを案じている様子だったが、遙飛はそれどころではなかった。
「あ、イワッシーくん、はよ~ん」
将輝に向きなおっている遙飛の背後から、沙優海の明るい声が飛んできた。将輝が途端に、「で~っ、サユちゃんまでその呼びかた勘弁!」と反応すると、華やかな笑い声が弾けた。
「ねぇ、そんなとこでなにやってんの? 早く入ってくればいいのに」
「いや、まあ、そうなんだけどさ。遙飛が」
「篠生くん?」
沙優海がなぜか、距離のある呼びかたをした。
「どうかしたの?」
「なんかわかんないんだけど、入り口に突っ立ったまま動かないんだよ」
顔もやけに白いしさぁと言った将輝は、気にするそぶりでふたたび遙飛の顔を覗きこんだ。
「おまえ、マジで平気? ホントはまだ、具合悪いんじゃねえ?」
「そ、んなこと、ない。だいじょう、ぶ……」
「ホントかよ~。なんか無理してねえ? けど、とりあえずどっちしても荷物席に置いてさ、それから様子見て考えようぜ?」
うながして、将輝は遙飛の肩に手を置いた。
イヤだ、振り返りたくない。自分の席に行きたくない。
意に反して、遙飛はうながされるまま躰の向きを変える。それからゆっくりと、重い足取りで自分の席に近づいていった。
足もとに目を伏せていてもわかる、ふたりぶんの視線。ひとりは沙優海。そしてもうひとりは――
「大丈夫? 昨日、気分悪いって早退してたもんね」
沙優海ではない、もうひとりが声をかけてきた。
なぜ……。
遙飛のなかで、疑問が浮かぶ。
なぜ、おまえがそこにいるんだ。そんな姿で!
遙飛は俯いたまま無言で机に鞄を置き、椅子を引いて座りこんだ。その様子を見て、思わせぶりに視線を交わし合う沙優海たちの姿が視界の端に映った。互いの表情を読み取って無言で意思の疎通を図り、それぞれに納得したように頷き合うふたり。そして、
「じゃあ、またあとにするね」
小さく手を挙げた沙優海は、クルリと向きを変えると席を離れた。かわりに残ったもうひとりが、遙飛の隣に座る。驚いて顔を上げた遙飛を見て、その人物はニッコリとした。
「サユね、イトコさんの話聞きたくて、ハルちゃんのこと待ってたんだよ?」
あたりまえのような顔をして、そんなことを言う。昨日の体育の時間、飛んできたサッカーボールを弾き飛ばして遙飛に大丈夫かと声をかけてきた人物。授業後、周りの連中と楽しそうに話をしながら自席で着替えをしていたはずの湯川は、いま、女子生徒として遙飛の隣の席に座っていた。




