(1)
都合がいいと思えるものほど願望。デタラメであってほしいものにかぎって現実。
結局遙飛は、一連のことが千草宗幸、一条漣を仕掛け人とする壮大なドッキリなどではなく、自分自身も強制的に当事者の輪に加えられている現実であることを認めざるを得なかった。
あのあと、遙飛は記憶から抜け落ちた湯川なる級友のことを千草に打ち明けた。静かに遙飛の話に耳を傾けていた千草は、話を聞き終えたあとも、しばしなにかを考えこむように静黙していた。が、やがて顔を上げると、遙飛を見てこう言った。
「おそらく、すぐになにかを仕掛けてくることはないと思うから」
それはいったい、どういう意味か。
尋ねたい気持ちと、尋ねずとも察せられる部分とのあいだに生じた葛藤は、容易に消すことができなかった。
「でも普通に、僕らと変わらない人間に見えました」
虚しい抵抗と思いつつ、ついつい反論してしまう。自分でも往生際が悪いことは重々承知していた。だが、2年以上同窓だった級友の存在を憶えていないという異常事態より、その事実ごと、非現実的事態に直面しつつある現状のほうを否定してしまいたかった。
自分を見る千草の表情が、その心情をよくよく理解していることを物語っていた。そのうえでなお、千草は落ち着いた様子で遙飛にひとつの問いを投げかけた。
「君の目には、僕と漣も人間に見えてるんだよね?」
千草を見返す遙飛は、両目を限界まで見開いた。
「えっ、でも……人間だ、ってさっき自分で……」
「ああ、いまの僕たちがっていうより、ディルレインとラグールがって言ったほうが正しいかな。どっちも普通に、人間に見えてたっていう認識でしょ? 憶えてるかぎりでは」
「そうですけど、架空の話のことだとずっと思ってたし、うろ覚えだし、あやふやな部分も多くてはっきりわかってるわけじゃ……」
「まあ、そうなんだけどね」
千草は応じた。
「人の認識なんて、それこそ結構あやふやなものだよね。自分とおなじ姿をして違和感なく集団にまぎれてしまえば、異種が交じっていても案外気づかない。『向こうの世界』で、僕らは総じて、『妖獣』なんて呼ばれかたをしてたけど、人間には備わっていない力で簡単に人の感覚を狂わせて人界にまぎれこむ輩もいれば、実際に、人間と遜色のない外観に姿形を変えられるものもいた」
「どうしてそんなことをするんですか?」
「人間が獣を狩って食すのとおなじ。妖獣にとっても人間は、栄養価の高い、貴重な餌だった――っていうのが建前」
「……建前?」
「まあ、そこは一応それなりに、込み入った事情があってね」
千草は、それ以上を語ろうとはしなかった。必要があれば自力で思い出せ、ということだろうか。しばし考えた末に、遙飛は別の質問を口にした。
「千草さんたち――ディルレインとラグールは、どっちだったんですか? その、人間の感覚のほうを誤魔化すほうと、実際に姿形を変えられるほうと」
これもまた、自分の記憶次第と言われるだろうかと思った。しかし、これについてはすんなり回答が得られた。
「僕たちの場合は後者だね」
人間の姿になることができる。即答したからには、本来は人ではない別の外観をしている、ということなのだろう。
遙飛が把握している範囲では、まだそこまでの理解が及んでいない。だが、思い出せる内容がこの先増えれば、そのうち彼らの本来の姿についても、すんなり思い起こすことができるようになるのだろうか。
「ただね」
思考が逸れかけた遙飛を、千草の声が引き戻した。
「いずれ思い出すかもしれないけど、人の姿をとれるもののほうが稀なんだ」
「そう、なんですか?」
「うん。自分で言うのもなんだけど、人界にまぎれられるもののなかでも、完全に人型をとれるクラスとなると、その他とは圧倒的にレベルが違う」
「じゃあ、ディルレインもラグールも、格付けとしてはトップクラスだったってことなんですね?」
「うん、そう」
そんなふたりがなぜ、『餌』と見做しているはずの人間に仕えることになったのだろう。
あらたな疑問が生じたが、余計なことは教えないと漣にもあらかじめ釘を刺されている。千草もまた、口を噤むことが予想された。そしてふと、別のことに気づいた。
「あの、じゃあ、湯川は……どっち?」
「たぶん、後者」
答えたあとで、千草は言った。
「さっきも言ったけど、いますぐ手を出してくることはないと思う。もし、遙飛くんを襲うことにいちばんの目的があるなら、その生命はとうに奪われてるはずだから」
覚醒が中途半端な遙飛を始末するなら、いまの段階で簡単に捻り潰せる。千草に言われるまでもなく、自分が化け物相手に対抗できるとは遙飛も思わなかった。ではなぜ――
「おそらく、向こうも遙飛くんの、完全な覚醒を待ってる」
「なんで……」
息を呑んだ遙飛に、千草は意外なことを口にした。
「ヤツの狙いは漣――ラグールにある。そう見て、まず間違いない」
遙飛の覚醒により、漣がラグールとしての本来の力を取り戻すこと。それこそが湯川の狙いなのだと千草は断言した。だが、その理由については、固く口を閉ざして語ることはなかった。




